陽だまりの家〜異世界孤児院、五人の少女と紡ぐ帰る場所の物語〜
陽だまりの家
〜異世界孤児院、五人の少女と紡ぐ「帰る場所」の物語〜
第1期 前半(第1話〜第6話)
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第1話 「新しい院長」
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異世界に召喚されて三年。夏目誠(26歳)は勇者でも賢者でもなかった。ただ、この世界の言葉を覚え、畑を耕し、そして今は王都の外れにある孤児院「陽だまりの家」の院長として日々を過ごしている。
前任の院長が急な病で亡くなり、誠が後を継ぐことになったのは半年前のことだ。引き継ぎの書類を渡された時、教会の担当者はこう言った。
「五人の子がいます。全員、あまり大人を信用していません。前の院長先生は良い方でしたが、その前に何人も『院長』が入れ替わっていますから」
その言葉の意味を、誠はすぐに思い知ることになった。
最年長のアン(17歳)は、誠が挨拶をした初日、腕を組んで壁にもたれかかったまま一瞥もくれなかった。
「またすぐいなくなるんでしょ。別に、覚える気ないから」
声には刺があった。誠が何か言い返す前に、アンはさっさと部屋を出て行ってしまった。
一方で、当時14歳だったルルは正反対だった。誠の後ろをぴったりとついて回り、目を離すとすぐに服の裾を引っ張った。
「誠さん、どこ行くの? わたしも行く」
「今台所に行くだけだよ」
「じゃあわたしも台所」
まるで誠の影のように、ルルは一日中そばを離れなかった。最初は微笑ましいと思っていた誠も、次第にその執着の裏に何かがあることに気づき始める。
15歳のエコは、誠と目を合わせることがほとんどなかった。食事の時間以外は自室にこもり、夜になると壁の向こうから小さな泣き声が聞こえてくることがあった。誠がドアをノックしても、返事はいつも同じだった。
「大丈夫です。おやすみなさい」
その声は、明らかに大丈夫ではなかった。
16歳のシオンは体が弱く、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしていた。院の敷地から一歩も出たことがないと聞いた時、誠は驚いた。
「お医者様が、外の空気は良くないだろうって……昔から、そう言われていて」
シオンはそう言って、窓の外を見つめるだけだった。
最年長の18歳のミラは、五人の中で一番院の運営を手伝ってくれる存在だった。帳簿の付け方、食料の配分、下の子たちの世話。誠よりもよほど院のことを知っていた。
「院長先生、無理しないでくださいね。ここでは、みんな最初はそんなものですから」
ミラの言葉には、経験に裏打ちされた諦めのようなものが滲んでいた。何人もの「院長」を見送ってきた者だけが持つ、静かな距離感だった。
その夜、誠は院長室で一人、五人分の資料を読み返していた。名前、年齢、簡単な経歴。だが、そこに書かれていない何かが、五人それぞれの態度の奥に潜んでいることを誠は感じ取っていた。
(この子たちは、大人を信じることを、どこかで諦めてしまったんだ)
誠は資料を閉じ、窓の外の月を見上げた。
(すぐに信じてもらおうなんて、思わない。でも、いつか「ここにいていい」って、みんなが思えるようになるまで――俺はここを離れない)
それは誓いというよりも、静かな決意だった。まだ誰にも伝える言葉を持たない、始まりの夜だった。
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第2話 「素直になれない理由」
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アンとの距離は、一ヶ月経っても縮まらなかった。
誠が何かを提案すれば「別に」、手伝おうとすれば「いらない」。院の仕事はきちんとこなすのに、誠に対してだけは常に刺々しい態度を崩さない。
ある日、誠は薪割りをしていたアンの手元がおぼつかないことに気づいた。斧の使い方が明らかに危なっかしい。
「アン、持ち方が――」
「触らないで」
誠が手を伸ばした瞬間、アンは鋭くそう言って身を引いた。その拍子に斧を落とし、刃先が自分の足のすぐ近くに突き刺さる。
「危ない!」
誠は反射的にアンの肩を掴んで引き寄せた。一瞬の静寂の後、アンは誠の手を振り払った。
「大丈夫だから。放っておいてよ」
「怪我するところだったんだぞ」
「だから何? あんたに関係ないでしょ」
その言葉の激しさに、誠は思わず黙り込んだ。アンはそのまま踵を返し、足早にその場を去っていった。
その夜、ミラが誠の部屋を訪れた。
「アンのこと、気にしてます?」
「……悪いことをしたのかもしれない」
ミラは少し考えるように視線を落とした。
「アンは、この院に来る前、三回、里親に引き取られたことがあるんです」
「三回も?」
「はい。でも、どの家でも長くは続きませんでした。一番長かった家で、アンは半年間、その家族に懐いたそうです。『お母さん』って呼ぶくらいに」
ミラの声が少し低くなった。
「でも、その家の実の子供が生まれて、アンは『もう必要ない』って言われて、施設に戻されました。他の家でも似たようなことが、形を変えて起きたそうです」
誠は言葉を失った。
「アンは、誰かに心を許すと、必ずその人がいなくなるって、体で覚えてしまったんだと思います。だから、素直になれない。素直になった分だけ、失った時が辛くなるって、知っているから」
誠は自分の手のひらを見つめた。アンを掴んだあの手の感触が、まだ残っている気がした。
(アンが刺々しいのは、俺を嫌っているからじゃない。俺を、信じたくないからだ)
次の日、誠はアンに話しかけなかった。ただ、アンが薪割りをする時間になると、少し離れた場所で自分も別の作業をするようにした。何も言わず、ただそこにいる。それを、毎日続けた。
一週間後、アンがぽつりと言った。
「……別に、見張らなくていいから」
「見張ってない。ただ、ここで作業してるだけだ」
「……そう」
それだけの会話だった。だが、アンは薪割りを続ける手を止めなかった。誠がそこにいることを、拒まなかった。
小さな、本当に小さな変化だった。だが誠には、それが何よりも大きな一歩に思えた。
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第3話 「追いかける理由」
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ルルの誠への執着は、日を追うごとに強くなっているように見えた。
誠が院の外に買い出しに行くと言うだけで、ルルの表情が強張る。
「わたしも行く」
「今日は町まで結構歩くよ。ルルは留守番して、他の子と――」
「行く!」
ルルの声には、誠が今まで聞いたことのない切迫感があった。まるで、置いていかれることが何よりも恐ろしいことであるかのように。
結局その日は一緒に町へ出かけた。ルルは誠の服の袖を、町にいる間ずっと握りしめていた。
夜、寝室を見回っていた誠は、ルルの部屋の前でミラに呼び止められた。
「ルルのこと、迷惑でしたか?」
「迷惑ってわけじゃないけど……どうしてあんなに、そばを離れたがらないんだろう」
ミラは少し躊躇ってから話し始めた。
「ルルがこの院に来たのは五歳の時です。それより前、実の両親と暮らしていた家で、両親はルルの世話をほとんどしなかったそうです」
「世話を……」
「ご飯をあげ忘れたり、何日も家を空けたり。ルルは、部屋の隅でじっと大人しくしていないと、存在ごと忘れられてしまうと感じていたそうです。物音を立てず、目立たず、ただじっと」
誠は息を呑んだ。
「でも、それでも忘れられてしまうことがあった。だからルルは、ある時から逆のことを覚えたんだと思います。誰かのそばにぴったりとくっついていれば、忘れられない。追いかけていれば、置いていかれない、って」
誠はルルの部屋のドアをそっと見た。中からは、寝息が聞こえていた。
(ルルが俺を追いかけるのは、俺のことが好きだからじゃない。忘れられるのが、怖いからだ)
次の日から、誠は少しやり方を変えた。ルルが追いかけてくる前に、自分からルルのところへ行くようにしたのだ。
「ルル、これから畑の水やりするけど、一緒に来るか?」
誠から誘われたルルは、一瞬きょとんとした顔をした。今まで、誰かから「一緒に来るか」と聞かれたことなど、ほとんどなかったのかもしれない。
「……うん」
それから誠は、意識してルルに声をかけるようにした。追いかけられる前に、自分から。ルルが「忘れられていない」と実感できるように。
変化はゆっくりだった。だが少しずつ、ルルが誠の姿を探して部屋の外まで走り出てくる回数が減っていった。誠が「ここにいるよ」と、先に伝えるようになったからだった。
ある夕方、庭でひとり花を摘んでいたルルに、誠は声をかけた。
「ルル、一人でも平気なんだな」
ルルは花を見つめたまま、小さく笑った。
「誠さんが、ちゃんと戻ってくるって、わかってるから」
その一言が、誠の胸に深く染み込んだ。
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第4話 「言葉にできない涙」
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エコの夜泣きは、誠が院長になってから、ずっと続いていた。
毎晩ではない。だが週に二、三度、壁の向こうから押し殺したような嗚咽が聞こえてくる夜があった。誠がドアをノックしても、返ってくるのはいつも同じ言葉だった。
「大丈夫です」
その声が震えていることに、誠は気づかないふりができなかった。
「エコ、無理に話さなくていい。ただ、大丈夫じゃない時に『大丈夫』って言わなくてもいいんだよ」
ドアの向こうで、しばらく沈黙が続いた。
「……誠さんには、わからないです」
小さな声だった。拒絶というより、諦めのような響きがあった。
ある夜、ミラが珍しく誠の部屋を訪れ、エコについて話してくれた。
「エコは、昔、辛いことがあった時に、それを誰かに話したことがあるそうです。でも、話した相手に信じてもらえなかった。それどころか、『そんなことを言うな』って、叱られたそうです」
「叱られた……?」
「はい。エコにとって、辛いことを言葉にするというのは、それを『本当のこと』として認めることなんだと思います。誰にも話さなければ、まだそれは、なかったことにできる。でも言葉にした瞬間、それは確かにあったことになってしまう」
誠は目を閉じた。
(エコは、泣いている理由を話せないんじゃない。話したら、それが本当になってしまうのが、怖いんだ)
その夜、また壁の向こうから小さな泣き声が聞こえてきた。誠は迷った末、ノックをせずに、そっとエコの部屋のドアを開けた。
「……誠さん?」
エコが驚いた顔でこちらを見た。目には涙が滲んでいた。
「話さなくていい。ただ、そばにいるだけだから」
誠はベッドの脇の床に、静かに腰を下ろした。エコは何も言わなかった。誠も、それ以上何も言わなかった。
部屋には、エコのすすり泣く声と、時計の針が動く音だけが響いていた。誠はただそこに座り続けた。何かを聞き出そうとせず、何かを解決しようともせず、ただ、エコが一人ではないということだけを、その場にいることで示し続けた。
どれくらいの時間が経っただろうか。エコの呼吸が少しずつ落ち着き、やがて規則的な寝息に変わっていった。
誠は静かに立ち上がり、毛布をかけ直してから、音を立てないように部屋を出た。
廊下に出たところで、誠はふと立ち止まった。
(言葉にできないなら、言葉にしなくていい。ただ、一人にしないこと。それだけでいいのかもしれない)
この夜のことを、誠は誰にも話さなかった。エコにも、それを話すことを強要しなかった。ただ、それからも夜泣きが聞こえる夜には、同じように静かにそばに座るということを、誠は続けていった。
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第5話 「外への一歩、その準備」
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シオンは、誠が院長になってから半年間、一度も院の敷地から出たことがなかった。
「昔から、体が弱くて。お医者様に、外の空気や人混みは良くないだろうって言われてから、ずっと……」
シオンはそう言うが、誠は疑問を感じていた。院の庭にいる時のシオンの顔色は、そう悪くない。むしろ、部屋にこもっている時よりも生き生きとして見えることさえあった。
誠は思い切って、院の専属医師に相談してみることにした。
「シオンの体調について、正直なところを聞かせてもらえますか」
初老の医師は少し考えてから答えた。
「シオンさんの体は、確かに強い方ではありません。ですが、外に出られないほどではないと、私は考えています。むしろ、適度に日光を浴び、体を動かした方が良いくらいです」
「それなのに、どうして……」
「以前の院長先生が、シオンさんが小さい頃に体調を崩したことをとても心配されて、『外には出さない方がいい』と強く言われたことがあったのです。それ以来、シオンさん自身が、外に出ることを恐れるようになってしまいました」
誠は納得した。シオンの「外に出られない」は、体の問題である以上に、心の問題だったのだ。
誠はその日の午後、シオンの部屋を訪れた。
「シオン、少しだけ、庭に出てみないか」
シオンの表情がこわばった。
「……無理です。外は、わたしには」
「無理強いはしない。でも、庭の入り口までだけでいい。それ以上は、シオンが嫌だと言ったらすぐ戻ろう」
シオンは長い間、窓の外を見つめていた。ベッドの上から見える庭の緑を、誠は今まで何度も目にしてきたはずだった。でもシオンにとってそれは、いつも「窓越し」でしか存在しないものだったのだ。
「……怖いです」
「わかってる。だから、俺がずっとそばにいる」
シオンはゆっくりと頷いた。それは、この物語の中で最も静かで、そして最も勇気のいる「はい」だった。
次の日の朝、誠はシオンの手を借りながら、車椅子をゆっくりと押した。廊下を抜け、玄関を出て、庭へと続く数段の階段の前で、シオンは一瞬立ち止まった。
「大丈夫。ゆっくりでいい」
誠の言葉に、シオンは小さく頷き、そして――
その一歩の顛末は、次の話へと続く。
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第6話 「五人がそろう食卓」
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シオンが庭の入り口に立った日の夕方、院では珍しく賑やかな食卓が囲まれていた。
いつもは自室にこもりがちなエコが、少し早めに食堂に顔を出していた。アンは相変わらず口数は少なかったが、誠が配った料理を黙って受け取り、席についていた。ルルは誠の隣に座り、シオンの車椅子は今日、初めて食堂のテーブルのすぐそばに寄せられていた。ミラは料理を運びながら、みんなの様子をどこか嬉しそうに見守っていた。
「シオン、今日は外の空気、どうだった?」
ミラが尋ねると、シオンは少し照れたように微笑んだ。
「怖かったです。でも……風が、思っていたよりずっと、気持ち良かったです」
その言葉に、アンがぽつりと口を挟んだ。
「大袈裟。庭に出ただけでしょ」
いつもの刺のある口調だったが、そこには以前とは違う何かがあった。からかいというより、照れ隠しに近い響きだった。
「アン、ひどい」
ルルがくすりと笑うと、エコまでもが小さく口元を緩めた。
誠はその光景を見ながら、静かに胸が温かくなるのを感じていた。半年前、誰も口を開かず、誰も目を合わせようとしなかったこの食卓が、今は少しずつ、声で満ちるようになっている。
「みんな、今日は特別に、俺が作ったシチューだ。味の保証はしないけど」
誠が冗談めかして言うと、ミラが笑った。
「院長先生の料理、意外と美味しいですよ、アン」
「……食べてから判断する」
アンはそう言いながらも、スプーンを手に取った。一口食べて、何も言わなかったが、二口目のスプーンの動きは、明らかに最初より早くなっていた。
食事が進む中、誠はふと五人の顔を見渡した。アンの警戒はまだ完全には解けていない。ルルはまだ時折不安げな目を誠に向ける。エコは自分の心の内を、まだ言葉にできずにいる。シオンの一歩は、まだ始まったばかりだ。ミラは、卒業という別れの日が近づいていることを、まだ誰にも話していない。
それでも、この食卓には確かに、半年前にはなかった何かが生まれていた。
(まだ、始まったばかりだ)
誠は心の中でそう呟いた。
(でも、この五人が、いつか心から「ここが家だ」と思える日まで、俺はここにいる)
窓の外では、夕暮れの光が庭の緑を橙色に染めていた。食卓を囲む六人の影が、長く伸びて重なり合っていた。
それは、まだ完成していない家族の、始まりの風景だった。
── 前半(第1話〜第6話)完 ──
続きは「陽だまりの家_第1期_後半(第7-12話)」へ
陽だまりの家
〜異世界孤児院、五人の少女と紡ぐ「帰る場所」の物語〜
第1期 後半(第7話〜第12話)
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第7話 「アン、雨の夜に」
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季節が変わり、院の周りに雨の日が続くようになった頃、アンの様子がおかしいことに誠は気づいた。
いつもより口数が少なく、食事もあまり進まない。誠が声をかけても「別に」としか返ってこないのは変わらないが、その「別に」の響きが、以前とは少し違っていた。
その夜、雨脚が強まる中、誠はアンの部屋の前を通りかかった時、中から物音がしないことに気づいた。ノックをしても返事がない。
「アン、入るぞ」
ドアを開けると、アンはベッドの上で膝を抱え、窓の外の雨を見つめていた。
「……何」
「体調悪いのか?」
「別に」
誠はしばらく黙って立っていたが、やがて部屋の隅にある椅子に静かに腰を下ろした。
「出てけとは言われてないから、いる」
アンは何も言わなかった。雨音だけが部屋を満たしていた。
長い沈黙の後、アンがぽつりと口を開いた。
「……前に住んでた家、雨の日にね。お母さんって呼んでた人が、初めて『大好きよ』って言ってくれたの。雨宿りしてる時に、傘の中で」
誠は息を止めて、その言葉の続きを待った。
「だから雨の日は、いつも思い出す。あの傘の中のこと。あったかかったなって」
アンの声が、初めて震えていた。
「でも、その半月後に、施設に戻されたの。だから雨が降ると、思い出すのは、あったかい記憶と、その後に来た、突き放される感覚と、両方」
誠は何も言わず、ただ耳を傾けていた。
「誠がさ」
アンが顔を上げた。目に涙が滲んでいた。
「誠が、いつか同じことするんじゃないかって、ずっと思ってた。優しくされるほど、怖かった。だから、意地悪言って、突き放してた。先に自分から、突き放しておけば、傷つかないと思って」
「アン……」
「でも」
アンは深く息を吸った。
「半年経っても、誠、いなくならないじゃん。薪割りの時も、勝手に隣で作業して。うざいのに、いなくなんない」
その言葉には、これまでのどんな刺々しさとも違う、震えるような正直さがあった。
「アン、俺は」
誠は言葉を選びながら、ゆっくりと言った。
「いなくならないって、約束はできない。この世界のことも、これからのことも、全部わかるわけじゃないから。でも、今ここにいる。それだけは、本当だ」
アンはしばらく誠を見つめていたが、やがて小さく、本当に小さく頷いた。
「……別に、信じたわけじゃないから」
「うん」
「でも、今夜だけは、いてもいいよ」
それは、アンが誠に対して初めて口にした、拒絶ではない言葉だった。誠はただ静かに頷き、雨が止むまで、そこに座り続けた。
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第8話 「ルル、そばにいなくても」
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シオンが庭に出られるようになってから数週間後、誠はふとルルの変化に気づいた。
以前は誠の姿が見えなくなるだけで不安げな表情を見せていたルルが、最近では一人で庭の花を摘んだり、エコの部屋に遊びに行ったりする時間が増えていた。
だがある日、誠が町へ長期の買い出しに出かける予定を伝えると、ルルの顔に昔と同じ影がよぎった。
「今度は、何日で帰ってくるの?」
「三日くらいかな。隣町まで足を延ばすから」
「……三日」
ルルの声が小さくなった。誠はその夜、ルルの部屋を訪れた。
「ルル、少し話してもいいか」
ルルはベッドの上で膝を抱えていた。誠が近くに座ると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「わたしね、誠さんがいなくなる夢を、今でも時々見るの」
「そうか」
「小さい頃、お父さんとお母さんが、何日も帰ってこないことがあった。その間、ずっと部屋の隅でじっとしてた。動いたら、忘れられちゃう気がして」
ミラから聞いていた話と、ルル自身の口から語られる言葉には、また違う重みがあった。
「でも最近、少しだけ、わかってきたことがあるの」
「何が?」
「誠さんは、わたしが追いかけなくても、ちゃんと『行ってくる』って言ってくれる。それに、帰ってきたら必ず『ただいま』って、わたしのところに来てくれる」
ルルは膝の上に顎を乗せた。
「だから、追いかけなくても、大丈夫なのかもって、思うようになった。でも、今日みたいに『三日』って聞くと、まだ、ちょっと怖い」
誠はルルの頭に、そっと手を置いた。
「三日経ったら、必ず戻ってくる。それに、行く前と帰ってきた後、ちゃんとルルに伝える。約束するよ」
「……本当に?」
「本当に。行ってきますも、ただいまも、ルルに一番最初に言う」
ルルは少し考えてから、小さく笑った。
「じゃあ、待ってる。追いかけないで、待ってる」
それは、ルルにとって大きな決意だった。誰かを「追いかける」ことでしか安心を得られなかった少女が、初めて「待つ」ことを選んだ瞬間だった。
三日後、誠が院に戻ると、玄関先にルルが立っていた。走って追いかけてくるのではなく、そこでじっと、誠が来るのを待っていた。
「おかえりなさい、誠さん」
「ただいま、ルル」
その一言に、ルルは満面の笑みを浮かべた。追いかけなくても、忘れられていなかった。その事実が、ルルの中の何かを確かに変えていた。
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第9話 「エコが、言葉にした夜」
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エコの夜泣きは、以前より頻度は減っていたが、完全になくなったわけではなかった。誠は変わらず、泣き声が聞こえる夜には静かにそばに座り続けていた。
ある夜、いつものように誠がエコの部屋の床に座っていると、珍しくエコが自分から口を開いた。
「誠さん」
「うん」
「今日は、少し、話してもいいですか」
誠は驚きを隠しながら、静かに頷いた。
「うん。無理しなくていいけど、聞くよ」
エコは布団を強く握りしめながら、ゆっくりと語り始めた。
「わたし、前にいた場所で……辛いことがあって、それを大人に話したことがあるんです。でも、『そんな大袈裟なこと言うな』って、怒られました。それに、話したことが原因で、もっと状況が悪くなったこともあって」
エコの声は震えていたが、止まらなかった。
「それから、わたし、思うようになったんです。辛いことを言葉にすると、それが『本当にあったこと』になってしまう。言わなければ、まだ、なかったことにできるかもしれないって」
誠は黙って聞き続けた。
「でも、誠さんは、わたしが何も話さなくても、ただそばにいてくれました。何度も、何度も。無理に聞き出そうとしなかった」
エコは深く息を吸った。
「だから、少しだけ、思えるようになりました。言葉にしても、それを聞いた人が、わたしを見捨てたり、怒ったりしないかもしれないって」
「エコ」
誠は静かに言った。
「話したいことがあれば、いつでも聞く。でも、話さなくてもいい。エコが泣いている理由を知らなくても、俺はエコのそばにいる。それは変わらない」
エコの目から、また涙がこぼれた。だが、それは今までの夜の涙とは、どこか違って見えた。
「昔、家族が、目の前で、いなくなってしまったんです。わたしが助けを呼べなかったから」
エコは初めて、その言葉を口にした。
「ずっと、自分のせいだと思ってました。それを誰かに言ったら、本当に、自分のせいだって、決まってしまう気がして」
誠はエコの手をそっと握った。
「それは、エコのせいじゃない。エコが助けを呼べなかったんじゃなくて、エコはまだ、小さかっただけだ」
エコは声を上げて泣いた。今までの押し殺した嗚咽ではなく、初めて、心の底から泣いていた。誠はただ、その手を握り続けた。
言葉にすることは、恐怖だった。でもその夜、エコは初めて、言葉にしても世界が壊れないことを知った。
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第10話 「シオン、外の世界へ」
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庭に出られるようになってから数ヶ月、シオンの体力は少しずつ、しかし確実についてきていた。医師の見立て通り、日光と適度な運動は、シオンの体に良い影響を与えていた。
ある晴れた日、誠はシオンに提案した。
「シオン、今度、院の外まで少し歩いてみないか。町の入り口くらいまで」
シオンの表情が強張った。庭に出ることには慣れてきたが、院の敷地を出るというのは、また別の恐怖だった。
「わたし……できるでしょうか」
「無理はしなくていい。でも、シオンがやってみたいなら、俺がずっとそばにいる」
シオンは長い間、考え込んでいた。そして、小さく、しかしはっきりと頷いた。
「やってみたいです。ずっと、窓から見える景色の、その先に何があるのか、知りたかったから」
その日の午後、誠はシオンの手を引きながら、ゆっくりと院の門をくぐった。門の外に一歩踏み出した瞬間、シオンの足が止まった。
「大丈夫。ゆっくりでいい」
誠の言葉に、シオンは深呼吸をして、また一歩を踏み出した。
道の両脇には、シオンが今まで窓越しにしか見たことのなかった景色が広がっていた。畑で働く人々、走り回る子供たち、遠くに見える町の屋根並み。
「これが……外の世界」
シオンの声は震えていた。
「怖いですか?」
誠が尋ねると、シオンは首を横に振った。
「怖いけど……それ以上に、綺麗です」
二人はゆっくりと、町の入り口が見える丘の上まで歩いた。そこでシオンは立ち止まり、遠くに広がる町並みを眺めた。
「誠さん」
「うん」
「わたし、ずっと、外に出られない自分を、弱いんだって思ってました。でも」
シオンは誠の方を見た。
「弱いんじゃなくて、ただ、一人で踏み出す勇気がなかっただけなのかもしれないって、今、思います」
誠は静かに首を横に振った。
「一人じゃなくても、踏み出したこと自体が、勇気だよ。シオンは今日、それをやったんだ」
シオンの目に涙が浮かんだ。それは悲しみの涙ではなく、何かを乗り越えた者だけが流せる、誇らしさの涙だった。
「また、来てもいいですか。ここに」
「もちろん。何度でも、一緒に来よう」
丘の上に立つ二人の影が、夕暮れの光に長く伸びていた。窓の中からしか世界を見ることのできなかった少女が、今、確かに自分の足で、外の世界に立っていた。
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第11話 「ミラの卒業」
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ミラが18歳になり、院を出て自立する日が近づいていた。それは以前から決まっていたことだったが、その日が現実のものとして迫るにつれて、院全体に、言葉にできない緊張感が漂うようになっていた。
ミラは相変わらず院の運営を手伝い、下の子たちの世話をし、誠を支え続けていた。だが誠は、ミラが最近、以前より無口になっていることに気づいていた。
ある夜、帳簿の整理を終えたミラが、院長室に残っていた。
「院長先生」
「どうした?」
「わたし、来月、この院を出ます」
誠は頷いた。それは知っていたことだった。だが、ミラの口からその言葉を聞くと、改めて重みを感じた。
「準備は進んでる?」
「はい。町で仕事も決まりました。住む場所も」
ミラの声は淡々としていたが、その手は、机の上で小さく震えていた。
「ミラ」
誠が静かに言った。
「何か、言いたいことがあるんじゃないか」
ミラはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「わたし、この院に来て八年になります。最初は、ここも他の場所と同じで、いつかいられなくなるんだろうって思ってました」
「うん」
「でも、院長先生が来てから――アンが少しずつ言葉を交わすようになって、ルルが待つことを覚えて、エコが泣きながらでも話せるようになって、シオンが外に出られるようになって」
ミラの目に涙が滲んでいた。
「わたし、それを全部、そばで見てきました。そして、それを見ながら、自分の中にも、何かが積み重なっていくのを感じてたんです」
「ミラ」
「わたし、ここが好きです。院長先生のことも、みんなのことも。だから、卒業するのが、嬉しいのと同時に、すごく怖いです。ここを出たら、また一人になるんじゃないかって」
誠は真剣な顔でミラを見つめた。
「ミラ、卒業しても、ここが『帰ってくる場所』じゃなくなるわけじゃない。ミラがどこにいても、ここはミラの家だ。それは変わらない」
「本当に、そう思ってもいいですか」
「もちろんだ。それに、ミラがこの八年間、ここで積み重ねてきたものは、誰にも奪えない。それは、これからミラがどこへ行っても、ミラの中にちゃんと残る」
ミラは静かに涙を流した。それは寂しさの涙であり、同時に、感謝の涙でもあった。
「院長先生」
「うん」
「ありがとうございました。ここに来て、初めて、大人を信じてもいいんだって、思えました」
誠は微笑んだ。
「こちらこそ、ありがとう。ミラがいたから、俺は、この半年、みんなを支えることができた」
その夜、二人は多くを語らなかった。だが、そこには、言葉以上に確かな何かが交わされていた。積み重ねてきた時間の重さが、初めて、二人の間で言葉として形になった夜だった。
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第12話 「ここが家だ」
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ミラの卒業式が近づいたある日、誠は五人全員を庭に集めた。少し肌寒い、しかし晴れた午後だった。
「今日は、みんなに話したいことがある」
誠がそう切り出すと、アンが眉をひそめた。
「改まって、何?」
「ミラがもうすぐこの院を出る。それで、みんなで少し、これまでのことを振り返ってみようと思って」
誠がそう言うと、ルルが不安げな顔をした。
「ミラお姉ちゃん、本当にいなくなっちゃうの?」
「いなくなるわけじゃない。ここを出て、自分の道を歩き始めるだけだ。でも、ここはいつでも、ミラが帰ってこられる場所だ」
誠はそう言ってから、五人を見渡した。
「この半年間、みんなそれぞれに、いろんなことがあった。アンは、素直になることを、少しずつ許してくれるようになった」
アンは目を逸らしながらも、否定しなかった。
「ルルは、追いかけなくても、待つことを覚えた」
ルルは小さく頷いた。
「エコは、泣いている理由を、言葉にできるようになった」
エコは静かに微笑んだ。
「シオンは、外の世界に、自分の足で踏み出した」
シオンは誇らしげに頷いた。
「そしてミラは、この院を、次の場所へ向かうための、大切な出発点にしてくれた」
ミラの目に、また涙が浮かんだ。
「みんな、ここに来た時は、大人を信じることを、どこかで諦めていたと思う。俺も、みんなに信じてもらえるまで、どれくらいの時間がかかるかわからなかった」
誠は少し間を置いてから、続けた。
「でも、今、こうしてみんなでここに立っていることが、俺にとって、何よりの答えだと思ってる」
沈黙が流れた。だが、それは気まずい沈黙ではなく、何かを噛み締めるような、温かい静けさだった。
やがて、アンがぽつりと言った。
「……別に、認めたわけじゃないけど」
「うん」
「ここ、悪くないと思う。帰ってくる場所として」
その言葉に、ルルが続いた。
「わたしも。ここが、わたしの家」
エコが小さく頷いた。
「わたしも、そう思います」
シオンが微笑んだ。
「わたしも。ここで、初めて、外の世界を怖がらずに見られるようになりました」
最後に、ミラが涙を拭いながら言った。
「わたしも、ここが、わたしの帰る家です。何年経っても」
誠は、五人の顔を、一人ひとり見つめた。半年前、誰も目を合わせようとしなかった五人が、今、確かにここに、笑顔で立っていた。
「じゃあ、みんなで言ってみないか。せーの、で」
誠の提案に、五人は顔を見合わせ、小さく頷いた。
「せーの」
「「「「「――ここが、わたしたちの家。」」」」」
五人の声が重なり合い、庭に響いた。夕暮れの光が、六人の影を長く伸ばし、地面の上で重なり合わせていた。
それは、血の繋がりでは結ばれていない六人が、それでも確かに「家族」と呼べる何かを築き上げた、静かで、しかし何よりも大きな瞬間だった。
誠は空を見上げた。異世界に来て三年、勇者にはなれなかった自分が、こうして誰かの「帰る場所」になれたことを、誠は心から誇りに思った。
(これからも、ずっと。この五人が――いや、これから増えるかもしれない誰かも含めて、みんなが「ここが家だ」って思える場所を、守っていこう)
夕日が沈み、星が瞬き始めた空の下、陽だまりの家には、温かい灯りが灯り続けていた。
── 第1期 完 ──
<あとがき>
「保護者」という関係が、必ずしも劇的な出来事によってではなく、日々の小さな積み重ねによって「家族」へと変わっていく過程を描きました。五人の少女たちがそれぞれ抱えていた「素直になれない理由」「追いかける理由」「泣く理由を言えない理由」「外に出られない理由」「積み重ねてきたものの重さ」は、誰か一人に特別なことが起きて解決するのではなく、誠が根気強く、変わらずそこにいることによって、少しずつ溶けていきました。
この物語が、読んでくださった方にとって、「そばにいること」の持つ静かな力を感じていただけるものになっていれば幸いです。




