旅に出よう。
千年、お仕えしてきたのに突然暇を申しつけられた。
そのとき、私は昼食を作っていた。フリカッセと呼ばれるエルドリア大陸の南部で食べられている煮込み料理。本来は兎肉を使うのだが、肉ではなくラタという白身の魚とエイメタケと呼ばれるキノコで作る。
ラタは川魚でライギョと呼ばれる小魚を食べる。ライギョは魔力を持つ魔物に分類されるので、それを食べるラタは魔力を蓄積しているため取り除くことが必須だ。捌いて切り身にし浄化石を敷き詰めたトレイに並べ一時間待つ。ついでに臭み取りのための塩をかけることも忘れてはならない。
浄化が終われは水分を丁寧に拭って、薄力粉をまぶす。
それが終わればソテーする。
フライパンに火を点け、たっぷりめにバターを入れて加熱する。このバターも私のお手製である。牛乳を攪拌して作る。
バターの溶けたいい匂いがしはじめた頃、
「ここにいたか」
背後から声を掛けられ、振り返るとテオがいた。
テオ、現在は魔王と呼ばれる魔物だ。
私はテオに仕える身だった。
その始まりは千年前――神秘が色濃く存在し、神や魔物との距離がぐっと近かった時代。ガンゼン地方にとりわけ強い力を持つ一柱が降臨した。それがテオだ。
テオは土地を気に入り、そして、言った。
「お前たちを守護してやろう。代わりに私の世話をする者を寄こせ」
非力な人間はその提案に乗った。というよりも断ればどのような災害に見舞われるかそれを恐れたのだ。
テオの世話役は神秘により近い者、神殿の神官や巫女が順番で行うと決め、最初に赴くことになったのが私だ。ガンゼン地方を治める長(この頃はまだ国という概念がなかった)の娘で、神殿に仕えている身だったから適任とされたのだ。
テオは掃除や料理について細かく指示を出してきた。
人外の存在は知ってはいたが、スライムなどの低級な魔物しか目にしたことがなく、高い知能を持つ高位の種族と関りをもつのは初めてで、まるで私たちと同じように暮らし、こだわりを持っているところに少々驚いた。
一通り説明を受け終えるとテオは告げた。
「では、私の力を分け与える」
力を分け与える――私は不老不死となった。
そのときになって私たちの間に大きな齟齬があることを理解した。テオは人による差分をよしとはしなかった。同じ者が同じように世話をすることを望んでいた。そのために、自分の側にいられるよう世話役に不老不死を与えたのだ。
交代制を考えていた私は、そんなの聞いていない! と動揺したがよく確認しなかったのはこちらの落ち度でもあり逆らうことはできなかった。
あれから千年。
自分で言うのもなんだが、よく仕えてきたと思う。
両親も友人も、知り合いはとうの昔にこの世を去り、自分が人ではなくなったのだという事実を痛感したときは涙があふれたが、それもずいぶん昔の話だ。
「どうされましたか?」
いきなりやってきたテオに私は、ギクリ、としながら問いかけた。
テオがここへ来る理由など一つしかない。
テオはとにかくこだわりの強い性格なので気に入ったものを食べ続けるのだが、ある日パタリと別の物がいいと言い出す。しかも、その別の物を私が見つけ出さなければならない。大まかな方向性――辛いものとか甘いものとかだけでもいい――を示してくれれば多少は考えやすいが「とにかく私が食べたいと思うもの」と漠然としすぎることを言うだけなのだ。
結果、実際に用意して食べてもらってみるしかない。
書庫にはテオが趣味で集めた古今東西の本があり、私はその中の料理本から気に入りそうなものを見つけて作る。当たり前だが最初の料理で気に入ってくれるなんてことはまずない。気に入りの料理が定まるまで試行錯誤が続く。その間、テオは「飢え死にさせる気か」などと駄々をこねる。そんなに飢えているなら好き嫌いせずなんでも食べろ、と思いながら私は必死に新たな気に入りの料理となるものを考える。
あの時間が再びくるのか……地獄を思い出して私は自然と自分の口元が引きつるのを感じた。
けれど、
「暇を出す」
それは全く予期していない言葉だった。
テオは機嫌がよいときにする仕草、右手で顎のあたりを撫でながら説明してくれた。
曰はく、恋をしたのだと。
は?
いや、失礼。しかし、そう言いたくなるのもわかってほしい。
千年の間、テオが幾度かお気に入りの人間を見つけては寵愛することはあった。
気まぐれに、気ままに、愛でる。
けれど、この宮殿へ連れてくるようなことはなかった。
でも、今回は違う。共に暮らすことにしたという。
二人きりで愛を育み暮らす。新婚生活に私は邪魔者。故に暇を出す――首にすると。
驚きのあまりに、何を言えばいいのかわからなかった。
でも、黙っているのを了承と見なしたのか、テオは愛する人を迎えに行くと消えた。
それはつまり、その人が戻るまでに出て行けということ、なのだろう。
え?
千年もの間続いてきた約束を、こんなにあっさりと、しかも一方的に反故にされるなんて思っていなかったし、首にされるにしても身の振り方を考える時間ぐらいはくれてもいいように思うが、首にしたのならもう関係ないとばかりの態度に怒りも悲しみも通り越して笑いがこぼれた。
「あら、カリナじゃないの」
ふと声がして、視界が急に明るくなった。
魔素の濃い空気とは違う自然な森の匂いがしはじめて足の裏に力が入る。土を踏みしめてどっしりと重たい身体を支えている。
声がした方へ視線を投げれば見知った顔――耳がピンと長く、肩先につくかつかないかくらいの髪は金とも銀とも見える淡い色、エルフの中でも希少種とされるフェアリー族の、ヴリトラがいた。
背に籠を背負っているから、森の実を収穫していたのだろう。
テオの住まう宮殿はぐるりと森に囲まれ、四方八方に細い道が伸びる。その先は、日常品を買える町や美しい湖畔など必要な場所だったりテオの気に入りの場所へ続いていた。魔力により次元を歪めて道を繫げるという荒業だ。テオの気まぐれで時々道が消えたり新しくなったりする。
私はそのうちの一本を辿り、べネル村の近くまできていた。
べネル村はエルフたちが暮らす。キノコや木の実、果物なとがとても美味しい。朝食にはこの村の果実が欠かせないので、この村との道ができてからはほぼ毎日買い出しに訪れていた。
テオの森の道は私がかつて暮らしていた場所――現在では大きな町になっている――へも繋がっているが、私は魔王の使いと知られているし、歳を取らない姿はやはりどうしたって奇怪に映り、両親や知り合いが死んでしまったあとは距離をとられている。
反対に親しくなったのはエルフ種だった。彼らは長寿で、二十歳くらいまでは人間と同じように成長するがそれを超えたあたりで一度止まる。そこからの変化はとてもゆっくりだから、私の容姿に変化がないことなど珍しい現象ではなく普通に接してくれた。気軽に話せる相手がいるということがどれだけ救いになったか。
そして、今も――頼れるところはここしかなく、その中でも会いたかった相手とすぐに会えたのは幸運だった。
「カリナ? どうしたの、顔色が真っ青よ」
「……えっと、」
「うん?」
「私、暇を出されて、宮殿にいられなくなって」
「え? なんで!? どういうこと!??」
「……迷惑になるって思ったんだけど、他に行くところがなくて、身の振り方が決まるまで泊めてもらえないかなって……」
魔王の使いという唯一のアイデンティティーを喪失した私は無価値だ。そのような負い目が心を浸していて、そんな私に頼られるのは迷惑になるにちがいないと悲観的な気持ちが大きくなり、だから頼むのは勇気がいったがヴリトラは「そんなのいいに決まってんじゃない。とりあえず話はあとね。あなた、倒れそうだから」とあっさりと私を家に連れ帰ってくれた。
当たり前に受け入れてくれたことが、身に染みるように嬉しかった。
べネル村は森の中にある。
エルフは自然を愛する種族で、スヌーズという大木に暮らしている。具体的には五メートルほどの高さに生えている枝を魔術により蛇がとぐろをまいたような形に変形強化させ、ウッドデッキを作り、その上に家を建てる。更に、家から家へと行き来できるよう枝を伸ばして道を作り、空中集落を築いている。
ヴリトラは一次成長が終わったときに独立して自分の家を建てた。両親と同じスヌーズの別の枝に家を作ったので独立というより離れに近い。それしか許してもらえなかったそうで、うちの親って案外過保護なのよね、と少々不貞腐れていた。
両親が健在で傍に暮らせることはよいことだと天涯孤独の身となった私は思ったが、家族がいる者にはいることによる悩みもある。どんな立場でも悩みはつきない。
家の真下までくるとヴリトラはスヌーズの木に触れて魔力を流し込む。すると、枝が伸びて階段の形になった。
いつ見ても不思議な光景だ。
トントントンと螺旋階段を上がり家の中へ入る。
ヴリトラは私を座らせるとキッチンへ行ってお茶の準備を始めた。
淹れてくれたのはココルト茶だ。普段飲むものより少しばかり高価なもの。その分、味も良くてちょっとしたお祝いや頑張ったときなどに飲む。精神を落ち着かせてリラックスさせる効能があるので、わざわざ淹れてくれたのだろう。
口をつけるとふわりとココルトの花の香りが広がっていく。
「それで、いったい何があったの?」
「……うん、なんでも、魔王様に愛する人ができたらしく、その人と二人で暮らすことにしたから、私に暇を出すって」
私はさっきとそれほど変わらない説明を口にした。
「……それはどこまで本気で言っているの?」
ヴリトラに問われる。
「全部本当のことだけど」
「いや、あなたの話を疑ってるんじゃなくて、あの魔王の本気度ってことよ」
「どういう意味?」
「だって、あの我儘の権化があなたの世話がなくなって暮らしていけるとは思えないのだよね」
ヴリトラが言わんとしていることはわかった。
私が辞めれば、私がこれまでしてきたことをする人がいなくなるわけで、あのこだわりの強いテオが果たして生活できるのか。
「だからさ、旅に出ようよ!」
「え? 旅?」
あまりに突飛な申し出に頭がついていかない。
すると、ヴリトラは、ふむ、と腕を組んで難しい顔をしてみせた。それから、
「あなた、落ち込んでるでしょう?」
「……普通、落ち込むよね? 千年も仕えていたのにこんなにあっさり首になったら落ち込むでしょ? この状態でにこにこしている方がやばいんじゃない?」
「もっともらしく聞こえるけど、それは考え違いだよ」
ヴリトラはもう一度、ふむ、というと、まるで幼子に言い聞かせるように続けた。
「いい? 自分のことというものはわからないものだから、第三者であるわたしが冷静に言ってあげるわね。
まず、これまであなたがやってきたことは大変なことだったの。その一番の理由はこの役割に期限がないこと。土地の守護と引き換えに魔王の世話をするという契約に際して、人間たちは抜かったわ。もっと慎重になるべきだったのに、結果、あなたは魔王の世話をするために永遠の刻を生きることになった。
永遠よ、永遠。どんな重い刑だって刑期があるわよ。なのに、何も罪を犯していないあなたが、どうして永遠を捧げなきゃならないの? あの魔王のえげつなさったらないわ。
人は長命な種ではないから永遠に憧れさえ抱く者がいるけれど、限りなく永遠に近い刻を生きるエルフのわたしには、それがよいことでないと知っているわ。何故なら、飽きるからよ。
同じことを繰り返せば飽きるわ。飽きて自ら命を絶つなんてこともありえる。退屈とはそれだけの理由になるの。だから、エルフは旅に出たりして気分を変えるのよ。
でもカリナはこの千年、ただ魔王の世話をして過ごした。毎日、毎日、掃除、洗濯、炊事。何処かへ遊びに行けるわけでもなくね。
わたしは、あなたがいつか狂うんじゃないかってとても心配だった。けれど、下手なことは言えなかった。幸いと言っていいのか微妙だけど、あなたは人間種だから永遠の苦しさをまだそこまで実感できていないようだったから、言って自分がいかに大変な状況にいるかを却って自覚することになるかもしれない。わからないでいるうちは、そのままでいる方があなたにとってよいと思ったの。
ところがよ、この無体な契約を魔王の方から解除してくれたのよ。
これで晴れて自由の身になった。
どう考えてもめでたいし、これはカリナにとって喜ぶべきことなのよ」
私はヴリトラの話に面食らった。
こんなにあっさり首になるなんて、私がこれまでしてきたことはその程度のものだったのか……そんな風に思ってしまい落ち込んでいる部分もあったから、私のこれまでを認めてくれる発言が嬉しかったし、自分の状況がそこまでヤバイものだったのかと改めて理解してぞっとしたし、そして心配をしながらも私を思って黙って見守ってくれていたことがありがたくて、いろんな感情がぐちゃぐちゃになった。
「で、なんで今になってカリナがいかに悲惨な環境にいたかを突き付けたのか? ということだけれど、さっきも言ったけど、あなたがいなくなってあの我儘魔王が暮らしていけるとは思えない。近いうちに絶対連れ戻しにくるのが目に見えてるからよ。でもあなた、わたしがこの話しなかったら、これ幸いと戻ったんじゃない? 仕事がなくなって、明日からどうしようってパニックになって、そこに魔王が戻れって言われたらありがたかった。ダメだからね? 全然ありがたくないから。現実を知って!」
そこまで聞いて、私はようやくヴリトラの発言の意図を理解した。
「たしかに……テオに呼び戻されたら戻っていたと思う。他に行くところなんてなかったから」
不安。間違いなく、今、一番私の心を占めていたものだ。
千年前、テオの元へ行ってから、家族や友人を見送り、孤独になっていったけれども、生活するという面では心配は何もなかった。だけど、千年も経ってからいきなり世界に放りだされてしまった。一人で生きていかなければと思ったら、恐ろしくてたまらなかった。
だけど、
「馬鹿ね。行くところがなければ作ればいいだけよ。ね、だから旅に出ようよ! わたしも行くから」
ヴリトラはこともなげに言った。
行くところがなければ作る――なんて生きたくましく強い言葉だろう。
それは私に圧倒的に足りなかったもの。希望に満ちてキラキラと輝いて真っ暗闇に沈み込んでいた心に降り注がれた。
私の人生は終りなんかじゃないし、何も持っていないことを悲観することなんてない。未来はここから始められる。
ずっとただテオの世話をするだけに生きて来たけれど、今からは自分のために生きよう。世界を見てみよう。
だから、私は言った。
「うん、そうだね。旅に出よう!」
読んでくださりありがとうございました。
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