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第一章第二話『死人に愛なし』

 彼は、女の裸を見ることをとてもためらっているように見えた。


 紳士、と呼ぶにはまだ若すぎるような外見だけど。医療行為という建前があってもなお、驕り高ぶることのない誠実な姿勢には胸を打たれた。不思議ね。


 わたしを助けようとしてくれている、この『さい』という青年。腕も足もなくなった胴だけのわたしの体さえ、尊厳をもって向き合う姿に涙が出そう。ていねいにわたしの体中の血を拭いて、傷口を保護してくれるその姿には、なんだかひどく安心させられた。恋の記憶も両親の思い出も何もないわたしだけれど、彼の態度からはそういった、見返りを求めない愛情のようなものを勝手に汲みとってしまった。どうか、許して。


 あなたは……手足もなければ記憶もない、なぜここにいるのかもわからない空っぽの胴体を携えた人間ですらないわたしに、人としての慈しみを与えてくれた最初の人。眼帯と前髪で顔がほとんど見えないけれど、黒髪の隙間から時折のぞく金色の瞳が、夜空に浮かぶ月のようだと思った。とても綺麗ね。


 天國レグノムから落下している最中の記憶はほとんど残っていない。自分がこんな凄惨な姿で突き落とされてしまった理由も知りようがない。それでも……こうして地國ゲヘナへ体が完全に打ちつけられたその後に、行き交う人々から投げかけられた心無い言葉だけは覚えている。それらを思い出すと胸がチクリと痛むような気がした。腕が千切れても足をもがれても感じなかったはずの痛みが、心と呼ばれる場所を侵しているような感覚。気持ち悪い。


〝う、動いてる!!死体じゃないのか?〟

〝医者を……いや、あれはもうダメだろうな〟

〝髪の色が変よ!妖怪?何かの化け物かもしれない〟

〝いや、あれはおそらく天空からの死体だろう〟

天國あまつくにから落ちてきたの?〟

〝親方!空から女の子??のような何か?が……〟


 目の前に死にかけている人がいたら、助けようとするのが普通だって猜は言っていた。そんなの嘘だよ。少なくとも……血まみれで河原に伏せていたわたしを、助けようとしてくれる人なんて誰一人としていなかった。あなただけなの。わたしをミリアと呼んで、人として扱って、義肢まで作ろうとしてくれている人なんて……あなただけなんだよ、猜。


「今日で君の義肢を作りはじめて3日目だ。ミリア、日付の感覚はあるか?」

「あまりないかも……。疲れたら寝て、寝たら起きての繰り返しだけど、手足がないから起き上がれないものね。起きる、という感覚がないと日付もわかりにくいみたい。初めての体験よ」


 わたしの体を横たえている簡易ベッドらしい台のすぐ隣、デスクで何かを作っている猜が不意に話しかけてくる。作業中の猜は基本的に無口だけど、こうしてたまに思い出したように言葉を紡いでは、何かわたしにかんする情報を得ようとしているように見えた。


 正直なところ、無音の空間でただ体を横たえているだけの身としては、話しかけてもらえることが嬉しい。とはいえ……記憶があやふやで、ほとんどのことは覚えていないのだけど。ごめんなさい。


 それでも、自分の生まれ育った天國のことなら、少しは話してあげることができた。街の雰囲気とか、この國には存在しない晴れ渡った青空と白い雲の美しさとか。彼はわたしの話をひとつひとつ丁寧に聞いてくれた。義肢を作りながら聞いているとは思えないくらいに、きちんと傾聴の姿勢を示して、ときには優しい相槌を打ちながら器用に会話を回してくれた。ただの国民性で片付けるには贅沢なくらいの、温もりや思いやりを与えてもらっているように感じたよ。


「それにしても……こっちの人は、天國レグノムのことを『あまつくに』って呼んでいるのね。わたしたちの国では聞いたこともない言葉よ」

「言語は同じでも特定のものの呼び名が異なるみたいだな。あとは、地國ちのくにがそっちでは『ゲヘナ』だったか。ゲヘナは確か、古い言葉で〝地獄〟という意味のはずだが……俺たちの感覚じゃ地獄じごく地國ちのくには全くの別物だよ。陽の光が届かないだけで、まぁまぁ過ごしやすい國だから安心してほしい。優秀な女帝が統治しているからな」


 王族なのか貴族なのか、総理大臣なのか、それとも成り上がりの庶民なのか、この國の組織図がまったく思い浮かばない状態で聞く話は正直よくわからなかった。でも、〝女帝〟と呼ぶときの猜は少し笑っているように見えた。まるで、古い友を懐かしんでいるときのような……優しい表情。彼が好意的に思う女性のことがつい気になって、質問を重ねる。こうして話している間も、猜の手は絶え間なく作業を続け、わたしの義肢を完成へと導いてくれていた。本当に真面目な人。


「女帝?戦争を終わらせたのは、彼女?」

「報道では、天國と地國のトップがそれぞれ和平条約のために奔走したとされている。地國のトップはここ15年ほど変わらないが、天國は少し前にトップが変わったらしい。それとほぼ同時に、ずっとしぶっていた和平条約の締結を天国側があっさり呑んだとの噂だ。前の為政者がいかに害悪だったかって話だ」

「天國は、たしか代々王族が政権を持っていたはずだけど…なんだかわたし、國の政治に関する記憶はあまりないみたい。不思議ね」

「ノングラにはよくそういうことがある。記憶の欠落に法則性はない。おたくの國のトップについてはよく知らないが、戦がいかに無意味で、無慈悲で、無神経な行為かやっとわかったのかもしれない」


 戦争。和平条約。為政者。政治。王族。……なんだかそれらの単語を聞いていると、胸の辺りがぞわぞわとするような違和感がある。なんとなく察した。これはたぶん、わたしが生きていた頃の記憶に関係していることなんだろう。直感。脳に記憶はなくとも、体にはなんらかの嫌悪感が記録されてしまっているのかもしれない。もどかしい。


「まぁ……少なくとも地國の女帝は俺たちの……君の味方だと考えていいよ」

「なぜ?そう言い切れる根拠は?」

「ふ……。実は、地國のトップはノングラなんだよ。ミリアと同じだ」



 ノングラ。いまだに耳慣れないその単語が出てくるたびにドキッとする。でも地國ゲヘナの……いえ、地國ちのくにの女帝がノングラだなんて。驚きと同時にさらなる疑問が湧き上がった。


 3日前に猜は、わたしがノングラと呼ばれる存在だと教えてくれた。何者かに殺されて、蘇るための力を宝玉によって与えられ、第二の生を歩む存在。ゾンビとはちょっと違っていて、一見しただけれは普通の人間に見えるとも聞いた。そして……ノングラがノングラであることを他者に知られるのは、基本的にリスクだということも。それなのに、この國のトップがノングラであることは公にされているの?


「ノングラが治めているの?この國を?」

「うん。きっと君の力になってくれるよ。彼女は自らがノングラであることを公言している。そのおかげか、この國の人間はノングラ自体には偏見がない。だが…帝ほどの護衛力のない一般人は、ノングラであることをなるべく知られないほうがいい。理由は先日話したとおり」

「……ねぇ、猜とその、王女様?はどういう関係なの?」


 どんな質問にたいしても流暢に答えてくれていた猜が、その質問をした瞬間にぴたりと手を止めて苦い顔をした。しまった、と思った。踏み込みすぎたかもしれない。失礼な質問をしただろうか。ごめんなさい、どうか嫌いにならないで。わたしを見捨てないで。あぁ…一気に不安が押し寄せる。


「王女様???あの女が?」

「ごめんなさい。この國のトップが、どういう立場の方なのかわからなくて……」

「ふふ、ふ……っ王女様なんてガラじゃないよ。どちらかといえば〝魔女〟だ。会ってみればわかる」


 ククク、と笑いを押し殺すかのような猜の顔は、やっぱり楽しそうに見えた。いずれにせよ、彼女と猜の間には並々ならぬ縁があるみたい。そういえば……河原で血を流していたあのときも、「俺なら魔女の力を借りられる」みたいに言っていたっけ。


「まだ構想段階だが、俺は義肢を完成させ次第、ミリアを彼女のところに連れて行くつもりだ。もちろん、同意があればの話だよ」

「どういうこと?」

「四肢欠損のノングラが天國から落ちてくるなんて、そうそうあることじゃない。公的な機関で調査すべき案件だが、あいにく俺は空賊に雇われている身だし、ミリアはノングラだし、絶対的に信頼できる権力以外に頼るべき状況にはないのが現実だ」


 予想外の展開に、わたしは気持ちが一気に落ち着かなくなった。真っ暗な見知らぬ土地で、手足もなくなってしまった今のこの状態で、魔女と呼ばれる〝権力者〟に生殺与奪の権を握られうる恐怖。無性に、猜と離れることが嫌で嫌でたまらなくなった。この感覚は、何?


「わたしを、〝魔女様〟のところへ連れて行くつもりなの?」

「そうだ。ミリアがこんなことになった理由や原因を調べられる可能性にも期待している。少なくともこの件は、俺のようなはみ出し者が一人で対処していいコンテンツじゃなさそうだ。権力者に今後の安全を担保してもらう必要がある」

「……」

「不安か?そんな風に構えるようなことじゃない。彼女の名前は『梅処ばいしょ』だ。意味は本人に会ったときにでも」

「……」

「大丈夫。魔女って言ったって見た目はただの女だ。俺も京都までは護衛するつもりだし、一人で放り出したりはしない」

「キョウト……。そこは、サガミからは遠いの?」

「まぁ、陸路だと遠いな。空路ならそうでもない。どのようなルートで向かうかは赤虎せきとらと相談する。長閑な相模原とは違って、京の都は華やかだ。地國観光だと思ってくれれば……という思いもある。せっかくだから、俺はミリアにこの国を好きになってほしい。あと……そうだな、旅の中で、ミリアの悲しみや辛さが、少しでも薄れれば俺は嬉しい」


 そこまで言ってから、猜はふいと手元に目線を戻して作業を再開した。今作っているものは、わたしの足……なのかな。彼は真剣な眼差しで、大腿骨のような形の金属片を削っているように見える。マスクと眼帯で覆われた彼の表情はよくわからないけれど、とても頼り甲斐のある横顔であることは確かで。レグノムの民にも負けないくらいの、白い肌が印象的だった。


 彼の話からは気になることが山ほど出てきてしまったから、つい口をつぐんでしまう瞬間もあったけれど。まずは一番気になっていることを聞いてから、もう一眠りしようと思った。


「ねぇ、猜」

「ん?」

「その……わたしの手足をくっつけて、その後は京都という場所に連れて行って、魔女様にわたしのことを相談して……その後、猜はどうするの?」

「んー……。俺自身の立ち居振る舞いは、正直なところ梅処の采配による。そのままミリアの義肢をメンテナンスする係として、護衛のように立ち回るかもしれない。あるいは…保護されたミリアとは離れて、相模に帰ってくるかもしれないな」

「そう……」

「御所にはもっと有能なお抱えの技師がいるだろうし、ミリアが天國に帰れるようなことになれば、それこそ俺の出番はないだろう。端金とはいえ、雇われている以上は赤虎たちを放っておくこともできないんだ」



「うん……」


 烏滸がましくも、なんとなく、猜はわたしとずっと一緒にいてくれるような気がしていたから。業務的な淡々とした物言いや、感情を度外視した冷静な判断にちょっとがっかりしているわたしがいた。寂しかった。


 でも仕方がない。わたしはたまたま猜に見つけられただけの元・死体。ノングラとはいえ、猜にとって一緒にいるメリットなんてない。もしもあるとしたら、隙をついてこの胸の宝玉を抜きとれる立場にいるということだけだけど…彼はそれを絶対にしないと断言できる。


 目の前の人を見殺しにできない心優しい猜が、たまたまわたしの手足を作る技術を持っていて、たまたまわたしを助けようとしてくれているだけ。それが現実。でも…。


 だとしても……それでも……その、奇跡的な確率でロザリオのようにつながる偶然の連続を、運命のように感じてしまうのは馬鹿げたことなのかしら。一度は死んだわたしが、ノングラとして第二の生を生きることが許された以上、〝今度は〟あまり自分の気持ちに嘘をつきたくないような感覚がある。


(〝今度は〟……?)


 この奇妙な既視感。そして、離れたくない・そばに居たいという欲。生前の記憶に起因しているのか、まるで心の奥底の部分…魂が愛し愛されることを渇望しているような、わたしという命の必死さが怖かった。自分で、自分が笑える。わたし、猜と離れるのが本当に不安みたい。怖くて、寂しくて、想像しただけで切ないよ。


 わたしがぼんやりしていることに気がついたのか、猜がわたしの首に手を当てて脈を測り出した。体を心配してくれているみたい。あぁ、嬉しい…嬉しい、嬉しい。でもね、今痛んでいるのは体じゃなくて心だよ。痛んで、疲れて、なんだか眠い。お願いだから、大丈夫だって言ってほしい。


「脈は正常だな。義肢もあと数日あれば完成する。何かおかしなことがあったら、いつでも言ってくれ」

「ありがとう、猜。」


 わたしを助けてくれて、ありがとう猜。今夜は一旦、不安なことを全部忘れて、あなたの作るわたしの手足を楽しみに眠ろう。


 彼を困らせたり、わがままを言う自分に嫌気がさしたりする前に、きちんと脳を眠らせて心と思考に休みを与えるのが一番いい。〝これまでも、そうやって生きてきた〟のだから。


(〝これまで……も〟??ダメだ、わからない……眠たい……)


「……また寝るね。猜も無理はしないで、たまには休んで」

「俺はあまり寝なくても平気なんだ。ありがとう……ミリア。おやすみ」


 もしも…これまでと同じ生き方をするようなことがあったら、〝ノングラになった意味がない〟。


 ……〝意味〟?わたしは、どうして、どうやって、誰の手で、ノングラになったんだっけ。


 記憶の片隅にぼんやりと残っている男性の横顔が、なんだか猜に似ている気がした。混濁している。脳が、記憶が、心が、命が、みんな朧げなままぐちゃぐちゃになって、腐り落ちてしまいそう。手足と一緒に消えてしまったわたしのすべては、もう世界のどこにもないのかな。


 あぁ、神様。次にわたしの目が覚めたときは、もう死んでいませんように……。






(ノングラは人間のふりをしていることが多く、外見からノングラであることを見抜ける者はほとんどいない。ノングラ同士は運命が引き合い何度も巡り合う。そして、ノングラにはそれぞれ数多の秘密がある。)



















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