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引き返す

 背丈ほどの高さの塀から飛び降りる。短い浮遊感の後、足の裏から全身へと衝撃が伝う。ふぅ、と息を吐いて頭上を見上げると、妖精様が私の頭頂部へ舞い降りようとしていた。とっさに身を躱し、彼女がそのまま地面へ落下するのを見届けてから、私は先に歩き出す。


「まさか避けられるとわね」


頭の上に重みを感じた。重み……という程のものでもはない。しかし意外なことに、妖精様はあまり怒っていない様子だった。天気がいいからだろうか。


「偶然」

「鶏もびっくりよ」


気分がいいのは私の方かもしれない。




 街の一角。街路樹はいつの間にか森へと膨れ、そこから息をしようと背の低いビルが顔を出す。歩道に並んだ街灯は、劣化と体に巻き付いた蔦のせいでへし曲がり、先についたガラスが割れて中の電球が露になっていた。車道を歩いているはずが、足音はアスファルトのそれではなく、何処に根を生やしたのか、鮮やかな緑色に変色している。じきに全て雑草に呑み込まれて、道があった痕跡は消えてしまうだろう。


 なんてことを、今朝も同じように考えた気がする。何処か見覚えのある景色だったが、それが既視感に留まってしまうのは、そもそも私の記憶自体がそうであるからなのかもしれない。


 ふと立ち止まって、自分が交差点の中央にいることに気がついた。前後左右、私は自分の記憶の路を遡る。その最中、道の先に人を見たような気がして、いや確実に目が合っていた。彼か彼女か、私と同じように、相手を認識して立ち止まっていた。


「右ね」


私は、妖精様の声で現実に引き戻された。気の所為だろうと、もう一度道の先を見るが、そこには誰もいなかった。


 妖精様の指示通り、私は交差点を右折し、先に広がる全く見覚えのない景色に若干不安を覚えつつも、かと言って「違くない?」と妖精様に聞くことも出来ないでいた。私の推測に過ぎないが、彼女が道を覚えているなど万が一にもなく、何となく右だと思ったからそう言った、程度のテキトウなものだろう。いいや、100%正しいと断言できる。事実だ。


「ちなみにそこの木が教えてくれた」


突拍子もない言葉も、妖精様が言うと現実的なものに聞こえる。言っていることは非科学的で幻想らしくはあるが、しかし植物も、意思伝達の手段に類するものを持っている、という仮説も有ることを考えれば、強ちそうとも断言しきれないのが彼女の恐ろしさだ。昆虫や一部の動物のように、人間には知覚出来ない情報を感じ取れたとしても、何ら不思議なことではない。


 私は自分の脳みそを殴りたくなった。科学的〜や理論上は〜などという文言は、妖精様とは同じ次元に存在してはいけない。


「ふぁんたじっく」

「ふぇありーだもの」


ぶちのめせば経験値がもらえるかもしれない。




 薄暗い廊下を歩く。等間隔で並ぶ半透明のガラス窓は、外側を蔦性の植物が鉄格子のように覆い尽くし、その隙間から差し込む僅かな光だけが、廊下の先を照らしていた。少し湿気っており、服の下に纏わりつく粘性の感覚が、私を絶え間なく不機嫌にさせる。壁に浮かぶカビ、淀んだ空気。廊下の片側に並ぶ扉には、部屋番号と思しき文字板が嵌め込まれている。地下刑務所のような空間は、二度と歩きたくないほど劣悪だったが、残念なことに私にとってはこれが二度目になる。私たちは忘れ物を取りに、この永遠に廊下が続く空間へ戻ってきたのだ。


「ここだっけ?」


 扉を1つずつ開けて中を覗く。玄関、台所、そして少し狭い居間。刑務所と言い表したが、ここは一人暮らし用のアパートか、寮のような場所であった。ただし、薄暗い室内に住んでいるのは、植物とカビ菌だけだ。


「ここだ!」


何番目かに覗いたその部屋は、他と違って室内が明るかった。妖精様を追って、土足でリビングへ入ると、肌に水気を帯びた空気を感じる。程よく冷えたそれは、みずみずしいと表現するのが適切だろうと、私は部屋の奥の窓に近づきながら考えた。


 ポッカリと開いた窓。覆い隠すものは何もなく、久しぶりに見た青空は、瞳を通して脳内の靄を拭い去る。私は窓枠這う植物に手を引っ掛け、上半身を乗り出した。


 風が前髪を掻き上げる。少し瞼を閉じて、風が止むのを待った。薄く開いた視界に映るのは、空と緑に飲まれた街並みという、よく見慣れた組み合わせであったが、私は思わずため息を溢した。私自身そのことに驚き、少し疲れていたのだろうかと、アキレス腱を伸ばす。


 眼下に広がる街並みは、ここへ来る前に通った道で、こうして高いところから見下ろすと、新しい発見が多くある。おぼろげな記憶が呼び起こされ、無意識にそれをもう一度再生する。それを三人称視点で私は眺めていた。


「あの細いビルって奥に長かったんだ」

「忘れ物は」

「ほい」


妖精様が、私の前でくるりと回ってみせた。結んだ髪がふわりと靡く。スカートの裾が可憐な花のように舞い、そして澄ました顔が私に向けられた。そう言えばと、彼女の言う忘れ物は小さな糸くず───彼女にとっては髪飾りか───であったことを思い出した。彼女は非常に美しいため、髪を結ぼうが解こうが、それらは些細な変化に感じてしまうが、私は寸前のところで言葉を飲み込んだ。「変わんない」なんて言った日には、私の頭頂部の髪の毛量が、約50%程減少することになるだろう。


「ねえ。ここから飛び降りるのはどうかしら? 私、またあの廊下通るの嫌なんだけど」

「よし」

「何の『よし』かは聞かないでおく」


このやり取りも二度目だ。時間的にはそう昔のことではないはずなのに、ちょっとした懐かしさを感じる。


 階段を下りると、ようやく建物の外に出られる。そう思うと自然と足が早くなり、軽快な音と、妖精様の怒る声と、自分の息遣いが、遠くの方で聞こえてきた。苔生したコンクリートは滑りやすく、私は片足を踏み外して、咄嗟に手すりを掴んだ。反対側の足に体重が伸し掛かる。手のひらが錆の赤褐色に汚れ、妖精様の呆れ声には耳を貸さずに、立ち上がって服の裾で拭い去った。


「二回目。これを言うのも二回目」

「足首痛めた」

「無茶し過ぎよ」


歩く度に、足首に鋭い痛みを感じる。試しに体重を掛けてみると、私は素っ頓狂な声とともに跳び上がった。かなり重症みたいだ。


「ここで一生を終える」

「あっそ。さようなら〜」


素っ気ない態度だが、私の頭からは離れようとしない。むしろ早く歩けと急かされているようで、手摺を頼りに、全身全霊で階段を降りる。普通に歩いていれば、今頃は建物の外にいただろう。後悔も反省も無かったが、そんなことを考えているうちに、壁に備え付けられた、複数の郵便受けを見つけた。正面に差し込まれた名札に、機械的な文字が書かれている。中身はどれも空っぽだ。


「もう来たくないわね」


思い出してみれば、ここへ戻ってきたのは、彼女の忘れ物を回収するためだ。文句を言う権利が私にはあるはずだが、それを行使すれば、私自身が負けたような気がしてしまい、つまり足首を痛めたのは彼女のせいだ、と言っているようなものだろう。


「また来よう」

「大丈夫?」


 外を横切る細い道路は、似たような外観の建物に囲まれている。少し歩いて振り返ると、あの建物は、周辺の景色に紛れて見えなくなっていた。感慨なんてものは微塵も感じない。


 私は前に向き直る。足元から伸びた道は、当たり前のようにそこに存在していた。空のゴミ捨て場や、倒れた電柱と、垂れた電線は植物に喰われ、側溝の蓋の隙間から雑草が溢れている。全て変わらず、二回目だった。それでも私は、もう一度同じ考えを抱く。足首の痛みが、時間の流れを証明していた。


「杖とか探したほうがいいんじゃないかしら」

「探さない」

「じゃあ走れ」

「探そう」


歩くための杖を探すために歩く。心做しか、痛みが和らいだように感じるのは、私の性格によるものだろう。


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