殺し屋デビュー
「シャ-ッ!」
猫のブランが俺を威嚇する。
どうもこの猫は苦手だ。
俺を敵視している。
まあそれは、正しい判断だ。
俺は、この屋敷にメイドのアンヌとして潜入している殺し屋だからだ。
念入りに準備した毒入り紅茶をお嬢様の前に置く。
秘密裏に解毒剤を飲んだうえで、毒見をしてみせる。
お嬢様は、カップに手を伸ばす。
よし、うまくいった!
そう思ったのもつかの間、ブランがテーブルの上のティーカップを前足で薙ぎ払った。
犬ほどではなくとも、猫も嗅覚が鋭かったのか。
せっかくうまくいきそうだったのに。
そのあとは、猫がめちゃめちゃにしたテーブルの後片付けだ。
お嬢様は、
「ブランは、いたずら好きで困りものね。」
なんてのんきなことを言っている。
自分が殺されかけたことも知らず、能天気なやつだ。
今回が俺の殺し屋デビューだ。
わざわざ女装までして入り込んだのに、なかなかチャンスがなかった。
やっと今日お茶の支度の指名を受けたのに。
俺は、物心ついたときには、親に売られ、殺し屋組織の訓練所で育った。
変装(女装も含む)、毒殺、絞殺、いろいろな殺しの手段を教えられてきた。
訓練所でもまあまあの成績だったと思う。
特に女装は、中性的な容姿のせいで、教官も驚くほど自然だ。
体型も背が高くないので、女性で十分通る。
ボイストレーニングも完璧だ。
ただひとつ重大な欠点がある。
血がダメなのだ。
血を見ると気分が悪くなる。
だから俺の殺しの手段は、刺殺以外になる。
血を見なければ大丈夫なので、毒殺が主体となる。
殺し屋には向いてないのかもしれないが、職業を選べるようなご身分ではない。
他に生きていくすべはないのだ。
気を取り直し、次の計画を練る。
幸い失敗した毒殺のことはバレていない。
お嬢様の背後から毒針で襲うことにした。
次の殺害方法が決まった。
お嬢様の周りにはいつも誰かがいる。
人がいないわずかな隙を狙って、決行しよう。
チャンスはやってきた。
お嬢様が庭を散歩するという。
日傘を忘れたので、侍女が取りに行く。
今だ!
ハチに刺されたと思わせればいい。
細い針に毒を塗ったものでお嬢様の首を狙う。
「シャーッ!」
お嬢様に抱えられていた猫が俺に飛び掛かってきた。
爪を立てて、牙をむいて。
慌てた俺は、誤って自分を刺してしまった。
まずい!
「アンヌ、どうしたの?」
「ハチに刺されました。
屋敷に戻って、手当をすることをお許しください。」
「大丈夫?」
「はい、薬を塗れば。」
俺は大急ぎで部屋に戻った。
よかった、遅効性の毒にしておいて。
毒消しを塗りながら、天敵の猫、ブランを呪った。
ちょっとだけ血が出ていて、気分も悪い。
最悪だ。
さてこの仕事を遂行するには、あの猫が邪魔だ。
どうしたものか。
そうだ。
猫にはマタタビが効く。
町にお使いの仕事が入るたびに、途中の店でマタタビを買った。
ある程度マタタビがたまったところで、ブランをおびき出すのに使う。
うまいことマタタビでおびき寄せ、部屋に閉じ込めることに成功した。
よし、今度こそ。
お嬢様の後ろをついて、屋敷内を移動する。
屋敷内なので、お付きの者もいない。
俺は階段の一番上から突き落そうと手を伸ばした。
その時、ブランの鳴き声が響いた。
「ニャーッ!」
あの猫、予知能力でもあるのか。
それとも閉じ込められたことに気づいて暴れているのか。
お嬢様はくるりと向きを変え、ブランのいる部屋に向かった。
「どうしたの。ブラン。」
背後から勢いをつけて突き落そうとしていた俺は、そのままの勢いで階段下へ落ちていった。
受け身を取ったおかげで、骨折まではいかず、打ち身、捻挫で済んだ。
結局俺は、一旦屋敷からお暇することになった。
この体では、殺しはできない。
お嬢様は、
「私が急に向きを変えたから、アンヌが落ちてしまったのね。
申し訳ないわ。怪我が治ったら、いつでも戻って来てね。」
などと言う。
全くおめでたい。
俺は、殺し屋デビューの仕事は失敗したが、これから血に対する耐性を付けることにした。
休みの間に特訓をして、雪辱を果たすのだ。
毎日、組織の医者の所に瀉血に行き、血を見ても平気になるまで通った。
おかげでなんとか刺殺もできるようになった。
自分の血を見ても、もう吐き気は起こらない。
これで俺も一人前の殺し屋だ。
瀉血のせいで、体力が落ち、元に戻すのに時間がかかってしまったが。
久しぶりに屋敷に戻ると、お嬢様は、遠い辺境に嫁がれた後だった。
がっくり膝をついた俺は、使用人の皆に、お嬢様についていけなかったのが
ショックなのだと同情された。
「アンヌは、お嬢様とお別れするのが、よっぽどショックだったのね。」
と言って肩を撫でられた。
確かに別の意味でショックだ。
天敵の猫、ブランは連れて行ってもらったらしい。




