生存者Ⅰ 前兆
「准将! 包囲網は整いましたか?」
背広姿の男が陸軍の准将に問いかけた。
「ああ、病院の周囲は地元警察が閉鎖して、病院から半径2キロ以内を封鎖したよ。
しかし、良いのか?
病院の中には感染していない民間人が多数残っているのだろう」
「仕方が無いのです。
発病した者ならともかく、感染者と非感染者の区分けは時間がかかる血液検査しか手が無いのですから。
その検査をしている最中に感染者が発病したら、包囲する範囲が少なくとも町全体に及ぶ事になりますから」
「感染してから発病するまで、最低でも24時間かかるというのは面倒な事だな」
「ええ……。
時間がかかる血液検査以外では、発病者が襲うか襲わないかで調べるしかありません。
しかし、危険な発病者を隔離するだけでも一苦労ですからね。
ところで、封鎖状況はどうなっています?」
「そちらの指示通りにしているよ。
2キロの封鎖線の内側から外に出ようとしている者は全員問答無用で拘束。
病院から半径3キロの所に作られた封鎖線以内を立ち入り禁止にして、その外側から中に入ろうとした者たちも問答無用で全員拘束している。
と言っても、閉鎖している病院がこの辺唯一の総合病院だから、病院内で怪我をした者は全員病院内に留まっているだろうし、外部から中に入ろうとする者の大半は病気や怪我で病院に向かっていた人たちだから、問答無用で拘束したあと軍医が無料で治療に当たっているよ。
それと、2キロ以内の掃討作戦は君の指示待ちと言ったところだな」
「では、待ちましょう、感染者が発病したという連絡を」
そのとき男のスマホに着信があった。
男はスマホに耳を当て二言三言喋った後、直ぐ傍で男の事を見ていた若い部下と准将にスマホの内容を伝えそれぞれに指示を出す。
「CDCからで、発病が始まった。
突入部隊を病院周辺に展開させろ。
聞いた通りです、2キロ以内の掃討を開始してください」
若い部下と准将はそれぞれ頷き、待機している者たちに命令する。
若い部下は手に持っていた無線機に1言「突入せよ」と言い、准将は彼の後ろに待機していた将校たちに「始めろ」と告げた。
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バシィィーン!
病院の開いた窓の窓枠に左手を乗せ外に向けて右腕を伸ばしていた男の頭が、音を立てて消失した。
病院の周囲の上空には数機の、機首の下に投光器を吊り下げた軍のヘリコプターが旋回飛行している。
今しがた病院内の男の頭を消失させたのは、その旋回飛行しているヘリコプターに乗機している対物ライフルのスコープ越しに病院内を窺う狙撃手だった。
上空だけでは無い、病院を取り囲むように投光器を装備した軍のトラックや装甲車か多数停車していて、病院を封鎖している。
夜だというのに10階建ての大きな総合病院は、ヘリコプターやトラックの投光器によって真昼のように明るく照らされていた。
病院の屋上の扉の前、建物の外側にある2ツの非常階段の各階の扉の前、1階や地階の出入り口の前、そして1階の幾つかの窓の外には完全武装の兵士達が突入の合図を待って待機している。
「突入せよ!」
兵士たちが各自身につけている無線機越しに指揮官の突入の言葉が伝えられた。
屋上、各階の非常階段、各出入り口、窓の外に待機していた兵士たちが分隊毎に纏まって病院内に突入して行く。
病院内に突入した兵士たちに向けて、多数の病院の医師や看護師に入院患者と患者の見舞客だった者たちが、ヨロヨロと蹌踉めきながら近寄って来る。
近寄って来る者たちの頭に兵士たちは自動小銃や散弾銃の銃口を向け、躊躇する事なく引き金を引いた。
自動小銃や散弾銃の銃口から飛び出た弾丸は、ヨロヨロと近寄って来る者たちの頭を粉砕する。
兵士たちは近寄って来た者たちの頭を粉砕した後も油断せず、倒れたり崩れ落ちたりした近寄って来た者たちの動きを完全に止めた事を1体1体確認していた。
兵士たちは近寄って来る青白い顔をした者たちの動きを完全に止めながら前進し、診察室や病室のドアを開けたりロッカーの扉を開いたりして中を確認する。
中にいたのが青白い顔の者だった場合は躊躇う事なく頭に銃弾を撃ち込み、兵士の姿を見て歓喜の声を上げて抱きつこうとする人たちの場合は、その場で取り押さえて猿轡を噛ませ後ろ手に手錠を掛けて後続の兵士たちに渡される
猿轡を噛まされ後ろ手に手錠を掛けられた人たちは、後続の兵士たちによって病院の外に連れ出されて行った。
非常階段の3階の扉から病院内に突入した分隊の兵士たちの耳に、多数の赤ん坊が泣いているらしい泣き声が聞こえて来る。
泣き声を頼りに前進する兵士たち。
警戒しながら前進する兵士たちは、通路の角から泣き声が聞こえる方を覗き込んだ。
赤ん坊がいると思われる部屋のドアの前に多数の青白い顔の者たちがいて、部屋に入ろうとドアをドンドン! バンバン! 乱打し押し合いへし合いしているのが見えた。
ドアの前にいた青白い顔の者たちを全て排除し終えた兵士たちは新生児室と書かれたドアを開けようとしたが、ドアの向こうに障害物があり開けられない事に気が付いた。
ドアを開けようとしている兵士たちの後ろで周囲を警戒しドアが開けられるのを持っている兵士の1人が、新生児を新生児の親族に対面させる大きな窓があるのに気が付き銃を構えたまま数メートル前進する。
窓から中を覗き込んだ兵士は息をのみ絶句した。
中を覗き込んだまま動かない兵士に気が付いた分隊長が兵士の背後から中を覗き込む。
中には左腕の肉を大きく噛み千切られ白衣を血まみれにした青白い顔の女が、新生児を頭から貪り食っている。
新生児室の中には食われている新生児以外に、20人近くの新生児がベッドの中で泣いていた。
分隊長は新生児室のドアを押し開けようとしている兵士たちに爆破するように指示する。
それから無線機で病院の外にいる上官に新生児室に赤ん坊が20人いることを告げ、応援を求めた。
ドアが爆破され兵士たちが新生児室に突入。
最初に新生児室に突入した先程新生児室の中を覗き込んでいた兵士が、青白い顔の女の頭に散弾銃の銃口を向けて散弾を数発撃ち込み頭を消失させた。
青白い顔の女の頭を消失させた兵士は、罵声を浴びせながらゾンビの身体を何度も何度も足で蹴っ飛ばす。
「クソ! クソ! クソが!」
倒した青白い顔の女の身体に蹴りを入れ続ける兵士の肩を分隊長が掴み後ろに引っ張る。
「もう止めろ! 」
「何で止めるんですか? こいつは! 生まれたばかりの子供を食ったゾンビなんですよ」
分隊長はドアの前に築かれたバリケードの残骸と、顔にモップの柄を突き刺され倒れている辛うじて青白い顔と分かる女を指差し返事を返す。
「誰がバリケードを築いたと思う?
バリケードを築く事が出来たのは彼女だけだ。
バリケードを築きゾンビになった奴と戦い、力尽きたのだろう。
自分もゾンビになるなんて思いもせずにな。
誰が悪いと問われれば、病院に突入するのが遅れた俺たちが悪い。
あと数時間早く突入していれば、子供たち全員を助け出す事が出来たかも知れないんだからな」
「で、でも……」
「最近子供が生まれたばかりのお前の気持ちも分かる。
でも考えてみろ。
彼女がバリケードを作ったお陰でこの部屋のゾンビが1体だけで済み、犠牲も1人だけで済んだのだ。
彼女がバリケードを築かなければ外にいたゾンビ共がこの部屋に雪崩込んでいて、この部屋の子供たちは全員ゾンビの餌食になっていただろう」
「クッ……」
• • • • • • • • • •
サラは寝たまま手足を伸ばそうとして、伸ばそうとした手足が何かに阻まれて目を覚ました。
身体を起こして周りを見渡し自分が今どこにいるか理解する。
車の運転席を後に倒した状態で寝ていたようだ。
何故ここで眠っていたのか記憶をたどる。
一昨日病院に出勤して早朝当番の同僚と交代して勤務につく。
勤務時間が終わる1時間程前に、夜勤当番のいつもお世話になっている先輩看護師から電話が来る。
母子家庭の先輩の幼い娘さんが熱をだしたんで、夜勤を交代して貰えないかとの頼みの電話だった。
勤務後の予定も無く、サラが困っているときに気軽に勤務時間を交代してくれる先輩という事もあって、頼みを引き受ける。
昨日の早朝、やっと勤務が終わると思ったサラに、産婦人科病棟担当婦長から早朝当番の者が出勤して来ないので勤務の継続をお願いされた。
疲れてはいたが、若さと体力だけが自慢のサラはそれを引き受ける。
その結果、お昼の1時過ぎまで勤務を続ける事になってしまう。
早朝当番者が無断欠勤しただけでなく次の当番者が遅刻した所為であった。
疲れと眠気でボーっとしているサラは婦長にお礼のサンドイッチが入った袋を渡され、フラフラと自分の車に辿り着き、貰ったサンドイッチを食べていたらそのまま眠ってしまったのだと思う。
その証拠にサンドイッチの残骸が助手席の上に放り出されている。
車の時計を見ると20時間近く眠っていた。
道理で腹が空いて目が覚める筈だ。
腹の要求を満たすために病院内の食堂へ足を運ぶ。
車から降り病院の職員用出入り口に向かうサラの目に、病院の敷地に入る出入り口の前に数人の警備員が屯してるのが映る。
普段出入り口の警備員詰所にいる警備員は1人だけなので変だなぁーと思いよく目を凝らすと、出入り口の外側に警察のパトカーか出入り口を塞ぐように止まっている事に気がついた。
なんかあったのかなぁーと思いながらも、ま、良いかと思い直し腹の要求を満たす為に病院の中に入って行く。
食堂で腹の要求を満たしていたら、産婦人科病棟担当婦長が疲れ果てた表情で食堂に入って来た。
婦長は食事をしているサラに気がつくと声を掛けて来る。
「あれ? あなた、どうして病院の中にいるの?」
婦長に声をかけられてサラは口の中の物を慌てて飲み込んでから返事を返す。
「え? どうして病院の中にいるのって、どういう事ですか?」
サラの返事に婦長はある事に気が付き尋ねる。
「あなた、また車の中で寝ていたのね?
でもお陰で助かるわ」
頭を掻いてそのことを笑って誤魔化してから問いかけた。
「ハハハハハハ
助かるわってどう言う事ですか?」
そこまで言ってサラは婦長の手首に包帯か巻かれている事に気が付き、その事を問う。
「って、婦長! その手首どうしたんですか?」
「昨日、あなたが帰ったあと大変な騒ぎが起こってその時に怪我したの」
「何かあったんですか?」
「キリアンさんたちが、突然暴れ出したのよ」
「キリアンさんと言うと、確か癌病棟に入院してる方で奇跡的な回復をみせていた患者さんですよね?」
「そう。
キリアンさんだけでなく、同じように癌病棟に入院していて同じように奇跡的な回復をみせていた何人かの患者さんたちも一緒に暴れ出したので、取り押さえるのに苦労したのよ。
騒動が治まっ後、キリアンさんが暴れ出すところを見ていた同室のジョンさんが教えてくれたのだけど。
循環器外科担当の先生がキリアンさんを診察しようとしたら、突然キリアンさんが胸を押さえてベッドに倒れ込んだらしいの。
先生が脈を診てADEで蘇生を行おうとしたら、何事も無かったようにキリアンさんが起き上がり、起き上がったと思ったら先生に掴み掛かったのだって。
で、それからが大変。
キリアンさんが担当の先生に掴み掛かって首や腕に噛みついて暴れている最中に、同じように奇跡の回復をみせていた何人かの患者さんが同じように暴れ出したのよ。
偶々近くにいた先生方や私たち看護師だけでなく、警備員や清掃員、見舞いに来ていた人たちなど周りにいた人たち全員で押さえ込んだのだけど、私のように噛まれた人が大勢出たって訳」
「噛まれた人たちは大丈夫だったんですか?」
「殆どの人は私のように軽傷で済んだけど。
最初に襲い掛かられた担当の先生や警備員の1人が重症で、集中治療室で手当てを受けているわ」
「キリアンさん達は?」
「縛り上げられて、精神科の隔離室に纏めて放り込まれているわ」
「大変だったんですね。
あれ? そう言えば、どうして病院にいるのとかお陰で助かるわって、どういう事ですか?」
「病院長がこの騒動の事をCDCに報告したら、未知の感染症の可能性の恐れがあるから、CDCの係官が到着して原因を特定するまで病院を閉鎖するように通達されたの」
「あ、だから、出入り口の前に警察のパトカーが横付けされていて、警備員の数も多かったんですね」
「そうなのよ、それでね、その所為で病院から出られないだけで無く、交代の看護師が来ることも出来ないの、だからあなたの次の勤務時間は夜からだけど今から勤務に入って貰えないかしら? お願い」
婦長はそう言って縋るような目でサラを見つめる。
「良いですよ、どうせ勤務時間までやる事ないんで勤務に入ります」
「ありがとう、助かるわ」
サラが産婦人科病棟に行く途中すれ違った医師や看護師、警備員や清掃員など多数の人たちが、身体のあちらこちらに包帯を巻いていたりガーゼを当てられたりしていた。
産婦人科病棟では昨日の騒動で傷を負った人は少ないようであったが、仲の良い看護師のエマが痛々しい程に腕が包帯で覆われている。
その事をエマに尋ねると、エマの祖父のジョンの所に休息時間に顔を出したところで騒動に巻き込まれたと話してくれた。
その他にはエマと同じように知り合いの見舞いに顔を出していた、出産間近で入院している妊婦さんの旦那さんのケンが巻き込まれた他、数人の看護師が巻き込まれたらしい。
交代の医師や看護師が来ないため、勤務している人たちは交代で休息を取っていた。
ただ、交代の者が来ないので疲労は溜まるけど通院患者さんも来院しない事もあって、何時ものてんてこ舞いする程の忙しさでは無い。
一息つこうと通路から死角になる産婦人科病棟の看護師詰め所の奥で、窓の外を見ながらコーヒーを飲むサラの耳に、何かが倒れる音とエマの「ちょっと、大丈夫?」と言う声が聞こえて来た。
死角から顔を覗かせ通路の方を見る。
すると、ケンが倒れていてエマが心配そうに声をかけていた。
助けに加わろうとケンの下に行こうとしたらケンが何事も無かったように身体を起こす。
エマの反対側から産婦人科医のメリッサ先生がケンに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
ケンは返事を返す事も無くメリッサ先生の方へ向くと、右手でメリッサ先生のショートカットの髪を鷲掴みにし左手で先生の白衣の襟を掴み、メリッサ先生を自分の方へ引き寄せて先生の首筋に噛みつき肉を噛み千切る。
「ギャァァァァー!」
頸動脈を噛み千切られたのか首筋から大量の血を噴き出しながら、断末魔の悲鳴を上げるメリッサ先生。
「キャァァァァー!」
「ヒィィィィー!」
メリッサ先生を助けようとする人たちと、悲鳴を上げながらその場から遠ざかろうとする人たちが入り乱れ、現場は大混乱になった。
詰め所の中でサラと同じく惨劇を目撃した同僚が、警備員室に電話をかける。
飲みかけのカップを放り出しメリッサ先生の下に駆け出そうとしたその時、パンパンパンと窓の外から銃声が響いて来た。
窓から銃声がする方を見る。
門の前で腕や手首に包帯を巻いていた数人の警備員が仲間の警備員に襲い掛かり、悲鳴を上げる仲間の警備員の身体を食い千切っていた。
その仲間の身体を食い千切っている警備員たちに向けて、出入り口の外にいた警官数人が発砲している。
出入り口の惨劇を見ていたサラの耳にまた背後からの悲鳴が響く。
振り向いて悲鳴の出どころに目を向ける。
エマがケンを一緒に押さえつけていた同僚の腕に噛みつき、腕の肉を噛み千切るところであった。
更に窓の外から新たな悲鳴が聞こえて来る。
窓の外にまた目を向けた。
病院の出入り口から門の方へ走り出てきた大勢の人達の内の何人かが、次々と胸を押さえながら倒れる。
倒れた人たちは何事もなかったように直ぐに立ち上がったと思ったら、出入り口に向けて走る人たちに襲い掛かり襲った人の身体に喰らいついた。
惨劇を目の当たりにして呆然としていたら耳に非常ベルの音が響く。
非常ベルの音で我に返ったサラは、産婦人科病棟の自分の担当部署である新生児室に向かおうとした。
詰め所から走り出ようとしたサラの前にモップを両手で握りしめた小柄な清掃員が立ち塞がり、噛み付こうと襲いかかって来る。
清掃員が握りしめているモップを自分も両手で握り、自分の方へ引き寄せながら清掃員の胸を右足で力一杯後ろに蹴り飛ばす。
清掃員はモップから手を離し後ろ向きに通路に倒れ込んだ。
通路に後頭部をゴツン! という音が聞こえるほど強く打ち付けたにもかかわらず、清掃員は何事もなかったように立ち上がりまた掴み掛かって来る。
それに対し両手で握りしめているモップを力一杯振り回し清掃員の側頭部に叩きつけた。
清掃員はモップを叩きつけられた衝撃で、通路の隅に吹っ飛ばされる。
モップの柄が3分の1程の所で折れる程の力で殴ったにもかかわらず、清掃員はまた何事も無かったように起き上がろうとしていた。
それを信じられないといった表情で見つめていたら右上腕を誰かに後ろから掴まれる。
振り返ると白衣を血で真っ赤に染め青白い顔になったメリッサ先生がいた。
「先生! 大丈夫なんですか?」
問いかけに答えず先生は掴んでいる腕に噛みつこうとする。
モップを持ってない空いている左手でメリッサ先生の頭を押さえ、先生の身体を自分の身体ごと通路の壁にぶち当てて先生の手を振り解いた。
先生の手を振り解いて周囲を見渡す。
そこには人が人を襲い、襲った人が襲われた人の肉を噛み千切り頬張り飲み込んでいる光景が広がっていた。
彼女は掴みかかって来る清掃員とメリッサ先生の手をかわし、新生児室に向け走る。
新生児室の前でも詰め所の前と同じ光景が広がっていた。
新生児室に走り込みドアを閉めて周りを見渡す。
床に同僚の看護師マリリンが血塗れで倒れているのが目に入る。
マリリンは新生児室に走り込んで来た彼女に気が付くと、血塗れの腕を新生児が寝かされているベッドが並んでいる方に伸ばして必死に声を出す。
「か、彼女を止めて! 」
指し示された所では、耳をガーゼで覆ったキャスリーンが新生児の1人を掴み上げ噛みつこうとしていた。
それを見て持っていた折れたモップの柄をキャスリーンの顎の下に水平に入れ、力一杯後ろに引っ張る。
引っ張られた事により、キャスリーンは掴み上げていた新生児を床に落とす。
キャスリーンの手から新生児が離れた事を見て、キャスリーンを後ろに引っ張り続け新生児室のドアを足で開けてキャスリーンを通路に放り出した。
キャスリーンを通路に放り出したとき逆に顔や腕の肉を噛み千切られ血塗れの男が新生児室に入ろうとしたので、そいつの身体に組つき新生児室から押し出す。
男を新生児室から押し出して周りを見渡したら、新生児室の方へヨロヨロと近寄って来る血塗れ人たちの姿が見えた。
血塗れの人たちが近寄って来るのを見て新生児室のドアを閉め、ドアの前に新生児が寝かされているベッド以外のあらゆる物を積み上げてバリケードを築く。
バリケードを築き終わり床に放り出されたままの新生児の所へ歩み寄ろうとしたら、左腕を、誰かに掴まれ腕の肉を噛み千切られた。
「ヒィー! 痛ーい」
悲鳴を上げながら身体を捻り、左腕を掴み肉を噛み千切った相手を見る。
マリリンだった。
マリリンは左腕を両手で掴み噛み千切った肉を咀嚼し飲み込み、また左腕に噛みつき肉を引き千切る。
肉を食い千切られる激痛を歯を食いしばって耐え、バリケードを築くため放り出してあったモップの柄を右手で探り当てて握り締め、折れて鋭く尖っている先端を更なる肉を求め大きく開けられたマリリンの口の中に、力一杯突き刺す。
モップを口の中に突き刺してもマリリンは動きを止めず、肉を求め掴みかかって来る。
全体重をかけてマリリンを押さえつけて、その頭に何度も何度もモップの先端を突き刺す。
マリリンの顔の形が分からなくなった頃、マリリンは動きを止めた。
マリリンが動きを止めた事に気が付いた時には彼女も左手からの出血が多すぎた所為で、マリリンの身体の上に崩れ落ちる。
床に横たわった彼女にはもう立ち上がる力は残っておらず、床に放り出され泣いている新生児の方へ顔を向け謝罪の言葉を口にした。
「ごめんね、もう立ち上がれないんだ、ごめんね……」
意識を手放す直前、耳にヘリコプターの爆音が微かに聞こえて来ていた。
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病院内の掃討作戦は続けられていたが、安全が確保された部分の方が多くなっている。
病院内部から引きずり出されてきた死体は、身元確認のDNA検査用に皮膚の一部を採集されたあと駐車場の一角に掘られた大きな穴に放り込まれ焼却された。
生きている人たちは身元を確認されたあと着ていた物を全て剥ぎ取られ裸にされる。
裸にされ身体の隅々まで調べられ、身体の何処かに人に噛まれた傷がある人は、傷の手当ても受けられないままトレーラーのコンテナに放り込まれた。
身体の何処にも傷が無い人は、猿轡を噛まされ全身の自由を奪う拘束着を着せられて幌付きのトラックに乗せられる。
それらの作業を見て顔をしかめてた部下の若い男に背広姿の男が声をかけた。
「こんな事で顔をしかめるな、まだ前兆だぞ」
「それはそうなのですが……」
「俺達の任務は、アメリカ合衆国がこれから先も存在し続ける事が出来るように、逃げ込める場所や篭城出来る施設を構築している別班の奴らの用意が整うまで、少しでも時間を稼ぐ事だ。
本番はこれからだ、呆けている暇なんて無いんだぞ、気を引き締めろ! 」
部下の若い男は上司の言葉に背筋を伸ばし、自分に活をいれるように返事を返す。
「はい! 」
男は若い部下の返事を聞いて頷き、彼らの近くで陣頭指揮を執っている准将と、病院に突入した部隊の指揮官に歩み寄る。
最初に突入部隊の指揮官に声をかけた。
「掃討作戦が終わったら准将に後を任せ、速やかに撤収しろ。
分かっていると思うが、取りこぼしは出すなよ」
陸海空及び海兵隊の4軍から集められた精鋭で構成された突入部隊の指揮官は、返事を返し男に敬礼した。
「分かりました! 」
続いて准将に声をかける。
「准将、後の処理はお任せしてよろしいですか?」
「構わんよ、此の作戦に従事したお陰で世界で今何が起こりつつあるか。知ることが出来たからね」
「ええ、必ず近いうちにゾンビが世界中に出現します。
同盟国になら兎も角、ロシアや中国に此の事が知られないように、海外に駐留してる部隊には知らせていませんからね。
最も中国は感づいていて、我々と同じ事を行っているとは思いますが。
准将もパンデミックが起きるまでに用意を整えておくと良いですよ。
ただし、他言無用でお願いします」
「分かっているさ、私は君たちラングレーとの付き合いも長いからな」
「それでは私たちは次の現場に向かいますので失礼します」
「ああ、頑張ってくれ」
そう言いながら准将は右手を差し出す。
男は准将と握手を交わしてから、男たちを迎えに来たヘリコプターの方へ歩いていて行くのだった。