鎧鼠の討伐者
その日、チャロアイトの街は沸き返った。
ここのところ、チャロアイト中の発掘屋たちを苦しめていた魔獣、鎧鼠。その鎧鼠が、遂に討ち取られたのだ。
しかも、同時に三体もである。
この話は瞬く間に、チャロアイトの発掘屋たちのみならず全ての住民の間を駆け抜け、その偉業を成し遂げた者たちを一目見ようと、大勢の人間が彼らが泊まっている宿屋へと詰めかけた。
それは四人組の発掘屋であり、しかもその内の三人は、昨日この街へ来たばかりの新米だという。
合わせて、これまた四人中三人が年若い女性という構成ときては、話題にならないはずがない。
鎧鼠の討伐者。
彼らがこの街の住民たちの間で、そう語られるようになるのはもう少し先のことである。
鎧鼠を倒した後、レグナムたちは一度街へ戻ることにした。
魔獣と出会ったのは、第一階層の最初の部屋である。時間的にも、彼らが迷宮に足を踏み入れてまだどれだけも経っていない。
それでも街へ戻ることにしたのは、倒した鎧鼠をどうにかしないといけないからだ。
魔獣の身体は、ただそれだけで価値がある。
魔獣の中には鉄や鋼よりも強靭な皮膚や鱗、骨を有しているものが多い。そんな魔獣の各種素材は、様々なものの原料となる。
武器や防具はもちろん、中には貴族たちが纏う上質な毛皮となる場合もあるのだ。
この鎧鼠もまた、その強固な皮膚は高値で引き取られる。この魔獣の皮革から造られる革鎧は、普通の革鎧より遥かに防御力の高い物が造り出されるのだ。もちろん、それを扱う職人にもそれ相応の技術が必要となるが。
しかし、ここは迷宮都市チャロアイトである。
魔獣の素材を扱う職人には事欠かないし、何よりそこから造り出される武具を必要とする発掘屋は無数にいる。
その鎧鼠を三体も倒したのだ。その各種素材を売り払った金額はかなりのものとなるだろう。
レグナムたちの後から迷宮に入り、この部屋へとやって来た魔獣の解体経験のある発掘屋たちの協力の元──彼らには素材の一部を譲ることで話をつけた──、三体の鎧鼠を次々に解体していくレグナムたち。
カミィとクラルーは最初こそ興味津々で魔獣の解体作業を見ていたが、すぐに飽きたようで準備してきた保存食をがじがじとしがみながら、少し離れたところでぼうっとレグナムたちの作業を眺めていたが。
十数人ほどの発掘屋たちの協力の元、血と脂に塗れながら魔獣を解体し、それを迷宮の外へと運び出したのは、結局空が茜色に染まる頃合いだった。
レグナムたちが魔獣を解体している間に、鎧鼠討伐の報はチャロアイトの街を駆け巡ったらしい。
彼らが解体作業中、当然他の発掘屋たちが迷宮の最初の部屋を訪れる。
魔獣を倒したレグナムたちに感謝と賛辞の言葉を送る者、お零れを得ようと解体に協力を申し出る者、何も言わずにただ横目に見ながら通り過ぎる者など様々な発掘屋たちがいたが、中には鎧鼠が倒されたと知って、喜び勇んでこのことを街へと知らせに戻った者もいたのだ。
そのため、解体した魔獣の素材を抱えて迷宮の出口を出たレグナムたちを、多くの人々が歓声と共に出迎えた。
その歓声と人波に、思わずぽかんとした表情で固まるレグナム。
そんな彼の脇を、小柄な人物が堂々とした態度で追い越し、歓声を上げる人々の前に胸を張って立つ。
「この街を騒がせていた魔獣は、見事我輩たちが退治したのだっ!! 貴様ら! 今後は魔獣を倒した我輩たちを、心ゆくまで崇めよっ!! そして奉れっ!!」
高く澄んだ、それでいて凛とした少女の声が人々の間を通り抜ける。
魔獣を倒したと、堂々と宣言する小柄な少女。集まった人々は、最初はそれが信じられなかった。
だが、彼女の背後にいる十数人の発掘屋たちは、確かに解体された魔獣の各素材を抱えている。
少なくとも、鎧鼠が倒されたことに間違いはないようだ。
ならば、目の前の小柄な少女が言う通り、彼女たち──彼女とその後ろにいる三人の男女──が、凶悪な魔獣である鎧鼠を倒したのだろう。
そして、人々はこの時になってようやく気づいた。
今、魔獣を倒したと宣言した少女が、まるで神々がその手で造形を施したかのような、類稀な美貌の持ち主であることを。
最初に聞こえたのは、小さな遠慮がちな拍手だった。だが、その拍手は徐々に徐々に伝播していき、最後には巨大な渦のような大音量となる。
そして再び湧き上がる歓声。
その歓声は間違いなく、目の前の美貌の少女を称賛したものだった。
ごとり、という音と香ばしい匂いと共に、レグナムたち四人の前にそれぞれ皿が置かれた。
その皿に盛られているのは、厚みのある大きな肉を絶妙な柔らかさで焼き上げた厚切り肉だ。
その肉の上には、これまた何とも食欲をそそる香りの調味液がかけられている。もちろん、焼きたてのパンも一緒に添えられて。
「お待ちどう。おまえたちが狩った鎧鼠の厚切り肉を焼いたモンだ。それに、この儂秘伝のタレをたっぷりとかけたんだ。絶対に美味いぞ?」
彼らの前に料理を置いたパジェロが、得意満面な顔で告げる。
鎧鼠は、そのごつごつとした外見とは裏腹に肉は食用に適している。レグナムたちは手に入れた肉を、保存食用に薫製にしてもらう手間賃代わりに、その一部をパジェロに提供していた。
その鎧鼠の肉を、料理の腕が確かなパジェロが調理したのだ。その味を疑う余地などあろうはずがない。
パジェロが営む宿屋の食堂。そこに、今日の主役であるレグナムたち四人の姿があった。そして店内は、魔獣を討伐した本人たちを見ようと多くの人々が詰めかけ、日も暮れたばかりだというのに既にごった返しの状態であった。
供された肉料理に、目を輝かせてかぶりつくのはもちろんカミィだ。その横には、料理のあまりの美味さに涙を流す下僕の海月女もいたりする。
「そして、こいつは儂の奢りだ。鎧鼠には多くの連中が困っていたからな。そんな連中に成り代わり、おまえたちには礼を言わせてもらおう」
パジェロは、笑顔でレグナムの前に酒の入った木製のジョッキを置く。
そして、それはパジェロだけではなかった。この場に集った誰もがレグナムたちの手柄を称賛し、奢りやお礼だと言いながら酒の杯を彼らの前に置いていく。
レグナムたちも、それを快く受け取る。
中には、可憐なカミィや妖艶なクラルーと親しくなろうという下心が明白に透けて見える連中もいるが、同じ男としてそれも分からなくはないのでレグナムもそこは黙認する。
もちろん、その下心が度を超えれば彼とて黙っていないだろうが。
「しかし、この街に来た翌日に鎧鼠を、それも三体も一度に倒しちまうとはな……正直、おまえさんたちを見縊っていたぜ」
「そうか? あの魔獣たち、それ程強いって感じはしなかったぞ? それよりも、少し前にラリマーで戦った大海蛙の方が余程手強かったしな」
魔獣と神獣とではそれだけ差があるということなのだが、正直レグナムに言わせれば鎧鼠は強敵などではなかったのだ。
レグナム自身あまり自覚していないのだが、彼はここ最近格段に強くなっていた。
その原因はカミィだ。
レグナムは彼女の人外の運動能力や戦闘力を間近で見て、自身の戦闘方法にそれを積極的に取り入れている。
もちろん、その全てを取り入れられるはずもないが、それでも取り入れられるところは結構あったりするのだ。
やはり身近に自分よりも格上が存在し、それを肌で感じ取るということは、様々な面で益が得られるのだろう。
だが、レグナムのこの言葉で、場は一瞬で静かになった。それまでは騒々しい程だった喧騒が、ぴたりと静まり返る。
一体何事だ? と周囲を見回したレグナムは、あんぐりと口を開けているパジェロと目が合った。
「ちょ、ちょっと待て! お、おまえ、今、ラリマーの大海蛙とか言わなかったか? そ、それって最近噂になっている、ラリマーに出たっていう伝説の大海魔のことだろ? それじゃあ……」
パジェロの視線が、レグナムとカミィの間を何度も彷徨う。
「……おまえたちが、ラリマーを救った「剣鬼」と「我輩様」なのか? 茶色い髪の青年傭兵と、長い黒髪のとんでもない美少女って話だったが……」
「確かに、ラリマーでオレとカミィは大ガエルと戦ったよ。ただ、あの大ガエルに止めを刺したのは、そこの蒼い髪の奴だけどな」
相変わらず涙しながら料理を頬張るクラルーを指差しながら、嘘は言っていないとレグナムは胸中で独りごちる。大海蛙に止めを刺したのは確かにクラルーなのだ。ただ、その時は人の姿ではなかったが。
一度は静まり返った場から、再び爆発するような歓声が湧き上がった。
ラリマーを伝説の大海魔から救った救世主が、今度はチャロアイトを救ったのだと、場は更に盛り上がりを見せる。
先程以上の数の杯が、レグナムの前に次々と並べられる。もちろんその奢りの杯は、カミィやクラルーの前にも並べられていく。
しかしこの時、本日の主役の一人であるはずのパレットの姿が、いつの間にか食堂から消えていることにレグナムが気づいたのは、もう少し経ってからのことであった。
扉の前で一旦立ち止まり、中の気配を探る。
そして、確かに中に誰かいるのを感じ取り、レグナムは部屋の扉を軽く叩く。
「…………誰?」
「オレだ。レグナムだ。少し話があるんだが、いいか?」
いまだに騒ぎの渦中である食堂をそっと抜け出したレグナムは、パレットの部屋を訪れた。
パレットは今まで別の宿屋に拠点を構えていたのだが、今回を機にパジェロの宿に拠点を移すことにしたのだ。
いつの間にか、食堂からいなくなっていたパレット。レグナムはその彼女の姿を求めて、まずは彼女が借りた部屋へと足を運んだのだがそれで正解だったようだ。
レグナムがしばらく扉の前で待つと、かちりという小さな解錠の音と共に扉が開かれ、中からパレットが顔を見せる。
「いいの? 今日の主役が場を抜けちゃったりしても?」
「そういうおまえだって、主役の一人だろ?」
「……そんなことないわ。だって、鎧鼠を倒したのはあなたたち三人じゃない。私は……ただ、恐怖に震えていただけよ」
苦笑を浮かべながらそう言うと、パレットは部屋の中にレグナムを招き入れた。
部屋の中には、彼女の身の回りの物や迷宮の探索に必要な物を入れた背嚢と、鎧や小剣といった武具があるだけ。
多くの発掘屋は、拠点となる部屋には余り物を置かない。
いつ何時、迷宮の中で朽ち果てるとも知れないのが発掘屋である。そのため、必要最低限以外の私物を持たないのが、発掘屋たちの流儀なのだ。
「それで、話ってなに?」
部屋に備え付けられている椅子の一つに腰を下ろし、パレットはレグナムへと振り返る。
そのレグナムは、部屋の入り口の所で立ち止まっていた。こんな時間に若い女性の部屋へと入るのは、何かと問題があると判断したためだ。それに、話ならこのままでもできる。
「その前に、どうしていきなりいなくなったんだ?」
「……折角、皆が楽しそうに騒いでいるのに、私がその場にいたら白けさせちゃうもの……」
目をやや伏せさせ、どこか寂しそうにパレットが言う。
彼女がこの街の発掘屋たちから敬遠されているというパジェロの言葉は、どうやらあながち無責任な噂の類じゃなさそうだ。
そう判断したレグナムは、この話題にはこれ以上触れないことにする。
「……話っていうのは、明日からのことだ」
「明日? だって、もう魔獣は倒しちゃったのよ? あなたたちが迷宮に潜る必要はもうないでしょ?」
パレットがレグナムに声をかけたのは、問題となっていた鎧鼠を何とかしたかったからだ。その目的を果たした以上、彼らがパレットと一緒に迷宮に挑む必要はない。
しかし、そう考えていたのはパレットだけだったらしい。
「ところが、こっちにもいろいろと事情があってな。詳しいことはここでは言えないが、今日のことで味をしめたどこかのお嬢様が、明日も迷宮に挑むと息巻いているんだよ。だが、今日も言った通り、オレたちは迷宮に関しては素人だ。場慣れした人間が必要なんだ」
カミィに言わせると、先日のラリマーでの活躍や、今日の鎧鼠討伐で僅かではあるが信仰が集まっているという。
名声と信仰は厳密に言えば違うのだが、心のどこかで憧れる気持ちもまた、本当に僅かではあるがカミィの糧となっているらしい。
そのため、ほんのちょっぴりだが彼女の力も上昇しており、カミィは更なる信仰獲得のため、このチャロアイトの迷宮を制覇する気満々でいるのだ。
「……だから今度はおまえが、オレたちに付き合ってもらう番ってわけだ」
にやりと口角を釣り上げるレグナムを、パレットはぽかんとした表情で見詰める。
「……いいの……? 本当に……私で……いいの?」
「いいも悪いも、発掘屋の知り合いはおまえだけだからな。オレたちに選択肢はないんだ」
そう言うレグナムを、パレットはやや潤んだ視線でいつまでも見詰めていた。
『あるない』更新。
今回は魔獣を討伐し、その倒した魔獣の処理の回でした。
この『あるない』の世界であるサンバーディアスには、基本的に魔法がありません。よって、迷宮内で倒した魔獣の素材を持ち帰ろうとすれば、その場で血と脂に塗れながら解体するしかありません。
大抵の迷宮モノでは、倒した魔物はゲームよろしく煙や光となって消え失せることが多いようですが、そうではない、ちょっぴり血なまぐさい迷宮を描写してみました。
では、迷宮内を徘徊する魔獣たちはどこから現れるのかという問題は、もう少し後で解説する予定です。
ここ数日、自分は風邪で発熱しております(笑)。現在、手元に体温計がないので熱が測れないのですが、この身体のだるさから38度超えているかもしれません。皆さんは、風邪など引かないように十分ご注意を。
では、次回もよろしくお願いします。
しかし、こういう熱のある時の方が、すらすらと文章が進むのはなぜだらう?




