5話 少女はカメラを持って現れる
年齢はケンジと同じくらいだろうか。かわいいといって差し支えないくらい、顔立ちも整っている。
ニコニコと満面の笑顔を浮かべ、少女はマロの頭を撫でようと手を伸ばした。しかし、警戒されて逃げられてしまう。
「ふーん。知らない相手だと嫌がるんだ。誰にでも愛想をふりまくわけじゃない。柴犬って聞いていたとおりの性格だね」
少女はすっくと立ち上がると、ケンジの顔をのぞき込んだ。
「どうしてワンちゃんを連れて散歩してるの? 外はこんなに危ないのに」
少女の言葉を肯定するように、はるか上空を列をなして飛ぶ怪鳥が、一声鳴くのが聞こえた。
「どうしてって、そりゃあ犬の散歩だから」
「昨日も、一昨日もしてたでしょ」
「散歩ってのは、一回やればおしまいってわけじゃなくて…… 俺が散歩してるのを見てたのか?」
「キミのこと、調べてきたの。東原ケンジ、十四歳の中学三年生。コーポ光が丘201号室で柴犬と暮らす一人暮らし。両親は死去。雨の日も雪の日も、毎日の犬の散歩は欠かさず……」
「ちょ、ちょっと待て!」
「あれ? なにか間違ってた?」
「そうじゃない。なんで調べてるんだ!?」
「もちろん、キミに興味があったから」
少女が意味ありげな笑みを浮かべてそう言った。
シチュエーションが違えば、少女の仕草にケンジも照れて赤面したかもしれない。けれど、いかんせん言動が怪しすぎる。
「改めて聞くよ。怪獣が徘徊する危険な街を、どうして毎日ワンちゃんを連れて散歩するの?」
ケンジは即答せず、目の前の少女をいぶかしげに見つめた。
動きやすそうなジャージ姿は「ちょっとコンビニに行く途中」とでも言いそうな格好だ。
犬の散歩中、稀に外出している人間を見かけることはあったが、やはり目的の大半は買い出しだった。しかし少女の持ち物と言えば、ハンディカメラがひとつ。買い物には不要なアイテムと思える。
ケンジは少女の目的を考えた。自警団のように、ケンジの散歩を止めるつもりなのか。散歩している様子をあのカメラで録画して、これが証拠だと騒ぎ立てるつもりではないだろうか? 先ほど咎められた直後とあって、ケンジの心中も穏やかではない。つっけんどんに返事した。
「犬の散歩は毎日してる。怪獣が出る前からな。誰かに言われてやめるつもりもない。それが何か?」
「いいね、いいね! 世界が変わっても生活は変えない。たくましいと思うよ、うん」
ケンジの予想とは反対に、少女は好意的だった。
「そのお散歩を動画で撮らせてくれないかな? メガチューブで配信するの。タイトルはこう! “犬のお散歩 DEAD OR ALIVE”よ!」
少女はカメラをケンジたちに向けてそう言った。まったく想像していなかった展開に、ケンジが目を丸くする。
「本気で言ってるのか? DEAD OR ALIVEだなんて縁起でもない! スリルを味わいたくて散歩してるんじゃないぞ。それに動画なんか撮って、どうするつもりだ?」
「動画で世界を変える! それが私の目的よ」
少女は胸を張って、その日一番の笑顔を輝かせた。
「世界を変えるだって?」
「たくさんの人に知ってほしいのよ。ほら、二年前に怪獣が現れてから、みんな引きこもりみたいなものでしょ? 花見やお祭り、イベントはみんな自粛。世の中つまらなくなったと思わない? みんながみんな委縮してさ。でもキミは違う。それまでの生活を貫き続けてる。それもワンちゃんの散歩っていうんだから、ロックだよね」
熱のこもった自分への評価を聞き、ケンジは居心地の悪さを感じた。それを誤魔化すように尋ねる。
「DEAD OR ALIVEなんて言ってたけど…」
「タイトルは刺激的なほうが視聴数が稼げるから。どうかな? 散歩の動画撮影したいんだけど?」
ケンジは考えた。プライベートを不特定多数に公開して有名になりたいという欲求は、ケンジにはない。そもそも犬の散歩動画に人気が出るとも思えないが、動画をみる人が増えたら増えたで、散歩を止める者が今より増えそうな気もする。それは面倒くさい。
「お断りしようかな」
「なんで!? その心は!?」
「面倒くさい」
ケンジは遠慮なく理由を告げることにした。
「そ、そんなぁ… もう一回話を聞いて、そしたら考えも変わるって!」
「いや、散歩があるんで…」
「撮っていいの!?」
「ダメ!」
ケンジは取り付く島もないように断った。
しかし――
「ちょっと! ちょっとでいいから撮ってみない? 気が変わるかもしれないよ?」
「……」
「そういえば自己紹介もまだだったね! そりゃあ知らない相手の頼み事は聞きづらいか。私は姫路翔子。東原くんと同い年の十四歳。よろしくね」
「……」
「東原くんは、ワンちゃんの写真や動画は撮ったりするの? やっぱりかわいい姿は、記録に残したいよね。でも散歩しながら撮影って大変でしょ? そこで私! 姫路翔子を利用してほしいわけですよ! どうかな? 素敵に可愛く撮っちゃうよ?」
「……」
姫路翔子と名乗る少女は、しつこくついてきた。
ずっとカメラを抱えたまま、一方的に話し続けている。ケンジの承諾さえ得られれば、すぐにでも撮影をはじめそうな勢いだ。ケンジは辟易しながら、散歩を続けねばならなかった。言いたいことだけ言い捨てて去っていった自警団より、ある意味、質が悪いかもしれない。
大きな公園についた時、それまでしきりに話しかけてきた翔子が押し黙った。明後日の方向を向いて目を細めている。ケンジも視線を向けてハッとした。犬が一匹、ベンチの傍に座り込んでいたのだ。
「あれワンちゃんだよね? なんであんなところにいるんだろう」
「行ってみよう」
ケンジは嫌な予感がして犬のもとに向かった。
ケンジたちに気がついた犬がヨロヨロと立ち上がった。マロたちと色違い、『赤柴』と呼ばれる茶色の柴犬だった。体は小さく年も若く見える。
興味を惹かれた黒柴マロと白柴フジが近づくと、赤柴は鼻にしわを寄せて吠えた。それ以上近づくなという意思表示である。自分から逃げ出さないのは、リードがベンチに結び付けてあるからだった。
「飼い主はどこにいったのかな?」
「トイレかもしれない。見てくる」
ケンジはマロたちを引っ張って、公園のトイレまで進んだ。
「柴犬の飼い主さん、いませんかー?」
しばらく待った後、トイレに向かって声をかけてみるが返事はない。人の気配もなかった。念のため個室を確認してまわり、ケンジは嫌な予感が当たったのだと悟った。仕方なくベンチに戻ると、赤柴は地面に座り込んでいて、翔子が傍らで心配そうに頭を撫でていた。
「飼い主さん、いた?」
「いなかった。たぶん捨て犬だ」
「捨て犬?」
「怪獣がいつ現れるかわからない場所に、ペットをリードで繋いだまま放置する飼い主はいない。犬が戻ってこないように、ここに結び付けていったんだ」
「なにそれ酷い… 本当に酷い…」
それまでずっと笑みを浮かべていた少女が、はじめて違う感情をその顔に浮かべた。
「この犬、具合が悪いみたい。それで捨てられたのかな? すぐに座り込んじゃうんだよ」
病気を理由にペットを捨てる飼い主は多いと聞く。近年まで保健所で殺処分される犬猫の数は減少に向かっていたが、怪獣の出現以後、再び増加に転じたらしい。多くの人間が変化する社会に翻弄され、ペットを飼い続けるのが難しくなったとはいえ、やり切れない話だった。
「どうするの?」
「放っておいたら怪獣にやられてしまう。連れて帰ろう」
ケンジは再び赤柴に近づいた。立ち上がる元気がないのか、伏せたまま弱々しい唸り声を赤柴は発した。他の犬たちが近づくと、顎を突き出して噛みつこうとする。一緒に並んで歩くことはできなさそうだ。
一度帰宅して迎えに来るか? ケンジが思案していると翔子が手を挙げて発言した。
「私が抱っこして連れていくよ」
そういうとカメラをケンジに押し付けて、赤柴をゆっくり抱え上げた。
最初こそジタバタと暴れる赤柴だったが、抵抗を続ける元気もないのか、少女に抱えられたまま動かず、ウゥゥと小さな声だけを繰り返した。
「私がいてよかったね?」
まるでケンジの心を読んだようなセリフをはくと、早く家に案内してと少女はケンジを急かした。
散歩を半ばで中断された犬たちを見れば、赤柴のことが気になるらしく、鼻をヒクヒクさせながら翔子のあとをついて歩こうとしている。ケンジはひとつため息をつくと、来た道を引き返し始めた。
6話 少年は保護した柴犬を連れ帰る …に続く。