第10話 絶望は目の前に
◇
「――――――――!」
即座に気付く。
数刻前の氷獣との戦闘であったようなヘマはしない意志が実ったのかどうかはわからないが、その変化には直ぐ様反応できた。
(……数は1で距離にして300強ってところ、か。……移動が先決か? それとも身を隠した方が良いかどうか。……人ひとり運ぶ労力も考えれば後者が妥当な線だが、正直外方領域じゃそうとも言えるかわからんしな)
反応したのは1つの生態だ。流石に危険度まで計れるものではないが、生態反応があったことは収穫と言えよう。寧ろ、ようやくという気持ちもある。下核領域ではあれだけ派手に動いたのだが、外方領域では不自然なくらい静閑していたのだ。迷路のような空間で遭遇すること自体が滅多にないと言われれば確かにそうかもしれないが、それでも今まで周囲300メートルの間に生態反応すらなかったのは違和感を隠せない。
「――マコト」
「どうしました?」
丁度で2時間ほどの休息をしていた中で反応したので、急な呼び掛けはマコトを即座に立ち上がらせてしまった。眉を顰め、ユウヤを見る。
「1つ、引っ掛かった」
「……中四強国ですか?」
「いや、これは同じフロアからだ。つまり高確率で氷獣だ」
「どちらからですか?」
「恐らく南西方向に300」
「……それほどの距離、身体強化パック・聴覚を使用してはいますけどよく気付きましたね」
「これに関しては死ぬほど訓練してきたからな。単に耳が良いだけだし」
「それで、どうします?」
片耳に手を当てるユウヤにマコトが訊ねる。既にマコトは移動の準備をしている。少女の身柄もゆっくりであれば空中移動も可能とする空主公にも手を掛け、稼働の調整を行っている。
「様子見だがすぐに移動できるようにはしておく。まずは実態調査かな」
下手に動いても良いことはないというのは基本としてあるので、こうして先に敵影の存在を認知することができれば対応もしようがある。感知系の氷獣でなければ鬼ごっこは容易い。
ユウヤは小型の球状の装置を1つ取り出し、さらに専用のモニターのついた操作盤も一緒に起動させる。球状の物の正面に値するところにはレンズがついておりこれがモニターと連動するのだ。
「空核、ですか」
「旧式だけどな」
小球を床に起きモニターを操作する。結果、小球がひとりでに動き出した。空中をふわふわと漂う中で状態を確認し、問題がなさそうと判断したのちに操作によって南の出入り口の方へと向かい姿を消した。
空核と呼ばれる球状を為す小型の物体は主に追跡や探索としての用途が強い。空中を浮かぶそれは外部操作が可能なものであり、空核から捉えられる映像をモニターで確認することができる。
ただ、機動力が少々欠ける点からユウヤは普段の調査に使わずに、身体強化パック・聴覚を行使した聴覚器官に依存している。こちらの方が効率的には都合がいいし、慣れがあるからだ。なので今のような敵情視察等の視覚的な要素を踏まえたときのみそれを用いる。
出力される映像を空核を見ながら操作をしていく。対策としては冷静に立ち回れてはいるだろうとユウヤは客観視する。
けれど、ユウヤの心は穏やかではなかった。満を持しての敵影の反応に後から焦りが出てきたわけではない。ここに来た時点でいつでも、どこでも当然のようにやって来る不意の“死”に対して、相応の覚悟をもって臨んでいるつもりだ。
問題は前からの不安要素として不自然に続いていた敵勢力が未確認であった点だ。それが急に――、もっといえば少女の身柄を確保した途端に動きが見られたことへの異様さは言葉には言えないほどである。
その不気味さがユウヤの決断を鈍らせる。
「やはりここから少々移動して様子をみよう。北方向に200だけ離れたのち、態勢を万全にする」
「再度確認になりますけど、ここはどうするんですか?」
マコトが現状唯一把握できている下核領域への上昇できる地点を見上げ訊ねる。移動となれば敵にこの地点がばれてしまった場合に放棄せざるを得なくなる。であれば、無理矢理にでも上昇の選択肢は出てくるはずだ。氷獣は飛ぶ要素をもつ種は少ないし、巨体であれば自身の重さに堪えかねていることで高さでアドバンテージを取れれば追ってはこれまい。
問題となる中四強国も考えなくてはならない要因になるから難しい面もあるが、なしではない。
そのカードを安易に手放すことを覚悟しているのかと、マコトは訊いている。
しかし、ユウヤには未練がましい思いがあった。違和感の先行、即ち嫌な空気が醸し出していることに接敵を避けようと考えが働いているからだ。それは上昇の選択肢すら避けたいというような気分が全面に出ていることにも通ずる。
結果的に移動の手段を取るのが妥当と判断したはいいが、その時間がユウヤの思考を鈍らせ続ける。
(だめだ、集中しろ。ここは一歩でも間違えれば即座に終わる)
気を持ち直し、まずやるべきことを全うする。それから考えるべきだと。対処はそれでも遅くはないだろうがもやもやは晴れない。
空核はどんどんと奥へと進んで行く。景色がすべて同じに見えることから慎重に、目的地へ映像と聴力を頼りに操作していく。
(……近いか?)
空間自体に異常はない。それでもやはり何もないのは恐ろしく不自然に見えた。まるで、無人に時が流れる遺跡のように。つまり、ここはどこの国とも属さないわけで、本域で国による領域拡張が進まない限りはこのままなのだろう。戦闘が起こった形跡はなく、至って綺麗に場が保存されている。それが何故か不自然に思うのだ。
但し、何かが通ったような形跡は残っている。恐らく、先の氷獣であろう。方向は同じであったため、もしかしたらその氷獣が感知に引っ掛かった可能性もあり得る。それだと300メートル以上も手負いの状態ですぐさま離れたことになるが。満身創痍なため一部壁が削れていたり床が踏まれた跡があったりしている。
(あの氷獣、意外と移動できてるな。……そんなにこの場所から離れたかったということになるが、安定した自我持ちは少ないからなんとも言えんな)
それに、一度遭遇していた氷獣であれば手負いもあり気配でなんとなくわかる。移動の様子に音として反響したものを聞き取れば判断できなくもない。あの氷獣は逃げようとしていた為に感知の中から無視していたので、具体的にどれくらいで完全に感知網から外れたのかは定かではないが、問題視するレベルにはないだろう。最悪、手負いなら倒せずとも迎撃、逃走で対処はできると思う。
感知したのは明らかに別物だ。それに殺気までのせていたようにも感じた。あの氷獣とは確実に異なるものだと断言する。だからこそ、不安が拭えないとも言えた。
――そして、空核は遂に捉える。
「…………………………………………これは」
そこには一体の氷獣が映る。
(――――無理だ)
不可能だ。
絶対に勝てない。恐らく、体調も万全で武器もフル装備で事に当たろうにも、たとえここに髙村隊が全員揃っていようと、目の前を彷徨う化け物には勝てない。突っ込むだけで愚策であることが目に見えていた。
それほどの脅威が、目の前のモニターに映っていた。
体型は人種に近いものであろうか。身体が比較的小さく構造的に似ている。けれど、全体が氷でできているところは氷獣と判断してまず間違いない。
にもかかわらず、それが二足歩行で進んでいるとなれば驚愕の一言だ。獣種がすべて二足歩行しないからではないし、多く存在していることはユウヤは知っている。しかし、それは総じて知能レベルの高い種がほとんどであるのだ。
氷獣の単純な攻撃能力や元々の硬度は生身の人種よりも遥かに強い。厳しい中を生存していくための進化の果てとは言ったものだが、あらゆる敵への対策性能が非常に高いのだ。代わりに知能レベルは野性のもののままが多い。
そもそも、氷獣は力は強いが種として見ると低位に位置する。だから、特異な環境下で二足歩行をせねばならなくなるような要因が存在しなければ、このような結果にはならない。
見るからに異質だと遠巻きの映像を見てもわかるくらいだ。目元等がはっきりしていないので、それがどんなものなのかはわかりかねるが既に悍ましいものを見ているのだとユウヤは感じた。
もう、これは次元が違う生物だ。
下核領域で戦闘になった氷獣とは比較しようもないほどの圧力が備わっている。そもそも、あの氷獣は今どこに身を潜めているのか。その後は想像するのも恐ろしくなり止めた。
――その時、映像越しにユウヤと目が合った。
空核に気付いたらしい。
瞬間、目の前の存在が消える。そして、
「……なに?」
モニターが切り換わる。鮮明に映していたものが急に暗転したのだ。詰まるところ空核が潰されたということになる。
「先輩!」
「移動だ」
「……はい」
上昇の選択肢は一旦捨てる。ここに留まっていてもメリットはないため、距離を取ることを優先する。時間的にも下核領域の状態としても上昇は無理であろう。いずれ追い詰められ蜂の巣にされるのが関の山だ。
「先輩、あれなんなんですか!? やばすぎますよ!!」
「俺が知るか。そもそも、ここは外方領域だ。未知の相手をしなきゃいけないことを忘れるなよ」
自分自身も戒めるようにユウヤはマコトを叱咤する。油断はしていないし、生死の場であることも理解している。
だが、想定以上のものが出たことが事実としてつきつけられているのだ。これは対峙せずともわかる。
あれは駄目だと。
全力で逃走を図るしかユウヤにはなかった。
▽
…………イナイ。
どこにもいない。気配がない。
ドウシテダ。
『…………………』
あの結晶が破壊されている。否、溶かされていると見ていいだろう。七色に輝くそれの中心は紫のようなもので汚染されていて、真ん中に当たる部分だけごっそりと抜き取られている。
自分がそれを壊そうとしても傷一つつかなかった代物が何者かによって奪われてしまっている。
オノレ……。
啼く。
ビリビリと壁が振動し、表面の一部が耐えきれずにボロボロと崩れた。
『オノレェェェェェェ!!!!!!』
壊すのは自分だと、そう決意していた。なのにいつの間にかもぬけの殻になっている。許すまじ、赦すまじ。
ナゼダ、ナゼナノダ?
啼き続ける。
そこでふと気付く。
天井に穴が空いているのだ。下から上の領域へ移動する手段が少ない中で、略奪者はそこから逃げたらしい。
『オロカナ』
行動に起こす理由としては申し分ない。即座に決断する。
『マッテイロ、オロカモノドモ!! オマエタチヲアノニクイモノトモドモクッテ、クッテ、クイツブシテヤル!!』
▽
『こちら三班、β領域を捜索中。異常なし。探索範囲を100メートルだけ広げます』
「こちら制大尉。了解だ。注意を怠るなよ」
『……了解』
通信を確認し、制は地図上で駒を遊ばせる。潜入開始から6時間が経過していた。長期戦になることを見越して、今は自分は待機状態で部下達を代わる代わる十分な休憩と任務の遂行をさせている。自分は安全な場所とは言えないが、前線にいるものたちよりかは生存率は上がるだろう。
駒で全体の動きを把握しているところで、部下が報告に現れた。制も連絡網のなかに組み込まれてはいるが、まとめるのは部下に任せてあるのだ。
「全部隊、捜索に異常はないようですね。特に移動したとされる西方向には厚めの配備をしていますが、今のところ順調です」
「氷獣が出たという報告は?」
「1体だけ確認できたとのことですが、推定Cランクでこれを2小隊で処理しています」
「他には?」
「この時期、氷獣の動きは鈍っているそうですので、姿すら見かけないようですね。巣さえつつかなければ問題ないでしょう」
「……それでも警戒網は厚くしておけよ。部隊の安全が優先だ。氷獣はランクに関わらず近くの隊も連携して複数で当たらせろ」
「承知致しました」
報告が終わった部下は持ち場に戻っていく。その後ろ姿を目で追い、制は思う。
(それにしても、レオン大佐は一体なんなんだ? いくら中四強国が露亜帝国から迎え入れてきた者だとはいえ、こんな辺境で3大隊規模とかいう部隊を動かそうなど聞いたことがない。そこまでして極東連盟の存在が邪魔なのか?)
中四強国にとって極東連盟とは非常に敵視している存在だ。制も軍の最初の教えによりよくわかっていることではあるのだが、どうにも腑に落ちない部分が強い。
露亜帝国は人種によって作られた国の中で最大の規模と兵力を持つ。中四強国も人種国家トップ5に入る大国家であるのだが、露亜帝国の影響力は計り知れないほどだ。
そして、レオン・グリズナーという男が中四強国にやってきた内のひとりであることも把握している。牽制も踏まえているのであろうが、それにしても我が国が露亜帝国の良いようにされているように思えるのだ。恐らく、口にせずとも同胞たちはレオン或いはバックにいる露亜帝国に不満を抱える自体になっているのではないか。中四強国の幹部どもは果たしてどんな協定を彼の国と結ぶことになったのだろうか。
不信感が拭い去れない。任務は実行するしかないのはわかっているが、帰還後には今はいない直属の上司にでも問い合わせてみようとも感じていた。
決心したところでまたも部下からの報告がおりてくる。それは、制の思わぬ事態を引っ提げてきたものだった。
「大尉、緊急事態です!」
「どうした、騒々しいが」
焦りを表情に出している部下に内心で制は舌打ちをする。軍人たるもの、報告は冷静に淡々と行うものであろう。基礎もわかっていない人間がこの場にいることに腹が立つ。
だが、部下のその報告には差し詰め大尉も冷静ではいられなくなった。
「2小隊との連絡が途絶えました。恐らく、戦闘になったか、或いは既に全滅したものと思われます」
「なにっ!?」
「数分前に氷獣を確認したそうです。位置はζの4。その際相当危険なものと判断、すぐさま連絡をということでこちらに通信が来ていました。しかし、すぐに小隊の武器使用がシステムで確認されたと同時に、数名の位置情報が消失しました」
「消失だと? 通信機能ごと破壊されたか?」
「……恐らくはそうかと」
不意の戦況に制は先ほどとは別の意味で舌打ちをし、顎に手を当てる。小隊が丸々潰されたとなれば恐らくAランク以上の氷獣か、知能持ちとなろう。となれば中規模以上で対処するほかあるまいが、散開した者たちを戻さねばならない。もしかしたら、追跡中の極東連盟の軍人も既に殺られている可能性もある。
――だが、
「迎撃の準備を整える。すぐさま戻ってこいと指令を出せ。氷上での専用スキーマの使用も許可する。上の部隊も半数降ろせ。情報班には敵の外形、推定される能力を解析し提出させろ」
「了解です」
ここで完全退避の選択肢はない。
嫌なタイミングで強力な氷獣が現れたと見る。なれば場の膠着が予想が容易だ。危険地帯に足を踏み入れたのだから当然だが、制はやるせない気持ちになっていく。既に部下の命が消えているかもしれないのだ。命令を降したレオンへの嫌悪感と強者の登場への焦燥がない交ぜになっていた。
多少の犠牲は払うことになるかもしれない。それでも圧倒的な人数の保有に余裕はある。たかが、下核領域のAランク相当だろう。何とかできる。
プロとしての自負とそれらの隊を預かる身として引き下がろうとは思わなかった。部下たちも当然同じ様に思っていよう。
安全に、磐石に、相手を迎え撃てば良いのだ。
◇
「なんだ、あれは?」
十数分後、再度報告が制のもとへとやってくる。
渡された映像を見れば、人ならざる何かが進路をこちらにしてゆったりと歩いている。特徴を挙げればそれは氷獣の類いであろうが、姿形が人種そのものだ。氷獣にしては比較的小さく、二足歩行をしているのが目に留まる。制はその形態を初めて見る。
ただ、その存在は又聞きで知ってはいた。
(ガレイドオールが飼ってる狗でも脱走したのか? これは氷獣ではあるが上位種だ。ランクはSが妥当か)
ランクまでは見てすぐ判断できないが、相当の力を内に秘めているようだ。途切れた映像データを部下へと返し、報告を促す。
「大尉、現在の部隊の状況ですが、始めに遭遇した部隊以外の被害はまだ出ていません。全体的にこちらに集合しようと動いているので、数十分後には揃うことでしょう」
「対策は順調か?」
「はい。恐らくA或いはSランク相当で機動力型の氷獣と予想できるので阻害用の電磁シールドの展開を準備しています。後は機動力が鈍ったところを叩けばなんとかなると思います」
部下の結論に制も同意する。
制が統制している部隊は、その半数の戦力でSランク相当の氷獣に死者も出さずに掃討することができるほどの強者の集まりだ。連携もなかなかなので破壊力重視の重量系の氷獣でない限り問題はなかろう。
唯一の不安として残るものとすれば、全体が比較的に本域での戦闘を得意としている点だ。即ち、雪上戦に慣れた人材が多く集まる中で、今回は氷上戦になるということだ。本域ではスキーマでの戦闘が主流となる機動力重視の中遠距離戦に比べて、下核領域では近中距離戦が多くなろう。
だからこその不安はあるが、火力で押し込めば問題はない。数は正義だ。いくら獣種が強力でも数による絨毯爆撃で近寄らせなければ大した問題にもなるまい。それに、知能の持たない獣種は武器の扱いは不得手だ。よって遠距離による攻撃手段は少ないと見て良いだろう。
故に負けることはない。
安定行動さえ欠かさなければ部下を危険に晒すこともない。間合いに入らず時間をかけて削りでもすれば倒せる。
「全く、こうも面倒ごとが立て続けに起こるとは。大佐への報告と責任追及はどうしたものか」
既に犠牲者が出ているのだ。制の責任はあるが、安易な選択を行ったレオン大佐へも詰問がされよう。それであの男がこちらに非があると言おうものなら奴を這いずり落としてやろうという気分も出るものだ。
――さて、まずは目の前の戦闘を完結させるのが優先だ。
▼
ニオウ。
デモチガウ。
人間の匂いがする。それでも感覚的に別のものであると理解した。
けれど、止まることや引き返すことはしなかった。
もし、相手が奴を連れ去っていった者たちであれば取り返さなくてはならない。隠されたならば問い質す必要がある。
もし、関係のない人間たちであったら。
――不毛すぎるので考えない。
きっと、その先にいる。だから、
コロシテシマオウ。
▽
『あと3分ほどで来ます』
『……了解だ』
情報分析官からの連絡に制大尉が返す。準備してから2時間が経った。長いようで短いその時間に限りない準備を尽くした。迎撃の構えはできている。
まるで要塞だ。
盾持ちの壁役が7名ほど並列し、その後方に銃撃部隊と砲撃部隊が構える。この空間は床の層の厚いところを選択した。よって崩落の心配なく好きに砲撃を入れられる。更に後方には制大尉と電磁操作士が控える。電磁操作士は所謂、電磁力の操作を基本とし、空間にシールドを展開したり、攻撃力はないが麻痺性能のある武器による遠距離攻撃をしたりする、攻撃・防御の両面で全体を補助する役割を持つ。
総勢41名、突破されるわけがない。
その要塞により相手の間合いの外からの波状攻撃を浴びせるつもりだ。機動力は失うが、閉鎖空間である性質上あまり関係はない。それに、対機動力には幾つかの罠である程度は抑制できるだろう。相手を少しでも止められればこちらの勝ちだ。半永久的に銃撃していけばいくら装甲が厚くともいつかは倒せる。相手がランクSの強さを誇っていようとこの方法で倒せそうだ。
いや、間違いなく倒せる。
貴重な氷獣のサンプルにもなりうる故、派手に傷付けることは躊躇われるが、人員の安全を最優先とすれば言い訳は立つだろう。
「…………?」
そこまで考えるに至って、氷獣は現れない。すぐに戦闘になると覚悟していたものの一向に姿を見せないのだ。どういうことかと分析官を問い質す。
『い、いえ。目標は…………、距離50のところで立ち止まっています』
(感付かれたか?)
相手側からするとあれだけ異様な者たちが準備している気配がするのだから、畏縮でもしているのだろうと考える。ここからでは道の先は少々入り組んでいるので動向が目視できない。あわよくば不意打ちが成功することを期待してこの空間を選択したが、逆効果になってしまったようだ。
ただ、ここで陣形を崩すのは愚策だろう。それこそ奇襲をかけられれば態勢を立て直すのが難しくなる。
それにしても違和感が強い。
ゆっくりではあったが確実に歩を進めてきた氷獣があっさり足を止めている。やはり知能のある種であったか、逃げようとはしていないので策を練っているのだろうか。或いは――。
気付かないまま、場が急転する。
(…………寒い?)
永続的に続く寒さは堪えるものではあるのだが、ふと身体が寒さを訴える。それは他の隊員も同様だったようで、寒さに唇を震わせる者たちが続出する。
気のせいではない。微かだが、徐々にあたりの気温が低下している。
そこて、ひとりの壁役が呻き声を発し、どさりと倒れた。そこまで寒さが酷いとは思ってはいなかったが、遂にはこの空間は危険な状態を生み出していると制は察する。
しかし、その考えは一瞬で崩れる。
――隊員の身体から血が滴っている。理由は明白だ。氷柱のようなもので腹を貫かれていたのだ。
「全面警戒っ!!! 迎撃準備ぃぃっ!!」
理解した。
攻撃を受けていると。
そして、その状況を待っていましたと言わんばかりに入ってきたのは、あの人型をした氷獣であった。
◇
下核領域で戦闘が開始された頃、ユウヤ達のもとでも小さな変化が生じる。
ピクリと。
少女の指が微かに動いた。勿論、ユウヤとマコトは知る由もないが。
(今こそ、ヒロインが降臨せし時! 長いプロローグだったぜ☆)