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我輩は神である。名前のある神である。

 薄暗い部屋の中で、彼と彼女は二人きりで向き合っていた。

 夜の帳が下り、暗い部屋の中を照らすのは燭台の上の蝋燭のみ。

 今、彼と彼女がいる場所は、彼の部屋の彼の寝台(ベッド)の上。そこに二人は共に全裸で向き合っている。

 彼が優しげな笑みを浮かべつつ、僅かに彼女の方へとにじり寄れば、その分だけ彼女が後退する。

 彼女は毛布を胸元まで引き上げて、どこか緊張した面持ちで彼を見つめる。

 彼女の黄金の瞳の中で、蝋燭の炎がゆらりと揺らめく。

「……どうして逃げる? それに……」

 彼の目は、彼女の胸元を守るように引き上げられた毛布へと注がれた。

「……今までは平気でオレの前で裸になっていたじゃないか?」

「そ、それは……」

 彼女は薄暗い明りの中でもはっきりと分かるほど、その白い顔を赤く染めた。

「き、貴様のことを……貴様との過去を思い出したら…………急に恥ずかしくなったのだ……」

 彼女は毛布を更に口元まで引き上げると、もごもごと小さな声で呟いた。

「おいおい。ここまで来て何を言っている? いい加減に覚悟を決めたらどうだ?」

「う……」

「それに……息子の罪の責任を取るため、オレはおまえを自由にしていいはずだろ?」

「そ、それはそうだが……い、意地悪なのだっ!! 今日の貴様は意地悪なのだっ!!」

 喉の奥で笑う彼に、彼女は顔を真っ赤にしながら文句を言う。

 だが、彼は彼女のそんな可愛い文句をあっさりと受け流した。

「当たり前だ。オレが今日までどれだけ我慢したと思っているんだ? ようやく……ようやくおまえを抱けるんだ。少しぐらい意地悪したっていいじゃねえか」

 これまで、彼女は何かにつけて彼の前でその美しい裸体を平気で晒してきた。

 そんな彼女の眩い姿を目の当たりにして、彼が男の劣情を抑え込むのにどれだけの精神力を要してきただろう。

 だが、それも今日までだ。

 彼女は正真正銘、彼のものとなったのだから。

「……そういや、まだ言っていなかったな」

「ん? 何をなのだ?」

 彼は不意に彼女の腕を取り、そのまま自分の胸の中へと引き寄せてそのまま優しく抱き締めた。

 そして、彼女の耳元でそっと囁く。

「カミィ。オレはお前を愛している。そして、未来永劫おまえだけを愛し続ける」

「れ、レグナム……」

 今まで赤かった彼女の顔が、更に更に赤くなる。

「ひ、卑怯なのだ……不意打ちでそんなことを言うのは……卑怯なのだ……」

 腕の中で弱々しく文句を言う彼女を黙らせるかのように、彼は彼女を抱く腕の力を強めた。

「何言ってやがる? 不意打ち騙し打ちはオレの得意とするところさ。今日の赤神との戦いで嫌と言うほど見せただろ?」

 彼は不敵笑いながらそう告げると、更に何かを言おうとした彼女の唇を、己のそれで優しく塞ぐ。

 しばらく互いの唾液を交換し合った後、どちらからともなく唇を離す。

「……我輩も……我輩も貴様を愛している……いや、貴様の前世から、ずっと貴様だけを愛してきたのだ……」

 惚けたようにとろんとした瞳で彼を見ながら、彼女はそれだけを何とか告げた。

 彼は彼女の言葉をしっかりと受け止めると、そのまま彼女の華奢な身体を優しく押し倒し、寝台の上に沈めた。




 全身全てを使用して互いの愛情を確かめ合った二人は、情事の後の心地よい気だるさに身を任せていた。

 カミィはレグナムの逞しい胸に頭を乗せながら、今日の昼間に尋ねたことをもう一度問う。

「どうあっても……我輩と神々の座へと来るつもりはないのか……?」

「ああ。オレはおまえと共に神々の座には行かない────」

 対するレグナムの答えもまた、昼間と同じものだった。

「────今はまだ、な」

「レグナム?」

 カミィは上半身を起すと、仰向けに寝転んでいるレグナムの顔を覗き込む。

 その際、何も身に纏っていない彼女の裸の上半身がレグナムの視界に入る。

 決して巨乳ではないが、ほど良い大きさと美しい形を誇るカミィの美乳が柔らかそうに揺れるのを見て、レグナムは再び男の欲望が沸き上がるのを感じたが、それをなんとか抑え込むことに成功した。

「オレはおまえの助けを借りるのではなく、オレ自身の力で神への階梯を登ってみせる。おまえの横に並び立つ存在になってみせる。だから……だから、それまで待っていてくれ」

 レグナムは、カミィに向けて不敵に笑う。

 その笑みは、自信に満ちたとても清々しいものであり、カミィもまたその笑みを見てにっこりと微笑む。

「分かったのだ。我輩は貴様が神の階梯を登るのを、ずっと見守っていてやろう」

 二人はいつものように互いに拳を打ち付け合うと、その後に唇同士を熱く触れ合わせた。




「旅に出る……だと……?」

 ラブラドライト王国の国王である父と、王太子である兄の元を尋ねたレグナムは、開口一番で旅に出るつもりだと告げた。

「ああ。オレはカミィと約束したんだ。自力であいつの元に辿り着く、とな。だから、もう一度旅に出て神の階梯を登る方法を探す。そして……オレは必ずあいつと同じ場所にたどり着いて見せる」

 決意を秘めたその言葉に、父と兄はレグナムを翻意させることは不可能だと悟ったのだろう。

 父は寂しそうにがっくりと肩を落とし、逆に兄は困ったものだと肩を竦めた。

「それで……ここまで勝手なことをする以上、今度こそオレの王子としての地位と王位継承権は返上したいんだ」

「そうか……本気なんだな……?」

 ウィンダムの確認の言葉に、レグナムは迷うことなく頷いて見せる。

「分かった。おまえの身分は今日限りだ。これからは一人の人間として、自由に生きるがいい」

 ウィンダムは力なく呟くと、早く去れとばかりに手を振った。

 そんな父親に最後に頭を下げたレグナムは、そのまま真っ直ぐに部屋から出ようとする。

 だが、その背中に再び父の声。

「……おまえの王子としての地位は確かになくなった。だが……ここがおまえの家であることは永遠に変わることはない。いつでも好きな時に帰ってくるがいい」

「親父……」

 思わず振り返った彼の視線の先で、兄はいつものように微笑んでいた。

 そして、父は────

「だから……だから、三日に一度……いや、二日に一度は帰ってきてくれっ!!」

「ふ、巫山戯んなっ!! 二日に一度なんて、王都から左程遠くにさえ行けねえじゃねえかっ!?」

「だって……だってレグナムがいないと寂しいんだもんっ!!」

 息子の足に縋り付き、おいおいと泣きわめく国王と、その国王をげしげしと足蹴にする元王子。

 そんな二人の姿を見て、王太子は困ったように天井を仰ぎ見て溜め息を吐いた。




 澄みきった青空が拡がる下、大地には街道という名前の傷跡がどこまでも伸びている。

 その街道の上を、数人の人間が歩いていた。

 先頭を歩くのは、()()の髪をつんつんと逆立てた二十歳ほどの青年。その青年は煮固めた革鎧に所々金属で補強を入れたものを装備し、腰には長剣と小剣を一振りずつ佩いていた。

 その青年に続くのは、青い髪の妙齢の女性と、赤い髪の先頭の青年と同じ年頃の青年だ。

 女性は青く染めた革鎧を装備しているものの、武器らしきものは所持していない。そして赤い髪の青年は、板金製の金属鎧を身に着けており、その腰には豪華な装飾の施された黄金の長剣を下げている。

「……どうして、この我が貴様などと同行せねばならんのだ?」

 不満そうな表情を隠すことなく、赤い髪の青年は先頭の白い髪の青年へと問う。

「じゃあ、好きな所へ行けばいい。だが言っておくが、今のあんたじゃ、あっと言う間に騙されて奴隷として売られるのがオチだぜ?」

「き、貴様っ!! こ、この我を奴隷にすると言うのかっ!? 神であるこの我を……っ!!」

「いくら神だからと言っても、今のあんたはオレより弱いことを忘れるなよ? だからオレが面倒を見てやろうって言うんだ、感謝こそされ文句を言われる筋合いはねえぞ? ああ、それから────」

 白い髪の青年は、にかりと人の悪い笑みを浮かべた。

「今後、オレのことは父親(おやじ)と呼んでもいいんだぜ?」

「こ、断るっ!! 断じて貴様を父などと認めるものかっ!!」

 顔を怒気で真っ赤にさせた赤い髪の青年は、大股に歩いて白い髪の青年を追い越し、どんどんと街道の先へと進んで行く。

 そんな背中を見つめていると、背後から青い髪の女性が遠慮がちに声をかけてきた。

「あ、あのー、レグナム様? あまりカーネ様をからかわない方がよろしいのでは……?」

 青い髪の女性──クラルーは、おろおろとしながら白い髪の青年──レグナムと、先を行く赤い髪の青年──カーネを何度も見比べた。

「いやー、あいつは本当に根が真面目だからなぁ。ついつい、反応がおもしろくてからかっちまうんだ」

 笑いながら歩き出したレグナムの後を、クラルーは溜め息を吐きながらも追うように歩き出した。

「ところで、おまえまでオレたちに付き合わなくてもいいんだぜ? どっかの海の底で、また眠っていたっていい」

「い、いえ、とんでもありませんっ!! ご主人様の夫君はご主人様も同じ! わたくしはどこまでもレグナム様たちと共にありますっ!!」

 むん、と拳を握り締めながら力説するクラルー。そんなクラルーを横目で見ながら、再びレグナムは意地悪そうな笑みを浮かべた。

「とか言いながら、本当の目的は美味い食べ物なんだろ?」

「はいっ!! 旅先で出会う美味しい食べ物はとっても楽しみですっ!! …………あうっ!! お、思わず本音が……」

 クラルーはあわあわと視線を彷徨わせる。そんな彼女に苦笑を浮かべたレグナムが前を向けば、少し離れた所でカーネ──名前がないと不便だから、といつものようにレグナムが名付けた──が立ち止まっていることに気づいた。

「どうした?」

「この先で何やら物音がする。どうやら数人の人間が戦っているようだ」

「ほう? 山賊が行商人でも襲っているのかね?──────どうする?」

 レグナムは不敵な笑みを浮かべると、一行の最後尾を歩いていた人物へと尋ねた。

 その人物は漆黒の長い髪を掻き上げながら、レグナムと同じように不敵に笑う。

「決まっているのだっ!! 困っている者があるのならば、神として救いの手を差し伸べるのが当然なのだっ!!」

「ほほう。で、その本音は?」

「もちろん、五彩の小僧や小娘どもと違ってまだまだ無名の我輩の名を、この世界中に轟かせるのだっ!!」

「それはいいが大丈夫か? また力のほとんどを封印したんだろ?」

「心配するな。例え力の大半を封印したとしても、以前の我輩よりも力は上なのだ!」

 胸を張ってそう宣言する黒髪の人物──いや、少女。

 そんな少女に、レグナムは愛しげな優しい視線を向ける。

「でも、神々の座に帰らなくても本当にいいのか?」

「何を言う。神々の座になどいつでも帰ることができるのだ。だから我輩は、貴様が約束を遂げるまで……神の階梯を登るその時まで、こうして一緒にいて見守ってやることにしたのだ」

 黒髪の少女──カミィは、その小さな拳を力強くレグナムへと突き出した。その拳にレグナムは自分の拳をこつんとぶつけながら、腰から不朽剣を引き抜く。

「よしっ!! ならば早いところ助太刀に入ってやろうぜ!」

「心得たのだ! 行くぞ、クラルー! カーネ!」

「承知いたしました、ご主人様っ!!」

「御意にございます、御方」

 元気よく返事をするクラルーと片膝着いて頭を垂れるカーネを追い抜いて、カミィは一気に駆け出した。

 その後を、クラルーとカーネ、そしてレグナムが、全速で追いかけていく。

 走る四人の耳に、剣戟の音が響いてくる。

 速度を上げたレグナムたちの前方に、横倒しになった馬車とそれを守る傭兵らしき数人の男たち、そして、風体のよくない山賊と覚しき十数名が襲いかかっている光景が見えてきた。

「やっぱり、山賊が行商人を襲っていたようだな!」

「そのようなのだ!」

 カミィは速度を緩めることなく、そのまま戦いの中へと身を踊らせた。そして、その場にいる全ての者に聞こえるように、高々と宣言する。



「我輩は神である! 名前のある神である! 我が名はカミィ! 偉大なる始創神である! 皆の者、この我輩を敬え! 奉れ!」


 『我輩は神である。名前はまだない。』完結致しました。


 一年以上にわたる長い間、最後までおつきあい下さった皆様に感謝申し上げます。

 『我輩は神である。名前はまだない。』がこうして完結を迎えられたのも、全ては読んでくださり、時には感想や評価点を入れてくださったお陰であります。


 本当にありがとうございました。


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