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足湯

 白い帽子を被った大小様々な岩。それらの中を、仄かに湯気を立ち昇らせながら、曲がりくねった川が流れていく。川岸の擁壁に生えた植物は、雪の重さで皆項垂れている。私達もそうであった。全ての生命体が、じっと顔を伏せ、興奮した表情を必死で隠している。穏やかな静寂に、つい耐えかねて私は空を見上げてしまった。曇り空に舞う小さな花びらが、私の頭に、肩に、靴の上に積もり、少し経って足跡を消してしまう。寒さのせいで時間までもが凍りつき、私達が歩いてきた過去の形跡は、もはや誰にも窺い知ることは出来ないだろう。

 胸元の服の間から、妖精様が顔だけを出して白い息を吐いた。


「さっむ」

「冬は寒い」


 足を踏み出すたびに、さくさくと心地よい音が聞こえてくる。道路の端にあった階段を使い川岸へ降りると、岩の少ない場所を探して雪景色の中へと入り込む。寒さの中に時折、湿気を含んだ温かい空気が漂い、私は何かに誘われるように川の浅瀬へと向う。岩に囲まれた、流れのない小さな水溜りのような場所を適当に選ぶと、しゃがみ込んで手をつけた。チクチクとした痛み、そしてじんわりと湯の温かさが上ってくる。こういうのは少し熱いくらいが丁度よい。

 私は手頃な岩を見つけると、被っていた雪を払い恐る恐る腰掛ける。おもむろに靴と靴下を脱ぎ、裾をたくし上げ、いざ足湯なり。


「あ゛〜〜〜」


冷え切った足に湯が触れた瞬間、お腹の奥から思わず声が染み出してしまった。全身に力が入り、拳を握りしめ、口からは言葉にならない声が、歯の隙間から漏れ出る。足の先から電流が体の芯を駆け抜け、胸に達すると穏やかに消えていく。次第に眠っていた神経が目を覚まし始める。悴んだ足が融解するに連れ、湯気と共に熱さがじわりじわりと体を這い上がってきた。


「はぁ……気持ちいい」

「そんなに?」


 妖精様は胸元から服伝いに降りると、誰が許可したのか私の太ももに腰掛けた。細く白い足が湯に触れた瞬間、彼女は髪を逆立てて跳び上がる。


「あっつ!」


衝撃でせっかく慣れつつあった足が再び茹でられ、痛いのか気持ちいいのか分からないが、喉から濁音の混じった汚い声が発せられる。湯気と一緒に、血まで頭に登ってきた。


「温泉は静かに入るものだ」

「よく入れるわねぇ……」

「子供にはまだ早い」

「老人が」


そんな妖精様だったが、少し経てば熱さに馴れたようで、あれよあれよという間に顔が溶け始めていた。私はもう既に溶けきっている。


「はぁ気持ちいい」

「妖精の国にはあるのか?」

「無いわ。でも人間の国には似たようなのがあったわね。一度だけ入ったことあるけど、全然!」


 他愛の無い会話が続く。湯気が辺りを漂い、雪景色の中へ溶け込む。近くに生えていた木が、枝をしならせどさりと雪を落とした。川の音、妖精が湯を掬うと、水面が揺れ小気味良い音が耳を触る。言うまでもなく、私達が湯から上がる頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。

 そこはこじんまりとした、小さな木造のお屋敷だった。珍しいことに、周辺の建物は原型を留めたものが多く、内装はお世辞にも綺麗とは呼べないが、雨風を凌ぐには充分すぎるほどだった。

 植物を細く割いて適当に束ねる。微かに感じる爽やかな香りを楽しみながら、私は着火具を勢いよく擦り火花を咲かせた。金属粉に灯った小さな火種が、次第に甘く芳ばしい香りを漂わせる。これはこれでずっと嗅いでいたいが、今更そういうわけにもいかず、私は枝と枯れ葉の山へ放り込んだ。

 床に丁度良く空いた穴。囲炉裏のように暖を取る。特段寒いわけではなく、単に雰囲気的なものがこうしろと言う。外は闇夜に紛れてしとしとと、静かに雪が降り積もり、聞こえる音は私の呼吸音か、妖精様の騒がしい声―――言うほど静かでは無かった。むしろ外が静かな分、昼よりも煩い。

 ようやく山に火が移り、妖精様の声もささやかな雑音とかした。


「この屋敷地下があるわよ!」

「気の所為だ」


探検から一時帰還した妖精隊員が、いらぬ成果を報告してくる。


「お宝が無いか探してくるわね」

「出来れば灯りになるものを頼む」

「自分で探せ」


行ってしまった。数分前の私なら彼女に着いて行っていただろう。しかし、例えここが廃墟といえども、火の後始末は私が責任を持って行わなければならない。自分に何ら関わりのないものでも、人間は火事を本能的に嫌い、恐れるものだ。もちろん全て建前に過ぎない。妖精様に聞かれたときのために考えていたものだが、実際は火遊びがしたいだけだった。

 妖精様が帰ってくるまで起きているつもりだったが、ふと目を覚ますと辺りが少し明るい。火事になったのかと思い慌てて囲炉裏を見るが、既に火は消え、煙が細く灰色の糸を引いていた。屋根やら壁やら、至るところに空いた隙間から外の陽光が差し込んでいるようだ。

 妖精様はまだ帰ってきていない。明るくなってから屋敷を周ってみたが、どこにも姿はなく煩い声もしない。そして昨日彼女が言っていた地下という文言。これは私の見落としか、体の大きさの問題か、それらは定かではないものの、どこにも地下へ続く通路が無いという事実が、私の心を少しだけ揺さぶる。以前にも一週間程、行方不明になったことはあった。というよりも、思い出せばかなりの頻度で行方をくらますことがある。大抵は好奇心が先に立ち、そのままふらふらとどこかへ消え、しょうもないものを引っ提げて帰ってくる。

 私は一度屋敷の外に出た。真っ白の雪景色が、陽の光を反射して目が眩む。ひんやりとした心地良い寒さが寝起きのボケた頭を叩き起こし、腕を上げ全身を上下に伸ばすと、凝り固まっていた体が解ける。屈んで足元にあった雪に手を触れる。妖精様が帰ってきたら、彼女を頭にして大きな雪だるまを作ろう。

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