3話 怪獣はどこからともなく現れる
謎の怪生物現る――
そんな噂が流れはじめたのは二年前、雪解けの季節だった。
湖を泳ぐ二十メートルを超える大蛇。
鹿を掴んだまま飛び去る巨大鳥。
峠道でトラックと衝突し全損させたカタツムリなど、姿かたちも様々な怪生物の噂話が節操なく語られだしたのだ。その頃は目撃情報の多くが人里離れた山林であったから、
「未確認生物が生き残っていたのではないか」
「21世紀はじまって以来の大発見だ」
などと、ロマンを含んで論じられていた。
どうせ悪戯だろうとする現実的な推測の他に、想像力を働かせて噂話を楽しむ余裕があったのである。
五月に入り、事態は一変した。
東京都港区。人口密集地に全長三十メートルを超える巨大ムカデが突如として現れたのだ。
巨大ムカデは家屋を押しつぶし、立体道路で玉突き事故を発生させ、約五キロの距離を縦横無尽に蹂躙して地下鉄構内に潜入。走行中の地下鉄と衝突した後、姿を消した。
その後、自衛隊が二十日をかけて地下を捜索し、攻撃を続け、ようやく地上へ追い出すことに成功した。
飛び出した巨大ムカデは、機会を待ち続けた待機部隊の集中砲火を浴びて燃え上がった。しかしそこからも、この怪生物はしぶとかった。
全長三十メートルの炎のムチとなったこの生物は、全身を焼かれながら一時間以上に渡ってのたうち、暴走を続けたのである。打つ手を失い、見届けるしかない人々の視線を一身に集めながら、周辺家屋を道連れにしてようやく怪物は燃え尽きた。
駆除作戦を終えた時、人々はその被害規模に愕然とした。そして、どこから来たのか。どうして生まれたのか。再び同種の生物が現れる可能性があるのか。何一つ明確な情報が、得られていないことに戦慄するのだった。
そしてわずか十日後。多くの人が感じる不安は、そのまま現実になった。
今度は巨大ヤモリが出現。さらに八日後に巨大ザリガニ。六日後に巨大ヤドカリ。次から次へと巨大生物―― 後に『怪獣』と呼称されることになる生物群が現れたのである。共通するのは、異様なまでの大きさだけ。その姿も、出現場所もでたらめだった。
姿といえば、大きさを無視すれば、よく知られた動物に類似したものが多かったが、まったくそのままというわけでもなかった。
最初に現れたムカデは、その長い胴体の両端に七つの目を持つ頭があった。
巨大ヤモリは合計六本の足を持ち、新宿都庁の外壁を難なく登ってみせた。
巨大ザリガニにいたっては、びっしりとした毛が全身を覆い「お前、毛ガニじゃねぇの?」という感想を見る者に抱かせた。
これら怪獣の登場に、当初人々は驚き、恐れはしても、すぐに駆逐されるものと高をくくっていた。
しかし、退治する数よりも、発見される怪獣の数が上回りはじめると、考えを改めなくてはいけなくなった。この危険と隣り合わせの生活は、これから先もずっと続くのではないかと。
怪獣撲滅を求める声が消えることはなかったが、怪獣の闊歩する世界で如何に生活するべきか、論じる声が増えていった。怪獣たちとの強制的な共生。必要に迫られて社会が変化しはじめたのだ。
例えば、通学する子供たちを装甲車で送迎する学校が現れた。そもそも通学を必要としない通信制学校の需要も急速に高まっていった。
怪獣の出現当時、十二歳だったケンジの通う中学校では、無期限の自宅学習が通達された。
しばらくして動画配信サービス“メガチューブ”を使った授業の試験配信が開始され、担当教師たちの慣れない公開授業を、スマートフォンの画面越しに受けることになった。
その後、バスを使った送り迎えも試されたが、運悪く怪獣と遭遇し、子供たちを乗せたまま、バスが怪獣に追い回されるという、みんな仲良くトラウマ体験を経て中止となった。中学三年生になった現在も、自宅学習は解けていない。
あの生物の正体はなんなのか?
核心をつくこの問題は、数限りなく議論されてきた。
そんな中、もっとも信憑性が高いとされるのは、軍事企業が生み出した生物兵器による無差別テロだ。
突拍子もない話だが、まことしやかに語られる最大の理由は、怪獣出現以来、軍需産業がもっとも利益を得ているためだ。武器の販売数は右肩上がりに伸びている。他の産業ではこうはいかない。
日本では銃携帯の法律、資格、試験づくりが遅れており、他国に比べて普及率は高くないが、それでも怪獣出現前とは、大きく様相が変わってきている。
怪獣を敵性国家からの侵略行為という者もいたが、世界中で怪獣被害は出ており、怪獣たちをコントロールできているとは思えない、というのが大方の見方だ。もっとも侵略を信じて疑わない者は、コントロールできていない演技をしているのであって、自国の被害すら自作自演だと主張するのだが。
一方、自分たちこそ怪獣を統率し、世界を改革に導いていると宣言するものもあった。とある宗教団体は、怪獣の目の前に教祖が進み出て、まさにコントロールしていますよ、と厳かにアピールを始めたところ、一飲みにされたこともあった。
怪獣の正体について確定情報はいまだなく、議論は今も続いている。
ケンジはこの議論にさほど興味を示さない。多くの市民がそうであるように、結論の出ないことに飽いてしまったのだ。そんなことより悩まなくてはいけないことがある。毎日朝晩、四十分の犬の散歩、これを無事に完遂することだ。
【4】大人たちも怪獣と戦う …に続く。