決着
白くて小さな拳が、鍛え抜かれた腹筋で守られた男の腹に叩き込まれる。
どごむ、という音は、とても人間を殴ったような音ではなくて。
腹に巨岩を叩きつけられたような衝撃に、男──狂神の教祖は声を出すことも許されずに悶絶する。
思わず前かがみになった教祖の上半身。程よい高さまで下がったその下顎に、カミィの飛び膝が炸裂した。
またもや信じられないような音と衝撃に、前かがみになった教祖の上半身が勢い良く跳ね上がる。そこへ追い打ちをかけるように、飛び膝を繰り出した際に舞い上がった身体を空中でくるりと華麗に一回転させたカミィは、着地と同時に教祖の脇腹へと回し蹴りを叩き込んだ。
骨の砕ける音と肉が弾ける音、そして皮膚が裂ける音を生じさせつつ、教祖の身体が投石機から打ち出された岩のような速度で吹き飛び、地下室の壁へと激突した。
壁の石材に身体をめり込ませ、男はそのまま動かなくなる。手足の先がひくひくと動いているところを見ると、どうやら死んではいないようだ。いや、そうなるようにカミィが加減したのだろう。
教祖の状態を確認したカミィは、小さく息を吐く。そして、彼女から少し離れたところで対峙しているレグナムとイプサムへと振り返った。
「────?」
だが、どうにも二人の様子がおかしい。
二人とも腕一本分の距離をおいて互いに見つめあったまま、ぴくりとも動かない。
どちらもその表情は虚ろ。剣を抜けばすぐに届く距離にいるというのに、相手を攻撃するわけでもなく逃げるでもなく。
その美しい弧を描く眉を不審そうに歪めつつ、カミィは二人へとゆっくりと近づく。
あと数歩で二人の元へと辿り着くという時、不意にがくりとレグナムの身体が崩れ、その場に跪いた。
「レグナム? 大事ないか?」
ふるふると頭を振り、意識をはっきりとさせるレグナムにカミィが問えば、レグナムは力のない笑みを浮かべて彼女へと振り向いた。
「ああ、大丈夫だ────ところで、おまえはおまえだよな?」
「何わけの分からぬことを言っているのだ? 本当に大事ないのだろうな?」
首を傾げ、訝しげな視線を向けてくるカミィに、レグナムは笑いながら立ち上がると突然鞘に収めたままだった長剣を引き抜き、抜き打ちのまま斬りかかった。
「む?」
近づいていた歩みをぴたりと止めるカミィ。その鼻先から少し離れたところを、長剣の切っ先が通り過ぎた。
「……何をするのだ?」
「どうやら、本物のようだな。しっかりと間合いを掴んでいる」
今、カミィは避けられなかったのではない。避けなかったのだ。レグナムの剣先が届かないことを把握した上で、避ける必要がないと判断。
それがレグナムにはしっかりと伝わった。
本物だと分かって笑みを浮かべて長剣を鞘へと収めるレグナムを、カミィは「こいつ大丈夫か?」と言いたげな視線でじーっと見つめていた。
「……なるほど。欺瞞神か……」
レグナムからイプサムが欺瞞神の聖人であり、その欺瞞神から授かった「神の息吹」について聞いたカミィは、腕を組みながら得心したように頷いた。
「で、欺瞞神ってのはどんな神なんだ? まあ、名前から大体推測できるが……」
「む? 欺瞞神か?……………………我輩の知らぬ神だな」
「おいおい。おまえにも知らない神っているのかよ?」
「うむ。どうやら我輩は長く力を失っていたようだからな。その間に神の階梯に登った輩については、我輩も知らぬのだ」
それより、と言い置いて、カミィは視線をいまだに棒立ちのままのイプサムへと向けた。
「こやつ、どうするのだ?」
「ああ、教祖共々ブレイザーのおっさんに引き渡すさ。どうせその後どうなるかは知れているが、そこまでオレたちが関与することでもないしな」
レグナムもまた、カミィに倣ってイプサムへと視線を移す。
相も変わらず、イプサムはぼーっと突っ立ったまま、視線を宙に泳がせている。
──虚像の世界──つまり、幻の中でいくら身体を傷つけようが、本体には何ら影響はありません。ですが、心の方はその限りではありませんがね?
そうレグナムに言ったのは、他ならぬイプサム自身である。
自らが造り出した虚像の世界で、レグナムに倒されたイプサム。彼の言葉通り、彼の身体には傷一つない。だが、彼の心はあの虚像の世界でレグナムに「殺されて」しまったのだろう。
身体は生きていても心は生きていない。それが今のイプサムである。もっとも、これだけの事件を引き起こしたのだから、極刑は逃れられない。遠からず身体の方も心と同じ状態になるに違いない。
その時、心が先に死んでいるのは幸か不幸か。それはレグナムの与り知らぬことである。
「そういえば、クラルーはどうした?」
「うむ。最初の打ち合わせでは狂信者たちを眠らせた後、あやつがイプサムの行動を見張っている手筈だったが……」
イプサムが敵であることを事前に察知していたレグナムは、彼から敢えて目を離すことでイプサムが動きやすいようにした。
その際、クラルーにはだけはイプサムから目を離さないように命じておいたのだ。さすがに敵と分かっている相手を、完全に自由にするわけにもいかない。
しかし、そのクラルーの姿が見えない。
二人してクラルーの姿を探し始めるレグナムとカミィ。
やがて、地下室の片隅で幸せそうな顔で寝入っている彼女を発見した。
「あ……ん。いけません、ご主人様……そ、そんなところ触られたら……で、でもご主人様ならわたくし……いやん」
もじもじくねくねと悩ましく肢体を蠢かせつつ、何やら夢を見ているらしい。どんな夢を見ているか、その寝言から推測するのはとても容易い。
「…………しっかりとイプサムの術中に陥ってやがるな」
「このうつけが……っ!!」
飽きれた顔のレグナムと、怒りも露なカミィ。
カミィの容赦ない蹴りが、幸せな夢を見ているクラルーの頭部に炸裂した。
「…………はれ? わたくしは……ああ、ご主人様、レグナム様、おはようございます」
目覚めたクラルーは、その場で両膝と両手を床に着けて、深々と頭を下げた。
「ああ、おはよう。目覚めたばっかりで悪いが、ひとっ走りブレイザーのおっさんを呼んで来てくれないか?」
「は? ブレイザーさんをですか?」
辺りをきょろきょろと見回すクラルー。どうやら、自分の置かれている状況が把握できていないらしい。
「とっとと行ってくるのだっ!!」
怒り冷め遣らぬカミィが一喝するとクラルーは驚いて飛び上がり、地下室から地上へと続く階段をばたばたと駆け上がって行った。
「────やれやれ。何とか片づいたな、これで。ここから先はブレイザーのおっさんに任せればいいだろう」
「うむ。そのようなのだ」
レグナムとカミィは互いに顔を見合わせると、にやりと笑いながら互いの拳をぶつけ合った。
それから数日。
レグナムたちの姿は、いまだに『月光の誘い亭』にあった。
ここ数日、彼らの周囲にはいつも人だかりがあった。モルバダイトを静かに蝕んでいた欺瞞神の聖人を倒したということで、市民の誰もがレグナムたちの顔を見に来たのだ。
そして、欺瞞神の聖人を倒したのが年若く精悍な青年傭兵と、見目麗しい女性二人ということもあり、彼らは一躍時の人となった。
誰もがレグナムたちに酒や料理を勧め、朗らかに感謝の声をかけてきた。
中にはカミィの文字通り神の如き美貌に心打たれ、新たに信者となった者も少数ながら存在し、信仰が集まっているのだ、とカミィも笑顔の花を咲かせていた。
だが、時間と共にそんな熱狂も徐々に薄れていき、ようやく彼らの周囲にも静けさが戻ってきていた。
「…………えらい騒ぎだったよなぁ」
まるで他人事のように、レグナムが沁み沁みと呟いた。
「ほんとよねぇ。父さんが張り切ってあちこちに言い触らしていたものねぇ」
レグナムの呟きに相槌を打つのは、ここ『月光の誘い亭』の女将であるプリメーラだ。
丁度人気の途切れた頃合いであり、彼女も休憩とばかりにレグナムたちが陣取るテーブルの椅子の一つに腰を下ろしていた。
「……ったく、ブレイザーのおっさんもいい加減にしろっての」
ぶつぶつと不満を零す弟分を、プリメーラはくすくすと笑いながら見つめている。
どうやらブレイザーは、自分の息子同然なレグナムが手柄を立てたのが余程嬉しかったようで、あちこちで彼の功績を告げて回ったらしい。
そのせいもあって、つい先日まで彼らの周囲には人が絶えなかったのだ。
だが、悪いことばかりではない。ブレイザーからこの街の太守にレグナムのことが伝わったらしく、太守から屋敷に招かれて直々に報奨金──かなりの額だった──をもらったりもしている。
「……でも、まさかイプサムがそんな悪人だったなんてね。私の人を見る目も曇ったものだわ」
「そりゃ違うと思うぜ? プリメーラもきっとあいつの「神の息吹」の影響を受けていたんじゃねえか?」
おそらく、イプサムはプリメーラを始めとしたこの街の住人の何人かに、「神の息吹」で親しい人物であるという誤った認識を植え付けていたのではないだろうか。レグナムはそう考えていた。
彼が信仰していた欺瞞神のことはカミィでも分からないため、断言はできないがまず間違いないだろう。
そのカミィとクラルーの主従は、相変わらずこの店の店主の料理に夢中であったが。
「ところで──」
レグナムは、店の窓から外の通りを見やる。
そこには大勢の旅人と覚しき人々が溢れ、中には行商人らしき商品を山積みした馬車を従えた者も見受けられる。
「──昨日ぐらいから、随分と多くの人がこの街に押し寄せているみたいだけど……近々この辺りで祭でもあったっけか?」
「ああ、あれでしょ? あの人たちはこの街じゃなく、隣のラブラドライト王国へ向かう人たちだと思うわ」
「ラブラドライトへ? 確かにここオルティア王国とラブラドライト王国は親しい間柄で人の行き来も多いが、それにしちゃ多すぎねえか?」
この街でしばらく暮らしたことのあるレグナムの目には、窓の外を行き交う人々は確かに少し多く映っている。
ラブラドライトでもこの時期に祭はなかったはずだけどな、と記憶を掘り返しながら外を眺めていたレグナムに、プリメーラが妙に浮き浮きとした様子で語りかけた。
「あら? あの噂、聞いてないの?」
「噂?」
「ええ。あくまでも噂だけど、オルティア王国の第三王女様とラブラドライト王国の第二王子様とのご婚姻が決まったそうなの──って、どうしたの? 凄い間抜けな顔をしているわよ?」
プリメーラのその言葉通り、レグナムは間抜け顔を晒してじーっとプリメーラを見ていたが、彼女に言われてようやく元へと戻る。
「あ? え? えっと……いや、そんな話、初めて聞いたもんでな……」
「そう? 今、街中この話で持ちきりよ?」
「オルティアの第三王女とラブラドライトの第二王子……? 確かこの国の第三王女ってシルビア姫だったよな?」
「ええ、そうよ。それがどうかしたの?」
問い返すプリメーラに返事することもせず、レグナムは何やらじっと考え込む。
しばらくそうしていた彼だったが、突然立ち上がると慌てて上階の自分たちの部屋へと向かった。
「ど、どうしたの?」
「悪い、プリメーラ。どうしてもラブラドライトへ行かなくちゃならなくなった」
「え? え?」
きょとんとする姉貴分を置いてきぼりにして、レグナムはカミィとクラルーを急かせて旅立ちの準備に向かう。
「シルビアが婚姻? しかも相手はラブラドライトの第二王子? 一体何の冗談だよ……」
部屋に置いてある荷物を纏めながら、レグナムはぽつりとそんなことを呟いた。
『あるない』更新。
今回は少し短めですが、これにて「邪神暗躍編」は終了です。
次回より、「剣鬼帰郷編」を開始したいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。




