表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

【第3話(後編)】与えらえた幸福

 今日は日曜日。

 病院に入院してから1ヶ月以上経ち、俺の曜日感覚は失われつつある。

 何曜日かなんてどうでもいい。

 運動不足のせいか身体は鈍り、起床直後の意識も重い。

 これも全部あのクソ天使のせいだ。

 過失割合で言うと、クソ天使9割、俺1割。

 とは言っててもどうしようもない。

 現実を受け入れるしかないんだ…………でも受け入れたくない。

 光の剣で機能を失った両足は、胴体に後付けされた作り物のようで気持ち悪かった。

 叩いても抓っても感触がまるでない。

 無反応な両足を見るたびに自分の愚かさを突きつけられるようで毎日苛々していた。

 そして今日もまた俺は起きた直後に苛つき出す。

 仕事をしない両足に憂さ晴らし。

 もはや日課と化した自傷行為。

 どうせ何もできない感じない役立たず。

 どう扱ったってどうでもいいさ。

 俺は両手で右足を持ち、ベッドの柵の部分に強く叩きつけた。

 あわよくば感覚が戻れなんて絶望的なまでに低い可能性に淡い期待を抱きながら毎日行っている自傷行為。

 戻るはずもないだろうと自信を嘲笑い、そして今日も今日とて無力な両足の現実に嘲笑おうとしたが。

 両足に響く感覚にまさかと。

 予想外の反応が返ってきた。

 それは、強打した踵から伝わる激痛。

 脳内に火花が散った。

 何が起きたのか混乱して理解が及ばない。

 右足にじんわりと残る鈍痛にまさかと思った。

 今度は確かめるようにそっと左足を軽く撫でてみる、叩いてみる。

 期待感に押されるように速まっていく心臓の鼓動。

 息が乱れるのも構わず今度は両足をゆっくりと床に置いた。

 床のひんやりとした冷感と硬質な感触が肉と骨を通して脳に伝達される。

 諦め押し殺してきたマグマのような感情が噴火寸前で、それをどう吐き出したらいいかと迷う。

 叫べばいいか全速力で走りだせばいいか。

 俺は雄たけびを上げながら病室を飛び出し、全速力で院内を駆けまわった。


 原因不明の両足の機能障害。

 そして原因不明の機能回復。

 担当医は何度も首を傾げ、急いで駆け付けた両親も同じく首を傾げていた。

 リハビリの効果が劇的に効いたのだろうか。

 クソ天使の振るった光の剣の効果が運良く切れたか不具合を起こしたか…………どうでもいい。

 その日のうちに退院となった俺は身体も気分も絶好調。

 大股でスキップしながらクソ天使の病室までご挨拶に行ってやった。


「俺の両足は完全復活したぜ。お前の光の剣とやらも存外、大した代物じゃなかったみたいだな」


 マウント気味の俺の挨拶にもクソ天使は動じず、眠たげな目をこちらに向けながら、


「よかったな」


 短く一言返してきた。

 彼女の悔しがる顔を拝みたかった俺はつまらなそうに軽く鼻を鳴らして病室を出て行った。

 退院直後は身体がまだ鈍っていて、体育の時のバスケですら息が上がっていたが、2週間も経つとサッカー部の練習にも問題なく復帰できる程度にまで回復した。

 あとは一試合60分間を走り切る体力をつけるだけ。


 土曜日の部活練習は午前中のみで、部員達は部室で帰り支度を整えながらモンハンやろうだのコンビニ寄ろうだのと盛り上がっていた。


「タケルも俺達とファミレス寄ってかね?」


 修平が汗まみれの身体に制汗スプレーを吹きかけながら俺を誘ってきた。


「いや、俺はもうちょっと走り込みしてるから今日は遠慮しとくわ」


「ノリわりぃなー」


 修平は笑いながら制汗スプレーを俺の身体に吹きかけてきたので、俺は笑いながら片手を振ってそれを防いだ。

 部室に充満する汗の匂いとそこに混じる制汗スプレーの爽やかな香り。

 不意に懐かしさのようなものを覚えた。

 失ったと思っていた日常が戻ってきたことが身体に染み渡っていく。


「あ、タケルごめん。スプレー顔にかかった?」


 修平の慌てたような声で、僕は両目から薄く垂れる雫に気づいた。


「ちょっと染みたわ。目洗ってくる」


 気づかれる前にと部室棟近くの水道へ走っていき、冷たい水で顔を洗った。

 タオルは持ってなかったので、濡れたまま顔を上げると、顔から垂れた水が練習着をほんのりと濡らしていく。

 俺は構わずグランドに出てトラックの周りを軽くランニングする。

 濡れた顔に当たる空気がひんやりと心地よく、少しずつランニングのペースを上げていく。

 かつて味わっていた時間と空気感を噛みしめるように味わいながら走っていると、つい2週間前まで過ごしていた病院での出来事が遠い昔のような郷愁感を覚える。

 久しぶりにちょっとだけ顔を出してみようかな。

 優越感に浸りたいという気持ちではなく、10年来の友達に久しぶりに会いに行くような感覚。

 …………まぁクソ天使には嫌味の一つでも言ってやりたいが。

 一番会いたいのは、小日向だった。

 両足を失って絶望した俺をずっとそばで励ましてくれていた女の子。

 彼女の明るさがその時やさぐれていた俺の唯一の支えだった。

 また嫌な話ではあるが、俺以上の絶望を抱えた子だからこそ俺は彼女の声に耳を傾けたと言ってもいい。

 だからこそ、健康体になった俺は彼女に会いに行くべきではないのは分かっている。

 元陸上部だった彼女ならなおさらだ。

 喉から手が出るほど欲しいであろう健康な身体。

 決して手の届くことのない希望というのは絶望に他ならない。

 だから俺は彼女の前に自分の姿を見せてはいけない。

 でも、柱の陰からそっと彼女の顔を覗き見るくらいならば――――

 高鳴る衝動を抑えきれず、ランニングを中断して部室に向かって全力疾走する。

 部室前に置いたバッグをひっつかみ、ちょうど校門前の停留所に停車していたバスに急いで飛び乗った。


 病院の自動ドアをくぐると、病院特有の薬液のような匂いが鼻腔をくすぐり、懐かしさのあまり思わず笑みがこぼれてしまった。

 練習着にサッカー用の肩掛けバッグは院内だとずいぶん目立ち、入ってきた俺を待合室の椅子に座っていた何人かがチラっと見てきた。

 練習終わりにそのまま訪れたことに若干後悔したが、来てしまったものはしょうがない。

 壁に掛けられた病院の時計を確認すると、時刻は午後の13時。

 この時間なら彼女はリハビリ室でトレーニングをしているかもしれないと思い、エレベーターに乗って階に向かう。

 エレベーターの扉が開いた目の前でバッタリと出くわさないかとドギマギしながら4階に到着して開かれていく扉の前に立つ。

 太ったおっさんの患者一人のみでホッと息をついた。

 告白するわけでもないのになんでこんな緊張しているんだか。

 分かってはいるものの歩くペースはひとりでに速くなっていき、あっという間にリハビリ室前まで到着した。

 広々としたリハビリ室に10人以上の患者さんが作業療法士さんとともにリハビリをしており、その中には見知った患者さんも数人見かけた。

 しかし、その中に小日向はおらず、部屋中を見回してもどこにも見当たらなかった。

 外庭で散歩しているのかもしれない。

 なにせ元陸上部だけあってじっとしていられるタイプの子ではないのをよく知っている。

 院内肝試しも彼女から提案してきたくらいだ。

 俺は早足でエレベーターに戻り、1階へ降りて外庭へ出ていく。

 一見老人ホームと勘違いするほど散歩している患者の多くが老人で、若者は数えるほどしかいない。

 外庭を見回したがここにも小日向は見当たらなかった。

 珍しく病室でじっとしているのだろうか。

 漫画もゲームもあまりやらないって言っていたのに。

 まさか容態が悪化してしまった可能性が…………。

 嫌な予感がよぎり、俺は彼女の病室がある2階へと駆け出した。


 すぐに辿り着いた彼女の病室の前に立ち、扉の前で耳をそばだててみると、向こう側で咳をする声、布団の衣擦れ音が微かに響いてきた。小日向がいる。

 だが、俺は扉に手をかけたまま立ち竦んでしまった。

 彼女は健康体になってしまった俺になんて会いたくないに決まっている。

 会うべきではないことは分かっている。

 でも会いたい。

 顔が見たくて仕方がない。

 なんて声をかければいいのだろう。

 万の言葉を用いてもそれらは全て彼女の心に決して届かないのに。

 大嫌いな希望的観測をしようとスコープを覗いてもそこには何も映らない真っ暗闇であることは自分が一番分かっているというのに。

 扉にかけた手が震えている。

 悪さをしているようで佇まいが悪いが仕方なく、彼女にバレないようそっと扉を薄く開く。

 隙間からじっと覗き込んでみると、そこには両目に包帯を巻いた小日向がベッドに腰かけていた。

 ベッドの前には車椅子が置かれている。

 彼女の筋力低下はまだそこまで進行していないはずなのに。

 それに両目に巻かれた包帯。

 ついこの前肝試しで院内を走り回っていた彼女の面影がすっかりなくなってしまった姿に愕然とした。

 …………一体俺はどの面下げて彼女に会うというのか。


「そこに誰かいるんですか?」


 こちらの気配を感じ取ったのか、小日向は包帯の巻かれた両目をこちらに向けて問いかけてくる。

 俺は硬直した。

 帰ろうとしたが扉に手をかけたまま動けなくなる。


「…………タケル?」


 一瞬心臓が口から飛び出たのかと思った。

 まるで断罪されているようなバツの悪さに心が押しつぶされそうになり、俺は彼女の問いかけに応えないまま扉を閉じようとした。

 しかし、突如背後から伸びた何者かの腕により扉が勢いよく開け放たれる。


「よう小日向、私が来たぞー」


「なぁんだラファちゃんか。昨日ぶりだね」


 俺は振り向くことも許されないまま後ろにいたクソ天使にそのままヘッドロックをきめられ、病室の中に無理やり引きずり込まれる。

 1つしかない席にクソ天使が座ったため、俺は仕方なく彼女の隣に立つことにする。

 幸い、両目に包帯を巻いた彼女は俺の存在にはまだ気づいていないようだ。



「見舞い品のフルーツを頂きに来た。今日はみかんのようだな」


 なんて言ってテーブルに置かれたみかんを勝手に取り、皮を向いて頬張る。

 見舞い品を持ってこなかった自分に若干自己嫌悪。

 俺はというと……手ぶらだ。

 そんな俺をなじるように俺に視線を軽く向けて口の端をいやらしく曲げるクソ天使。

 でも、見舞い品なんて持って来ても彼女に渡すタイミングなんてないししょうがないじゃないか。

 …………一体誰に言い訳してるんだか。


「私宛の見舞い品なのにラファちゃんばっかり食べてる気がするね。けっこう食いしん坊?」


 小日向はからかいながら口を大きく開け、クソ天使は彼女の口の中にみかんをひとかけら放り込む。

 甘酸っぱいと頬を抑えて身悶えする小日向を見て、いつも通りな様子で少しほっとした。


「目の調子はどうだ?手術は無事成功したんだろう」


「手術で剥がれた網膜をくっつけ直したみたいだから、視力は回復するみたい。でも視野欠損が残るかもってお医者さんが言ってたから、完全復活は何ともって感じだね。でも網膜剥離って最悪失明する場合もあるみたいだから、早期に治療出来てまだ良かったよ」


「筋ジストロフィーは合併症も厄介だからな。呼吸障害とかではなくてよかった」


「両足が使えなくなったと思ったら次は両目がダメになるなんて冷や冷やしたけど、とりあえずは安心かな」


「両足を返してほしいとは思ったりしないのか?」


「思わないよ。私は自分の決断に後悔していない。タケルにはサッカーを頑張って欲しいし幸せになってほしいんだ。私は自分の人生にもう期待も希望も抱いていない。彼に希望を遺してあげることができただけで本望だよ。それにほっといても私の足はいずれ役立たずになっちゃうだろうしね。リサイクルみたいなものかな?」


 えへへと嬉しそうに笑う小日向の笑顔には偽りの欠片もなかった。


「そういえば私がタケルに渡した両足って、筋ジストロフィーの要素も引き継がれちゃうの?」


「天使の剣で斬り放したのはあくまで機能している役割のみで、患っている病気や怪我までは引き継がれないから安心しろ。もし機能として失われてしまっていた場合は転移することができなかった」


「じゃあ私の両足が健全なうちにタケルに転移させることができてよかったってことだね」


 小日向は迷いなく、躊躇うことなく答える。


「まぁそうなるな。しかし、もう二度と会わないであろう男子によくそこまでできるな。なぜあいつにそこまでしてやるんだ」


「私は世界の誰よりもタケルのことが大好きだからだよ」


 小日向は誇らしげに胸を張り自信満々に答えた。

 俺は口を強く引き結ぶ。

 喉から溢れる嗚咽を噛み殺す。

 自分が目の前に立っていることを彼女に気取られないように。


「小日向のことなんて綺麗さっぱり忘れて青春を謳歌しているかもしれないのに?」


「タケルは私のことを忘れたりしないよ。彼は他人を思いやれる人間だから。私のことをずっと覚えていてくれる。私が死んだ後もずっと」


「そうか。見舞いに来てくれるといいな」


「早く会いたいなぁ。でもタケルの場合、健康になった自分に勝手に後ろめたさを感じたりしてるかも。強情に見えてけっこう繊細な奴だからね」


「馬鹿で心が繊細とは救いようがない奴だな」


 クソ天使の散々な物言いに小日向は転げまわるくらいに大笑いした。

 響き渡る彼女の笑い声に紛れる様に俺は鼻水を啜り、小さく嗚咽を漏らした。

 目頭を抑えているものの、それでも次々と溢れてくる涙の粒を止めることはできなかった。

 そんな俺を見かねて、クソ天使はハンカチをポケットから取り出してこっそり俺によこしてくれた。

 また明日、見舞い品を持って出直しに行こう。

 彼女の最期まで見届けてあげよう。

 それは彼女の恩に対する報いではない。

 俺も、彼女のことが大好きだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ