第三章 二 三日間限定
すっきり目覚めた。
りりかは起きて、すぐに鏡の前に急いだ。昨日の事を思い出したのだ。顔に異変があるのではと、確認した。
異変はない。
一安心だ。
昨日のマンホールの蓋は何だったのだろうか。宙に浮く納得いく説明など出来ない。超常現象だと、片づけるしかない。それとも目の錯覚?
無理がある。忘れよう。
毎朝、砂奈と待ち合わして、登校している。
いつもより家を早く出たので、落ち合う場所で突っ立っていた。
りりかは砂奈を見つけた。あいさつもせずに「私の顔、変じゃない?」
砂奈も一瞬、キョトンとしてから、目を上下左右に動かした。
「別に普通だよ」
「そう、よかった」
りりかは微笑んだ。
「どうしたのよ。朝から」
「別に」
「別にって、あっ、もしかして……」
砂奈はりりかの顔をまじまじと見た。
「何よ?」
「もしかして」
「違うよ」
りりかは全力で頭を振る。
「何だ、残念。りりかに好きな男子が出来たかと思って、期待しちゃったのに」
「期待した?」
「そうよ」
「いたら、砂奈に即行言うし」
「本当?」
「いたらね」
「持ってまーす」
「砂奈もいたら教えてね」
「もちろん、だけど……」
砂奈は急に俯いた。
「何よ?」
「私が好きになっても、男子が嫌がらないかな?」
砂奈に笑顔はなく、深刻だ。
「砂奈、好きな人でもいるの?」
「……」
砂奈はゆっくり頷いた。
「誰?」
「……」
「まあ、いいよ。急がないと、学校に遅刻しちゃうから」
りりかは砂奈の腕を引っ張って、走り出した。
遅刻は免れた。ただし、走ったので、汗がびっしょりである。
教室に入ると「汗がすげぇな」
と、男子生徒が嫌悪感を込めて言った。
「失礼ね」
と、りりかは即座に睨んだ。
「怖っ!」
と、男子生徒は悪態をつくが、すぐにりりかから視線をそらした。
りりかは砂奈の好きな人が気になっていた。大体、目星はついているが、本人の口から直接聞きたいのだ。
聞くチャンスを見計らっていたら、昼休みになっていた。
砂奈はりりかに訊ねられる事を承知していた。だから、今日に限って、近くに来ないのだ。
「砂奈!」
と、りりかが呼びかけて、ニコニコとするが席に座ったまま動こうとはしないので、ずかずかと砂奈の席の横に行った。
「なあに?」
砂奈は喋りたくないのだろうか。
「砂奈、教えてよ」
「何を?」
「決まっているでしょう」
「決まってないよ」
「もう、恍けちゃって、好きな人よ!」
「……」
砂奈は一瞬、黙った。息を大きく吸った。
「当ててあげる。四谷先輩でしょ?」
りりかは自信たっぷりに砂奈の顔をまじまじと見た。
「やだ!」
と、砂奈は頬を染めた。
「やっぱり」
「違うよ。昨日も言ったでしょう」
「そんな事、言った?」
「もう……」
と、砂奈はまんざら嫌でもないようだ。
「四谷先輩の昨日の行動、すごく不自然だよ。あいさつって、あり得ないでしょう。今日も来たらどうする?」
「そんなのあるわけないでしょう」
その時だった。教室のドアが開いた。
「首藤!」
と、声が聞こえた。
砂奈はもちろんりりかも声の主に注目した。
そこに立っていたのは甲生だった。
「ほら!」
と、りりかは砂奈の肩を叩いた。
「……」
砂奈はもちろん、固まって動ける状態ではない。それに加えて顔がみるみる真っ赤に変化したのだ。相当、緊張している。
「砂奈」
「……」
「砂奈」
「……」
「佐奈」
「……」
「四谷先輩が待っているよ」
と、りりかは緊張がピークに達している砂奈を揺さぶった。
「はい……」
と、砂奈もようやくゆっくりと立ち上がった。そのために椅子の引きずる音が響いた。
「屁をするなよ」
と、無神経な男子生徒が言った。
「椅子の音よ。そんなのわからないの、バカじゃない!」
りりかは早口で捲し立てた。
「すいません……」
男子生徒は冗談のつもりだったが、りりかの剣幕に平謝りするしかなかった。
「さあ、早く」
りりかは砂奈に寄り添いながら、ドアの前までついて行った。ドアを開けて、背中を押した。
「いや……」
と、砂奈は小さな声で、出て行った。
りりかが教室内を見渡した。
「何してんの?」
男子生徒はまだ、頭を下げたままだった。
「すいません……」
「もういいよ」
と、りりかが言って、ようやく男子生徒は顔を上げた。
「りりか……」
砂奈の声である。
りりかは振り返った。浮かない顔の砂奈がいる。
「どうしたの?」
こんなに早く、戻ってくるのは意外で、疑問しかない。
「……」
砂奈は落ち込んだように下を向いた。
「砂奈、どうしたの?」
「先輩が呼んでいる」
と、砂奈は声は弱々しかった。
「えっ?」
「待っているから行っておいで」
砂奈の目には薄らと濡れていて、いつ涙が落ちてもおかしくなかった。「ぐずぐず、しないの」と、作り笑顔に強引に変えたが、一筋の水滴が頬を流れた。
「砂奈……」
りりかは砂奈に押されて、教室を出た。
甲生は廊下で窓の外を眺めていて、背中を向けていた。
「先輩……」
りりかは砂奈の姿を見て、色々と頭の中を巡らせていた。
甲生は気がつき振り返った。「やあ」と、言って手を振った。
「何ですか?」
りりかは怒りを抑えて言ったつもりだ。
「怒っている?」
甲生はニヤニヤしながら言った。
「怒っていません!」
「それなら、いいけど、せっかくのルックスが台無しだよ。笑ってよ」
「……」
りりかは無表情で口をつぐんだ。
「いや、あれだね、怒っている顔もかわいいね」
「用事って何ですか?」
「あのさ、昨日、首藤にあいさつに来た時から気になったから、思い切って今日は言おうと思う。付き合ってくれないか?」
「……」
「黙ってちゃ、わかんないよ」
「そんな事を急に言われても、砂奈の気持ちはどうするんですか?」
「はぁ? 首藤は関係ないだろう」
「砂奈は先輩の事が……」
「首藤の事は好きでもないし、それなのに俺と付き合えって言うのか」
「でも……」
「俺はお前と付き合いたいんだ。駄目か?」
「駄目とか、いいとかわからないです」
「それなら、一週間だけの付き合いは?」
「えっ?」
「駄目か? じゃあ、三日間だけの限定でどう?」
「……」
りりかは混乱していた。
「決まりだ」
と、甲生は言って、りりかの手を握って歩き出した。
「どこに行くのですか?」
「まあ、どこでもいいだろう。何てね。俺の教室」
「そうですか……」
階段を上った。三年生の教室がある廊下を歩いていた。
「甲生、誰だ? もしかして……」
廊下に立っていた三年生の男子生徒が驚いたように目を丸くした。
「彼女に決まっているだろう」
甲生は言い切った。
「さすが、モテ男はかわいい子を連れてくるな」
「先輩、彼女ってどう言う事ですか?」
「さっき、言っただろう。三日間でいいから、嫌ならその時に振ってよ」
「でも……」
「ここだ。さあ、入って」
三年三組の教室だ。
教室内はまばらだったが、窓際の後ろの方には男子生徒の固まりが五人いた。
「おお! 彼女、かわいいじゃないかよ!」
固まりの中の一人の男子生徒が言った。
「彼女じゃないです!」
と、りりかは否定した。
「まあまあ、怒らないでよ。ここはそう言う事にしていおいてよ。ねえ。お願い」
甲生は宥め、そして、ニコッと笑顔を見せた。
「何だよ、甲生、彼女じゃないのか?」
「そんな事ないよ。みんなが怖いから緊張しているだけだよ」
「強引に連れて来たんじゃないのか?」
「違うよね?」
と、甲生はりりかに同意を求めた。
「……」
りりかは返答しなかった。
「ほら、お前らが怖いから黙っているんだ」
と、甲生は言って、りりかの腕を引っ張り、教室を出た。
踊り場まで甲生は無言だった。
「今日はありがとうね」
「……」
「いきなり、色々な所に行って、驚かせちゃたね。こんなはずじゃなかったんだ。怒っている?」
甲生は笑顔はなく、真顔だ。
「怒っていないです」
「そう、それなら、よかった。教室まで送るよ」
「いいです」
「だよね。わかった。でも三日限定だから、それまでは付き合っているって事でいいよね」
「困ります」
「そうか、首藤には俺たちが付き合っているって言わないでいいからさ。それなら、いいだろう?」
「でも……」
「お前の教室にも行かないし、バレないよ」
「……」
「それじゃあ、明日の昼休みに俺の教室に来てね。来ないと、俺から行っちゃうよ」
と、甲生はニタッと頬を緩めた。
「わかりました。明日、昼休みに先輩の教室に行くんで、私のクラスに来ないで下さい」
「OK!」
甲生は手を振って送った。
りりかは砂奈の気持ちを思うと気が重かった。
教室のドアを開けるのを躊躇うほどだ。
なぜかドアを開けるのが重かった。それでもドアをようやく開けた。
「りりか!」
砂奈が走って来た。いつもの笑顔だ。
「砂奈……」
りりかは言葉が続かなかった。
「おめでとう。先輩と付き合うんでしょ?」
「いや……」
「どうしたの? 振ったの?」
「そう言うわけでは……」
「あっ! 私の事を気にしているのね。それなら大丈夫よ。片思いで終わった事がはっきりしたら、今はスッキリよ。りりかと先輩はお似合いのカップルだから応援するよ」
「ありがとう……」
「りりからしくないけど、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
と、りりかの言葉は弱々しい。
砂奈が話を続けようとしたが、五時間目の始まりのチャイムが鳴った。
六時間目も終わり、りりかは帰ろうとした。後ろに砂奈もついて来ている。
「あれ、今日は部活の日じゃないの?」
「そうよ」
「どうしたの?」
「こっちに行こう」
二階の踊り場で砂奈は上階に促している。
「そっちは違うわ」
「それじゃ、一緒に来てよ。お願い」
と、砂奈はりりかの手を握った。誘導しているようだ。
操られるようにりりかは三階に連れて行かれた感じだ。
帰宅する三年生をかき分けて、三年三組の教室の前で止まった。
「先輩!」
砂奈が始めに声をかけた。
ちょうど甲生が教室から出て来た。
「どうした?」
甲生は目をぱちくりさせる。
「一緒に帰りたいそうです。よろしくお願いします」
砂奈は言って、さっと踵を返して走り去って行った。
「砂奈!」
りりかが叫ぶも振り返る事もなかった。
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
「えっ、はい……」
いつもの風景は違って見える。
下駄箱から校門を出て、歩道を歩いた。
りりかと甲生は並んでいるが、手はつないでいない。それに無言だ。
甲生が会話をしないので、りりかは戸惑っていた。何を話していいかわからないまま、T字路で止まった。
「私は右ですけど……」
と、りりかは言った。
「俺は左だ」
「ここでお別れですね」
甲生は急にりりかの目の前を占領した。
「俺はりりかの事が好きだ!」
と、甲生は言い残して、行ってしまった。
りりかは突然の事で動揺し、返す言葉もなく、甲生の後ろ姿を見ているだけだった。




