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殺し屋デビュー

作者: 山田裕子
掲載日:2026/08/14

「シャ-ッ!」


猫のブランが俺を威嚇する。

どうもこの猫は苦手だ。

俺を敵視している。

まあそれは、正しい判断だ。

俺は、この屋敷にメイドのアンヌとして潜入している殺し屋だからだ。


念入りに準備した毒入り紅茶をお嬢様の前に置く。

秘密裏に解毒剤を飲んだうえで、毒見をしてみせる。

お嬢様は、カップに手を伸ばす。

よし、うまくいった!


そう思ったのもつかの間、ブランがテーブルの上のティーカップを前足で薙ぎ払った。

犬ほどではなくとも、猫も嗅覚が鋭かったのか。

せっかくうまくいきそうだったのに。


そのあとは、猫がめちゃめちゃにしたテーブルの後片付けだ。

お嬢様は、


「ブランは、いたずら好きで困りものね。」


なんてのんきなことを言っている。

自分が殺されかけたことも知らず、能天気なやつだ。


今回が俺の殺し屋デビューだ。

わざわざ女装までして入り込んだのに、なかなかチャンスがなかった。

やっと今日お茶の支度の指名を受けたのに。


俺は、物心ついたときには、親に売られ、殺し屋組織の訓練所で育った。

変装(女装も含む)、毒殺、絞殺、いろいろな殺しの手段を教えられてきた。

訓練所でもまあまあの成績だったと思う。

特に女装は、中性的な容姿のせいで、教官も驚くほど自然だ。

体型も背が高くないので、女性で十分通る。

ボイストレーニングも完璧だ。


ただひとつ重大な欠点がある。

血がダメなのだ。

血を見ると気分が悪くなる。

だから俺の殺しの手段は、刺殺以外になる。

血を見なければ大丈夫なので、毒殺が主体となる。

殺し屋には向いてないのかもしれないが、職業を選べるようなご身分ではない。

他に生きていくすべはないのだ。


気を取り直し、次の計画を練る。

幸い失敗した毒殺のことはバレていない。

お嬢様の背後から毒針で襲うことにした。

次の殺害方法が決まった。


お嬢様の周りにはいつも誰かがいる。

人がいないわずかな隙を狙って、決行しよう。


チャンスはやってきた。

お嬢様が庭を散歩するという。

日傘を忘れたので、侍女が取りに行く。

今だ!

ハチに刺されたと思わせればいい。

細い針に毒を塗ったものでお嬢様の首を狙う。


「シャーッ!」


お嬢様に抱えられていた猫が俺に飛び掛かってきた。

爪を立てて、牙をむいて。

慌てた俺は、誤って自分を刺してしまった。

まずい!


「アンヌ、どうしたの?」


「ハチに刺されました。

屋敷に戻って、手当をすることをお許しください。」


「大丈夫?」


「はい、薬を塗れば。」


俺は大急ぎで部屋に戻った。

よかった、遅効性の毒にしておいて。

毒消しを塗りながら、天敵の猫、ブランを呪った。

ちょっとだけ血が出ていて、気分も悪い。

最悪だ。


さてこの仕事を遂行するには、あの猫が邪魔だ。

どうしたものか。

そうだ。

猫にはマタタビが効く。

町にお使いの仕事が入るたびに、途中の店でマタタビを買った。

ある程度マタタビがたまったところで、ブランをおびき出すのに使う。

うまいことマタタビでおびき寄せ、部屋に閉じ込めることに成功した。

よし、今度こそ。


お嬢様の後ろをついて、屋敷内を移動する。

屋敷内なので、お付きの者もいない。

俺は階段の一番上から突き落そうと手を伸ばした。

その時、ブランの鳴き声が響いた。


「ニャーッ!」


あの猫、予知能力でもあるのか。

それとも閉じ込められたことに気づいて暴れているのか。

お嬢様はくるりと向きを変え、ブランのいる部屋に向かった。


「どうしたの。ブラン。」


背後から勢いをつけて突き落そうとしていた俺は、そのままの勢いで階段下へ落ちていった。


受け身を取ったおかげで、骨折まではいかず、打ち身、捻挫で済んだ。

結局俺は、一旦屋敷からお暇することになった。

この体では、殺しはできない。

お嬢様は、


「私が急に向きを変えたから、アンヌが落ちてしまったのね。

申し訳ないわ。怪我が治ったら、いつでも戻って来てね。」


などと言う。

全くおめでたい。

俺は、殺し屋デビューの仕事は失敗したが、これから血に対する耐性を付けることにした。

休みの間に特訓をして、雪辱を果たすのだ。


毎日、組織の医者の所に瀉血に行き、血を見ても平気になるまで通った。

おかげでなんとか刺殺もできるようになった。

自分の血を見ても、もう吐き気は起こらない。

これで俺も一人前の殺し屋だ。

瀉血のせいで、体力が落ち、元に戻すのに時間がかかってしまったが。


久しぶりに屋敷に戻ると、お嬢様は、遠い辺境に嫁がれた後だった。

がっくり膝をついた俺は、使用人の皆に、お嬢様についていけなかったのが

ショックなのだと同情された。


「アンヌは、お嬢様とお別れするのが、よっぽどショックだったのね。」


と言って肩を撫でられた。

確かに別の意味でショックだ。


天敵の猫、ブランは連れて行ってもらったらしい。

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