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魔獣遭遇

 薄暗い下り階段を、パレットを先頭にレグナム、カミィ、クラルーの順で下りていく。

「なあ、パレット。おまえはどうして発掘屋なんてしているんだ?」

 薄暗い迷宮に潜り、その中に眠るお宝を引き上げる。それが発掘屋という商売だが、当然それは危険と隣り合わせである。

 下手をすると命を落としかねない罠や、同様に危険な魔獣が徘徊する迷宮。それ以外にも、迷宮の中は危険が多い。

 パレットのような年若い少女が、単身で営むには厳しい世界だ。

 もちろん、発掘屋の中に彼女と同年代の少女は他にもいる。しかし、そのような少女たちは、頼れる仲間と共に迷宮に挑む場合が殆どである。

 迷宮に眠る富。もしくは、迷宮を突破したという名声。

 そのどちらかが、殆どの発掘屋たちが掲げる大きな目的であるという。

 ならば、この少女はどんな目的で単身迷宮に挑むのか。

 レグナムのその問いに、パレットはじっと前を向いたままそっと答えた。

「日々の生活のためにお金も必要だけど……私が迷宮に潜る最大の目的は、自分の好奇心を満たすためよ」

「好奇心?」

「うん、そう。自分で言うのもなんだけど、私って人よりずっと好奇心が強いの。それこそ、気になったことは徹底的に追究しないと気が済まないぐらいに、ね」

 パレットは振り返らない。だからレグナムには今の彼女がどんな表情を浮かべているのか分からない。だが、彼女のその声に、僅かに悲しみが含まれているような気がした。

 そして、不意にパレットが立ち止まる。気づけば、下りの階段はここまでで、その先は平坦な通路が続いていた。

 レグナムはそのパレットの肩越しに、手にした角灯(ランタン)を掲げて通路の先を見てみる。

 現在、角灯はレグナムの他にはパレットも所持している。カミィとクラルーは人間より遥かに夜目が利くらしく、迷宮の中でも視界に問題はないとのことだった。

「あれを見て」

 立ち止まったパレットが、通路の先を指差す。

「何だありゃ……立て看板か?」

 レグナムが掲げた角灯の光の中、通路の先に看板のようなものが立っているのが見て取れた。

 彼がパレットへと目を向ければ、彼女は黙って頷いた。つまり、危険はない、ということだろう。

 ゆっくりと、慎重に。レグナムは何が起きても反応できるよう、片手に抜き身の長剣をぶら下げたままそろそろと看板へと近づいていく。

 やがて、レグナムはその看板に文字が書かれていることに気づいた。その文字はこの迷宮で時折見かけられるという古代の神々の文字ではなく、大陸や群島で使われている「交易語」と呼ばれる共通語だった。

──足元に注意せよ。

 看板にそう書かれていることを確認したレグナムは、反射的に足元へとその視線を向けた。

 途端。

 下を向いた彼の頭にがつんと大きな衝撃。同時にがしゃがらがん、という派手な音。どうやら天井から何かが落下し、彼の頭部にぶつかったようだ。

「ぬぐおおおおおおおおおっ!?」

 突然の衝撃と騒音に、頭部を抑えて踞るレグナム。その足元には二十ザム──約六十センチ──ほどの、薄い金属製の盥のような容器が転がっていた。どうやら、これが天井から落下してレグナムの頭にぶつかったようだ。

 しかも、その盥には細い紐のようなものが結びつけられており、しばらくするとするすると元のように天井へと戻っていった。

「やーい、引っかかった、引っかかった!」

 地面に座り込んだまま、呆然と盥と天井の仕掛けを見上げていたレグナムを指差し、けたけたと笑うのはもちろんパレットだ。

 そのパレットを追い抜かし、座ったままのレグナムにカミィがゆっくりと、クラルーが小走りに駆け寄る。

「大事ないか、レグナム?」

「レグナム様? 大丈夫でございますか?」

 当然、看板に近づいたことになる二人にも、レグナムの時同様に罠が発動する。

 しかし、罠があることを承知しているカミィは、見上げることもなく落ちてきた盥を片手で弾き飛ばす。

 偶然なのか故意なのか、弾き飛ばした盥はカミィの横にいたクラルーの顔面にべちゃりとぶつかった。

「…………酷いです、ご主人様……」

 クラルーは己の主人に涙目で訴えるも、当の主人はまるで気にした風もない。

 本体が海月(クラゲ)であるクラルーは、このような打撃には高い耐性がある。それを知っているからこそ、カミィはクラルーの訴えを敢えて無視する。

「パレットおおおおおおおおおおおっ!!」

 ようやく痛みと衝撃から立ち直ったレグナムが、まだ笑い続けているパレットの元へと駆け寄った。

「てめえっ!! 罠があるならあるで、どうして教えないんだよっ!?」

「あはは、ごめんごめん。でも、この罠は初めて迷宮に潜った人間なら必ず引っかかる、言わば洗礼みたいなものなのよねー。もちろん、私も初めて潜った時に引っかかったし?」

 そう言われては、レグナムもパレットをそれ以上責めることができない。

 憮然とした表情を隠そうともせず、後頭部をしきりにさすっているレグナムに、パレットはにっこりと微笑みかけた。

「ようこそ、新人さん。これであなたたちも、チャロアイトの迷宮に挑む発掘屋の一人として認められたわ」




 そこに、それはいた。

 大きさは牛より二回りほどの大きいだろうか。体長は一ザームと半ザーム──約四・五メートルほど──で、尻尾の先までの長さを含めると、優に二ザームを超えるだろう。

 その身体の色は、角灯の橙の光の元では肌色に見えるが、実際は白みの強い灰色。その中で、両の目だけが深淵の穴のように真っ黒だった。

 長く伸びた前歯は、鋭いだけではなく気味の悪い黄色に染まっている。もしかすると、その前歯には毒があるのかもしれない。例え毒はなくとも、何らかの病原菌ぐらいは付いていそうだ。

 身体を覆うのは、毛皮ではなくごつごつとした鎧のように硬化した皮膚。少なくとも、人間が使用する煮固めた革鎧(ハードレザー)などよりは余程防御力が高いだろう。

 大きく張り出した一対の耳が、ぴくぴくと動いている。まるで、獲物がどこにいるのか探るかのように。

 鎧鼠(よろいねずみ)

 それが最近のチャロアイトの迷宮に出没し、何人もの発掘屋たちを襲った魔獣の名前だった。




 看板の罠の向こうに続いていた通路の先には扉があった。

 その扉を、パレットは罠を確かめることもなくひょいと押し開けた。

「お、おい、罠を確かめなくていいのか?」

 そう尋ねるレグナムに、パレットはぱちりと片目を閉じながら応える。

「大丈夫よ。この扉は一日に何十、何百という発掘屋たちが通る扉よ? そんな所に罠があったとしても、とっくに発動してい────」

 扉を開け、その奥を見たパレットの身体が突然石になったかのように固まる。

 彼女の後ろからレグナムが扉の向こうを覗き見れば、そこは広い部屋になっていた。

 部屋は七ザーム──約二一メートル──ほどの広さで綺麗な正八角形を描いており、八つの壁にそれぞれ一つずつ扉がある。どうやら、この部屋は迷宮を訪れた発掘屋たちにとって最初の選択肢なのだろう。

 だが、その部屋の中には今、発掘屋たちではなく巨大な魔獣がいた。

 パレットもまた、その魔獣の姿は噂で聞いていた。

 全身、固そうなごつごつとした装甲に覆われた巨大な鼠。その魔獣が、扉を開けた目の前に、いた。

 しかも。

 魔獣は一体ではなかった。実に、三体もの魔獣が、その部屋にはいたのだ。

「う……そ……? こ、こんな所に鎧鼠が……そ、それも三体も……? さ、三体もいるなんて聞いたこともない……」

 三体の鎧鼠の姿を目にした時、パレットは自分の背中に死神が張り付いていることを自覚した。

 その強固な皮膚は、剣や斧の攻撃を容易く弾き返す。そして、鼠という名前の通り、魔獣の動きは巨体に見合わないほどに素早いという。

 たった一体でも、手練の発掘屋の集団を壊滅させるだけの力を持った凶悪な魔獣。

 それが三体も至近距離にいるとなれば、パレットでなくても死を覚悟しただろう。

 だが。

 だが、彼女の背後にいたのは、死神ではなく武神たちだった。

 どんと強く背中を押され、パレットはふらふらと部屋の中に足を踏み入れる。

 そして、そんなパレットの脇を、三陣の突風が吹き抜けたのはすぐ後のことだ。

 自分の傍を吹き抜けた風に、はっと我を取り戻したパレットが部屋の中へと視線を向ける。

 彼女は見た。三体の巨大な魔獣に立ち向かう、三人の姿を。

「れ、レグナム……カミィ……クラルー……」

 パレットは呆然としたまま、本日組んだばかりの仲間たちの名を呟く。

 彼らはそれぞれ別の魔獣を目がけて素早く駆け寄る。

「だ……駄目っ!! 戻ってっ!! 一体ならともかく、三体も鎧鼠がいては人間にはどうしたって勝ち目はないわっ!! 早く逃げるのよっ!!」

 しかし、三人は彼女の言葉に応じることもなく、レグナムなどは逆に彼女に向けて親指を突き立てるという余裕さえ見せる。

「ま……まさ……か……倒す……つもり……なの? 三体もの鎧鼠を相手に……?」

 突っ立ったまま、そう呟くパレットの視線の向こうで、三人と三体の魔獣の戦いが始まろうとしていた。




 するすると、捲り上げていた袖口が伸びて、クラルーの手元をすっぽりと多い隠す。

 その袖口の中から細長い何かが数条飛び出して、鎧鼠の巨大に巻き付いていく。

 それは鞭のようだった。だが、その鞭は蛍のような淡い光を宿した半透明の鞭。その鞭が、片方の袖口から五本、計十本もの鞭が魔獣に襲いかかる。

 当然、魔獣は身体に絡みついた鞭を振り解こうと、巨体を激しく揺する。いや、揺すろうとした。

 しかし、その巨体はぴくりとも動かない。まるで巨大な別の魔獣に押さえつけられているかのごとく。

「うふふふ……無駄ですよ? 私のしょくしゅ……じゃなくて、鞭はそう簡単には振り解けませんよ?」

 クラルーは、目の前の巨大な魔獣に向けて妖艶な笑みを浮かべる。

 今、魔獣の身体に絡みついているのは鞭ではない。彼女の本来の姿である、大海月(おおくらげ)の触手だ。

 大海月の触手は柔らかくも強靭で、鎧鼠の膂力を以てしても引きちぎることはできない。しかも、本来ならその大きさは鎧鼠よりも遥かに大きなクラルーである。その圧倒的な力で、鎧鼠の動きを封じるなど実に簡単だった。

 彼女が手元を隠すように袖口を伸ばしたのは、身体が本来の触手に戻っているのを見られないようにしろ、というレグナムの命によるものだ。

 手の先が触手に変じれば、誰だって気味悪く不審に思うだろう。そうならないようにとの、レグナムによる気配りだった。

 まあ、手元を袖口で隠し、その中から数状の鞭が飛び出しているのも怪しいと言えば怪しいが、身体が触手に変化しているのを見れるよりはましだろう。

 更に、大海月であるクラルーは、その身体の中に様々な毒を有している。

 その毒は致死性の猛毒もあれば、単に身体を麻痺させるだけの麻痺毒、相手に幻覚を見せる幻惑毒など多種多彩な毒がある。その毒を、クラルーは触手の先に隠した小さな針から、相手の身体に流し込むこともできるのだ。

 今まさに、魔獣の動きを封じたクラルーの触手が、その先に秘めた針先を鎧鼠の身体に刺し込む。

 針を刺された魔獣は、ぴくりと一度だけ大きく身体を痙攣させると、それっきり動かなくなる。

 もちろん、パレットにはクラルーが毒を使用したことなど分かるはずがない。

 彼女が分かったことといえば、鞭で絡め取られた魔獣が突然横倒しになったことと、その魔獣が二度と立ち上がれないことだけだった。




 鼠の名の通り、鎧鼠の動きは素早い。並みの傭兵や発掘屋では、その素早い動きに翻弄され、とてもではないが武器を魔獣の身体に当てることもできないだろう。

 だが、レグナムは並みではない。

 鎧鼠の動きにしっかりと反応し、そして魔獣の動きを正確に先読みする。

 レグナムをこれまでの発掘屋と同じだと思っている鎧鼠は、その最大の武器である前歯を、目の前の獲物に叩きつけるように齧りつく。

 しかし、レグナムは迫る前歯に向けて右手の長剣を一閃。その閃光の如き斬撃は、迫る前歯を綺麗に斬り飛ばした。

 くるくると回転しながら吹き飛んでいく魔獣の前歯。

 そして、返す刀で長剣を再度横薙ぎに一閃。振るわれた長剣の刃は、分厚く固い鎧に覆われた魔獣の前脚を、たった一刀ですぱりと断ち落とした。

「ほう……カムリにもらった剣はかなりの業物だな……前の長剣に比べると若干軽いぐらいなのに、斬れ味はこっちが遥かに上だ」

 にやり、と凄絶な笑みを浮かべるレグナム。彼はそのまま更に踏み込むと、脚を失った痛みで甲高い咆哮を上げる魔獣の懐に入り込み、その長剣を柄元まで深々と突き刺す。

 突き刺された長剣の切っ先は、見事に魔獣の心臓を捉えてこれを易々と破壊。巨大で凶悪な魔獣は、「剣鬼」の異名を持つ傭兵の剣技の前に、僅か数秒足らずでその命を散らせるのだった。




 がつん、という大きな音がパレットの耳に響く。

 それまでレグナムとクラルーの圧倒的な戦いを呆気に取られる思いで見ていたパレットは、反射的にその音のした方へと目を向けた。

 そこで彼女は見た。

 巨大な魔獣の眉間に、その華奢で小ささ拳を打ちつけたまま停止しているカミィの姿を。

「い……一体、何が……」

 ぴくりとも動かない魔獣と少女。だが、少女がその身体を引くように魔獣から離れると、魔獣はそのまま崩れるように倒れ臥した。

 パレットは知らない。気づきもしない。

 カミィの小さな拳が、魔獣の頭蓋骨をたった一撃で完璧に粉砕したことなど。

「……何だ。凶悪な魔獣というからどんな奴らが相手かと思えば、全く呆気ないのだ」

 実に詰まらなそうに呟くカミィ。

 こうして、チャロアイトの発掘屋たちを恐怖にすくみ上がらせていた凶悪な魔獣は、三人の新米の発掘屋の前に、ほんの僅かな時間で討伐されたのだった。



 今日も『あるない』更新。


 いや、あっけなくも魔獣たちは退治されました。これも相手が悪かった、ということでしょう。もちろん、魔獣たちにとってです(笑)。


 魔獣という障害を排除し、いよいよレグナムたちは本格的に迷宮攻略に乗り出します。


 では、次回もよろしくお願いします。


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