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消えない烙印08

 事態と言うのは、本人には知らせずに動くものだろう。

 王妃のたっての願いは国王を頷かせた。

 兄である王太子も了承した。

 水面下で調整されているはずだった。

 が、アニスは『神さまって酷いのね』と思った。

 レインドルク城の中庭で暢気に木登りをして、聖典を膝に乗せながら、風を受けながら、思っていたように。

 あの時よりも状況は逼迫して、王女としては絶体絶命のピンチだろう。

 それすらも父たる神さまの与えられた試練だろうか。

 母親である王妃と公務に付き合い続けたせいか、だいぶ信仰深くなったものだ。

 あるいは運命というものに逆らうのに疲れ切ったのかもしれない。

 王都に来てからアニスの意志なんてものは無視され続けたのだから。

 痛みが長引かなければいいのに。

 そう思いながら、アニスはぼんやりとしていた。

 すでに手首は縛り上げられて、悲鳴を上げないようにと猿ぐつわをされていた。

 結い上げられていた髪は無理やり引っ張られ、手入れをした侍女には申し訳ないが、乱れていたし、痛んでいることだろう。

 黄金色の髪は何本かすでに抜けて、微妙に地肌が痛かった。

 過去に何度かダンスを踊った青年貴族に話しかけられて、人気のない場所でお腹を殴られて、痛みに耐えている内に、担ぎ上げられて、奥まった部屋に連れこまれて、ベッドの上に組み敷かれていた。

 サファイヤ色の瞳は荒々しく息を吐く青年貴族をぼんやりと眺めていた。

 成人までもう少しとなれば一通りの教育を受けていた。

 男女の体の作りの違い。

 女性であれば月の満ち欠けに合わせて巡る血は、健康な子どもを宿すための準備だということ。

 子どもを作る作法というもの。

 ただ、それは愛し合う男女の間でするものだと思っていた。

 あるいは尊敬できる相手とするものだと思っていた。

 きちんと教会で儀式をして、祝福を受けて、その宴の夜に迎えるものだと思っていた。

 やはり、世間知らずだったらしい。

 アニスの体に馬乗りになっている青年貴族はドレスを脱がすのも手間だと思ったのか、鋭い刃をドレスに走らせた。

 短剣一本だが、それでアニスの首をかけば、絶命させるのには充分だろう。

 殺されたくなかったからいうことを聞け、と暗に言われているのだろうか。

 どちらにしろ抵抗のしようがない現状だ。

 聖リコリウスさまだったら、この試練をどう乗り切るのだろうか。

「これが噂の烙印か。

 本当に傷物の王女さまだったんだな。

 有難く私に貰っておかれるんだな」

 青年貴族はアニスの肌を見て言った。

 烙印、という言葉にアニスは悔しく思った。

 ドレスをまとってしまえばわからないものの、アニスの腹部には赤い烙印があるのだ。

 まるで罪人か家畜のように消えない痕だった。

 それを見られるのが不快ならば、さわられるのはもっと嫌だった。

 王宮で着替えや入浴を手伝う侍女ですらさわらせたことがなかった。

 青年貴族はぶしつけに眺めただけではなく、烙印を撫でた。

 全身に鳥肌が立つ、というものではなかった。

 殺してやりたいぐらいの嫌悪感を感じた。

 無理やり体をこじ開けられたのと同じ程度の屈辱だった。

 遠からずにこの青年貴族に、されるのであろうが。

 親に烙印を押されて、二度も捨てられた娘に、どれほどの価値があるというのだろうか。

 そんなことが理解できないほど、目が眩むのだろうかもしれない。

 兄である王太子の他にも成人した健康な男兄弟がいるのに。

 嫁いでいった姉たちだっている。

 末の第三王女に王冠なんて巡ってくるはずがない。

 それでも玉座に座るという野心には抗えないのかもしれない。

「邪魔だな、これ」

 青年貴族はアニスの金の首飾りにふれた。

 信仰の証だから、と見逃され続けた物だった。

 ローザンブルグから唯一、手放さずにすんだものだった。

 もし猿ぐつわがなければ懇願しただろうか。

 プライドなど捨て去って、許しを乞うただろうか。

 青年貴族の手にしていた短剣でもって、金の首飾りの鎖が切ない音を立てて……切れた。

 まるで絆が経ち切れたように。

 繋がりが切られたように。

 鮮烈な痛みとしてアニスの中に灼きつけられた。

 声など出せる状態ではなく、抵抗すらできない状態だった。

 魂というものがあるとしたのなら、それでもって悲鳴を上げたのだ。

 声を上げて泣くことを忘れかけた娘は絶叫をしたのだ。

 叫びは耳に入るはずがないのに、アニスは聞いたような気がした。

 丈夫な鎧戸越しであっても、響いた落雷……そうだとわかったのは部屋に侵入した者がいて、アニスに馬乗りになっていた青年貴族を引きはがし、短剣を持つ手首を捩じり上げたところを見てからだった。

「何をしている!?

 私を誰だと思っているんだ!!」

 青年貴族は怒鳴った。

「スーラウィン伯爵閣下。

 あなたがエレノアール王国でも有数な貴族だとは知っていますが、だからといって婦女暴行をしてもかまわないはずがない。

 同意もなく、成人前の少女に対してすれば、自分の領民と言えども罰則規定があります。

 ましてや、こちらにいらっしゃるのは白姫菊姫」

 侵入者は淡々と言った。

「それを明らかにしてどうする?

 どうせ傷物の王女だ。

 烙印を押された娘の貰い手などいないだろう」

 青年貴族は嘲笑する。

「それは貴殿の考え違いというもの。

 王宮なので、法律に照らし合わせて処分をされるのだから幸いですね。

 ここがローザンブルグ地方なら、誰もが口をつくんで貴殿が嬲り殺しをされるところを見守ったことでしょう」

 そう言うと侵入者は無表情に青年貴族の首の後ろに手刀を落した。

 それだけで青年貴族の体は崩れ、冷たい床に横たわった。

「可愛いお姫さま。

 おまじない程度とはいえ『契約』をしたのだから、名前を呼んで欲しかったよ。

 おかげで君にずいぶんと怖い目に合わせてしまった」

 苦みが混じったような微笑みを浮かべて、年上の幼なじみが言った。

 貴族として王宮に招かれたのではない、とわかるような軽装だった。

 レインドルク城で見ていたような、貴族としてはやや気軽な恰好だった。

 アニスは信じられないものを見るように何度も目を瞬いた。

 都合の良い夢のような気がした。

 染められた丈夫なマントを着せかけられて、猿ぐつわを外され、手首を縛っていた縄も解かれた。

 だからといって恐怖心は取り除かれるはずもなく、以前のような軽口を叩けるような状態でもなかった。

 体を抱き起されて、鎖が切られた金の首飾りをきちんと手に握らされる。

「手首の痕が痛々しい。

 怪我ではないから、そのうち消えるだろうけれども、しばらくは残るだろうね。

 他に痛むところはないかい?」

 誠実な幼なじみは優しく尋ねる。

 痕、という音にアニスは反応した。

 スーラウィン伯爵という青年貴族が見たように、オルティカも見たはずだ。

 一番知られたくない人物に知られたのだ。

 放心状態だったアニスも血の気が引く思いをした。

 このまま貴婦人らしく失神してしまえばよいのだろうか。

 消えぬ醜い烙印を……見られたのだ。

「もう怖いことはない。

 君はローザンブルグに行くんだよ。

 国王陛下から書状が届き、私の父である公爵も快諾した。

 レインドルク城の方が落ち着くだろうから、と伯爵にも話をしてある。

 以前のように好きなだけ走り回って、たまには木登りをして。

 聖典を広げながら、昼寝をしてもいい。

 神さまがおっしゃられたように、あるがままに振る舞っていい。

 もう我慢をしなくていいんだ」

 オルティカは穏やかに言った。

 その優しさが痛かった。

 友だち、という元の関係には戻れない。

 アニスは首を緩く横に振った。

 あの場所には戻れない。

 無邪気なままではいられないのだ。

 瞬きをした瞬間に、目の端から水滴が転がり落ちた。

 溢れ出た想いは、そのまま焼き付くような涙になった。

 子ども時代が終わったことを娘は突きつけられたのだ。

「か、帰れないっ!

 私はもう戻れない!!」

 アニスは慰めるように抱き寄せようとした幼なじみの腕を振り払った。

「見たでしょっ!

 私には消えない烙印があるのを!!

 『家族』に二度も捨てられるような娘なのっ!!

 あなたには、わからないでしょ!!」

 涙をボロボロと零しながらアニスは叫んだ。

 鎧戸があっても、意味をなさないような雷雨だった。

 どれだけアニスが叫んだところで、泣いたところで、目の前の幼なじみしか知られることがないだろう。

 そして、一番、知られたくなかった人物に抱えていたものをぶちまけたのだ。

 淑女教育も、王女らしい教育も、全部が吹き飛んだ。

 アニスはアニスだった。

 激情のような雷雨は治まる気配はなく、酷くなっていく一方だった。

 うつむいて幼子のように泣きじゃくるアニスの傍に、オルティカは居続けていた。

 立ち去ることもなく、呆れることもなく、……傍にいた。

 一過性の激情も通り過ぎれば、落ち着き始めて、羞恥心を取り戻す。

 この場合、どうすればいいのだろうか。

 顔を上げて、どんな話をすればいいのかわからない。

 そもそも、どうしてオルティカが立ち去らなかったのがわからないし、正式にローザンブルグ公爵家から迎えに来たとは思えない装いだったのだ。

 女性としての窮地を助けてもらったわけだが、都合が良すぎるぐらいのタイミングだった。

「嵐も治まったようだね。

 君は帰れないって言うなら、私がこのまま連れ去って行ってあげようか?

 結局はローザンブルグ地方からは離れられないけど」

 穏やかに幼なじみは提案した。

 サファイヤ色の瞳を瞬かせて、年上の幼なじみを見た。

「わ、私の話をちゃんと聞いていたっ!?」

 アニスは思わず怒鳴った。

「うん、聴いていたよ。

 レインドルク城なら誰かが自然と話すと思っていたし、好奇心の強い君だからベールを被った貴婦人たちからベールを奪うと思っていた。

 それに王宮に、『家族』のところへ行ったのだから、母親である王妃殿下が直接、君に説明をすると思っていたんだ。

 だから、君が何も知らなかったのが意外だったけれど、まだ成人前だからね。

 周りも追い詰めないようにした結果、君を追い詰めてしまったんだね。

 私の口から説明をしてもいいんだけど、ちょっとばっかり状況がよろしくない」

 オルティカは穏やかに言った。

「状況?」

 アニスは首を傾げる。

 幼なじみの話はよくわからないものが多すぎた。

 わかったのは周囲にいた大人たちは、アニスが烙印について訊かなかったために、教えなかった、という点だけだ。

「君はもうすぐ成人するんだ。

 ……その、私だって一応、男なんだから、そこの品性の欠けた貴族よりも、貪欲な感情を君に対して持っているということぐらいは理解をして欲しい」

 オルティカは目を逸らして、口ごもるように言った。

 短剣によって、ドレスはズタズタに切り裂かれたのだ。

 その上で、今は気絶している青年貴族から腹部にある烙印が撫でられた。

 アニス自身がオルティカに烙印を見たかどうか確認をした。

 つまり、夫でも、恋人でもない、男性に、裸体を見られたのだ。

 男性が女性に抱く貪欲な感情……。

 世間知らずのアニスですら教育として受けている。

 確かに、これはよろしくない状況だろう。

「私は、スーラウィン伯爵を国王陛下に突き出してくるよ。

 君の名誉に傷がついてしまうけど、狼藉を働こうとしたことを説明をする。

 スーラウィン伯爵には、法律に照らし合わせた処分が下るだろう。

 レインドルク城から侍女を連れてきているから、この部屋に来るように伝言をしておくよ。

 着替えをすまして、落ち着いたのなら、最後に『家族』と挨拶をしておこう。

 この先、君がローザンブルグで生きていくとしても、お別れの挨拶をしておかないとね」

 オルティカは穏やかに言うと、立ち上がる。

「あ、ありがとう」

 アニスは礼を言った。

「私は君と『契約』をしたんだ。

 これぐらいは当然だよ。

 金の首飾りはしばらく手放さないようにね。

 おまじないがこめられているんだから」

 床に転がっている青年貴族を軽々と抱き上げると、オルティカはアニスを見て微笑んだ。

 それから音もなく部屋から出て行った。

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