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【第3話(前編)】天使と院内肝試しデート

 深夜の2時過ぎ。

 夜の帳が降りた院内は不気味な静けさに包まれていた。

 車椅子の走る音がなるべく響かないよう慎重にハンドリムを回して暗がりの廊下を進んでいく。

 緊張感に張り詰める僕と違い、隣に並んで歩くラファは平然とした様子だった。

 押してやろうかという彼女の余裕綽々な気遣いが僕のちっぽけなプライドを刺激してしまい、本音とプライドを天秤にかけた結果、プライドが勝った。

 答えはノーだ。

 丁重にお断りした。

 最初の目的地は1F奥にある13号室。

 今では物置部屋として使われているその13号室が病室として使われていた当時、その部屋に入院していた患者が次々と変死していくという事件があり、それ以来病室としては使用禁止になったと患者内で密かに噂されている呪われた病室。

 丑三つ時にノックをすると、そこに巣食う地縛霊が訪れた者を誘うようにノックを返し、施錠された扉がひとりでに開くという。

 現在、僕とラファは退屈な院内生活に刺激を求めて肝試しに繰り出している。

 もちろん誘ったのは僕。

 感情の変化があまり豊かではない彼女の顔を恐怖に歪め、あわよくば僕に泣きついてくれないかという淡い期待を胸に秘めて臨んだものの、今のところ効果は難色を示していた。

 むしろ、僕の方が内心かなりビビっている。

 誰もいるはずのない真っ暗な廊下の向こうから誰かが歩いてくる錯覚が何度も襲い、車椅子を引く手が汗でじっとりと濡れていた。

 集合してから10分ほどで13号室に辿り着いた。

 ラファを迎えに行った2F病室からのスタートで本来は5分くらいで着く距離ではあるものの、車椅子の引く音に注意してゆっくりと歩を進めたせいか、思ったより時間がかかってしまった。

 13号室扉の奥から異様なオーラが放たれていると感じるのは気のせいだろうが、その真っ暗な扉窓から白い顔がスッと現れてきそうな気がして思わず視線を横に逸らす。

 横に視線を向けた僕は真横のラファと不意に目がかち合った。


「私は治療不可能な難病を抱えた可哀そうで可愛い患者ではあるが、実は運動神経は抜群に良いんだ」


「あくまで神様の処置であって難病じゃないって話じゃなかったっけ……。で、いきなり何の話?」


「去年の体力テストでは、50m走6.5秒。高校の陸上部並みの速さの結果を出したんだ」


「はっや!それでなんで急に50m走の話なのさ」


 ラファは扉をノックしようと右手を握って扉の前に掲げる。

 僕がノックするからと精一杯の男の強がりを主張する直前に気づく。

 彼女の拳は微かに震えていた。

 唐突の50m走の自慢話。前

 前振り、前兆、予防線。

 そんなフレーズが心をざわつかせ始め、


「すまんなワタル。本当に申し訳ない」


 形ばかりの謝罪とともに扉のノック音が3回。

 ひと呼吸の間もなく、目の前を横切る突風と廊下を全速力で駆け抜く音に数秒遅れて僕は自身の置かれた立場を理解した。

 置いて行かれた。

 彼女は足の不自由な僕を呪いの生贄としたのだった。

 静まり返る院内、彼女の走行音がどこまでも遠のいていく。

 僕との心の距離まで離れていくようで目を覆いたくなった。

 幸い、13号室からノックが返ってくることはなかった。

 検証①【13号室の呪い】無事クリア。


 2つ目の目的地は地下にある霊安室。

 丑三つ時になると、霊安室の前の廊下を女性の霊が徘徊していると患者内で密かに噂されている当病院の呪われた場所の1つ。

 生きた人間の生気を求めて彷徨う彼女は髪が異常に長く、歩いている時に髪が床を引き摺る音が聞こえてくるらしい。

 そして守らなくてはいけないルールが1つ。

 それは、その女性の霊と決して目を合わせてはいけないこと。

 目が合ったが最後、生気を全て吸い取られて絶命してしまうそうだ。

 13号室より恐怖指数の高そうな霊安室にラファが1人で行けるはずもないだろう。

 エレベーターまで戻ってみると、汗を掻いたラファがエレベーター前で立って待っていた。


「何も問題はなさそうだな」


 病衣の裾で汗を拭いながら罪悪感の欠片もなさそうな様子でのたまっている。


「問題大ありだよ。僕達の関係に亀裂が入りそうだ」


「馬鹿も休み休み言え。男は女を守るものだろう」


「時代は変わったんだよ天使さん。この令和の時代、男女平等、性格差の是正。男たるもの、女たるものなんて考え方は前時代的という価値観なんだ」


「時代は変化しても人間の本質は変わらない。男女の持つ根源的欲求は変わらない。男は他人を支配したい、女は守られたいという動物的本能は同じなんだ。上辺だけ取り繕った思想に惑わされてはならない。私に守られたいと思うか?」


 小首をかしげるラファに自然と答えが1つの答えに導かれる。


「守りたいです」


「そうだろう。私を守り、そして必要とあらば喜んで犠牲となるのだ」


 彼女の勝ち誇った笑みが大変可愛かったので、女性優位な発言と逃亡行為はあっさりと許した。

 可愛いは正義。

 ルッキズムに対する反対論者がいるなら出てこい。


 ラファとともにエレベーターで地下に降りると、そこは1F以上に重苦しい空気が漂っていた。

 地下1階には霊安室の他、RI検査室や教室ほどの大きさの会議室があるくらいで、上階のように病室もなければ院内受付もない。

 この深夜の時間帯には人の気配が全く感じられない無の空間。

 見回りする看護師さんに警戒する必要はなくなるが、かえってそれが恐怖心を煽られる。

 ラファも同じ心境だったようで、エレベーターから一向に出ようとしない。

 僕は察して先にエレベーターを降り、暗い廊下の先まっすぐへと車椅子を進み始める。

 ふとハンドリムの手応えがなくなったことに違和感を感じていると、ラファが僕の車椅子を押していることに気づいた。


「僕を盾にするつもりじゃないよね?」


「……私を信じろ」


 誠実な言葉とは裏腹にラファは明後日の方向に視線を逸らしている。

 僕はため息をつきながらも彼女に注意を促す。


「霊安室を徘徊する女性とは決して目を合わせてはいけないんだ。だから常に俯き、斜め下を見ながら歩くこと。前を向いちゃだめだよ」


「分かっている。だからこうしてワタルの後頭部をずっと直視しているのだ」


 禿げそうな気がする。

 なんだか、無性に痒くなってきた。

 窓のない地下に月明かりが差し込んでくることはなく、明度を下げたスマホのライトのみを頼りにゆっくり進む。

 スリッパのペタペタした足音と車椅子の車輪が回る金属音が他に誰もいない廊下を反響し、僕らの口数は自ずと少なくなっていく。

 何者にも出くわすことなく廊下の突き当たりに辿り着いた。

 右に曲がればRI検査室、左に曲がれば霊安室と壁に設置された案内板が指し示し、僕らは俯いたまま左へ身体の向きを変える。

 恐らくここから先10メートルもなく霊安室の扉に辿り着く。

 ラファの深呼吸とともに吐き出された息が後頭部に当たり、生暖かさにこそばゆさを感じてしまう。

 行くぞ、と覚悟を決めたように吐かれたラファの言葉に僕は短く頷いた。

 ゆっくりと車椅子は進んでいく。

 前方1、2メートル先の足元のみを視界にして恐る恐る進んでいく。

 もうすぐ着く早く着けと逸る気持ちが心臓の鼓動をどんどん速めていき、今にも飛び出しそうだった。

 あっという間に霊安室の扉の前まで辿り着いた。

 着いてしまえば呆気ないというか、まぁこんなもんだろうなんて肩の荷が一気に降りた。


「扉前まで来たことだしここから引き返そうか」


 僕の提案にラファは答えない。

 車椅子を動かす様子もない。


「ラファ?」


 彼女の顔色を窺うと、彼女は扉の真向かい、つまり家族控室の方を向いてぼーっと立ち尽くしている。

 肌が総毛立つのが分かる。

 そこに誰かが立っている。

 振り返って足元のみを視界に置くと、そこには車椅子に乗った者とその後ろに立っている者の2人。

 彼らも僕らと同様何も言わずにただその場に佇んでいる。

 微動だにせずこちらを向いて。

 霊安室を徘徊する女性と決して目を合わせてはいけない。

 目の前の彼らが誰かという好奇心は、恐怖によって瞬時に黒く塗りつぶされていく。

 ラファの逃亡する足音は一向に聞こえてこない。

 自慢の脚力も圧倒的恐怖の前では無力なのだ。

 立ち竦んだ彼女の両足が廊下を軽やかに駆ける様子はなく、粉砕している僕の両足は言うまでもない。

 そんな恐怖で身体が硬直する僕達を嘲笑う声が目の前から聞こえてきた。


「お前らこんな時間にここで何してんだ」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、声の主はタケル君だった。

 車椅子に乗ったタケル君と、彼の後ろに立つ同じ年くらいの女の子。


「肝試しデートだよ。院内で噂されている13号室の呪いと霊安室の徘徊する女の話」


 僕の言葉にタケル君は自嘲混じりの溜息を漏らす。


「考えることは一緒か。俺達も同じ。もしかしたら普段味わえない刺激が俺と小日向の身体を復活させてくれるかも……なんて思ってな」


 タケル君は後ろに立つ小日向と呼んだ女子を指差す。

 小麦色に肌焼けしたショートヘアーの女の子。

 ザ・陸上女子という印象を受ける子で、こちらに向けて小さく会釈をしてくれた。

 僕達もそれに倣って会釈し簡単に自己紹介をする。


「浅はかな考えだ。肝試しで病気が治るならこの世から医者はいなくなるだろう。それに天使である私が振るった光の剣の効果が覆される可能性は万に一つもない」


「あぁ思い出させてくれてありがとなクソ天使。お前のせいで俺の大事な両足が動かなくなったことをよぉ」


「両足を失ったのはお前の意志だろう」


 青く冷たい炎と赤く煮えたぎる炎がバチバチと火花を散らしながらぶつかり合う様を僕は疲れたように見守っていた。と同時に安堵もしていた。

 ヒカル君が両足の機能を失いこの病院に入院し始めてから1ヶ月。

 自身の置かれた状況に塞ぎ込んでしまい、リハビリの時以外病室からほとんど外に出ていく所を見たことがなかったのだ。

 今の様子から察するに、表面上だけでも立ち直りつつあるようだった。

 少なくとも、これからハンデを抱えて生きていくことに前向きになろうとはしている意志が少し感じられる。


「例の天使の子ってこの子なの?」


 小日向さんはラファを不思議そうに見つめる。


「あぁこいつだ。このクソ天使が俺の両足を光の剣でぶった切ったんだ」


「あの話は本当だったんだ。凄い!天使様って本当にいたんだ」


 ヒカル君の怒りとは対照的に小日向さんの両目が輝きに満ち溢れていく。

 無遠慮にラファの白髪を手に取っては、おぉーだのすごーだのと端的な感想を連ねていく。

 ラファが天使だということをあっさり信じている様子。

 好奇心溢れる元気っ子。

 活発そうな彼女からは病気のびょの字もまるで漂ってこなかった。


「小日向さんって身体に何か抱えてるって感じがあんまりしないね。どんな病気で入院してるの?」


 僕は元々盲腸で入院した。

 数か月で完治するなんてことのない病。

 だからこそ活発な彼女の口からも、軽い骨折の一時入院だよ、なんて言葉を期待した。


「強直性の筋ジストロフィーだよ」


 そう明るく告げられた。

 筋ジス…………え?

 聞いたことのない病気に僕は首を傾げる。

 小日向さんは知識不足な僕の困り顔を見て説明を付け加えてくれた。


「遺伝子変異による筋力の低下と筋繊維の萎縮。身体の筋肉が徐々に破壊されていく病気なんだ」


「頑張って鍛えてもアスリートの選手にはなれないみたいな?」


 先ほどまで燃え盛っていた2人の炎がいつの間にか鎮火され、ドン引きした様子で僕を見ていた。


「え、僕今何か変な事聞いちゃったかな?」


「筋ジストロフィーは国に難病指定されている病気の1つだぞ」


 ラファの言葉に呼吸が止まりかける。


「つまり、どういうこと……?」


「筋ジストロフィーには色んなタイプがあるが、小日向とやらの場合は、心不全や白内障のような合併症、多臓器不全や呼吸器不全が併発する厄介なタイプで非常に短命だ。突然死も多い」


 呆れかえった顔をするラファとタケル君の視線の意味を今理解した。

 相手の抱える病気なんて聞いてどうするのだと。

 この病院には救われる命と救われない命がある。

 治る病気と治らない病気がある。

 後者の運命を背負った者になんと言っていいのか。

 否、ありはしない。

 だから余計な詮索など無用だというのに、僕は何を考えてそんな質問をしてしまったのか。

 居たたまれなくなった僕を小日向さんは気にしないでくれと手を大仰に振った。


「もう私自身諦めはついているからそれはいいんだ。残りの短い人生を楽しめればそれで」


「お前がまた自己犠牲で身体を丸ごと小日向に譲ってやれば全て解決だな」


「二度とやってたまるか。両足の件は俺の生涯で最も後悔する出来事だったわ」


 ラファとタケル君の軽口の応酬に小日向さんはクスクスと笑う。


「筋ジストロフィーとは言っても進行速度は人それぞれみたいでね。ボクの心臓は今はまだ自力で動くし物も掴めるし、それに走れる。陸上部短距離選手としての実力はまだ残っているつもりだよ」


 予想通り陸上部だったらしい。

 それに目立った筋力の衰えもない様子で僅かにホッと胸を撫で下ろした。


「ちなみに50メートル走のタイムは?」


「6.5秒だよ」


 ラファの炎が小日向さんへと向きを変える。


「ここからエレベーターまでおよそ50メートルくらいはあるな」


「勝負する?」


 タケル君が片手を伸ばして地面に下ろす。

 よーいの一言でラファと小日向さんは両手を地面につけて膝を曲げる。

 ドン、と同時に2つの閃光がまっすぐとエレベーターへ向かって突き進むのを後ろから見届ける。


「タケル君と小日向さんはどこで知り合ったの?」


「リハビリの治療を受けている時だよ。多くの患者が作業療法士さんに従ってリハビリをしてて、1人の作業療法士さんは複数の患者さんを見ているんだ。たまたま担当の作業療法士さんが同じで、なんとなく喋るようになっただけだよ」


「そうなんだ。筋ジストロフィーって治ったりはしないの?」


「治る見込みはないらしい。ただ悪化していくだけ。俺よりも絶望的だ」


「健気に振舞っているだけってことなのかな」


「そうじゃねぇと思う。もう色々吹っ切れてるんじゃねぇの。諦めたら楽だってあいつにアドバイスされたことがある。だから俺は自分を諦めた。そうしたら心が軽くなった。あいつはもうとっくに未来を諦めているんだよ。いずれ完治して退院するお前と違ってな」


 タケル君の言葉は不思議と嫌味に聞こえず、胸にすっと溶けていった。

 ラファが稀に見せる優しくも寂しげな笑みと語りが彼と重なり合ったように見えた。

 送り出す者と送り出される者との間に引かれた明確な線引き。

 疎外感、なんて身も蓋もない表現を使うべきではない。それは傲慢だ。


「僕達もパラリンピックやる?」


「絶対にやらねぇ……」


 気安く提案した勝負は軽くあしらわれてしまったと思いきや、不意打ちとばかりに車椅子を高速で走らせていったタケル君の背中を見送り、小さく笑う。

 僕はまた置いて行かれてしまったと。

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