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65階

 地下通路。天井の一部が崩れている。暗闇の中に、ぽつりと現れた光の筋は、通路を漂う埃を白く照らす。きらきらと輝くそれを、神秘的だと思うか、空気が汚いと思うか、私は後者に位置するつまらない人間だった。

 光が落ちた先から植物の芽が出ている。それを踏まないよう気をつけながら、私は通路の奥に見える階段へ向かう。ようやく地上に出られるのかと思うと、足が途端に軽くなり、風が背中を強く押した。そのまま流れに逆らうことなく進むと、踊り場を曲がった先に光が見えた。一段、また一段と、段差を上がるたびに、壁に生えた植物や瓦礫さえもが鮮やかな色に変わっていく。角を曲がって、私は目を隠した。


―――空だ。


 二段飛ばしで勢い良く階段を駆け上がる。地上へ出ると同時に、詰まっていた息が溢れ出た。体内の嫌なやつを全部吐いて、代わりに新鮮な空気で満たす。額に薄っすらと浮いた汗を拭い、適当に周辺を歩きながら呼吸を落ち着かせる。木陰に並んだベンチは、座面から植物が生えており、それでも構わないと座ってみるものの、私は直ぐに立ち上がった。とはいえ、地べたに座るのも、草如きに負けたような気がして嫌だ。私は人間様だぞ。

 脈拍が落ち着き周囲を見渡す。植物に侵食された街は、白い背景の中を、緑の蠢きが這いずり回っていた。自由気ままに成長した枝は、互いに絡み合いながら、外壁の罅に沿って花を付ける。壊れた室外機は、今にも落ちそうな体を数本の細い蔦で支え、配管の代わりに雨水は樹木の幹を伝う。人の痕跡が少しずつ忘れられていく。

足裏で何かが潰れた。道に飛び散った血の跡は、仄かに甘い香りが漂う。私は近くにあった低木からいくつか樹の実を貰うと、もちろん毒見はせずにポケットの中へ入れた。妖精様へ渡すお土産にしよう。

 自然と同化した街。しかし、空はまだ人のものだった。私は、一際高く聳えたビルを目指して、目の前の邪魔な枝をへし折る。透明なビルは空を写すが、その不自然さは遠くからでもよく目立つ。おそらく、いや120%の確率で妖精様も近くへ向かっているはずだ。私がそうであるように、彼女もまた、私がどういう行動を取るか理解している。いや違う。彼女の望む行動を、私が選択しているに過ぎない。

 茂みに囲まれた塀の、崩れて穴になった箇所を這うようにして潜り抜ける。立ち上がって髪や服についた砂埃を払いながら、私は目の前に立ちはだかるマンションを見上げた。誰か住んでいるだろうか。大声で呼べば、一人くらいはバルコニーから顔を出すかもしれない。

 マンションの下部は柱が剥き出しで、大穴の空いた天井から、切れた配線が地面に垂れていた。中がスカスカなタイプの住居らしい。風通し良好。ここに住んでいる者は、背中から羽が生えているに違いない。私は落下物に気をつけながら、エントランスを横切って建物の反対側へ出る。街で一番高いビルはもう目の前まで来ていた。

 歩道の先に道路が伸び、そのさらに先に錆びた銀色のオブジェクトが鎮座している。ビルの入り口に続く広場は、両脇から街路樹が迫り、地面がコンクリートなのを除けば、いつか立ち寄った森林公園のような風貌だった。森の中を綺麗な妖精が羽ばたき、思わず私も舞い踊りたくなってしまう。


「遅い」


彼女は当たり前のように、私の頭の上に尻を乗せる。私の自由は、たった一週間で終わってしまった。


「さあ登るわよ」


 広場の先、ビルの入り口から中へ入る。周辺の建物とは異なり、壁も床も天井も、特に目立った損傷はなく、窓ガラスに至っては新品さながらの透明度だった。人がいた形跡のようなものは無いが、それにしては不自然なほど自然な状態に保たれている。


「誰かが掃除してるのかしら」

「ロボット」

「それはない」


 受付を抜けて突き当りにあった扉を開くと、埃と共に、上へどこまでも続く階段が現れた。壁や天井に走った罅を堺に、壁が塗料諸とも大きく剥がれ落ち、中の鉄筋が剥き出しになっている。床に散乱した蛍光灯の破片と、薄く積もった砂埃は、歩く度に足の裏に不快に感触が広がる。遠くの方から金属の軋むような音が、一定の感覚で耳鳴りのように反響し、それを紛らわせるかのように、私はわざと足音を立てて階段を上る。


「掃除し忘れてたみたいね」

「それはないと思う」


 二階に辿り着く頃、既に私はこの苦行を後悔していた。今ならまだ引き返せる。あと一段上ったら引き返そう。次の踊り場で絶対に引き返す。しかし気づけば四階。妖精様も薄々気づいているようだったが、自分から言い出した手前、今更止めるなんて彼女のプライドが許さないだろう。私も絶対に許さない。

 八階か九階かで一度、階段から外れてオフィスと思しき空間に出る。やはり階段以外は手入れがサれているようで、塵の一つも存在しない。かと言って新品のような綺麗さでもなかった。人の形跡、いや人では無いかもしれないが、適当な扉を開けて部屋へ入ると、そこに並んだデスクには、つい先程まで誰かが仕事をしていたような、書類やらなんやらが散らばっていた。私は、近くにあったパソコンの電源ボタンを押す。モニターは黒いままだ。


「ん〜やっぱりこの文字、どっかで見たことあるのよね」


妖精様が書類の一つを見ながら呟いた。私も手に取って読もうとするが、書かれている文字は、少なくとも私の記憶には存在しないものだった。どの言語にも似ていない、文字一つだけを見せられたならば、恐らく私はそれを文字として認識できないだろう。絵か記号か、はたまた伝統的な模様の一つか。

 妖精様は書類を見ながら唸る。私は彼女をデスクに乗せると、窓際に近づいて外の景色を眺める。ちょうどビルの背後に太陽が位置しているようで、街に大きな影が伸びていた。片目を閉じて、自分が通ってきた道を迷路のように辿る。もう少し上層階に行けば、記憶に新しいあの地下通路の入り口まで一望出来るだろう。


「ん? 鳥だ」

「とり?」


 何か空に浮いていた。一見ゴミかと思ったそれは、よく見てみると白い翼のようなものが生えていた。白い鳩だろうか。白鳥。天使様という可能性もある。そろそろ妖精様とも飽きてきた頃だったので、天使様だったら仲間に加えよう。もちろんその場合は妖精様には出て行ってもらう。


「あんたの役目も終わりのようね」

「捨てないで……」


白い鳥は何処かへ飛んでいった。しばらく足を休めた後、私達は再び階段を上って最上階、そして屋上を目指す。

 階段の先に鉄の扉があった。達成感と疲労感と、なんて無駄なことをしてしまったんだ、という後悔。果たして地上に戻れるのか、という不安。様々な感情が頭の中で渦巻く。意識も時間感覚も朧げで、酸欠のような状態に陥っていた。立っているだけで足が震え、手すりで無理やり体を引きずり上げる。


「ほらあと三段よ。あと二段!」


 あと一段を超えても、最後に重い扉が待ち構えている。錆びて鍵が固まっており、集中力が無い中で半分キレながら、ドアノブを何度も左右に捻ってようやく開いた。扉は重く、体重をかけて歯を食いしばりながら押す。頭上で妖精様の応援する声が、私の琴線に触れて本当に叩き潰してしまおうかと、いや失敬。

 息を吐いて、息を吸って、息を止めて、私は全体重を乗せて扉に体をぶつけた。肩に冷たい感触と強い衝撃を感じる。何度が繰り返すと、金属とコンクリートが擦れて甲高い音が響いた。少し開いた隙間から、光と風が階段の中へと広がり、今までの苦労がようやく報われたと、いやそもそも何故こんなことをしているのか―――ノウミソ ノ エネルギー ガ ナクナリマシタ。

 扉の隙間に体を捩じ込むようにして何度か藻掻くと、急に支えが取れたかのように扉が開き、私は地面に放り出された。慌てて地面に手を付くが、思ったよりも体が重く、支えられずに肘がふにゃりと曲がって倒れ込んだ。


「……」


 先程までの様子とは異なり、妖精様は歓声の一つも上げることなく、かと言って私を心配する素振りも無い。もしかしたら風で吹き飛ばされて、今頃空の彼方―――彼女はしっかりと頭の上にいた。私が倒れてもなお、そこから移動することはないようだ。


「ね、ねえ。なんかいるんだけど」


言葉を発したかと思いきや、妖精様はやけに怯えた様子だった。私はうつ伏せのまま、首だけを回して扉の方を向く。いや向こうとして、いきなり視界に飛び込んできた二つの眼球に、私の体は一瞬にして硬直した。文字通り目と鼻の先、目の前数センチ先に、私を覗き込む人間の顔があった。

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