ラージャ村
旅に出ることを決めた私たちは準備をはじめた。
まずラージャ村に行き身分証明書を作る。というのも五百年くらい前から国家という概念が浸透し、出身国、出身地域の提示がなければ訪問を許されない場所が増えてきたからだ。
ラージャ村はエルフ種と人種の交流が盛んな村でエルフが旅に出るときはこの村で証明書を発行してもらう。エルフは世界各地を旅してまわるので、ラージャ村の存在は自然と知れ渡るようになり、今では下手な国よりも余程信頼できる証明書になっているそうだ。
ラージャ村までは歩いて向かう。だいたい半日かかるというので一晩カリナの家に泊まって早朝に家を出た。一本道なので迷うことはない。
菜の花畑が左右に広がり可愛らしい黄色の花が時々風に揺れている。温かな春の日差しが気持ちよくて油断するとあくびがでそうになる。私はぼんやりとしている頭をかるく振って、
「ライドさんたちの許しがでてよかったね」
ライドさんというのはヴリトラの父親の名だ。
ヴリトラは軽い感じで旅に出ると行ったけれど、ご両親は反対するのではないか? と少し心配だった。
それは当然だと思う。女性だけの旅というのは危険度が上がる。旅をしたことがない私でも想像できた。
だが、ヴリトラは絶対に行くと言って譲らず、一人でも旅ができるようにと防衛魔術や攻撃魔術の訓練もしてきたし、先日の村を上げての弓対決でも二位になった。もっと下の順位の子だって一人で旅をしているのにわたしを止めるのは過保護すぎると徹底抗戦し、許しを勝ち取ったのだ。
「でも、目的地が決められたのは釈然としないわ」
ヴリトラは唇を尖らせて、本当に過保護だわ、と嘆いて見せた。
私はその仕草の子どもっぽさに思わず笑った。
「最初は目的地があった方がいいよ」
「そうかなぁ。……まぁ、兄さんにしばらく会っていないし、そういうことにしましょう」
私たちが向かうことにしたのは、ヴリトラの兄・ゲオルクが滞在しているというオリタナという町だ。漁業が盛んな港町で、夕日が素晴らしく美しいらしく、情熱の傾くままに絵を描いて過ごしているという。少なくともあと二、三ヶ月はいる予定だというので会いに行くことにした。
ちなみにエルフは訪れた町々に魔法陣を設置して連絡をとれるようにしている。魔法陣を起動すればべネル村の魔法陣が起動して音声が届くという仕組みだ。つまり、訪れる町が増えれば増えるほどエルフの連絡区域も広がっていく。
何故、このような仕組みを作り上げたかと言えば、一時期エルフを捕獲し売買することが横行したせいだ。約三百年前に大陸最大のゴンドワナ国の王妃と縁をもったことで、人種とエルフ種は歴史上はじめて正式に友好関係が結ばれ、以降は大陸全土でエルフを狩ることは大罪とされている。だが、それでも今も一部の人間の中には珍しいエルフ種を奴隷にしようとする者もいる。そういう経緯があり、犯罪に巻き込まれていないか、旅に出ている者は定期連絡を入れ生存確認をするようになった。
私はその話を聞いてぞっとした。私が人の中で暮らしていた頃は人外――即ち神秘の存在に畏怖を抱くことこそあれ、捕獲しようなど想像だにしない。文明が発達し、神秘の力が薄まり、人は傲慢になったのだ。時間の流れの中で変化が起きるのは当然かもしれないが恐ろしい。そして、人との間にそういう生臭いことがあるにもかかわらず、ヴリトラたちはよく私と友好関係を続けてくれたなと思う。
その後、私たちは何度か休憩を取りながら、昼少し前までに目的地にたどり着いた。
「あ、見えてきたよ」
先に気づいたのはヴリトラだ。
大きな立て看板が出ていて「ラージャ村」と書いてあり、その先には村というよりも町というほうがしっくりくるほど立派な門があり門番もいる。
「こんにちは。ベネル村からきた者なのですが」
「あー、はいはい。聞いていますよ。ジェイミーさんを呼んでくるからちょっと待ってくださいね」
五十代ぐらいのがっしりした体格の髭面の男はそう言うとくるりと後ろを向いて、「おーい、法務課のジェイミーさんを呼んできてくれ」と指示を出した。
ジェイミーさんというのは現在エルフの証明書申請を一手に引き受けてくれている人らしい。
ヴリトラも両親や兄と何度か旅に出ているのでそういう部署があることと、現在の責任者であるジェイミーさんのことは知っているそうだ。
門の側のベンチで待つこと十分。「お待たせしました」とジェイミーさんは現れた。四十代半ばぐらいの長身が目を引く男性だ。
「ご無沙汰してます」
「やぁ、ヴリトラさん。本当にご無沙汰ですね。お兄さんたちから君の話は時々聞いたりもしていたけど、最後に会ったのは私がまだ法務課に入ったばかりの頃だったから……二十年前くらい?」
「もうそんなになるのかな? ……うん、なるね。ジェイミーさん、すっかり立派になっててびっくりしちゃった」
「おかげさまで。それもこれもエルフ種がこの村の名を外に広めてくれているおかげですよ。エルフから持ち込まれる情報も実に有意義ですから。今後ともどうぞよろしくお願いします」
なるほど。エルフ種の人間社会での信頼を担保するかわりに、この村は彼らの情報がもたらされているわけか。
「それで、今日は証明書の申請だとか?」
「そうなの。わたしの更新と……紹介するわ。友だちのカリナ。この子の分を申請したいんだけど……」
紹介されて私は軽くお辞儀をした。
ジェイミーさんも同じように返してくれたが、
「お見かけしたところ、エルフ種ではないようですね」
「あ、はい。私は人間……人間といっていいのか微妙ですが……」
「ちょっと込み入った事情があるのよ。どこか話せるところないかしら?」
ああ、そうですね、失礼しました、とジェイミーさんは私たちを門内へと案内してくれた。
門内に入るとすぐに市場が広がっていて、大通りの左右には露店が出ている。
私が人の多さにぱちぱちと瞬きするとヴリトラが笑いながら言った。
「ラージャ村は永世中立地域になってから人の流れが増えたのよ」
ラージャ村は昔からエルフの外にドワーフや人狼族など多くの人外種との窓口になっている数少ない村の一つだ。そういう村を取り込みたいと思うのが人種の性で国が興り始めると、ラージャ村をどの国の領地にするかで争いになった。それを見ていた人外種たちが状況を憂い、この村が何処かの国に取り込まれるなら手を引くと脅した。彼らがいるからこそラージャ村は重要視されている。それがなくなるのは困ると何人も不可侵の領域として特殊な位置付けが続いた。そして百年前に正式に永世中立地域として取り決められたそうだ。
それまでの表面上のみの均衡とは異なり多国間での協定が結ばれたことで人々は安心して村を来訪できるようになり村は一気に繁栄しはじめたという。
しばらく大通りを歩いていると、
「あ、あれってポン菓子じゃない? 隣のはビューニュ!」
ポン菓子とは穀物に圧をかけて膨らませてできる菓子で、膨らむとポンッ、ポンッとはじける音がすることから名づけられた。ビューニュは小麦粉と卵からつくる焼き菓子でサクサクとした軽い触感がする。ポン菓子は東の、ビューニュは北の地域でよく食べられている。それらが隣あった屋台で売られているのだから思わず声が出てしまった。
「よくご存じですね?」
ジェイミーさんが感心したように言った。
「あ、はい。食べ物についてはいろいろ調べることがあったので。ただ、知っているだけで実際に食べたことがない物も多いですけど」
「そうなんですか。実は今、食フェスタが行われていて古今東西のお店の屋台が出ているのですよ。普段はその地域に行かなければ食べられないようなものも並んでいるので、よければあとで見て回ると楽しいですよ」
ジェイミーさんの説明に、「いいねそれ。早く申請を済ませて行ってみよう」とヴリトラが明るい声を上げた。
大通りから一本入ったところに法務課の建物はある。
三階建ての建物だ。
そのうちの一室に通された。
「ここは、防音魔術が施されていますから、内緒話も存分にできますよ。法務課はそういう案件が多いので設備には気を遣っています」
私たちを部屋に通すと一度出ていったジェイミーさんが、お茶とお茶菓子をもって入ってきて、そう説明してくれた。
喉がカラカラだったので遠慮なく頂いた。ココルト茶だった。一緒に並んでいるのはクコの実入りのパウンドケーキだ。ヴリトラがぱくりと食べたので私も続いた。
「おいしい。結構歩いて疲れていたから甘いのが染みる」
「わかる」
私たちが言い合っているのをジェイミーさんはにこにこして聞いていた。
全部食べ終えると今回の申請の経緯を話す。
申請時にどこまで話をするのかは悩みどころだった。隠したてするようなものではないが、信じてもらえるのか? という不安もある。ただ、これから先のことを考えたら年を取らないことを不信されるだろう。そのときは別の町で新しく申請するという手段もあったが、今後、どのような手続きになるかもわからない。現段階では身分証は旅をする者だけに必要とされるが、将来的には誕生時に発行され一生涯に一証明書ということになるかもしれない。そうなれば不都合が生じる。ならば、人外種との交渉に長けたこの村で最初から事情を詳らかにして味方になってもらった方がいいと結論付けた。
これまでの私の人生を話し終えると、
「魔王テオとはまたビックネームですね」
ジェイミーさんが反応したのは私が不老不死であることよりもテオについてだった。
この世には人種やエルフ種のような「種族」とは別に、単独で認識されている「ユニーク」と呼ばれる存在がある。テオはそれに該当し魔王とも呼ばれている。ちなみにユニークの中に魔王と呼ばれる存在は四柱いる。ユニーク……唯一なのに魔王は四柱というのはややこしいが、魔王の由来は「魔術」とは概念を異にする強靭な力「魔法」を自在に操るところからきている。魔法には違いがあるのでそういう意味では「ユニーク」だが、魔法を扱うという観点から見れば同分類で「魔王」という……わかるようなわからないような話だが、そういうことになっているのでこれ以上は追求しない。
「……失礼ですが、魔王テオの元にいたことでカリナさんご自身は何かしらの人ではない能力を得たりはしたのでしょうか?」
「能力ですか……いえ特にはないです。ただ生活の世話をしていただけですから」
「なるほど。魔法が使えるようになったとかはないのですね?」
「それはないです。私が扱えるのは一般的な日常使いの魔術です」
ジェイミーさんは考え込むように顎を撫でた。
何か一芸に秀でていないと駄目なのだろうか? と私は落ち着かない。
「特殊な力があるとかそういう話になってくるとカリナさん自身を『ユニーク』と判断する必要もあるかと考えたのですが……この場合、私の権限の範疇を超えます。ですが、不老不死であるということだけなら、一般的な証明書の作成でいいかと思われます。あまり話を大きくすると厄介ですし、万が一情報が漏れて危険にさらされるようなことにならないとも限らないので。そちらで進めたいと思うのですがよろしいですか?」
「え、あ、はい。すみません。そうしていただけるとありがたいですが、その、いいのですか?」
あまりにもさくさくと進むので私の方がたじろいだ。
もっと怪しまれたり、拒否されたりするかと思っていたのだ。
「ええ、もちろんです。人の文明が栄えたことにより自分たちが世界の覇者であるかのような傲岸な振る舞いをする者も増え、人種以外の種族を迫害したりする者もいます。そういう愚者から他種族を守り、円滑なやり取りができるようサポートするのが私の仕事ですし、それを軸にこの町は繁栄してきたのです。私たちはあなた方の味方ですからご安心ください。ですから、カリナさんも私たちを裏切らないよう品行な行動をお願いします。ヴリトラさんの紹介ですし、その辺りは信頼していますが」
ジェイミーさんの言葉にヴリトラは「エルフ族の誇りにかけて、カリナが危険な者でないと保証するわ」ときっぱりと宣言してくれた。私はその言葉に姿勢と正した。
「では、一般用の申請でいきたいと思います」
そういうとジェイミーさんは机に置いていた長方形の箱を開けて、数枚の紙の束を出した。
「こちらが申請書になります。お名前と生年月日をご記入ください。……人の場合は証明書に生年月日を記入する欄がありますので、外見と年齢が見合わなくなってくれば更新するということで対応させていただきます」
「はい……初回は、どう書けば?」
「そうですね……不老不死となったときの年齢で計算しましょうか。おいくつのときですか?」
「はっきりした年齢はわからないです……私が生まれた頃って年月という概念がなくて」
私が告げると、ジェイミーさんは「えっ」と小さくこぼした。
無理もないと思う。彼にとって生まれた時から当たり前にあるものだ。
「じゃあ、日付は今日でいいんじゃない? 宮殿を出て生まれ変わった新生カリナのお誕生日ってことにしよう」
互いに固まってしまった私たちを見かねてかヴリトラが提案してくれた。
すると、衝撃から立ち直ったらしいジェイミーさんが、
「年齢は二十五歳ぐらいでどうですか? それなら余程特殊な国でない限りどこに行っても成人扱いになりますし。……若いというだけで舐めてくる者もいますので可能な限り上の方がいいですが、あまり上げすぎたら今度は更新が頻繁に必要になってその都度お越しいただかなければならなくなりますから。二十五歳なら五年……十年は少し厳しいかもしれませんが、童顔ということにすればそのくらいは怪しまれずに通ると思います」
「そうですね、じゃあ、それでお願いします」
「はい。……えっと、今が太陽暦五百七年なので二十五年前は……四百八十二年ですね。こちらに四百八十二生まれとご記載ください」
私が頷ずくとジェイミーさんが申請書を渡してくれる。
太陽暦というのは今から五百七年前に大陸に広まった統一の歴だ。そのときに一年が三百六十五日で十二の月にわけること。一月の長さは三十日ないし三十一日。一日は二十四時間と定められた。
必要事項を記載していく間、ヴリトラとジェイミーさんは世間話をしていた。
「どこへ向かうかはもう決めているのですか?」
「オリタナに行く予定。ゲオルク兄さんが滞在してるのよ。オリタナならガイア街道を行けば比較的安全だからまずは旅に慣れるためにもそこに行けって父が」
「ああ、そうですね。あの道はちょうどいいぐらいの距離に村や町が点在しているので宿には困らないでしょう。ただ、ジュマ村からプリオン町までが少しあるので一泊野宿するか、ジュマ村で馬車に乗せてもらうよう手配する必要があると思いますが」
「これからのことを考えて野宿の経験は積みたいなって思ってるの。今後も、なるべく危険がないようにはするつもりだけど、何があるかわからないから」
「それなら野宿用品などはこの町で買っていくことをお薦めします。オリタナまでにある町村の中ではこの町が一番大きいですから。荷物にはなりますけど」
「そのつもり。それに旅費も稼ぎたいからしばらくは滞在する予定よ。今の時期ならロッフェル狩りをしているでしょ?」
「たしか昨日からはじまってるんじゃなかったかな」
「わぁ! タイミングばっちり!!」
路銀を稼ぐために冒険者ギルドで依頼を受けるとは聞いていたが、ロッフェル狩りって何だろう? と思いながらも書類を完成させた。
ジェイミーさんに渡すとその場で目を通して不備がないか確認してくれる。
「問題ないですね。上に申請して処理を待つので二日後にもう一度来ていただけますか? あ、あと万が一不備があった場合に連絡をとれるようにしときたいので、泊まる宿が決まったら受付に言づけといてもらえますか?」
私たちは了承して法務課を後にした。
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