【最終話(前編)】彼女が存在しない世界
朝6時半、目覚ましアラームとともにいつも通り起床。
朝ごはん冷めちゃうわよ、と階下から母さんの声を聞いてベッドから出ると、初冬の朝冷えが身体を震わせ、ベッドにかけていたカーディガンを羽織る。
もう高2の冬か、来年は受験勉強一色の生活になるのかとカレンダーを見ながら憂鬱になる。
目前に迫る受験シーズンだったがどこか現実味が感じられない。
いや、今こうしてここに立っている景色そのものが白昼夢のような気さえしてくる。
昨夜は特に夜更かしをしたわけではなかったはずだが、とても長い夢から覚めた後のような重い微睡がまとわりついていた。
窓の外を見ると、小雪がパラついてた。
空を舞い散る白の欠片に小さな感動を覚えながら、不意にとても大切な何かを忘れているような錯覚を覚えた。
それは白い何かだった気がするが、思い出そうとしても靄がかかって何もひっかかってこない。
「ワタル!早く降りてきなさい!」
怒気入り混じる2度目の呼びかけに僕は一気に目が醒めた。
白い何かの夢でも見たんだろうと適当に結論をつけて、そそくさと階段を下りて行った。
家を出ると、雪が積もってはいないものの、ついさっきまでいた快適暖房空間が恋しくなり、自宅に回れ右したくなる。
サボるのも内申点に関わるしなぁ……。
行くしかないかと吐いた諦めのため息は白色を帯びて外気に溶けていく。
空、雪、吐息。白。白。白。
やっぱり何か忘れているような気がする。
そう思うものの寒くて思考を巡らす気にもならず、そのうち勝手に思い出すだろうと駅に向かって歩く。
自宅最寄駅から上りの快速電車に乗って3駅先。
駅を降りて徒歩15分ほどの距離で、駅前から少し離れると大勢のサラリーマンは視界からいなくなり、同じ制服を着た同校の生徒がほとんどになっていく。
その大勢の生徒の中の1人、モブキャラよろしくといった具合で歩いていると、後頭部に柔らかい何かがぶつかって弾けた。
後頭部をさするとひんやりとした感触。
雪玉をぶつけられたのか。
視線を上げると、やっぱりなと思わず苦笑いが漏れる。
サッカー部仲間のタケルだった。
ヨッス、と体育会系らしい挨拶。
ウッスで返す。
3文字挨拶は楽で語感が良い。
そんなタケルの頭を軽く叩いたのは、隣で彼と手を繋ぐ小日向さん。
可愛らしいお叱りで今日も相変わらず仲睦まじいようでなにより。
「今日サッカー部の練習中止になりそうだな」
「雪が止んでもそのまま中止になってほしいね。こんな極寒の中練習なんてしたくないよ」
温いこと言ってんなーとタケルは呆れ声で返したが、表情を見るに彼も中止になることに若干期待しているように思えてならない。
だが面倒なのでここは突っ込まないでおいた。
「陸上部も練習中止になりそうなんじゃねぇの。いや、陸部の場合は校内で練習になんのか」
「今日は吹奏楽部が校内ほとんど使うみたいだから、外連が無理なら中止かな。狭いスペースで筋トレとかできなくもないけど、吹部は大会目前らしいし、邪魔したら悪いってことで中連はなし。放課後暇だし吹部の演奏楽しんでから帰ろっかなー」
「それ邪魔してることになんじゃねぇかな……」
チョップ。
ツッコミ代わりに繰り出された可愛らしい小日向さんの手刀を頭部に受けたタケルは、図星だろーと文句を言っているがまんざらでもなさそうな様子。
「じゃあ暇ならいつもの4人でボーリングでも行こうぜ。来年から受験シーズンだし4人で集まる機会もぐっと減るだろうしな」
「さんせーい」
イエーイと2人でハイタッチ。
周囲の生徒も早朝からカップルの戯れなんて見たくねぇよと冷ややかな視線を送っているが、当人達は気が付いてなさそうだった。
他人のフリして歩き去ってしまおうか。
しかし、僕達の他にもう1人…………って誰だっけ。
「4人って、あと1人は?」
そんなに奇異な発言だったか、タケルも小日向さんもマジかよと言いたげな表情になる。
「そんなとぼけ方冗談でもあんまり良くないよ。ワタル君の彼女さんなのに可哀そうだよ」
言ってよくない冗談だったねーなんて笑って誤魔化しながら前頭葉をフル回転。
記憶の発掘に苦慮しそうだったが、その必要はないと言わんばかりに小日向さんが後方を歩く誰かに大きく手を振る。
噂をすればと小さく漏らす小日向さんの声に僕も視線をそちらに向ける。
淡い水色の傘を差す彼女は小日向さんの声に反応して傘の角度を僅かに上げた。
長い綺麗な黒髪に凛とした顔つきの女の子だった。
「灯花ーー!!こっちこっち!」
灯花は涼し気な笑みを湛えて手を振り返す。
立ち止まって待つ僕達に近づいてくる。
背には矢筒を背負っていた。
「なんで矢だけ持参なの?」
「汚れていたから昨日家で手入れしてたの。せっかく的に当たった矢が泥まみれだったら格好悪いでしょう」
「さすが灯花ちゃん。しっかりしてるし几帳面だねぇ。私は泥にまみれた姿の方が恰好良いと思うけどね」
「それはあなたが陸上部だからでしょう」
チョップ。
既視感……ではない。
ついさっき見た光景だ。
キャラが1人追加して役回りが変わっただけだ。
いずれにしても自分が配役されていないことが哀しい。
品行方正で成績優秀なしっかり者。
僕の幼馴染であり、そして彼女である。
不出来な僕の勉強をよく見てくれる面倒見の良い彼女をどうしてついさっきまで忘れてしまっていたのだろうか。
僕の幼馴染がこんなに最強ヒロインなわけがない。
いや実はあったんだこんな世界線が。
現実味がなさすぎなキャラ設定のせいで僕の意識から一時的に乖離してしまったのかもしれない。
もしそれが本当ならば、病院に行って一度頭を診てもらった方がいいかもしれない。
病院なんてどれくらい行ってないだろうか。
確かつい数か月前、盲腸で入院してそれから3階の窓から飛び降りて骨折して――――
いやいや、何を考えているんだか。
盲腸なんてなったことはないし、3階の窓から飛び降りるとか意味が分からない。
分からないはずなのに、断片的に映る病院の景色が鮮明で。
それを夢と呼ぶには細かな部分まで詳細に描かれていて。
入ったことのない病院がまるで実在しているかのような――――
「大丈夫か―。おーいワタル―」
視界の中で右に左に揺れる掌。
夢に埋没しかけた意識が浮上する。
「寝ぼけてるの?」
顔を覗き込んでくる灯花。
肌が綺麗でほんのり香水の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「相変わらず見惚れるほどお美しいご尊顔と思いまして」
いだだだだだっ。
ほっぺをつねらないでください起きてますって。
クレヨンしんちゃんほどではないが横に広がった頬を見て灯花はクスっと笑う。
笑う時にぴくぴくと口の端が震えるのが彼女の特徴で、彼女の笑みを見てやはり彼女は灯花であるし僕は僕であるのだと至極当たり前の結論に回帰する。
面倒だし考えるのはもうやめよう。
校門をくぐり、校門前で朝の挨拶運動に励む美化委員と担当教師。
雪の中でもやるのかと憐憫の眼差しを向けたのは僕だけじゃないだろう。
駐輪場の端のスペース、駐輪場を一部改装した仮設の弓道場が作られていて、僕はおもむろに弓道場の具合を観察した。
タケルも同様に僕と肩を並べて観察。
屋根なし風通し抜群で極寒。
練習不可。
普通に風邪をひくレベルだ。
サッカー陸上と違って激しい運動ではない分、身体は温まらないからなおのこと困難だろう。
「放課後ランデブー参加でお願い」
真面目な灯花もこんな悪天候で練習は中止になるだろうと判断したらしい。
友人彼女との放課後の寄り道。
そんなごくごく平凡な幸福を楽しみにする小市民というのが僕なんだなぁとしみじみ感じた。
非凡でも空想的でもない現実的日常。
急激なアップダウンはないそれなりの生活。
太く短く?いや、細く長く、無理なくをモットーに。
退屈に進む授業。
教室に響く黒板を叩くチョークの音。
窓辺に目を向けると雪は降り続いていて、それは放課後まで降り止むことはなかった。
いつもより騒がしい放課後のクラス内、部活の中止となった運動部員の歓喜の声があちらこちらで耳に届き、真面目の皮を被った不真面目部員はこんなにもいたんだなぁと呆れ半分感心半分。
感心なんていったら灯花に小言を言われそうだからそれは心の内に秘めておく。
そんな僕の心情はお構いなしにタケルは僕のクラスに入って来るやいなや、
「部活中止の放課後が一番ワクワクするよな」
なんて肩を叩きながら大声で喋るものだから困る。
「次期部長候補のタケルがそんな事おおっぴらに言っちゃまずいよ」
「バッカだなぁ、逆に今言える時に散々言っておくんだよ。言いたくても口に出せなくなる時が来るんだからさ」
「なんか今の青春っぽいセリフ。タケルにしては良い事言うね」
そうだろ~なんていつもの掛け合いを交わし、僕はそろそろ教室を出て灯花と小日向さんのクラスに行こうかと腰を上げた時、長い白髪が教室前の学生達の合間を流れるように抜けていくのが見えた気がした。
一瞬だったが、見惚れるような美しい白。
欠けたピースが見つかった時に感じる、これだという瞬間。
何か重大な事を思い出したような。
自問自答する前に気づいたら僕は駆けだしていた。
呼び止めるタケルの声を無視して廊下に出たものの、白髪の彼女の姿はどこにも見当たらない。
「急にどうしたんだよ」
困惑気味に聞かれたが、急に僕はどうしたんだろうと自分に問いたいくらいだ。
白髪は確かに物珍しいが、色染めした生徒は他にいくらでもいるし、白髪少女はハロウィンコミケ等々都内のイベントコスでまぁまぁ見かける。
物珍しさで目を奪われたのではないことは分かる。
言葉が見つからなかった僕は、なんでもないと適当に流した。
灯花と小日向さんと合流した後も、フワフワとした意識は定まらないまま、ボーリングの結果は散々で、3ゲーム中ストライクゼロ、スペアゼロ、スコアはボーダー100を越えることもできず、絶望の4ゲーム目へ突入。
最終ゲームはタケル小日向チームvs僕灯花チームの団体戦。
負けたらサイゼリヤで夕飯全おごりの罰。
安定感を得るためにいつもよりやや重量のあるボールを掴んでレーンへ。
やる気あんのかだの、へっぴり腰だのヒートアップしたタケルと小日向さんの野次を背中に受けながらボールを抱えて直立、視線はレーンの先のピンへと向けて。
灯花はいつの間に僕の隣に立っていて、リラックスさせるように優しく肩をさすってくれた。
私だけの声が届くようにと唇を僕の耳元に近づけ囁く。
「ワタルの投球したボールは全部左に逸れていってしまってるの。ボールを投げて振り抜く時、腕が左に流れてしまっているせいよ。腕はまっすぐ下ろしてまっすぐ振り抜く。いいわね?」
そのまっすぐ凛とした瞳と頼りがいのある姿に僕が女の子だったら百合的な意味で惚れてしまいそうなんて茶化したら引っぱたかれそうなのでアドバイス通りに放ってみる。
いつもより重量のあるボールのせいか投球に勢いはないものの、のんびりと転がるボールは先頭に立つピンへとまっすぐ吸い込まれ、見事にストライクを叩き出した。
「女子になんか助けられてサッカー部の一選手として情けねぇぞ。恥を知れこの野郎!」
「男なら女子より結果出してなんぼだぞヘタレ男子!」
野次というよりただの暴言では?と思うも、ヒートアップした彼らは手に負えないことはこれまでの付き合いから分かっているので聞き流し。
灯花はというと、続く2人の野次を涼し気に流してストライク。
うっとりと見惚れてしまうほど綺麗なフォームだった。
これも弓道部で培われた能力なのだろうか、はたまた彼女の持つ運動能力と気質か。
容姿端麗、運動神経抜群、成績優秀で面倒見も良い(暴力的傾向有)。
幼馴染属性がなければ彼女どころか、友達として関わることもなかっただろうと思う。
そしてその彼女のおかげで見事に4ゲーム目は勝利。
元々僕もボーリングはそこそこ上手い方ではあるのだ。
今日ほど調子が悪い日がむしろ珍しいのだと声を大にして言いたい。
いや、サイゼリヤでドリンクバーを酌み交わしながら言ってやった。
もちろんドリンクバーの配膳係はタケルと小日向さん。
最高のジュースを配合しましたよとタケルから自慢の一杯を手渡される。
僕は躊躇なく一口。
ジンジャーエールの炭酸と辛さに絡むリンゴの甘味。
素晴らしいドリンクだよマスター。
マスターことタケルは席に座り、残念そうに愚痴をこぼす。
「今日のワタルの投球が絶不調のままだったら俺達が勝ってたのになぁ」
「調子が悪いというよりも気がそぞろな感じがしたけど、何かあったの?」
灯花の指摘で放課後見かけた長い白髪が再び意識に浮上してくる。
「ウチの学校で白髪の生徒っていたっけ?廊下でたまたま見かけて珍しいなーと思ってさ」
「老け顔の男子なら割といるじゃん。ワタルと同じクラスの吉岡とか」
タケルが山盛りポテトをつまみながら面白おかしく指摘してくる。
「いやそういう白髪じゃなくて、全部真っ白の長髪。一瞬だけしか見えなかったけどたぶん女子だと思うんだ」
僕もポテトを一本拝借。
「お前もしかして女に見惚れたせいで今日そんなフワフワしてたのか?」
タケルが冗談交じりに茶化した途端、灯花がホットコーヒーを口に付けながらこちらをジト目で睨みつけてくる。
「そんなわけないだろ。物珍しかったから聞いただけだよ。今日調子が悪かったのは偶然。そんな日もあるでしょ」
タケルは明るくて面白いが、冗談やノリが行き過ぎる時があるのが難アリだ。
灯花のジト目がいまだ解除されなかったが、たまたま僕の頼んだミラノ風ドリアが先に来たので、最初の一口を彼女の口へ運んであげたら機嫌が直った。
「私は白髪の女の子なんて見たことないけど?」
小日向さんが頭に?を浮かべて回答。
それにタケルも同意。
「確か進学クラスにそんな子がいた覚えはあるわ。成績上位者のみ希望して入れるクラス。私達のような一般のクラスの子とじゃ選択授業で被ることがないから、見覚えがないのはそのせいかもね。体育の授業はそもそも時間割にないみたいだし」
「そういやそんなクラスあったな。授業で体育がないなんて可哀そうなクラスだな」
「大学受験に必要のない科目は彼らのカリキュラムに入っていないのよ。あくまで上位大学進学に特化させたクラス。成績も高くて頭が良い分プライドも高い人達よ。それで私は進学クラスに入らなかったってくらい。ワタルもあんまり関わり合いにならない方がいいわ」
しっかり者で周囲から好かれる灯花がそこまで言うのだから確かなのだろう。
そもそも彼らと交わることなんてこれまでなかったし、今後もないだろう。
だから今日放課後に思わず目を奪われた白髪の彼女が今後僕の物語に登場する機会も薄いだろうし、彼女が誰であるかも僕にとってどうでもいい情報なのだ。
僕は灯花の忠告を受け入れるように首肯すると、灯花はホッと一息ついて優しく微笑んだ。
気分を変えるようにミラノ風ドリアを口に入れると、砂の味がした。
僕は全く白髪の女子なんて興味ない。
ましてや成績優秀でプライドも高いというのならばなおの事だ。
それに灯花という眉目秀麗で成績優秀な彼女もいる。
……………………だから今、僕がこうして休み時間に進学クラスを廊下越しに覗くという行為は人間観察の一環といえよう。
白髪少女という珍しい設定のキャラは果たしてどんな容姿でどんな佇まいなのか、一度拝見させていただくことは罪ではあるまい。
知的好奇心を伸ばしていくための学内活動とも言えるかもしれない。
ドアを隔てた覗き見行為に何故か強烈な既視感を感じたが僕は覗き魔でも盗撮魔でもない、なんの特殊性癖もない一般的な高校生だ。
これまでそんな経験をしたことはない……はず。
黒板に向かって後方のドアからそっと顔を出して教室を見回すと、生真面目を絵にかいたような学生達が休み時間中も参考書を開いて自主勉強に勤しんでいる。
そんな中、真っ白に異彩を放つ存在が最前列の窓際に座っていた。
英単語の勉強をしているのか、単語帳らしき参考書を開きながら赤いシートをかざしたり離したりを繰り返している。
天使とさえ感じる可愛らしい容姿に年齢不相応な幼い体型。
それに似つかわしくない目つきの悪さで単語帳を凝視している。
眠たげとも不機嫌とも取れるじっとりとした彼女の眼差し。
不意に窓からそよ風が流れ込んできた。
彼女の長い白髪が空を泳ぐ。
絹のようにきめ細やかで艶のある繊維の1本1本がそれぞれ脈動しているように。
天使が白い羽根を広げていると錯覚してしまうほどの荘厳な美麗。
僕はこの瞬間、息を飲むのと同時に、直感的に確信する。
彼女とかつてどこかで会ったことがあるということに。
これまで彼女と話したこともないし、向こうは僕の存在すら知らないはずだ。
でも、僕には彼女と面識があるという矛盾した感覚。
面識どころか、僕は彼女の声も口調も仕草も全て知っている気がする。
気が触れていると言われればそれまでだが、理屈で説明できない感覚に僕自身困惑している。
そしてその困惑を丸ごと包んでしまうほどの高揚感で頬が熱くなってきている。
直接彼女と会話してみればこの感覚の正体が分かるかもしれない。
もしかしたら錯覚ではなく以前どこかで会ったことがある可能性だってある。
試しに話しかけてみるとして、なんて声をかければいいだろう。
彼女と共通点はない。
そもそも名前も知らない。
ないないないのないづくし。
進学クラスの前でうんうんと唸っていると、ちょうど白髪少女が教室を出ようと扉に向かって
歩いてきた。
距離にして僅か1メートル。
こちらを一瞥すらせず通り過ぎようとする彼女を咄嗟に呼び止める。
相対すると彼女との体格差に改めて驚くとともに、綺麗な白髪と両の瞳に見惚れそうになった。
彼女は何も言わずただじっとりと不機嫌そうな視線を無遠慮にぶつけてくる。
……何か話さねば。いや何を話せというのか。
彼女のオートで放つ話しかけんなオーラも相まって言葉が浮かばない。
彼女は小さく首を傾げ、そのまま歩き去ろう身体の向きを変えたのを見て慌てた僕は、
「僕たち、どこかで会ったこと…………ありますよね?」
口をついて出たのはあきれるほど月並みなナンパ文句。
意外にもハマったのか彼女は目を大きく見開き、言葉を失っている様子だ。
やはり、僕達はどこかで会ったことがある。
錯覚なんかではなかったのかも――――
「ねぇよ」
たった3文字。
ただ、思春期只中の繊細な男子高校生の心を打ち砕くには十分すぎる一言。
そして僕はどうやら繊細な性格には当てはまらなかったようで、思ったほど動じていない。
それどころか、彼女の声質が僕の記憶のそれと一致していることに驚いている。
天使のような可愛さに似つかわしくない無愛想な言葉もどこかしっくりきていると感じている。
自らに集まる周囲の視線など気にも留めずに悠然と廊下を闊歩する。
長い白髪の頭上に天使の輪が、背中には白い翼が生えていたらさぞ似合うだろうなと勝手に夢想してしまう。
そんな僕を遠くから見据える1人の視線になど当然気づくはずもなかった。
神代ラファ。
クラスメートに聞いてまわって分かった情報は彼女の名前くらいだった。
部活動は恐らく入っていないらしいが、放課後どんな過ごし方をしているのか、趣味は何か、どこに住んでいるのか、家族構成、交友関係などなど彼女を詳しく知る者はいない。
学内での交友関係はほとんどないというのがクラスメートの話と僕自身が接触して感じた印象。
本人から直接聞くのが一番早いがそれが非常に困難であることは言うまでもない。
さっさと忘れてしまえばいい。
必死になって彼女を調べて知ってそれが何になる?
そこに費やす時間を来年の受験に向けた勉強に向けた方がよっぽど有意義だろう。
僕の理性は至極まっとうな正論を語りかける。
だというのに、胸の内から湧き上がる正体不明の感情に従って。
いやあるいは、その感情の正体を、ルーツを知るために、僕は放課後こうして部活をさぼってまで彼女の跡をつけているのだ。
本を読みながら1人歩いて帰る神代ラファの10メートルほど後方を歩く。
駅前までの通学路なだけに他の帰宅部生徒が多く、そこに紛れるようにして歩いていた。
駅前には百貨店やショッピングモール、ファーストフード店に喫茶店、カラオケなど寄り道を誘惑するスポットがひしめき合い、生徒達の多くはそれらの中へ吸い込まれていく。
彼女はというと、どのお店にも寄り道していくこともなく、バスの乗場に立って読書に耽っている。
電車ではない所から察するに、浦和駅周辺に住んでいるのだろうか。
都心部へのアクセスが良くなんでも揃っていて交通の便も良いここ浦和駅は、埼玉の中でも相応に地価が高い。
なかなかのお嬢様なのかもしれない。
にしては乱暴すぎる口調だったなぁと直近の苦い過去を回顧。
ちょっと意気消沈。
バスの中だと身バレの危険性も上がると思い、近くの雑貨屋で伊達メガネを購入し、マスクも付けて変装。
ワックスも付けて髪を盛ってみるとあらビックリ別人に様変わり。
乗場の列に並ぶとまもなくバスがやってきて乗車した。
最後尾の列に座りバス内を見回すと、前方の座席1席だけ真っ白な後頭部が存在感を放っており、どう間違っても見過ごすことはないなと1人半笑いした。
バスに揺られること20分。
彼女が降車ボタンを押した。
彼女の他数人の乗客が降り、僕も彼らに紛れながら降車すると、まばらにある住宅と寂れた公園、広大な空き地が広がる寂寥感流れる場所だった。
遮るものが少ないせいか駅前よりも冷たい風が吹きつけてくる。
彼女は白い髪を風にたなびかせながら、車通りの少ない道を本を読みながら歩いていき、身を隠せる場所はどこにもなかったが、読書に集中する彼女にその心配は杞憂だった。
しばらく道沿いを歩いていると、使われなくなってからしばらく経っているであろう廃病院らしき建物が仮囲いの柵に囲まれて聳え立っていた。
人通りの少ない通り沿い、低くなりつつある夕日に照らされたその病院だけ、周囲から隔絶された孤城のようで、物悲しくもありながらノスタルジックさを感じさせ、何故か魅入ってしまった。
そして懐かしさのようなものを感じてしまう。
初めて訪れている場所のはずなのに。
視線を戻すと彼女の姿が消えていた。
廃病院脇に細い通りがあったので覗いてみたが、人っ子一人いない。
ただ、廃病院を囲む鉄柵のつなぎ目部分がずらされて、ちょうど人一人分が入れる隙間が出来ていた。
通りのどこにも見当たらない以上この中に入ったとしか思えない。
一体何のために取り壊し予定の廃病院なんかに入るのか。
廃墟マニアってやつか。
だとしたらかなり意外。
僕も彼女に続いて中に入るか。
いやいや不法侵入だし。
受験期前に警察のお世話にはなりたくない。
内申点的な意味で。
今日の追跡はこの辺にしてもう帰ろうかと考える。
明日以降も追跡を続けていけば他にも色々発見があるだろう。
僕は来た道を引き返してバス停まで戻り、時刻表を確認してげんなりする。
次のバスの到着は今から約1時間後…………。
僕は溜め息をついて待合席に座り、無心になろうとイヤホンを付けて音楽に耳を委ねた。
何十分経っただろうか。
目を閉じて音楽の世界に没入しているおかげで待ち時間を意識せず時間は経過していく。
緩やかなメロディーに包まれながら歌詞を口ずさむ僕の後頭部に突如強い衝撃が襲い掛かった。
危うく舌を噛みそうになりながら意識が急浮上。
振り向くと、神代ラファが不機嫌そうな表情を浮かべて立っていた。
「私の跡をつけてきたな?」
イヤホンを外して何かを発しようとするのを阻むように彼女の詰問が始まった。
「今日学校で私に声をかけてきた奴だろ」
「一体何のことやらさっぱり……」
完全にバレテーラ。わっはっはっ。
「まさかあの病院には入ってないだろうな?」
「あの病院って、あの廃墟の建物?……入ってないけど、神代さんはあの廃墟に入ってたの?」
「私のことはどうでもいい。いいか、決してあの廃病院には入るなよ。あと私をストーカーするのも
やめろ。分かったな?」
「あの廃病院に何かあるとかってわけじゃ――――」
「分かったな?」
有無を言わさぬ物言い。
彼女の口調と目つきがどんどん鋭くなってきたので僕は素直に頷いた。
「とにかく私の言うことに黙って従っていればいいんだ。お前の未来にとってそれが最も最良の選択なのだから」
非常に亭主関白気質のあるお方。
さぞ未来の旦那さんは尻に敷かれるでありましょうね。
スマホで時刻を確認すると、バスの到着時間までまだ20分以上。
この絶望的な空気で20分は地獄すぎる…………。
何か話題を振って空気を緩和させようかと彼女の顔色をちらっと窺ってみたものの。
「私を見るな。私に触れるな。私に興味を持つな。以上だ」
全力でこちらをブロックしている様子。
無理にコミュニケーションを取ろうとするとかえって逆効果だと察し、地蔵のごとくただじっとバスを待ち続けた。




