【第1話(中編)】天使からの課題
ラファの話した内容があまりにも突飛な内容で、僕の目は点になった。
ややあって、込み上げてくるものが抑えきれず腹を抱えて大笑いしてしまう。
病院から飛び降りることができたら付き合ってやるだって?
3Fの高さでも着地の仕方を誤れば死ぬかもしれないっていうのに?
上手く着地できたとしても足の骨が折れることは必至。
なんのためにそんなことをしなくてはいけないのか。
それで僕の何を見極めようっていうのか。
笑い転げている間もラファの表情は一片の変化もなく、笑いの波が収まる頃には彼女の言っていることが冗談ではないと悟った。
「……………………マジ?」
「大マジだ。お前の覚悟を確かめたいんだ」
「他の課題はないの?3Fの高さって下手したら死んじゃうよ?」
そういえば最近病院の窓から飛び降り自殺が起きたって話があったけど、あれってもしかして…………。
「首から落ちたら死ぬぞ。私に告白してきた奴のうち3人は課題に挑戦して窓から飛び降りたが、首から落ちて死んでしまったんだ。だからちゃんと両足で着地しないとだめだぞ」
ほらーやっぱりー。
「挑戦するか?」
「…………考えてみます」
ここで可能性の目を安易に潰すのはできず、保留の意を示した。
僕は自身の病室に戻り、同室の爺の1人にここ3Fの窓から飛び降りたらどんな怪我を負うか聞いてみた。
僕と爺は確かめるように窓の外から下を見下ろす。
整備された芝生と細いアスファルトの歩道。
入院患者の何人かが気持ちよさそうに散歩をしていた。
水やりされたばかりであろう花壇の花は日光の照り返しを受けて瑞々しく輝いている。
「歩道に落ちたら当然まずいじゃろうが、芝生に落ちても無傷では済まないじゃろうて。もしかして坊主も、あの白髪のめんこい子に告白したんか?」
「ラファの事知ってるんですか?」
「坊主が入院する前、この病室にお前さんと同じ年くらいのガキが入院してたんじゃが、その白髪の女の子を好きになって告白したんじゃ。そしたら課題を出されたーなんて言っててな。なにやら課題をクリアしたら付き合えるとか。その課題ってのが3Fの病室の窓から飛び降りろなんて無茶苦茶な内容で。お前さんと同じ質問をワシにしてきたんじゃ。もしかして図星か?」
僕じゃん……。
「その人はその後どうなったんですか?」
「この窓から飛び降りた。そいつは頭からの落ちちまった。頸椎が砕けて即死じゃったそうだ」
僕は息を飲んで真下を覗き込んで息を飲む。
確かに高くはあるが、アクション映画でスタントマンがこれくらいの高さから飛び降りるシーンは何度も見たことがある。もしかしたら――――。
窓からもう少し身を乗り出してみようと縁に手をかけたところで、急に身体が浮遊した感覚を味わう。
……………………両脇を抱えあげられている?
そう認識した直後、窓の縁にかけていた手が居場所を失い、身体が窓の外に半分以上投げ出されていることに気づく。
身体を舐めるそよ風と眼下に広がる固い地面。加速度的な重力に砕け散る頭蓋と脳漿。
強烈な死を意識した。
やがて窓の外からゆっくりと病室内に身体を抱え込まれ、床に下ろされた。
「怖かったじゃろ?」
爺はやり切れない哀切に満ちた表情で僕に問いかけた。
吹き出る冷や汗に震える身体。
言葉が出なかった。
「あの白髪の子は悪魔じゃ。人間をかどわかして楽しんどる。あの子のいう事に耳を傾けてはいけん。どんなに賢い男でも人生において間違った選択をする時がある。それが女じゃ。ワシも若い頃は――――」
途中から爺の長話が始まったが、それはほとんど聞き流した。
ここから飛び降りるなんて絶対に無理だ。
いや、考えるだけ馬鹿らしい。
あと2、3ヶ月もしないうちに退院できるっていうのに自ら死の危険を背負って空中にダイビングするなんて愚かにも程がある。
夢から目が醒めた。
課題はできないとはっきり言ってしまおう。
一目惚れはしたがしょせん他人だ。
病院の外に出てしまえば顔を一度も合わせることもなく、1年もたたずに存在を忘れてしまうだろう。そしてまた好きな人ができる。
これから長い人生の中で何人も好きになるであろう女性達のうちの1人を諦めたというだけ。
数字で考えてみると気分が軽くなっていくのを感じる。
僕はスキップしながら階段を降り、2Fにある彼女の病室へ向かって真っすぐ歩く。
最中、すれ違った看護師さんを振り向いて僕を呼び止めた。
「あなた、最近ラファちゃんにちょっかいかけてる男の子でしょ?」
20代であろう若い看護師さんの顔には、他人の恋愛話が大好物と書いてあった。
「ちょっかいっていうか、軽く話しかけに行っただけですよ」
「好きなんでしょ。ラファちゃん可愛いもんね」
「まぁ顔は可愛いですけどね」
確かに顔だけは良いんだけどね……。
「愛想悪いでしょ。いつも仏頂面だし。でもあの子は不憫な子なんだ。だからめげずに優しくしてあげてね。あの子の味方のそばにいてあげられる子なんて、ほとんどいないからさ」
「不憫ってどういうことですか?」
「難病なのよ。身体が結晶化していく病気で、どの国でもほとんど例を見ない病なのよ。原因不明で治療方法も分からないの。対症療法くらいしかできることがなくて、残りの寿命は半年もないらしいわ」
やさぐれる気持ちも分かるわよねー、なんていう看護師さんのあっけらかんとしたセリフが立ち止まったままの僕の脳内に反響する。
いや、……………………うん。可哀そうだけども。
だからといって僕が命をかける理由にはならないし。
自分の残り寿命が短いからって、男に身の危険を顧みないほどの覚悟を求めるという思考回路は理解できない。
だから女子は苦手なんだ。
すぐに感情的になるし考え方が論理的じゃないし自分勝手でわがままで――――。
勢いよく病室の扉を開けた僕にラファは挨拶もなく問うた。
「やるのか?」
「やります!!!!」
「うむ。良い返事だな」
なあに簡単な課題。
両足で着地すればいいだけなんだから。
骨折して入院期間が延長すればその分ラファちゃんと触れ合える時間も増えるというもの。
…………恐らく僕は、冷静じゃない。
「今から飛ぶのか?」
「準備することがあるんだ。それが準備できてからだから、数日後になるかな。自分の病室からダイブするとして、相部屋の爺さん達がみんないなくなるタイミングも見計らわないといけない」
「ただ窓から飛び降りるだけで準備するものなんてないだろう」
それがあるんだなぁ。
冷静じゃない今の僕でさえ、窓から顔を覗かせただけで縮みあがってしまう。
そんな僕の意識をさらに混濁させ、判断力を低下させてくれるマジックアイテムが。
スマホをポケットから取り出して早速友人に依頼。
次の日、友人の太郎が昨日依頼したマジックアイテムを持って僕の病室にやってきた。
「持ってきたよ。冷蔵庫からこっそり拝借してきたアサヒスーパードライ」
「サンキュー太郎」
えへへへと太郎は嬉しそうに汗ばんだ頭を掻いた。
肥満体系の彼にとってはここ3Fの病室までの道のりもきつかったと言わんばかりに息も荒い。
「でもなんで急に酔いたいなんて言い出したの?」
「入院生活にうんざりしてきてさ。こういう羽目の外し方もいいかな、なんて」
「でもこんなことして病院にバレないの?ばれたら僕まで怒られちゃうからさ。その辺は気をつけてね」
「大丈夫。絶対バレないから」
絶対にバレます。ごめん太郎。
「酔いたいんだったら他にもっとアルコール度数が高いお酒あったよ。日本酒とかブランデーとか」
「いや、缶ビールくらいの度数でちょうどいいんだ。あまり悪酔いするのも怖いしね」
アルコールを摂取した酩酊状態での病室からのダイブ。
酔って冷静な自分を頭から追い出せば、この高さ程度の飛び降りくらい勢いでできるという安易な発想。
僕が小学生くらいの時、酔って帰ってきた父がお土産にチョコを買ってきたと言ってビニール袋から取り出した犬の糞を自ら食べて腹を下すという奇行から今回着想を得ることができた。
自ら泥酔するなんて愚行極まりないが、状況によってはこれが功を奏する時がある。
酔った勢いで好きな女の子にアプローチをする人がいるように。
酔った勢いで川に飛び込む人がいるように。
酔った勢いで病室の窓から飛び降りる人がいる。
「いつ飲むの?今誰もいないしチャンスじゃない?」
周囲を見回すと、確かに僕と太郎以外病室には誰もいなかった。
外の広場を散歩しているか別の病室に遊びにでも行っているか。
「今、しかないな」
声が震える。
2、3日先かなと日和っていたが、まさに今、この時。
僕はそこで待っているよう太郎に声をかけ、ラファの病室まで駆け出す。
呼吸が不規則に乱れ、膝が微かに震えているのが分かる。
武者震いだと思いたいがそうではないだろう。
扉を開いた先には、いつも通り仏頂面のラファがスイッチでゲームをプレイしていた。
「怖気づいたか?」
ラファの軽口には付き合わず、彼女の小さな手を握って自分の病室へと連れ出した。
白髪の天使を片手に病室に戻ってきた僕を見て太郎は当然のごとく驚いていた。
「ワタル、いつの間に病院で彼女できたの?」
「いや、これから告白する」
「もしかしてそのためのお酒?酔った勢いで告白ってこと?」
「酔った勢いで窓から飛び降りるんだ」
「な、なんで飛び降り?え、…………冗談だよね?」
「なんでかは彼女に聞いてくれ」
太郎は状況が飲み込めないまま、ワケが分からないといった表情をラファに向ける。
「まぁ、度胸試しだ」
何から聞けばいいんだろうと質問の切り口を考え慌てる太郎の手から缶ビールを奪い、プルタブを開けて一気に飲み干す。
喉を通り抜ける生温い炭酸と麦の苦みが吐き気を催す。
一生のトラウマになりそうな苦みだった。
身体が火照りだす。
サウナに入っているかのような暑さが身体にたぎり、視界が溶け始める。
身体が揺れて平衡感覚が狂い始めてきたことに気づいた。
僕は今ちゃんとまっすぐ立っているだろうか。
確かめるように足元と周囲を見回すと、歪む視界の中で、太った男子と白髪の天使が僕を見ながら突っ立っている。
――――この子たちは誰だっ……れ?ぼくは、いま、何をしようとしてるんら、そうら、窓から飛び降りなくちゃ、いけないんら。…………なんで?
両手で自分の頭を何度も殴りつけ、粘液のようにドロドロになった意識をなんとか叩き起こす。
ラファの姿が視界いっぱいに移りこんだ。
「あなたのことが好きです。飛び立ってきます」
僕の告白にラファは眉一つ動かさず。
「おう、飛び立ってこい」
彫刻のように変化のない彼女の表情をほんの少しでも変えてやろうと。
見返してやろうと。
僕は垂直落下が約束されたロケットよろしく発射台を駆け抜け、窓の枠を大きく乗り越えた。
窓の縁を足場にして空高く舞い上がる。
視界を埋め尽くすほどの蒼。
身体を駆け巡っていたアルコールが汗腺から全て放出され、澄んだ空気が身体を拭く抜けていく。
一瞬、意識を支配する時が止まったような感覚。
胸中に沸き起こるのは、恐怖でも後悔でもない。
やるべきことを、全てを出し切った時に感じる爽快感だった。
背中に白い翼が生えた気がした。
僕は今空を舞っている。
そう錯覚してしまうほどの浮遊感が身を包んだかと思うと、下から猛烈な風が吹き上がってくるのを感じた。
否、風が吹きあがっているのではなく、自身が地球の重力に従って落下を始めている。
数刻にも満たない落下時間が長く引き伸ばされているような感覚。
爽快感が恐怖に塗り替わっていくのは一瞬だった。
滑走路をダッシュで飛び降りたおかげで落下先は芝生。
やや前進する形での落下、幸い体勢は崩れていない。
このままいけば死は免れる、か…………?
加速度的に急上昇する落下速度。
あ、やばい無、理…………ぃ、ぐっ。
着地と同時に曲げた膝をクッションに前回りの受け身を取るも惑星級の力のベクトルを逃がすことはできず。
質量約60kgの物体が高さ約20メートルを自由落下する際の重力加速度を、僕の学力レベルでは計算することは出来ないが、身体にかかっていた風圧と両足に走る衝撃を鑑みるに10倍以上には膨れ上がっているかもしれないと素人目線で推測。
重力によって膨大に膨れ上がった自重に僕の両膝は耐えることができず、あっさりと骨が砕けた。
また受け身を取った肩に激痛が走り、脱臼したのが分かる。
これまでの17年間の生涯で最も重い身体へのダメージは、激痛よりも先に悪寒を伝達してきた。
身体から絶え間なく流れる冷や汗に死への恐怖が押し寄せ、激痛に悶える前にあっさりと意識を失ってしまった。




