【第2話(後編)】天使の使命
一週間ほど経ったある日、ラファの病室でマリオテニスの対戦をしながら、僕はあの時脳裏に焼き付いた光景が不意に思い起こされた。
眩いほどに光を放つ天使の剣、両足の機能の切断と転移、そしてラファが言った天使という存在――――。
こうしてゲームに興じるラファは人間そのものに見えるが、人間とは違う異質な存在であるということがずっと心に引っかかっていた。
光の剣を目の当たりにしたとはいえ、にわかには信じられない非現実のような現実。
「私をじっと見つめてどうした。ゲームに集中しないと連敗記録をまた達成してしまうぞ」
僕は彼女の挑発には答えず、スイッチを手元に置いた。
「そういえばさ、以前RPGで出てきそうな光の剣を出してたけど…………ラファって本当に天使なの?」
「だからそうだと言っているだろう。私は生前、天使だったんだ。神からとある使命を受けて人間界に堕ちてきた」
…………………………………………マジか。
「その使命ってどんな?」
「かなりざっくりとした内容だ。それは、“人間を理解すること”だ」
…………ざっくりしてるねぇ。
「まぁ韓国における兵役制度か、あるいは人間界への留学というイメージの方が近いか。私以外の天使もみな課されるものだ。人間界を見守るのが仕事である以上、彼らの生活の中に実際に入って彼らを理解せよというのが天界の考え方でな。17歳の誕生日とともに短い生涯を終えて我々は天界に還るんだ。17歳の誕生日が近づくにつれて天使の身体は徐々に結晶化していき、完全な結晶体となって息絶える。それでもってここでの使命は全うされるということだな」
ラファはうなじに生えた黄色い結晶をさすりながら平然とした様子で答えていく。
対する僕は呆気に取られているというか、現実離れしすぎて頭がついてこれなくなりそうだった。
「結晶化って難病じゃないの?しかも、17歳になったら死ぬのが決まっているなんて酷すぎるよ。神様のする所業じゃないっていうか…………」
「人体の結晶化というのは神が人間界に降りた我々天使に施す帰還のための処置であって、実は難病ではないんだ。まぁそれを知らない人間からしてみれば不治の難病と捉えられるのも無理はないがな。だから神のなさることは決して酷くはない、むしろ我々からしてみれば元々いた世界に還れるんだから本望なんだ。17歳になったら全員天界に還れるかどうかは……、確か使命が全うできていない駄目天使は期間が延長されるなんて話を聞いたことがあるが……どうだろうな。本当かどうかは知らん」
話が壮大すぎて、昨日の光の剣を実際に目の当たりにしていなければ、こんなとんでも話をするラファのことを電波女子と判断していただろう。だが彼女はやはり、電波ではなくれっきとした天使なのだ。とはいえ、彼女の人体結晶化が難病ではない以上、彼女が悲劇の死を迎えるという捉え方は改めるべきかもしれない。
いや、あるいは、天使のような可愛い女の子と付き合っているのではなく、本物の天使と付き合っているという喜ぶべき事実であると視点を変えては――――
「なにニヤけているんだキモいぞ」
またまた毒舌家だなぁ。
これで何度目かになるかわからない厳しいコメントを噛みしめながら、まぁ小難しいことはあとで考えようかと思考を半ば放棄する。
とりあえず彼女にとっては良い方向に向かって進んでいるのだと、脳内で簡単明瞭な結論として一旦まとめておくことにして。
スイッチを手に取り、ゲーム激強ゲーマー天使に再戦を挑もうと意気込んだその時、扉をノックする音が病室内に響いた。
入っていいぞ、というラファの返事とともに扉が開かれ、1人の女の子が入ってきた。
白のブラウスに黒のプリーツスカートというモノトーン姿の可愛らしいその子は、ついこの前退院したばかりの栗田さんだった。
「ワタルさんにラファちゃん。お久しぶりでもないけど、お久しぶりです」
いつも通りの柔らかな笑顔を向けてぺこりとお辞儀をしてきた。
僕はギプスのついた足を、ラファは手に持ったスイッチを左右に振って挨拶を返す。
「タケル君のお見舞い?」
「いいえ、ラファちゃんとワタルさんのお見舞いと御礼参りです」
そう言ってバッグからクッキーの缶詰めを取り出し、ラファに差し出した。
「御礼参りなんて、まるで神様扱いだな」
「神に仕える天使だ。御礼参りという表現で間違いないだろう」
えっへんと小さな胸を張るラファ。
それを見た栗田さんは愉快そうに笑い声を上げる。
「確かにタケルとは幼稚園の頃から今に至るまで学校が一緒でしたけど、親同士の仲が良いから行事や地域の催し物で一緒になることが多かっただけで、実はそんなに仲良くはなかったんです」
「え、そうなの?」
昔から仲睦まじい王道的幼馴染って感じがしたのに。
「タケルが以前からずっと私に片想いをしていたというだけの話です。一方的に想いを膨らませ、勝手に期待をして勝手に裏切られた気になっている。こう言ってしまえば男性の耳には痛いかもしれないんですけど、ただの自業自得です」
「栗田の好きに生きればいいんだ。お前自身の魅力が人を惹きつけて手に入れたものだ。誰にも文句を言う権利はないし、あいつに足を返してやる義理もない。何者にも見返りを求めない覚悟という事を理解していなかったあいつが悪いんだ。一応改めて栗田に聞くが、タケルの事は好きか?」
「全然」
「両足を返す気は?」
「全く」
気持ちよさそうに首を横に振る栗田さんに納得したように頷くラファ。
僕は彼女達のやり取りを複雑な心境で聞いていた。
僕の病院窓からの飛び降りは果たして見返りを全く求めない覚悟だっただろうか。
もしラファが今僕ではなく他の男と恋人関係になっていたとしたら。
激痛と恥にまみれた僕の行為が無為に帰してしまったとしたら。
「痛いれす……」
何の脈絡もなくラファに頬をつねられる。
「馬鹿野郎が難しい事を考え込んでいるのではないかと思ってな」
「だからってなんで頬をつねるの」
「馬鹿野郎が難解な問題を考えてもかえって悪化するだけだ。だから思考を妨害しているのだ」
「僕は馬鹿じゃないぞ」
「馬鹿だろう。酔った勢いで3Fの窓から飛び降りるくらいの大馬鹿野郎だお前は」
ラファは僕の頬を撫で、優しい笑みを湛えて言葉を紡ぐ。
「ワタルは私を想ってそれだけのことをしでかした。それでもういいじゃないか。私はそれでいいと思っている。それだけで満足なんだ」
ラファは僕の手を取り手の甲に軽い口づけをする。
目を瞑り、祈りを捧げるように両手を合わせる。
この者に明るい未来が訪れますようにと。




