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高層都市

 壁から迫り出すように取り付けられた、狭く長い通路。片側一面のガラスから下の階層を覗くと、似たような構造の建物が、不規則に乱立しているのが見える。通路は並び立つビルの隙間を縫い、しばらくして、どこかの路地裏へと辿り着いた。薄暗く、隙間や窓ガラスから漏れた光に、宙を漂う埃が吸い寄せられる。


 私は、新鮮な空気を求めて広い通りに出た。通りとは名ばかりで、あるのは幅の広い歩道だけだ。車道が敷設されているはずの場所は、光を取り込むために、そこだけポッカリと切り抜かれ、それぞれの区画は、本通りを堺に完全に切り離されていた。所々に、対岸へ渡るための歩道橋が掛けられているものの、錆びついたそれは、今にも崩れそうなほど頼りない。


 随分と個性的な街並みだ。しかし、ここには同じような街が上にも下にも、遙か先、霞んで見えなくなるほど、どこまでも延々と続いていた。街の全貌を把握するには、私一人では不可能だろう。妖精様が居たら……やはり不可能だ。


 歩道の端に近づくと、柵の隙間から、層状に積み重ねられた街の断面が見える。パズルのように組み立てられた鉄骨。小さな部材が無数に合わさり、物理法則を無視した、理解しがたいほど巨大な街を構成している。私は、飲み込まれそうな恐怖感に襲われて、ゆっくりとその場から後ずさる。無意識のうちに、近くにあった街灯に触れていた。錆のざらついた触感が、やけに細かく伝わってくる。嫌な妄想が、止めどなく湧いては消え、今になってようやく下を見たことを後悔した。


 無数の雑音に混じって、微かに音楽が聞こえてくる。どこか聞き覚えのあるそれは、幻聴のように空間を漂い、意識を向けた途端、雑音の中に溶けて消えてしまう。振り返っても、それはどこにも見当たらない。


 日が沈んだ。頭上にある採光用の通路から、白く滲んだ人工的な月明かりが差し込む。大通りから外れて、入り組んだ小路に入ると、あっという間に周囲が闇に包まれて行き先を見失う。窓から漏れた弱々しい灯りに照らされて、私はただひたすら足元の影を追う。


「おーい」


 突然聞こえてきた声。にしては、よく聞き慣れた声だった。私は、傍にあった建物を見上げて、三階の窓から、こちらに手を振る妖精様を見つけた。どこかの排気口で別れて以来、数週間ぶりの再会になる。


「308号室だよ〜」


 小さなビジネスホテルだ。受付には、人の代わりに自動販売機のようなものが設置されていた。無数に並んだボタンの内、空いている部屋のものを押すと、鍵が出てくる仕組みらしい。端の一部屋以外、全て空室になっている。


 すぐ脇の階段を上って三階へ向かう。天井から吊るされた電球が、チカチカと眠たそうに瞬きを繰り返している。扉の正面に書かれた部屋番号を数えながら、薄暗い廊下を奥へ進むと、ちょうど突き当たりに差し掛かったところで、正面の部屋の扉が開いた。


「おかえりー」

「……ただいま」


 今まで何となく感じていた不安が、部屋へ入るのと共に、体からすっと抜けていく。悪い憑き物は、妖精様に浄化されてしまったようだ。


 妙に腹が立つ。私を置いていきやがって、という怒りもあるが、それよりも、私自身が彼女との再会を喜んでいることに対して腹が立つ。長く一緒にいたせいで、孤独を忘れてしまったらしい。


 そんな私の内心とは裏腹に、彼女は先輩面して部屋の案内をしてくる。


 小さなテーブルランプが、ぼんやりと部屋の中を照らしている。無地の壁紙は少し色褪せていて、所々が破けていた。ベッド近くに額縁が飾られていた。中身が無いのは、そういう芸術だからだろうか。


「もう会えないかと思ったわぁ」

「会える」

「大層な自信だこと」


 いつか会える。そしてこの”いつか”は、私たちにとっては、決して永遠という意味ではない。限りある時間の中で、私たちはいつか必ず再開できる。そんな気がするのだ。


「じゃ、さっさと寝ましょ。おやすみ~」


そう言って、妖精様はベットのど真ん中を陣取った。引きずり出してやろうかとも考えたが、早速寝息を立て始めた彼女を見ていると、そんな衝動も薄れてしまう。


「おやすみ」


私は妖精様の上に寝転んだ。薄れただけで、無くなってはいない。




 下から掬うように風が吹いて、寝起きの髪の毛が一層乱れた。


 組み上げられた無数の鉄骨の中を、コツコツと足音を鳴らしながら、建設用らしき階段を使って上っていく。幾重にも折り返したそれは、周囲が明るくなると共に、いつしか終わりが見えてきた。


 鉄柱に取り付けられた梯子を登る。所々が錆ついて、細く頼りないそれを、ひたすら無心で手を動かして、ようやく登り終える。疲れが溢れてきて、私は作業床に倒れるように寝転んだ。詰まりに詰まった息を吐きだしながら静かに空を見上げていると、妖精様が残念そうに言った。


「なーんにもない」

「空がある」

「どこにでも……そう言えばなかったわね」


 紺色の空に浮いた雲が、輪郭を赤く染めてどこかへ流されていく。上体を起こし、近くの手すりに背中を預けると、地平線から迸る日の光が、冷たい風と共に私の汗ばんだ体を通り抜けた。


 何時ぶりの夜明けだろうか。何日、何か月、何年。もう思い出せない。


「まだ作る気だったのかしら」


 周囲に散乱した、部材や重機の数々。ただの好奇心から始まった冒険は、最終的に建設中という形で終わりを迎えた。徒労だったのだろう。今思えば。


「はぁ。下りるのも一苦労。パラシュートを持ってくるべきだったわね」


途中で引き返すことも出来た。しかし、引き返すくらいなら先を見てからでも遅くはない。時間はいくらでもあるのだから。


 立ち上がって背中を伸ばす。改めて周囲を見渡してみると、その広さに圧倒されてしまう。だだっ広いコンクリート製の床に、乱雑に置かれた、部材とも瓦礫とも判別つかない何か。支柱の影は、一面の青い背景に隔てられ、作り物のようなコントラストが距離感を狂わせる。あの先に何があるのか、今の私は鮮明に思い描くことが出来る。


 梯子に足をかける。来た時と違って、恐怖はあまり感じない。最後に空を見て、何の特徴もないそれを脳裏に焼き付けた。


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