0010
湖を望める無風の丘に、廃材を組み立てて作られた金属製の家屋が建っていた。
風よけのために多くの鉄板が立てられ、それらは鉄骨やパイプによって支えられ、辛うじて生きているワイヤーで頑丈に固定されている。
人間たちが地上の瘴気を避けるために地下にコロニーを築くことが大多数のこの時代、地上に居住用の建造物を設ける者は珍しい。
機械仕掛けの身体を持つノイドは瘴気漂う外気に当たってもある程度耐えられるとはいえ、屋外での劣化は空気の清浄な地下と比べ、格段に早いのだ。
ノイドでさえも、地上に塒を築くのは得策ではない。しかし無風で、空調管理ができるほどの設備が整っていれば、話は別である。
『粗食なんでな。こんなものしか出せないが』
男は机の向かい側に座る黒騎士に、鉄皿のスープを差し出した。
「いいや、私には必要ない」
『そうか』
黒騎士は軽く手を挙げて断り、ノイドの男は不快そうな態度も見せず、それを引っ込めた。
金属家屋の中は、多重扉によって外の瘴気から守られている。
内装は金属ばかりで質素であったが、壁際には鉢植えが置かれ、無彩色の空間に僅かばかりの彩りを添えている。
植物達はここで、空気の清浄化に務めているようだ。
「何故、湖の魔物は人を引きずり込むのか」
『魔物……ああ、奴のことか……』
ノイドの男は返されたスープを自分の口の中に注ぎ込み、飲み干し始める。
金属管の喉が水音を鳴らし、腹の中へと暖かなスープが流れてゆく。
皿が空になると、男は電子音で息をつき、眼光を緩めた。
『ふむ』
しばらく間をあけてから、男は問いに答え始める。
『あの湖は、元々はただのクレーターだったんだ』
「クレーター」
『ああ。荒廃したただの窪み……その頃はただの廃材捨場として利用されていただけの、ただの地形に過ぎなかった』
男の顔が、壁の小さなガラス窓に向けられる。
傷つき曇ったガラス窓の向こうには湖が写り、平坦な水面を映していた。
『その頃はここにも多くの人がいて、浅い地下にはコロニーもあった。無風のこの場所は栄え、誰もが幸せに暮らしていたよ』
「……」
『だがある時、窪地の底から、奇妙なものが現れた』
「奇妙なもの」
『ああ。真っ赤な球体だ。人が一人入れるほどの大きさの、血のように赤い球体……それが現れてから、平和なこの周辺は一変した』
男の眼光が、静かに強まる。
『最初は、ただ粘液が染み出すだけだった。球体から透明な粘液が出てきて、それが段々と増えていった……奇妙なものだから、最初は怖がって誰も触ろうともしなかったのだが……粘液が増える事に、その透明感も目立ってきたためなのか……透明ならばと、水分ならばと、そんな軽い気持ちで、粘液に触れる者が現れた』
「そして、どうなった」
『いろいろなものに興味を示す、やんちゃな子供だった。……その子は粘液に触れた瞬間、気を失って……動かなくなったよ』
金属皿の底に移った自分の強い眼光を見て、男は興奮を抑える。
だが続きを話そうとして、すぐにまた光が増した。
『子供を助けようと、その親達が粘液に触れた。彼らもまた動かなくなった。それを見た友人が手を伸ばした。彼もまた動かなくなった。……そうして、どんどん人が粘液に触れ……粘液に呑まれ……』
男が黙りこみ、静かな風音だけが部屋の中を支配する。
騎士は動かず、ただ膝の上に手を置いて、清聴の構えを解かなかった。
『……大切なものが消えると、人はそれを追い求め、自ら手を伸ばしたくなるのだろうよ』
「大切な、もの」
『ああ。それが何年経っても変わらぬ姿で、透明な水の中で横たわっているんだ……自分もそこへ、と考えるのも、無理はないのかもしれん……』




