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始創の神

 赤く熱い液体が顔にかかる。

 それが彼の身体から飛び散った血液であると理解するのに、僅かな時間を必要とした。

 意識せずに自らの顔に指を走らせ、粘ついた液体が白い指先に纏わり付くのを感じると同時に、カミィは相棒──レグナムの身に何が起こったのかを悟る。

 同時に、彼女の中で何かがかちりと音を立てて外れた。

 そして、彼女の中で何かが目覚める。

 それは記憶。

 かつて封じ込めた、悲しい記憶だった。

 彼女が初めて愛という感情を知った相手。いや、彼女に初めて愛を教えてくれた相手。

 その相手が「再び」胸を貫かれた。以前と同じように。

 かつて感じた喪失の痛みと現在の喪失の痛みが、彼女の中で荒れ狂う。

 彼女の中で荒れ狂っているのは、悲しみだけではない。彼女が封じ込めた自身の力の一部もまた、目覚めるために彼女の中で暴れているのだ。

 そして。

 そして封印は破られる。

 その場に居合わせたラブラドライトの王族とその関係者たちは、ぱりん、という渇いた破裂音を確かに聞いた。




 思い出した。

 はっきりと思い出した。

 目の前で崩れるように床に倒れ臥すレグナムを呆然と見つめながら、カミィは過去の自分を思い出した。

 あの時も、目の前で自分はレグナムを失った。

 あの時も悲しみと喪失感で封印の一部が破れ、荒れ狂う感情(かなしみ)のままに周囲にその力を撒き散らした。

 解き放たれた彼女の力は、無差別に彼女を中心にして周囲を破壊していく。

 彼と彼女が出会った森を。

 彼と彼女が暮らした村を。

 彼と彼女が語り合った丘を。

 暴走する彼女の力は、全てを塵へと変えていく。当然、そこにあった小さな命たちも一緒に。

 彼女の本質は創造である。だが、創造は裏返せば破壊に繋がり、今のように制御できない力は無差別に辺りに破壊を巻き散らすだけ。

 木々を切り裂き、大地を抉り、山をも砕いて。

 ようやく彼女が我に返った時、辺りは地形さえも変化していた。

 起伏ある緑豊かな山や丘や森は、全て平らな荒れ地へと姿を変えていて、その荒地の中心で彼女は立ちつくしていた。

 いや、彼女だけではない。

 彼女の傍らには、何事もなかったかのように赤い髪の青年が片膝を着いた格好で控えていた。

 言い訳をするでもなく、講釈を述べるでもなく。ただただ、青年は黙って控えていた。

 赤い髪の青年の姿を見た途端、再び彼女の中で感情が荒れ狂う。

 だがそれは、先程の悲しみではなく、青年に対する怒りだ。

 怒りのまま力を青年へと向けようとして──何とか彼女は自制した。

 ここで怒りのままに力を振るえば、下手をすればこのサンバーディアスそのものを破壊しかねない。

 何度も大きく呼吸を繰り返し、怒りを封じ込めた彼女は青年の方を振り向くことなく短く告げた。

「ここから去れ……っ!!」

 赤い髪の青年は深々と頭を下げたまま、「御意」と答えるとそのまま姿を消す。

 青年が姿を消しても、彼女はしばらく呆然と荒野の真ん中に立ち尽くしていた。

 そして、自分が破壊してしまったものを振り返る。

 彼がいつも狩りに行っていた森。彼が暮らしていた村。

 気のいい村人たちも、森に棲んでいた動物たちも。

 全て彼女が消してしまった。

 だが、彼女にとってはそれらの事実よりも、彼を失ったことの方が遥かに衝撃が大きい。

 赤い髪の青年の聖剣の力は、彼女も熟知している。他ならぬ彼女が造り出し、あの青年に与えたのだから。

 となれば、彼の魂は既に「冥界の迷宮」に堕ちているだろう。いくら彼女が至高の存在であるとはいえ、「冥界の迷宮」に堕ちてしまっては救い出すことは容易ではない。

 彼女たちとて、全知全能ではないのだ。それゆえに、彼女とその部下たちはそれぞれに役割を分担している。

 だから彼女が全ての持てる力を振るったとしても、彼の魂を「冥界の迷宮」から掬い上げることはまず不可能だろう。

 ゆえに。

「………………………………我輩は待つぞ……」

 既にいない彼に向けて、彼女は誓う。

「我輩は信じる。貴様が『冥界の迷宮』を抜け出して……再びこのサンバーディアスに生まれ落ちるのを。我輩はここで待つ。貴様と出会ったこの場所で…………再び貴様と出会うのを…………」

 そして彼女は、その場で永い永い眠りにつく。

 彼女が寝所として選んだ場所は、時の流れと共に森が形成されていき、後の世にその森は邪神が眠る「フーガの迷い森」という名で呼ばれ、人々が滅多に近寄らない魔境となるのだった。




 レグナムは(おう)(しん)の話を聞き、思わず呆然としてしまう。

「そ、それじゃあ……オレとあいつが『フーガの迷い森』の近くで出会ったのは……偶然ではなかったのか……?」

「汝が御方の眠る森の傍を通りかかったのは確かに偶然……いや、もしかすると御方の想いが汝を呼び寄せたのかもしれんな。だが、汝があの森に近付いたことで、御方はお目覚めになられたのだ。そのような眠りを、御方は自らに施されたのだから」

 二百年前に「冥界の迷宮」に堕ちたレグナムの魂が、再びサンバーディアスに転生した時。

 そしてカミィが眠っていた「フーガの迷い森」に、転生したレグナムがある程度近付いた時。

 その時、自分に施した眠りの封印は解ける。カミィはそう設定したのだと黄神は言う。」

「だ、だが、カミィはオレのことなど覚えていなかったぞ? まるで初めて出会ったように……」

 レグナムは、カミィと初めて出会った──その実は再会なのだが──時のことを思い出す。

「御方は自らの記憶も力と共に封印なされた。それほどまでに、汝を失ったことが辛かったのだろう…………」

 表情のほとんど変わらない黄神の顔に、わずかに辛そうなものが浮かぶ。

 その後、しばらく両者は黙っていた。

 当時のカミィの悲しみがどれほど大きかったか、想像するのは難しくない。

 やがて、黄神が再び口を開く。

「…………さて、そろそろ我の話も終わりだ。汝も帰る頃合いだろう」

「帰る……? 帰るって……どこへだ?」

 思わずきょろきょろと周囲を見回すレグナム。

 だが、ここは黄神の神殿である。周囲はただっ広い空間があるだけだ。

「無論、汝の身体へ、だ」

「か、身体……? だけどオレは赤神に刺されて……」

「言ったはずだぞ? 汝はまだ死んではおらん。尤も、このままならば、遠からず汝の魂は再び『冥界の迷宮』へと堕ちるがな」

 レグナムは改めて赤神の持つ聖剣の力を思い出した。

 黄神の言うように、自分がここにこうして存在している以上、まだ完全には死んでいないのだろう。

 だが、依然として赤神の聖剣は自分に突き刺さったままなのだ。遠からず本当に絶命し、再び「冥界の迷宮」に堕ちることになる。

 と、そこでふとレグナムに疑問が生じた。

「……どうして……どうして、オレは赤神の聖剣の力に抗えるんだ?」

「それには二つの理由がある。一つは、汝の魂が強い力を秘めていること。汝の魂はこれまでに何度も転生を繰り返し、成熟する一歩手前まできている。いわば、神の階梯を登りかけているのだ。そのため、僅かではあるが赤の剣の力に抗うことができた。そしてもう一つは……以前、汝が赤に命を奪われる直前、汝は赤からその力の一部を盗んだのだ」

「お、オレが赤神の力の一部を盗んだだってっ!?」

 あまりにも意外なことを言われ、レグナムは目を白黒させる。

 少なくとも、彼には赤神から何かを盗んだような記憶はない。だが、カミィはこうも言っていた。

──貴様からも僅かだが赤の小僧の力を感じるな。だが、貴様の師匠のような加護とは少し違うようだ。貴様に剣才があるのも、源はそれだな。

 他ならぬカミィと黄神がそう言う以上、自分には何らかの形で赤神の力が宿っているのだろう。

「覚えておらんか? 貴様が初めて赤に聖剣で刺された時、剣を持つ赤の腕を握り締めただろう? その際、汝の爪が小さな小さな傷を与えたのだ」

「お、オレが赤神を傷つけたというのか……?」

 信じられない、といった風情のレグナムに、黄神は鷹揚に頷いた。

「傷、と言っても本当に小さな傷だ。髪の毛の十分の一にも満たない些細な傷。だが、どれだけ小さくとも傷は傷。そこから漏れ出た赤の神気を、臨終間際だった汝の魂は喰らったのだよ」

 本来ならば、どう足掻いたところで人間が神に傷を与えることはできない。

 それを可能にしたのは、レグナムが持つ魂が成熟間際だったことと、カミィを想う強い気持ちが奇跡を引き起こしたのだろう、と黄神は続けた。

「そして、その赤から奪った神気があったからこそ、汝は『冥界の迷宮』を踏破することができたのだ」

 どれだけ成熟していようとも、人間の魂は「冥界の迷宮」を彷徨ううちに擦り切れてしまう。実際にはレグナムもまた、擦り切れて消滅間際だったのだ。

 それでもレグナムは「冥界の迷宮」を踏破した。

 偏に、もう一度カミィと逢いたいという想いだけで。

「その時から……我は汝を認めることにした。御方を想うその強さこそが、汝に『冥界の迷宮』を潜り抜けさせたのだ」

 この時、黄神の表情が動いた。

 それまで平素な表情のまま、感情らしきものはほとんど浮かんでいなかった黄神の(おもて)に、ふわりとした笑みが確かに浮かんだのだ。

「さあ、そろそろ帰るがいい。赤以外の三柱も御方には並ならぬ思いがあるが、赤ほどの執着はない。連中は我が説得して抑えよう」

 黄神がその繊手を振り上げる。

 それに合わせて、レグナムの意識が再び闇へと飲み込まれていった。




 その場に居合わせた、ウィンダムを始めとしたラブラドライトの王族たちと、剣聖ヴァンガード・トゥアレグ。

 そしてオルティア王国からの客人であるシルビア姫とその護衛であるカムリ・グラシア、そしてオルティアにおける(りょく)(しん)の最高司祭にして緑神の代行者であるイクシオン・フォレスタ。

 彼らは確かにその瞬間を目撃した。

「……か、カミィ殿の髪が……」

 そう呟いたのは誰であったか。

 宵闇を集めたような漆黒のカミィの髪。その髪が渇いた破裂音と共に一瞬で真っ白に染まったのだ。

 夜の帳が朝日に駆逐されるように。夜色の彼女の髪は、黎明の空のような純白へと変化した。

 そして、どこか蠱惑的だった金の双眸もまた。

 金の瞳は更に輝きをまし、より鮮やかな黄金へと取って代わる。

 彼らはカミィのその姿を目撃した時、その場にひれ伏したい衝動に駆られた。

 それ程までに、今のカミィは神々しかった。

 だが、そんな中で。

 たった一人だけ、疾風のように駆け抜けた人物がいた。

「てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! 人の弟子になんてぇ真似しやがるっ!!」

 赤い髪の青年の正体が分からない──赤神もまた、サンバーディアスに降り立つために神気を封じていたため──剣聖ヴァンガード・トゥアレグは、愛用の大剣(グレートソード)を振りかぶって一気に弟子を刺した不審者へと振り下ろす。

 しかし。

 剣聖が愛用する大剣は、赤い神の青年に触れる直前に突然砕け散った。

 青年が何かをした様子はない。

 それはまるで、大剣自身が触れてはいけない存在に恐れを成して自壊したかのように、唐突に砕け散ったのだ。

 あまりにも予想外のことに、驚愕に目を見開くヴァンガード。

 そんな彼女に振り向くこともせず、赤い髪の青年はふわりとまるで羽虫を払うかのように右手を振った。

 それだけで剣聖の左肩から右腰にかけて朱線が走り、周囲に血飛沫をぶちまける。

 居合わせた女性陣が小さく悲鳴を上げる中、赤い髪の青年は血溜まりに倒れたヴァンガードを見下ろした。

 まるで、潰れた虫をみるかのような目で。

「……どこかで見覚えがあると思えば、以前に力を授けた人間か。その面影が御方に似ていたため、気まぐれで加護を与えたが……ここまで老いさらばえては、かつての面影は見る影もないな」

 冷たい目でヴァンガードを見据えた青年は、純白の髪と黄金の瞳を取り戻したカミィに向かってその場で片膝を着き、臣下の礼を取った。

「お目覚めするのを心待ちにしておりました。我らが父にして母、我らを生み出したもうた偉大なる()()()(そう)(しん)よ」


 『あるない』更新。


 ようやくほとんどの伏線を回収できました。

 冒頭の「フーガの迷い森」からして、実は今回へと伏線だったんだ。本当だよ。

 いやー、回収するまでに一年以上かかるとは、書き始めた頃には思いもしなかったけどな!

 第一話からもう一度読み直すと、改めて伏線を発見できるかもしれませんぞ(笑)。


 では、これからもよろしくお願いします。


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