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蛇行走行。進行方向を常に変えながらの全力疾走は、もはやかつて繁栄していた四足獣ですらも不可能な動きであろう。
地から襲い来る黒槍を鮮やかに避けつつ、着々と距離を詰め続ける。
あと五十メートル。
あと二十メートル。
砂を蹴り上げ、マントを翻し、黒騎士は走り続ける。
止まらない。風である。吹き続ける風のように、掴みどろこなく、あらゆる障害を躱しながら、黒騎士は接近する。
あと、七メートル。目標寸前。
数歩もせずに剣が届く距離。死の間合い。
しかし黒騎士の順調な接近も、長くは続かなかった。
今までは間隔が短くとも、せいぜい同時に三本くらいであった地面からの根の襲撃が、突如一度に数十本にもなって、騎士の周囲を貫いたのだ。
それは、一切の隙間なく敷き詰められた、棘の檻。
高さは五メートル近くにもなり、垂直にそそり立っている。
囲み、抜け出せなくするための死の鉄檻が完成してしまったのだ。
黒騎士は辺りを一度だけ見回して、すぐに檻の中央に身を寄せ、腰を落とした。
剣を構え、その場で油断なく動きを止める。
それまでの疾走劇が嘘だったかのような、風鳴りだけの静寂。
檻の中には風も届かず、捲れない砂地さえ沈黙を守り、勝負の行方を見守っていた。
大樹が勝つか。騎士が勝つか。
先に動いたのは大樹である。限定された黒い柵内の地面から鋭い根が伸び、黒騎士の喉元へと襲いかかる。
騎士はそれを寸前で躱すと、一歩退き、次の動きのために空間を確保する。
ところが一発避けても、それで終わりではない。続けざまに二つ目の根が斜めに生えて、鋭い矛先が騎士の胴を狙っていた。
騎士は剣によってそれを受け流し、身を捩る。息をつく間もなく、次の根が来る。
避ける。伸びる。避ける伸びる。
躱す、伸びる、跳ねる、伸びる、受け流す、伸びる。
檻に棘が伸びる。棘が満ちる。
騎士は四方から襲い来る棘を避けて、避けて、避け続ける。
だが、場は無限ではない。黒き柵がある限り、回避にも限界は訪れる。
根が柵の中を満たしきった時、その時にはもう、避けるという選択肢は残っていないのだ。
砂地を貫く音が連続的に響く中、次第に金属音が混じり始めた。
ガン、ガンと、硬質な何かを強く叩くような、金属の音である。
金属音は途切れなく続き、どんどん強くなる。
それは、黒槍が騎士の身体を貫く、処刑の音なのであろうか。
『何が起きている……』
『あの騎士は、一体どうして……』
遠目に異変を伺うコロニーの住民達は、柵の中で起こった出来事を知る術を持たない。
砂嵐のせいもあり、地中から伸びる根の攻撃の様子も、朧気にしか視認できなかったことだろう。
『……あっ!?』
しかし、円柱状に組まれた柵の中から人影が飛び上がるのは、誰の目にもはっきりと映った。
「反撃開始」
黒騎士は生きていた。
柵内の棘山を全て掻い潜り、斜めに伸びた凶刃さえも足場に変えて、彼は復帰を果たしたのだ。
「覚悟」
軽やかに大地に降り立ち、騎士が再び駆け出す。
その距離、既に三メートル。低く地に掠るほどに低く構えた剣が、正面に大樹の幹を捉えていた。
「はっ」
剣閃。斜めに振り上げられた剣の一撃は、根本をしっかりと抑えた脚によって際限の無い力を発揮し、巨大な幹を切断する。
幹に巨大な傷が走り、連鎖するように罅が延びる。
鉱物と金属が入り混じった大樹の組織は、通常の樹木と同じというわけにはいかず、大きな損傷に耐えられなかったのだ。
次第に軋む音と、亀裂が生まれる音が連鎖して、幹がゆっくりと崩落し始める。
柱が砕けるように、大樹が伐採されるように。
砂嵐の騒音にも負けないほどの大きな音を伴って、黒き大樹は巨体を砂漠の中に倒してゆく。
「討伐完了」
黒騎士は短く呟くと、振り切った剣を腰に佩いて歩き出した。
『待――! ――い――!』
砂嵐の向こう、コロニーがある場所では、ノイド達が電子音を張り上げて黒騎士に何かを伝えようとしていたのだが、騎士がそれに答えることはなかった。
彼は大樹を薙ぎ倒した方角をそのままに針路を取り、悠然と歩き続ける。
大地を蝕む黒き巨大樹は倒れた。やがて幹は風化し、完全な死を迎えるだろう。
都市の外殻を侵食する硬質な根はその成長を止め、おそらくは、二度と人を脅かすこともないはずだ。
『……あの男は、一体……』
大樹は刈られ、地下都市は救われた。
シスはしばらくの間、地下都市と農場が救われた喜びに耽る余裕もなく、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
不要とはいえ、葉の無い木というのは寂しいものだ。
――ウルボス・ラットマンの手記




