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調査員B

 日差しが真上から降り注ぐ。


 片側3車線の幹線道路は、大きく弧を描きながら街を横断する。一面のアスファルトは、所々に出来たひび割れから、小さな草本が生えている程度で、まるで黒い川のように、白線に沿って水の代わりに熱気が流れていく。


 日光を遮るものが何も無い。道の左右に建ち並ぶ廃墟は、下方に瓦礫が積もり、そこから生えた樹木の下だけが日陰になっていた。やけに広く感じる空は、その見惚れるほどに美しい青を見るものは誰もおらず、歩くものは皆俯いて、ただひたすらに太陽を恨む。落ちた汗は蜃気楼となり、再びここへ人を誘うのだろうか。


 停滞した夏。熱気に覆われた真っ昼間の道路を、男が1人歩いていた。灰色のバックパックを背負い、道の脇を、見るからに疲れた様子で進む。


 崩れた案内標識の残骸と、そこから生えた異様に青々しい樹木。木陰を見つけて安堵したのか、男は立ち止まって額の汗を拭う。バックパックを背中から下ろして、近くの段差に座った。服の胸元をパタパタと仰ぎ、暑そうに、鬱陶しそうに、肺に溜まった熱気を吐き出す。


 息を整え終えたところで、バックパックを開いて、鉛筆と、バインダーに挟んだ紙の束を取り出した。無数の紙には、手描きの地図が記され、彼はそれをいくつか捲りながら、一番上に挟まれていた未完成の地図に、今日一日辿ってきた道を描き足す。


「これ全部手描き? すごいわねー」


 突然、真横で声がした。彼は驚いて、乱れた一本の線が地図を台無しにする。


「……妖精?」

「ふふん! 崇めなさい!」


小さな女性は、男の顔の前で得意げに胸を張る。


 色とりどりの花を散りばめた、鮮やかなドレスを身に纏い、ガラス製の羽が、彼女が宙を舞うたびにキラキラと輝く。風が吹いて、彼女の髪の毛が空に溶けた。ほのかに感じる甘い果実の香り……彼女のものだろうか。手の平サイズでありながら、醸し出す存在感は、我を忘れて見惚れてしまう程のもので、彼もまた無意識のうちに呟いていた。


「───美しい」

「ん〜、最高」


 はっと男は我に返った。慌ててバックパックの中を漁り、新しい紙を取り出してバインダーに挟む。


「え、絵に描いてもいい!?」

「もちろん。ポーズ指定も可よ」

「じゃあもう少し自然な感じで……こっちを振り返ってるように……完璧」


 男は素早く筆を走らせる。汗が顎を伝い、紙の上に滴るが、そんなことはお構いなしだ。


 たった数分で、男は絵を描き上げた。精巧な鉛筆画だ。白黒でありながら、繊細な濃淡が鮮やかな残像を呼び起こす。


「ふぅ、完成」

「見てもいいかしら?」


 小さな女性は、当然のように男の肩に座った。彼が描いた絵を覗き込むと、少し不満そうに頬を膨らませた。


「足太くない???」

「……」


若干圧を感じながら、男は無言で消しゴムを取り出し修正する。


「……どう?」

「よし。それにしても上手ね。画家さん?」

「いいや。これはただの趣味」


男はバインダーを捲って、そこに描かれた地図を女性に見せた。


「こっちが本業。で、珍しいものがあったら絵にしてるって感じ」


 小さな女性は、目をまん丸にして地図を見る。地図自体が珍しいという理由だけでなく、その地図が、人が作ったとは到底思えないほど、緻密に書き込まれたものであったからだ。一体どれだけの労力を掛けたのか、考えるだけで胸焼けしてしまう。


「すっご……」

「それを言うなら君のほうこそ。妖精なんて初めて見たよ」

「超絶レアキャラだもの。当然!」

「……なんでこんな所に?」

「人を待ってるの。と、ようやく来たわね」


 彼女は軽やかに宙に舞うと、手を翳して、道の遠くを呆れた様子で眺める。男もつられて、蜃気楼に揺らぐ道の先───人の影を見た。




 上下左右に反射した熱線が、背中に背負った金属製の脚部を、恐ろしいほどに熱する。全身から吹き出した汗は、地面に落ちる前に蒸発……その真偽は、私の瞼に付いた汗を拭わなければ判断出来ないだろう。口の中がしょっぱい。


「遅いわよ〜」


忌々しい虫ケラの声が鼓膜を揺らしてきた。


 夏の暑さは、脳みそを煮沸して、思考がぐちゃぐちゃになる。何も考えられない。考えたくない。しかし、それは生き物としては当然のことで、何ら恥ずべきことではない。真に恥ずべきなのは、1人先に、日陰で休憩している妖精様のほうだ。土下座程度では許さない。


 私は脚部を地面に下ろしながら、反抗的な目で彼女を睨みつける。お互いにやる気満々だ。


「それ……足?」


 今にも殴り合いそうな剣呑な雰囲気を、男性の声が引き裂いた。彼は、私が運んできた脚部を興味津々な様子で眺めている。それは機械の足だったが、見た目は完全に人の女性のものであった。


 細く緩やかな曲線を描いて伸びた脛と、小さな足。踝から足の甲にかけて、艷やかな肌の下に感じられる骨の凹凸が、あまりにも生々しく、綺麗に並んだ指が今にも動き出しそうだ。足裏の湾曲の具合に合わせて広がった、皺の一つ一つまでもが再現されており、微かに浮かび上がる血管の青色が、人間である私の足よりも遥かに人間的な足を呈していた。


 極力見ないようにしていた太ももは、あまりにも艶めかしく、自分の中にある何かが、目を覚ましてしまいそに感じる。膝から足の付け根まで、骨の周りを覆う靭やかな筋肉と、女性的に付いた脂肪は、弛みとは無縁の美しく柔らかいものであった。胴体へ近づくにつれ少しずつ太くなり、股関節との境目で少し細くなる。人体模型宛らの、標準体型を完璧に再現した肉体だ。


 白味の強い肌色は、非人間的な雰囲気を感じさせる。しかし、それを否定するかのように、作られた血管と、骨と筋肉の僅かな隆起が、私の不安を煽るのだった。


「ほんと、よく出来てるわよね〜」

「……だよね! そうだよね! 作り物だよね! あーびっくりしたぁ……」


 何も言わなければ、私は屍体愛好家と誤解されてしまうだろう。そういうキャラクターを演じるのも悪くはない。しかし、私にはすでに妖精愛好家という肩書きがあるため、これ以上は不要だろう。


 男性は、私に足について尋ねた。代わりに妖精様が答える。


「これを……なんとかロボットの胴体と合体させるの」

「人格透写型掃除代行ロボット」

「そう、それそれ。よく覚えてるわねぇ」

「ロボット? それは、こういうの?」


 彼が紙束から取り出したのは、1枚の精巧な鉛筆画だった。作業服姿の女性を3面から描き写し、いくつかの文字が添えられている。私も妖精様も、そこに描かれていた人物か、もしくはロボットには見覚えがなかったが、何となく雰囲気から、あのロボット───足のない彼女と近しいものが感じられた。違和感と言うべきか。作られた非対称、欠陥、アンバランス。絵だとしても、人間はもっと不自然な見た目をしているはずだ。


「見た目は違うけどこんな感じだったわね。足無いけど」

「なるほどね。ありがとう」


そう言って、男は紙束を仕舞った。額の汗を拭って前髪を掻き上げると、バックパックを背負って立ち上がる。彼は、名残惜しそうに脚部を一瞥した。


「ロボットも気になるけど……そろそろ行くよ」

「そ、じゃあね」

「ああそうだ。これ、あげるよ」


 妖精様に渡した1枚の紙。彼女の姿が描かれていた。唸るほどに美しい絵だ。題材が良いのか、はたまた彼の腕が良いのか。


 男は手を振って、私達とは反対の方向へ行く。しばらくその背中を見送った後、私達も日陰から出て、もう少し休憩しようと再び日陰に戻る。暑すぎた。


「前通ったときは涼しかったのに……これが酷暑ってやつね」


当分の間、太陽の位置が低い時だけ歩くことになるだろう。彼女のもとまであとどれくらい距離があるのか、今は考えないでおく。

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