【第1話(前編)】天使との出会い
浦和総合病院一般病棟3Fの大部屋の一室。
盲腸で入院してからはや1ヶ月。
入院生活は非常に退屈だった。
あれほど億劫だった高校生活が恋しくなる自分自身に驚いたほどだ。
相部屋の3人はみな爺さんだ。
病室のテレビにひたすらツッコミを入れる爺。
看護師さんに色目を使って嫌われる爺。
ずっと独り言を言っている爺。
爺爺爺。
せめて同年代の人がいれば多少なりとも退屈が紛らわせるが期待はできず。
ここ数か月で数人が病院の窓から飛び降り自殺をしたなんて怖い事件も耳にするしで、気が滅入って仕方ない。
おまけに病院食は薄味で不味い。
早く退院したいところだった。
「ワタル君や、コーラをこうてきてくれんかのう?シュワシュワが飲みたいんじゃの」
「いいけど、僕もなんか飲みたい」
「最近の子供はちゃっかりしてんのう。ほれ、好きなもんこうちゃれ」
向かいのベッドの爺からお遣いを頼まれ、駄賃をありがたく頂戴してやった。
自販機のある2Fへと階段を下りて通路を歩いている最中だった。
いくつも個室を通り過ぎていく中で、一室だけ扉が開け放たれていて。
なんとなしにチラッと横目で見て息を飲んだ。
開け放たれた個室のベッドに座る一人の少女。
窓から降り注ぐ日差しに艶めく純白の髪。
吹き抜ける暖かな春のそよ風に揺れる髪は絹の糸のようにきめ細やかで胡乱な瞳で外を眺める顔は、夢うつつな眠り姫を思わせる高貴な美しさを放つ。
地上に舞い降りた天使だと思った。
彼女のうなじからは黄色く透き通った結晶のような小さな突起物が生えていて、日光に照らされて幻想的な輝きを放っている。
病気によるデキモノかもしれないが、宝石のように美しい。
純白の美しい髪と相まって彼女の存在そのものが神々しさを感じさせる。
僕は思わず足を止めて彼女をじっと見つめてしまう。
いや、目が勝手に吸い寄せられて離せないのだ。
まるで絵画を眺めているようで、しかもそれがリアルな肉質と立体感を持っているのだから目を奪われて当然だ。
これじゃあまるで覗きじゃないか。
我に返った僕は慌てて自販機へと走っていった。
気が動転した僕は、爺に買ってくるはずのコーラを間違えてコーヒーを買ってきてしまった。
僕の分のサイダーを奪われ、好きでもないコーヒーを飲む羽目になった。
しかもなんでよりにもよって無糖買ったし。
次の日、今度は自分から爺さんにコーラを買ってきてあげようかと聞いてやると、
「昨日のうめ合わせをしようってわけじゃな。ガキのくせに変な気をまわしよって」
嬉しそうにお金を渡してくれた。
当然僕の分も。
僕は硬貨を握りしめて2Fの自販機へ向かって歩いていく。
今日も天使のような彼女がいた。
入院患者なのだから当たり前だが、当たり前のことで胸が沸き立った。
外は生憎の雨だったが、降りしきる雨の雫を眠たげな瞳で見つめ、窓から手を伸ばしている。
傷一つない綺麗な両手に雨水を溜め、小さな水たまりとなったそれをしげしげと見つめる。
儚げで無垢なその姿は天使そのもので、下界の自然物を楽しんでいるかのようだ。
そんな彼女を病室越しにぼうっと眺める。
声をかけてみようか。いやでもなんて声をかければ……。
浮世離れするくらいの可愛い女の子と会話をするイメージを鮮明に想像し、心臓が大いに暴れ出していることに気づいた。
これまでにないほど緊張をしている。
高校では女子とそこそこ話す方だ。
サッカー部だし友人も多いし、女子の連絡先は30件以上ある。
バレンタインで女子からチョコを貰ったこともある。
まぁ、義理だけど。
女子に対する免疫はあるし、会話に意識をしたことなどほとんどないはずなのに。
僕はまた何をすることもなく自販機に向かって走っていった。
缶コーヒーとサイダーを買った。
わざとだった。
若いくせにボケとんのかと爺になじられてサイダーを奪われる。
コーヒーを無理やりあおった。
次の日。
爺にコーラを買ってきてやると言ったが、金もないからいらんと言われたので、僕が金を出すからと言って2Fの自販機に向かって走っていく。
天使の彼女が居る病室は扉が閉まっていた。
別に鍵が閉まっているわけではない。
引けば開くだろう。
問題なのは、引かなくてはならないということ。
個室なので扉を開けばその時点でコミュニケーションが強制的に始動される。
病室の前でしばらく逡巡する。
病室を間違えたフリというのは白々しい上にその先が続かない。
――こんにちは。君はここに来て長いの?
……余計なお世話で一蹴されそうだ。
いや、とても優しそうな彼女なら快く会話を受けてくれそうな気がしないでもない。
花が開いたような笑顔になる彼女の顔を思い浮かべると不安が和らいだ。
とりあえず、様子を軽く見ておいた方がいいかもしれない。
機嫌が良さそうならもしかしたら……。
バレないよう扉を数センチばかりゆっくりとスライドさせ、隙間から病室内を覗き込む。
……………………あれ?
病室に彼女がいない。
いや、窓もベッドも僕の目には映らない。
代わりに大きな白と黒のビー玉が視界いっぱいに映り込む。
鼻腔をくすぐるほのかなレモンの香り。
激しく動いていた心臓が、ビー玉の正体を認識して即座に凍り付く。
それは、彼女の瞳だった。
扉の厚さ僅か3センチ先。
息遣いすら届いてしまうほどの目と鼻の先。
僕の瞳と天使の瞳がかち合っている。
天使の瞳が瞬き1つした後、小さな口からナイフのような言葉を突きつけられる。
「こんの変態覗き魔がっ」
ソプラノの可愛らしい声色は、それに似つかわしくない冷徹な罵倒で僕の心臓を殴打した。
氷柱に心臓を刺されたのかと感じるほどに身体が冷たく硬直する。
激しく扉が閉められ、そのけたたましい音で我に返った。
顔が急激に熱くなる。
脳内が沸騰しかけている……脳内沸騰化現象か。
いや何を考えてるんだ僕は。
まずいこのままじゃ変態男の濡れ衣を着せられたまま終わってしまうなんとかしないと。
想いに反して身体は動かない。
天使のような女の子との出会いは、幸先が最悪にして再起不能になりかけた。
翌日も、翌々日も。
2F自販機の飲み物を買う体で病室を横切るものの、病室の扉は閉ざされていた。
扉を開けてみようかと悩むも、以前みたいに扉を隔てた向こう側に彼女が張り付いているのを想像してすぐに怖くなり、少しの間立ち止まっては通り過ぎる毎日。
もしかしたらストーカーの域にいるんじゃないかと思うが、純白な髪をそよ風にはためかせた彼女の儚げな姿が瞳の奥に焼き付いて頭から離れず、今日もまた、僕は彼女の病室の前に立っている。
今日こそ、ちゃんと挨拶をするために。
挨拶だけでビビりすぎかもしれないが、覗き魔という最悪のファーストコンタクトの後じゃ誰だって身体が震えるというものだ。
扉に手をかける。
心臓が口から飛び出そうなほどにバクバクと脈動する。
時間をかけすぎると日和ってしまうと思い、一気に扉を開いた。
扉のスライドする音とともにベッドに腰かけていた彼女は眠たげな瞳をこちらに向けて口を開いた。
「おー、この前の覗き魔じゃないか。ようやく病室に踏み込んできたな。待ちくたびれたぞ」
イツメンの友達みたいなノリで声をかけられたので思いがけず呆気に取られる。
「え、あ、うん。おはよう。あ、いや、こんにちは?かな」
ウエヘヘヘ、驚嘆と困惑入り混じる気持ちの悪い愛想笑いが口から漏れてしまう。
「あ、ごめん。じ、自己紹介。ワタルです」
「ラファだ。よろしくな」
ラファはベッドに腰をかけたまま手を差し出してくれたので、快く握手を交わした。
華奢な体から伸びる右手は小さく柔らかい。
少し力を入れただけで壊れてしまうんじゃないかと心配してしまうほどに。
ただ、可愛らしい容姿と華奢な体格にそぐわない、ふてぶてしい口調、不機嫌とも眠たげとも取れる重たく垂れ下がった瞼が印象的だった。
「……………………」
「……………………」
「あの…………」
「なんだ」
え、なにこの空気。
「さっき待ちくたびれたって言ったけど、僕を待ってたの?」
「そうだ」
「…………どうして?」
「だってお前、あれだろう。私の事が好きなんだろう。そろそろ告白しにくるんじゃないかと思っていたんだ」
――――なっ!?
「違うのか?」
告白しに来たわけではないのだが、違う、とも言い切れず口籠る。
10分にも満たない会話で分かったことは、ラファはフワフワした可愛らしい容姿とは対照的に剛速球ストレートのコミュニケーションを取るタイプであるということ。
表情にほとんど変化がなく、無機質?いや、常に寝不足のような不機嫌な顔をしているということだ。
そんなラファがこちらのアプローチを心待ちにしているように思えてしまうのは、僕の中の期待感が見せる幻想だろうか。
「き、気にはなっていたんだ。ちょっと顔を出して挨拶をしようかなって」
「ここ最近ずっと病室の前をウロウロしていたのってお前だろう」
「自販機にジュースを買いに行ってただけだよ」
「口実作りも大変だと思うが、女々しい男はモテないぞ」
うぅ…………。
身体がどんどん小さくなる。
穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。
まさか筒抜けだったとは。
恐らく看護師さんの誰かが彼女に告げ口でもして面白がっているんだろう。
女は口が軽いと相場が決まっているんだそうに決まっている。
「私は可愛いだろう。一目惚れするくらいに目を惹かれただろう」
「それを自分で言っちゃうの?」
「私に一目惚れをしたのはお前が初めてではないからな。私がこの病院に入院し始めてからはや半年。すでに10人以上いた。そしてそれは今後も増え続けていくであろう」
可愛いとはいえそこまでアプローチに来た男子がいるとは思わなかった俺はたじろぐ。
僕の前に長蛇の列が並んでいたという事実に。
10人以上も告白してくる人がいたなら、すでにラファには相手が…………。
「じゃあラファにはもう彼氏っている感じ?」
心臓をひりつかせながら彼女に聞いてみたが、彼女はあっさりと首を横に振る。
「いないぞ。誰も私の出した課題をクリアできなかったんだ」
「課題?」
「私が出した課題をクリアできた人は付き合ってやるという条件だ。お前もやってみるか?」
付き合うために女性から出された課題をクリアするなんてこれまでに経験はなく、彼女の発言が上手く飲み込めずに戸惑う。
「ちょっと待って。課題クリアしたら付き合うって変じゃない?普通はさ、恋愛って少しずつ仲良くなって人柄を知ってスマホでやりとりしたり、遊びに行ったりして会話とか雰囲気の相性を確かめて好きになっていくものじゃん?」
「スマホだろうがデートだろうがそれは相手を見極めるための手段であって本質ではない。私は課題を通して告白する男子どもの人間性を見極めたいんだよ。まぁ小難しい試験とかじゃないから安心していい。シンプルで凄く分かりやすいことだ」
「どんなこと?」
「3Fの窓から外へダイブする。たったそれだけのことだ」




