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枯れた巨大樹。
黒く、葉の無い枝だけの姿は、樹木というものを忘れて久しい人の心にさえ、恐ろしい印象を刻み込むだろう。
歩けば歩くほどに。近づけば近づくほどに。大樹はより巨大に、より黒く映る。
廃材の地面は歩みと共に細かくなってゆき、樹の全容が明らかになる距離まで近づけば、足下は砂鉄のように細かな粒子となっていた。
砂鉄の砂漠。そこに聳える黒い巨大樹。
「――トレント、貴公を斬り伏せる前に、名乗っておこう」
フルフェイスの黒騎士は、右手に持った長剣を樹木へ掲げ、宣誓する。
樹に対する小枝にすらならない剣を、少しの揺らぎもなく、まっすぐに。
「わた――」
しかし、次の言葉は続かなかった。
黒騎士の足下から突き出た黒い杭のような根が、騎士の腹部を思い切り突き上げたのだ。
遠くで、シスや何人かのノイドの短い悲鳴が上がったが、音は砂嵐に揉まれたのだろう。かき消された声は、誰に届くこともない。
程なくして、宙高く打ち上げられた黒騎士が、乱回転しながら砂地に落下する。
後頭部の着地で一瞬止まり、残りの衝撃を背骨全体で受け流すようにして、ついに黒騎士は身体を停止させた。
騎士を真下から突き上げた黒い根は、役目を終えたと言わんばかりにゆっくりと砂鉄の中に沈み、鈍色の切っ先を完全に中へと埋没させ、そして、静寂が訪れた。
横たわるかの黒騎士は、死んだのだろうか。
否。それは、有り得ない事である。
「不意打ちとは卑怯なり」
騎士はすぐに立ち上がった。
強かに打ち付けた頭や首には何の損傷も無いように、彼は再び美しい直立を見せる。
剣は再度掲げられた。名乗りの口上は、二度もない。
「覚悟」
騎士は姿勢を低く構え、黒い砂地を蹴って駆け出した。
黒衣が風に大きく翻り、しかし体幹は揺れず、風の如き速さで大樹へと走り寄る。
その姿に危機感を抱いたか、大地が揺れた。
大地の轟きと共に、鋭い根が槍のように顔を出し、騎士を襲う。
が、一度は受けた攻撃、まして、素早く駆けている最中の黒騎士には、当たるはずもない。
いくつもの黒い金属のような根が襲い掛かるものの、それらは黒騎士の軌道を後追いするかのように突き出るのみで、彼の影すら貫けてはいなかった。
「ほう」
ところが、次第に突き出る根の間隔が広がり、一つ一つと、黒騎士に迫り始める。
大樹が何かを学習したのだろうか。ともかく、背後から突き出て現れる根は、疾走する黒騎士に追いつきつつあった。
不意に、背後からの根の出現が止まる。
そのかわりに、騎士の目の前から、何本もの根による槍衾が展開された。
終わりを告げた追跡と、突然の正面からの迎撃。全力疾走の最中であった黒騎士は、脚の摩擦に寄って慣性の力に最大限抗いつつも、しかし、砂地という悪条件のために、乱立する根の剣山に突撃せざるを得なかった。
黒騎士の剣が、力任さに大きく振られる。
騎士と槍衾が衝突する瞬間、鼓膜を破るような大きい金属音が響き、鋭い火花の閃きが戦場を白く染め上げた。
剣による一撃が、騎士の身体をなんとか槍の手前に留めたらしい。
迎撃の失敗を悟ったのか、根の槍衾はすぐさま成長し凶刃を伸ばしたが、その時には黒騎士の身体も素早く大地を転がっており、体制を整え、再び大樹に向かって駆け出していた。
大きな歩幅が砂地を蹴りあげ、小さな砂鉄を蹴り上げる。
根はもう一度黒騎士を捉えようと、今度は四方から追い詰めるようにして大地に棘を林立させる。
素早く駆け、時に跳躍し、時に蛇行し、時に突き出た根を蹴り、黒騎士は迂回を試みながらも、着実に大樹との距離を詰める。
対する巨大樹といえば、地面に根を出し続け、さながら砂漠を針地獄に変えようとしているかのような勢いで、黒騎士を追い詰めてゆく。
距離は、縮まる。
根は、迫る。




