技巧神の提案
取っ手に罠が仕掛けてあった扉を開ける──取っ手は単に罠であっただけで、扉自体は簡単に押し開くことが可能だった──と、その向こうは広い部屋になっていた。
その部屋は八角形で、それぞれの辺に一つずつ扉がある。
それは昨日、第一階層で鎧鼠と戦った部屋と全く同じ造りであった。そのため、レグナムは思わず第一階層に戻ってきたのでは、と疑問に思ったほどだ。
だが、それは錯覚に過ぎない。
ここは既に七十階層を超えた、チャロアイトの迷宮の深層部なのだから。
自分たちが入ってきたもの以外に七つある扉を、順番にレグナムは眺める。
「………………るな……」
「え?」
隣に立つ青年から聞こえた地を這うような低い声。いつもとは様子の違うその声に、パレットは思わず彼へと振り返る。
そしてそこにいたのは、剣の腕は立つもののどこかお人好しの青年ではなく、全身から怒気を溢れさせた剣を携えた一体の鬼だった。
レグナムが発する鬼気に、パレットは思わず数歩後ずさる。
「……っざけるなっ!! これから更に七つも選択肢があるだとっ!! いい加減にしやがれっ!! この迷宮を造った奴はどこまで人をコケにしたら気が済むんだっ!! こうしている間にもしもあいつに────」
彼がそこまで口にした時、不意に真っ正面から何かがぶつかった。
それは打撃を与えるほどのものではなかったが、注意が散漫になっていた彼の身体を床に押し倒すほどには強烈なものだった。
レグナムは自分にぶつかってきたものに目をやり、その正体を知って力なく呟く。
「パレット……」
「落ち着いて……お願いだから落ち着いて、レグナム……」
それはパレットだった。彼女はレグナムの気迫に一度は押されたものの、すぐに決意を新たにして今にも暴走しそうなレグナムに真っ正面から抱き、そのまま勢い余って床へと押し倒したのだ。
「……迷宮の中では、冷静さを失ったらあっという間に命を落とすわ……あなたが彼女たち……ううん、彼女が心配なのは承知している……でも……だからこそ、今は落ち着かないと駄目なのよ……」
レグナムの身体の上に乗っかる形になったパレットは、そのレグナムの胸に顔を埋めたまま決して顔を上げずに言葉を続けた。
どれくらいそうしていただろう。小さく震えながらしがみつくようにレグナムに乗っかっていたパレットは、誰かが優しく背中を叩いていることに気づいた。
もちろん、それはレグナムだ。ここには彼女と彼しかいないのだから。
「済まねえな。お陰で落ち着いたぜ。ところで、そろそろオレの上からどいてくれないか? さすがにいつまでもこの体勢は何かとやばい」
顔を上げたパレットは今の自分たちの体勢に改めて思い至り、顔を真っ赤にして慌ててレグナムの上からどいた。
対してレグナムは、顔を赤らめることもなくごく自然体で立ち上がり、身体に付いた土くれや埃などを叩き落としている。
そんな彼の様子に座ったままのパレットは、拗ねたような悲しいような何とも複雑な表情でじっと立ち上がったレグナムを見上げる。
彼女のその心境に気づくこともなく、レグナムは座ったままのパレットに手を差し伸べた。
「本当、ありがとうな。もう怒りや焦りで自分を見失ったりしないから安心してくれ」
ぐいっと手を引いてパレットを立ち上がらせたレグナムは、後頭部を掻きながら少し照れたようにそう告げた。
「でもまあ、オレもまだまだだと実感したぜ。まさかパレットに冷静になれと諭されるとは」
「ちょっと。どういう意味?」
「どういうも何も、そのままの意味だが?」
頬を膨らませるパレットに戯けたように肩を竦めて見せたレグナムは、そのまま手近にあった壁にもたれかかる。
背中が壁に触れる感触。だが次の瞬間、彼の身体は不意に支えを失ったようにそのまま後ろへと倒れ込んだ。
「れ、レグナムっ!!」
驚いたパレットが駆け寄る。もしかしたら、何か罠が発動したのかもしれない。
だが、幸いにもそれは罠の類ではなかった。
「か……隠し扉……?」
それは巧妙に偽装を施された隠し扉だった。そして、その隠し扉の向こう──レグナムが倒れているのは、どうやら通路らしい。全くの偶然だが、彼らは隠されていた秘密の通路を発見したのだ。
供されたものを見て、カミィはその美しい眉をあからさまに不機嫌そうに歪めた。
「……何なのだ、これは?」
「何って、保存用に加工された食料だよ? ほら、僕たちって基本食事なんて必要ないでしょ? 時々気まぐれに食べる程度だから、こういう保存が利くものの方が便利じゃない?」
「そんなことを聞いているのではないわ」
カミィは机の上に並べられた干し肉や干し果物などを眺めながら呟いた。
確かに技巧神の分体を名乗るこの少年の言う通り、カミィたち神々にとって食事とは単なる娯楽でしかなく、人間のように生きていく上で必要不可欠なものではない。
そしてそれは神ではないものの、その神々によって生み出されたクラルーのような神獣も同様である。
「……確かに貴様の言う通りだが、だからこそこのような場──客人を招いた席ではもっと上等な……手の込んだ美味しいものを提供するものではないのか?」
「え? 美味しいよ、これ。もしかして食べたことないの? それに何より手軽なのがいいよね。そもそも、僕は技巧神であって料理の神じゃないもん。料理なんてできないよ?」
少年は並べた干し肉の一欠片に手を伸ばし、がしがしと美味そうにしがみ出す。
「このようなもののどこが美味いか。我輩はもっと美味いものをいくらでも食べてきたのだ」
「そうです! カミィ様の仰る通りです! レグナム様は私たちにもっと美味しいものを食べさせてくださいました!」
クラルーの口からその名前が出た時、技巧神の分体である少年の顔が好奇の色に輝く。
「へえ? 誰だい、そのレグナムっていうのは?」
「レグナムか? あやつは人間のくせによりにもよってこの我輩を相棒呼ばわりする、何とも不敬で不遜な奴なのだ」
口ではそう言うが、レグナムのことを語っている時の彼女の顔はとても穏やかで嬉しそうで。
そのことが余計に技巧神の少年の好奇心を刺激した。
「もしかして、そのレグナムって奴と一緒にここに入ったの?」
「いかにも」
「ふーん……」
少年はじっとカミィの顔を見続ける。そうやってしばらくカミィを見つめ続けていた少年は、不意にその顔にある感情を浮かべた。
その幼い外見と相まって、まるっきり悪戯をしかける悪ガキそのものな笑みを。
「じゃあさ。一つ提案があるんだけど」
「提案だと?」
「うん。君たちが言うそのレグナムって奴がここに辿り着くまで……ここにいてくれないかな?」
「レグナムがここに来るまで……だと? 構わんのだ」
カミィは少年の申し出を鷹揚に頷きながら承知した。あまりにあっさりと承知したことで、逆に少年の方が面食らってしまう。
「え? 本当? 本当にいいの?」
「元より、あやつが来るまでここで待たせてもらうつもりだったからな」
「でも、そのレグナムって奴がここに着くまで……どれだけの時間がかかるか分からないよ?」
彼の工房であるこの迷宮に人間が足を踏み入れて約百年。それだけの時間があっても、まだ誰もこの部屋に到達した人間はいない。ならばそのレグナムという人間が、この部屋に辿り着くのに必要な時間はどれくらいだろう。
三日か十日か。それとも数年という月日が必要なのか。
「じゃあさ。提案ついでにもう一ついいかな? 万が一そのレグナムって奴がここに辿り着けなかったら……その時は……僕とここで暮らしてくれる?」
もう考えるのも嫌になるほどの長い年月を、彼はずっと一人のでこの工房の中で暮らしてきた。
尋ねてくる者は皆無であり、彼がこの工房から外へ出るのも最小限だけ。
そんな彼にとって、突然訪れたこの少女とその下僕は、もう二度と巡り合うことはないだろう貴重な同胞なのである。
万が一、その人間が迷宮の中の罠などで命を落とせば。万が一、その人間がカミィたちを見捨てて迷宮の攻略を諦めれば。
レグナムという人間がこの部屋に辿り着くより、そちらの可能性の方が断然高い。そう考えているからこそ、技巧神はカミィに提案したのだ。ここでずっと一緒に暮らして欲しい、と。
「いいだろう」
そして、カミィは一切迷うことも悩むこともなく、技巧神の言葉に頷いた。
技巧神の見立てでは、おそらく成り立ての神であろうカミィ。曲がりなりにも神である彼女にここまで信頼されているレグナムという人間に、技巧神の分体である少年は更に興味を引かれた。
何が何だか分からないといった様子で、座ったまましばらく呆然と通路を眺めていたレグナム。
「なあ、パレット……この通路は何だ?」
「隠し通路……時々、迷宮の中で見つかるって聞いたけど……私も実物を見るのは初めてね」
「……となると、この通路がどこに繋がっているか、なんて分からないわけだな?」
「うん。ここは今まで誰も足を踏み入れたことがないはずの七十階層以下だからね。当然、この通路も未発見のものだと思うわ」
パレットの言葉を聞き、レグナムは床に腰を下ろして通路の奥を見据えたたまま考え込む。
灯りの届かない通路の奥は、暗い闇に閉ざされている。その道幅は今までの通路より狭く、人一人が通れるぐらいしかない。
果たして、この先に何があるのか。またはどこへ通じているのか。
しばらくそうして考えていたレグナムは、不意に立ち上がるとパレットに告げた。
「こっちの通路……隠し通路の方を進んでみよう」
「それはいいけど……どうして?」
問われたレグナムは振り返り、部屋の中の七つの開いていない扉を一瞥する。
「こっちの方は選択肢が多すぎる。だが……この隠されていた通路なら一本道だ。確かにこっちが正解だという保証はないが、それでもこの隠し通路が不正解だとしても、一本道なら戻ってくるのも簡単だしな」
「そうれもそうね……それに、隠し通路なんていかにも何かが隠されていそうでわくわくするわ」
未知の通路を進むということで、またもやパレットの瞳が輝き出す。
「……言っておくが、先頭はオレが行くからな?」
「えー」
口を尖らせて不満を表現するパレットを無視して、レグナムは角灯の灯りを便りに隠し通路を進み始めた。
『あるない』更新。
気づけば当『あるない』も30話を超えています。
連載を開始してから約四ヶ月。このペースが早いのか遅いのかよく分かりませんが、物語全体からしてみればまだまだ序盤の後半ぐらいです。
100話以内には終わらせたいところですね。
では、次回もよろしくお願いします。




