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氷上のトラッパー  作者: 鍵谷 朝霞
第1章 邂逅編
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第1話 雪上の兵士


 ざくり、ざくりと、ゆったりとしたペースで歩を進める。


 ……寒い。


 肉体的な慣れは今までの行動の中で培われてきているはずではあるのだが、寒いと感じるのは日常茶飯事のようにも思える。身体は急速に緊張し、収縮を図っているのがその証拠だ。

 寒風が吹きすさべば背中から震えがくるし、何しろ問題なのは足の冷たさだ。心臓から遠い分だけ、そこまで我慢できない程ではないにせよ、自身の身体の動きを鈍らせるには十分と言ってよいほど足は冷え切っている。身体の動きが鈍れば、自身の命にもつながってくるのだ。


 十分な思考力の低下も問題視すべきであろう。

 身体が低温になればなるほど血液の巡りも悪くなる一方であるし、それが結果的に脳にも影響を及ぼすのだ。単純作業に関するものにしてみれば、身体が覚えていることもあり無意識でも問題ないのだが、いつ何が起こるかわからない場において、思考停止は自身の死にもつながる。一瞬早く動けていれば助かっていたはずなのにと思われる事例は後を絶たないのである。


 身体が寒さで悲鳴を上げる。

 たとえ慣れようとも寒いものは寒い。もっと身体を動かして温まりたいくらいではあるが、無暗な体力の低下も死に繋がることはわかっている。だから、ゆっくりと、慎重に今の状態を少しずつ進めていくのだ。


 ――では、ここはいったいどういった場所で、今どのような状況なのか。

 姫野(ひめの)ユウヤは瞑想する。


 ここは、辺り一面が真っ白な雪原であった。数キロメートル先を窺っても白の他に目立った色はなく、しかし、それを嘲笑うかの如く空の色は青い。太陽は照り付けているのだけれど、それが暖かい陽気を運んできて来てくれることはない。辺り一面の白、前を見ても白、横を見ても白、当然後ろを見ても白が一面に広がっているのだ。


 いや、少し違う。後ろを見れば白の他に光輝くような赤があるのが目に捉えることができる。それも近くに存在しているのである。


 当然だ。


「先輩、どうしましたか?」


 後ろを振り返れば人間の存在があるのだ。人数は一人。即ちユウヤを含めて計二名の男がこの場にいる。ユウヤにしてみても同様に純色の赤を基調とした服を身に纏い、今も歩を進めていることになる。


「……いや、ここまでで大体どれくらい進んでいるのかをな」


 答えるユウヤはもう一人の男よりもずっと先を見据える。そこには正面にある景色同様に真っ白な世界が広がっている。正面風景と違うものとすれば、今まで自分たちが歩いてきた跡がわかることくらいだ。白の中に等間隔に足跡があり、その中に陰を落としている。


 そうして物思いに耽りながら見つめるユウヤに対し、もう一人の男――白峰(しらみね)マコト――は自嘲気味に笑った。


「本日の経過的にはそんなに進んでいないですね。今は気候的にも穏やかですが、早朝はマイナス80度を下回ってましたからね。無理もないです。昨日の加減からスキーマのバッテリも危ないですし、今日は無理するところじゃないと思いますよ?」


 先刻に経過報告をしたことを再度確認したマコトの言葉に、ユウヤは溜息が出るばかりだ。マコトにしてもそのユウヤの言動をしょうがないとばかりに見守っている。


 もう一度、周囲を見渡す。そこには相変わらずの景色が広がっている。勿論、ユウヤ自身それ以外の風景を知っているのだが、今では未だに変わらないこの風景がユウヤの基準になりつつあるのだ。


 ――ここは俗にいう雪原地帯。


 広大な雪原が東西南北に広がり、圧倒的な場所となる。生半可な気持ちで踏み入れば凍死したり遭難する場でありつつも、見渡す景色からは美しさすらも感じるその場所に、ユウヤとマコトの2人がいる。

 何故、今この場にいるかなどは言うまでもない。


 ――遭難したのだ。


「どうするかなあ」


 ユウヤは苦い顔をしながら呟き、しかしそれでもどうしようもないことを知っているから、前を向き歩を進める。



   ◇


 西暦という概念は廃れつつある世の中で、それでも西暦という言葉を用いるならば、今ある世界は西暦34119年であった。それまでに未だ人間が存在していることに驚きがあるものの、今の生活をしている人々にとっては当たり前となっている場所である。


 古い歴史を紐解いてみても細かいところが出てくるわけではないのだけれど、今のこの状況がどのような変遷でできたものなのかという記述は残っている。その歴史を慎重に読み進めていけば、少しの事実に辿り着く。


 ――昔は、氷や雪があまりなかったらしい。もっと言えば、気温なんてものは30度というのも平気な時代があったそうだ。今の人々からは信じられないような気温である。その場にいたら十分と立たず干からびているであろう姿を想像すると、恐ろしくてならないのが大半の意見である。

 氷は零度でないとできないことは前提知識としては知っているものの、では、日常的にあまり雪や氷がない世界は嘘臭く思える。


 更に言えば、「海」という概念があったそうだ。こちらはほんの2万年前の話だったからまだ信じられるものであるが、何しろその存在は沢山の水の塊であるそうだ。そして、その中に「塩」が含まれている。なんとも奇異な光景であろう。それも海のお陰で足場があまり存在しないというのは考えたくもない出来事に近い。


 海という概念があるというのは確かに驚きを隠せないものであったが、それよりも驚きを隠せない物事があった。

 なんと、「地面」という、土や砂の上を人が立って歩く場所が存在したことだ。今では「地面」という言葉はまた別の意味として捉えられることがあるが、とにかくそんな世界は想像もできなかったのだ。

 確かに、「施設」といったところでは塊石を用いた建造物があるし、その上では自由が利く場所として重宝されてはいるのだが、殆どの場所がそういった比較的自由の利く床であるのはなんとも恵まれた世界であろうとすら思える。大体が氷の上での生活を強いられている人々にとっては、どんな気持ちで道を闊歩しているのか羨ましくも思っている。それは大層、夢の国であろう、と。


 しかし、そんな世界も環境がガラリと変化したことで生活様式が変わってしまったのだ。

 世界そのものが水没したのだ。


 気温上昇傾向――地球温暖化というらしい――の影響により水位がが上昇し、1000年後には地面なるものが完全に水没してしまったらしい。圧倒的な高さを誇っていた存在――記述上は「山」や「ビル群」とされている――すらも呑み込み、人間たちの暮らしを絶望的なものとしたのだ。

 歴史的な記述によると、その状況を後押ししたのが1か月にも及ぶ嵐のせいだったという。水位上昇により気候の変化に多大な影響を与えたのだとしているがそれは定かではない。


 水没により、世界には混乱の渦が出来ていたらしい。何しろ、今まで当たり前のようにあった足場が跡形もなくなくなってしまったのだ。人々は船上での暮らしを余儀なくされ、不自由な暮らしがしばらく続くことになったのだそうだ。


 そんな中、人類に対して2つの選択肢が浮上したのだ。

 一つは、現状維持としてこのまま船上での暮らしを続け、その場における生活環境の向上を目指すこと。

 そしてもう1つが、地球を捨てて、別のどこか新しい星へ暮らしを求めることだった。


 正直、どちらを選んでも地獄には変わりなかったのであろう。

 確かに、別の星に移り住むことは実験段階であったこともあり、多少の不便や犠牲を伴っても生活することは可能ではないかと結論付けれられていた。しかし、一から全てをやり直さなければならないという状況から現状維持を求める声も少なくはない。


 結局のところ、個人の自由を尊重してどちらで生活するかは個人が決め、希望した場で生活することになったのだ。なんという無責任なものだと思われてもいたが、最終的に人々はその選択を納得し、個人の赴くままに行動したのだ。


 結果、そのときいた人類の8割が新天地を目指し宇宙へと旅立ち、残りが水没した世界に残ったとされている。このころの記述を見ると、水没した世界に残った人類の数は推定約五億人であると言われている。

 それが、今から約3万年前の話だ。


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