踊り場
高層マンションの群れは、今まで訪ねた街よりも比較的新しく、所々に生活感の名残りが確認できる。同じような型のものが、道路で区切られた区画ごとに均等に並び建ち、その間を歩く私達はまさにジオラマに入り込んだ小人だった。
設計図を元に作られた街は、自然に侵食されていても、その人工的な美しさが分かる。歩道は十二分に広く、複数の車線に合わせていくつかの専用レーンや、整頓された交差点は、美しさと使いやすさを両立するために、その構造を計算しつくされている。渋滞など無縁の世界だったのだろうが、人が消えた今、この街は少し閑散としていて寂しく感じる。本来なら街の通りに並ぶはずだったお店も、公園やビルに置き換わり、それらは高層ビルの下層に造られた大型の商業施設に集められていた。朽ちた今でも人の流れがはっきりと分かるのは、この街が明確な意図を持って作られた何よりの証拠だろう。
「どれもこれも高すぎて首が痛くなるわね」
「倒れてきたら一溜りもない」
「一溜りくらいはあるんじゃないかしら?」
「一番嫌な死に方だ」
死ぬならポックリと逝きたいものだ。痛みや苦しみ、悲しみ、死ぬときくらいはそんなものとは無縁でいたい。
「妖精様は死んだことあるか?」
「ねえよ」
彼女はチラリと後ろを振り返った。もしもここが死後の世界だとしても、それを確認する術を私達は持ち得ない。仮に持っていたとしても、確認しようとは思わない。
「妖精は死ぬと樹に戻るのよ」
「リサイクルだ」
巨大な商業施設は、コンクリートの山のように、どんなに首を曲げても回しても、全体像が把握できない。せり出した上層階部分を支える無数の支柱は、一本一本が小さなビルよりも太く高く、「実はここには巨人が住んでいた」と言われても今なら信じてしまう。
正面に当たるガラス張りの入り口は、今でこそ歯抜けのような有様だが、昔は大きな鏡のように、何人もの女性を映してきたのだろう。
ガラスが砕ける音を聞きながら、開いたままの自動ドアをくぐる。
「うわあああ! 広い!」
中にはいると大きさがより実感できる。妖精様は私の頭から降りると、施設の中央吹き抜け部分へ飛んでいくが、すぐに姿を見失ってしまった。足元が草で覆われており、私は後を追うことはせず、階段を探してフロアを彷徨う。
天井から吊り下がった蔦を掻き分け、倒れた什器の隙間をくぐり抜ける。立ち上がって手に付いた土を払っていると、ふと視界の端に壁の窪みがあるのを見つけた。
ホコリを被ったピクトグラムの電灯は、その奥に非常階段があることを示している。ひび割れた壁を支えるように、四角い筒の中は青々としており、何処から種がやって来たのか、そんなことを想像しながら階段を登る。足元が悪く、手すりを求めて手をのばすが、本来それがあるはずの場所には、錆びた鉄の棒が等間隔で突っ立っているだけだった。
踊り場。そこにある壊れたベンチの上に、中年の男性が座っていた。
「ん……ああ、久しぶりだ」
「はじめまして」
男性を包む汚れて茶色くなったノースリーブは、酷く嫌悪感を催す。まさに「想像上のおっさん」をそのまま現実に持って来たようだ。しかし、そんな彼でもこの世界では、蔦を絡めたベンチの上では只者ではない。そんな雰囲気を漂わせていた。
「座るかい?」
「いえ……」
彼は重たそうに腰を上げ、剥がれたアウトソールを引きずりながら、私の方へ歩いてきた。近づくに連れ、彼の薄汚れた髭面の奥にある瞳がはっきりと見えてくる。
「今日はちっこいのはいないのか?」
私の周りを見回しながら、彼は不思議そうに尋ねた。記憶が正しければ、私と彼は初対面のはずだが、どうやら本当に只者ではないらしい。
「妖精様は探検に行きました」
「そうか。あいつは俺のことをボロクソに言ってくるから苦手―――」
「凄いもの見つけたわよ!」
彼が言い終わる前に、遠くの方から聞き慣れた声が響いてきた。とても美しい声だ。ここが神秘的な森の中で、私がそこに迷い込んだ良い感じの冒険家なら、さぞ幻想的に感じることだろう。歌のように、風にのって私達の耳元へ届くと、中年男性の顔から一瞬にして感情が抜けた。
「ではさらばだ。また会うときにゆっくり話そう」
「遠慮しておきます」
彼が階段を駆け上がったのと同時に、妖精様が後ろから、何やら布の塊のようなものを抱えて飛んできた。
「なんかここ臭いわね。じゃなくてこれ見て!」
彼女が布の塊を広げると、可愛らしい女の子が現れた。少女はピンク色の髪に花の髪飾りを乗せ、ピースの形にした手を頬に添えている。大きな瞳は星のようにキラキラと輝き、やけに平べったいことを抜きにしても、妖精様と並んでも遜色ないくらい可愛い。
そんなキャラクターが表面にプリントされた、大きな布だ。穴などは無くかなり状態が良い。
「とっても可愛いでしょ! 大収穫だわ!」
「大きくて使いやすそうな布だ。風呂敷として利用しよう」
「下に敷いて使うのよ」
彼女は少女を小さく折りたたむと、私の頭に乗せ、その上に座る。
「あなたの頭、少し座り心地が悪かったのよね」
風呂敷の包み方を学んでおけば良かった。そうすれば、妖精様を布で梱包し、中身が分からないまま先程の中年男性に渡して一件落着。そんな未来が有り得たかもしれない。