汚れた布
窓枠の先に広がる草原。緩やかな丘の先に、黒く淀んだ雲が流れている。風が少し強くなり、頭上で燦々と輝く太陽も、どこか味気なく感じてしまう。
背丈ほどの高さの段差から、ひょいと飛び降りる。所々が蒼くなった石調の床を歩きながら、少し湿気を帯びた空気を肌に感じる。周囲を囲う建物の外壁は、半分以上が崩れて無くなり、屋根もどこかへ飛んでしまい、遺跡と言われれば信じてしまうほど、原型が何であったか想像が付かない。建物の影から出ると、同じような構造物がいくつも草の海に沈んでいるのが見えた。
「土に飲まれたのかしらね」
「土が流されて出てきたのかもしれない」
「地下に眠る古代都市!」
古代都市というと、何となく幻想的な、ロストテクノロジー的なアレが登場しそうではあるが、おそらくここに古代都市が眠っているとしたら、それはとてもよく見慣れた光景のはずだろう。
私は足元に落ちていた空き缶を拾う。土を払うと所々錆びているが、全体を覆う赤い塗料と微かに文字のようなものが残っている。
「秘宝」
「ゴミよ」
一見すると宝に見えないものが、実は物凄い価値のある物だった、というのはよくある展開だ。しかし、この空き缶は間違いなくただのゴミだろう。
私は空き缶を地面に置くと、適当な方向へ蹴飛ばす。気の抜けた軽い音と、くるくると回りながら放物線を描いて、再び金属音が聞こえてくる。
「曇ってきたわね」
黒く分厚い雲が太陽を隠す。思いの外体感気温が下がり、背後から冷たい風が首筋を撫で、私たちは二人揃って体を震わせた。生憎、近くに暖を取れるような場所はなく、適当な建物の残骸に身を寄せて、体を丸めて凌ぐことしか出来ない。
「う〜寒い。なんか着るものない?」
「汚い布が一枚ある」
「……それでいいや」
私はボロい鞄から布を引っ張り出す。鞄の中にはそれだけしか入ってなく、何処かで貰ったライターも随分昔に使い切り、空っぽのままポケットに入っている。と、一見するとそこそこ大変な状況だが、どうも私は寒さにめっぽう強いらしく、この程度寒いのうちには入らない。裸でも耐えられるだろう。
「本当に汚いわね。これどこで拾ったやつ?」
「ゴミ捨て場のようなところ」
「うわ……あ、そうだ。これあんたが着てくれない? で、私があんたの服の中に入る」
言われるがまま私は汚い布を羽織る。土と草の混じったような香りが、いつか森の中で派手に転んだ時のことを想起させる。私が羽織ったのを見ると、妖精様は私の服の襟から体を滑り込ませ、胸の当たりで温々と暖かそうにしている。
「体温高いわよね」
「平熱は40度だ」
「化け物」
その時私の頭に衝撃が走った。
妖精様は寒さに弱い。そして昆虫は変温動物。つまり、というかやはり、妖精様は昆虫に近い生き物ということだ。
「妖精は哺乳類なのか?」
「哺乳類ではないんじゃないかしら。そしてもちろん虫でもないわよ。どちらかと言えば植物に近いけど、妖精という一つの種族……みたいな? 元を辿ればみんな同じ存在なんだけど、正直私もよく分かんない」
「神秘的」
「それが売りだもの。よく人間がやってきて何人か攫っていくわ」
私は妖精様の顔を見る。彼女は暖かさからか、眠そうにあくびをしていた。
物は見方言い方を変えるだけで、どのようにでも捉えることができる。彼女の想像している景色と、私のものとでは多くの違いがあり、口にした言葉が真実とは限らない。彼女に尋ねればそれまでだが、私はそれをしなかった。これ以上憂鬱になるのは勘弁願いたい。晴れたときにでも尋ねよう。
コンクリートに出来た鏡に妖精様の顔が写る。水浸しになった服は、絞ると滝のように水を落とし、私はそれを建物の適当な出っ張りに掛ける。
周囲を見渡す。水溜りを避けながら、外壁の影から出て、眩しさのあまり手を翳す。恐る恐る顔を上げ空を仰ぎ見ると、昨日の雨は嘘だったかのような、青く濃い世界が私たちを見下ろしていた。
「……こうも変わられると少し腹が立つわね」
「同感」
朽ちた構造物は、もう既に乾きつつあり、壁の窪みに僅かに残った雨水が、大きなキャンバスに跡を引く。濡れた草むらは、踏むと最悪な感触とともに水が滲み出し、靴の裏に泥がへばりつく。私は靴を脱ぎ、逆さまにして段差に立て掛けると、近くで仰向けに寝転がった。
「乾くまで待つ」
「じゃあ私はあっちの方に向かうから」
せっかちな妖精様は、私を置いてふわふわと飛んで行ってしまった。彼女の飛ぶ姿は本当に美しい。どのタイミング、どの角度から撮っても傑作の一枚になってしまう。普段の行動のせいで尚更素晴らしく思えるのは、巷で言うところのギャップ萌えというやつだろうか。
ちなみに私は、彼女と長い間一緒に過ごしてきたが、彼女が四足を使って歩いている姿を見たことがない。




