子猫とコーヒー
子猫のアザラシは、今日も気持ちよさそうに窓辺で丸まって居た。
その姿を横目に見ながら、コーヒーミルのハンドルをがりがり回す。最近インスタントが切れて、知人にどこかのお土産で頂いたコーヒー豆しか残っていなかったからだ。使うことは無いだろうと思っていたインテリア雑貨店で買った変わった形のコーヒーミルは、今日やっと出番を迎えた。
挽きながら何となくバニラのような香りもするので、ハワイのものだろうかなどと見当をつける。パッケージも何となく、有名なものだったような気もする。
いつだったかも、誰かと、こんな香りを嗅いでいた気がする。
なぜだろう、嗅覚は記憶を呼び起こしやすいと聞くが、それが誰だか、いつの事かも思い出せない。
ドリップした黒い嗜好品を口に含んで、思い巡らす。そして
「ああ、」
と、口から呟きが漏れ出た。
1年前の夏だったか、秋だったか、その辺だ。まだ子猫のアザラシも拾っていなかったし、リビングにこの椅子も置いていなかった。前のミルは、あの時壊れたんだった。
というより、壊したんだった。
『だって、何も教えてくれないから、推し量るしかないだろ』
『言ったって分からないのに?』
「うるさい。」
蘇る記憶に、慌てて蓋をした。
あと少し前なら、気分が悪くなって、頭痛がしていただろうが、その兆候はどうやら無い。
だから、コーヒーを飲み続けるべきか、少し惑った。
しばらく湯気を眺めて、口に含んだ。
『分かろうとしたよ、だけど』
『いいよ、分かんなくて。分って欲しいって思ってない』
『なんでだよ、そんなの無いだろ』
『…頼むから、出てってよ。』
『え?』
『出てって』
雑に掴んだ電動の素っ気ないミルを床に落とした。
プラスチックが割れて、中の金属が飛び出る。
『…壊すことないだろ』
不意に、片腕の袖を思わず握りしめる。
聞こえるのは、荒い自分の息と、向こうの溜息だけ。
『いいよ、そんなに言うなら。さよなら』
数日経って、部屋が思ったよりも空っぽになる。
椅子から立ち上がって背中を伸ばした。気配に勘づいたか、子猫のアザラシが起き上がってやはり伸びをし、甘えた声で頭を擦り付けに来る。
冷蔵庫から、この前スーパーで買った安いプリンを1つ出して、子猫のアザラシを膝に乗せて、またコーヒーを飲む。
「1年経ったみたいだよ、アザラシ。君がまだ産まれてない頃から。」
適当にスマホから、あの時はまだ知らなかったインストを流しながら、時間はまた、ダラダラ過ぎていく。




