最終話 柴犬は光り輝く
ケンジがゆっくり目を開けると、わっと歓声があがった。
「ケンジくん、おきたー!」
「そうだね、風花。寝坊助のケンジ君、やっと起きたねぇ」
「困った子だよ、こんなに心配させて……」
ケンジを囲んでいるのは、風花・美月・多恵の三人だった。まだ靄のかかったままの頭でケンジは周囲を見渡した。見覚えのない白い部屋に大きなベッド。美月たち三人の後ろに立つ白衣の男女を見て、ここが病室だと気がついた。
「本当にこんな方法で意識が戻るなんて……」
看護師たちは安堵と驚きの入り混じった表情で、何事かささやきあっていた。ケンジには何のことだかわからない。
「クラゲの怪獣から助け出された後、ケンジ君はずっと眠っていたんだよ」
美月の言葉を聞いて、戦いの記憶が少しずつ蘇ってきた。空に浮かんでいた巨大なクラゲから、ケンジは子犬を助けようとして、諸共に飲み込まれてしまったのだ。怪獣に飲まれたせいか、それとも長く眠っていたためか体がひどく重かった。うまく声も出てこない。
「ケンジくん、だいじょうぶ?」
風花が心配そうに声をかけてきた。ケンジは返事の代わりに、少女の頭をなでてやった。そこでふと気がついた。風花の腕には白い子犬が抱かれていた。ケンジが身を盾にして守ろうとしたサクラの子供だった。
子犬の無事を確認してケンジは安堵した。しかしどうして病室に犬がいるんだろう? ケンジが不思議そうな顔をしていると、美月が教えてくれた。
「サクラの子供のシロちゃんね、超能力を使えることがわかったの。テレパシーっていって、考えていることをまわりに伝える力なんだよ」
美月はハンカチで目元をぬぐいながら言葉を続ける。
「眠っているケンジ君にも声が届くんじゃないかって、翔子ちゃんが言ってね。試してみたの。何度も何度も試して、ずっと失敗ばかりだったけど、やっと聞こえたみたいだね」
ケンジは改めて子犬を見た。夢の中で聞いた声は、この子のものだったのだろうか。
それにしてもと、ケンジは首を傾げる。記憶より子犬の体が大きい気がしたのだ。
「どれくらい、寝てた……? その間、犬の散歩は……」
かすれる声でケンジが問うのと同時に、病室に翔子が駆けこんできた。
「東原くんが目を覚ましたって!?」
「ん……おはよう」
ケンジが片手をあげて応じると、翔子はその手を掴んで強引に引っ張った。
「ゆっくり寝すぎ! ほら、早く起きて!」
「なんだよ、いきなり?」
ケンジの抗議も、周囲の制止も無視して、翔子はケンジをベッドから引っ張り出した。
思った以上に体力が落ちていたのか、ケンジはたたらを踏んでよろめいた。
「肩につかまって。早くいくよ」
「どこに、連れていく気だよ?」
翔子に肩を借りて、病院の廊下を進むのは気恥ずかしかった。心配した医師や看護師が止めに入ったが、美月と多恵が頭を下げて道を開いていた。二人は翔子の意図を察しているらしい。
「そうだ、寝ている間、犬たちを散歩してくれたのか? マロとフジは元気か? サクラ親子はどうなった」
「……サクラは飼い主の小田さんの家で暮らしてる」
「犬、飼えるようになったのか? 恋人が反対してたんだろ?」
「恋人は追い出したって。車で怪獣に突撃したら、たいていのものは怖くなくなったって言ってた。すごい性格の変わりよう。会ったら笑うよ」
「そうか」
ケンジ自身、意外なほどその結末に納得していた。初めて会ったときは、怒りを抑えることができなかった。けれど、たくさんの犬を抱え込んで、逃がしてしまった苦い経験と、危険な場所に駆け付けた彼女の行動が、ケンジの心境を変化させていた。
「サクラの子供たちはどうしてる?」
「巨大化とテレパシー。超能力に目覚めた二匹は、美月さんの家にまだいる。他の二匹は多恵さんの知り合いにもらわれていった」
「サクラと一緒じゃなくていいのか? まだ小さいだろう」
「もう大きくなったから」
ケンジは釈然としないものを感じつつも尋ねた。
「マロとフジは?」
「フジは消耗してしばらく体調を崩していたけど、最近になって落ち着いてきた感じ。散歩も再開したんだ」
つきあいの長い老犬を思い出して、ケンジは安堵の息をはいた。
「それじゃあマロは?」
「……自分の目で確かめて」
一瞬声を詰まらせて、翔子はそう言った。ケンジは翔子の顔を見てハッとした。何かに耐えるような表情を浮かべていた。愛犬になにかあったのだ。
翔子はケンジに肩を貸したまま、受付の前を通り過ぎた。既に診察時間は終わっているらしく、目に入るのは病院の関係者ばかりだった。
病院の玄関が見えてきた。目的は外にあるらしい。ふと出口の向こうを見て、ケンジは首を傾げた。夜といってもよい時間なのに、外が異様に明るい。
よくよく見れば、空はたしかに暗くなっている。駐車場のほうに強い光源があって、辺りを照らしているのだ。
外に出たケンジは目を疑った。光源の正体、巨大な光の柱が空に向かってそそり立っていたのだ。
ケンジを支える翔子は、まっすぐ光の柱に向かっていた。それが目的であることは間違いなかった。
これはなんだろう?
どうしてこんな場所に連れてこられたのか?
自分はマロに会いたいだけなのに……
そこではたと気がついた。
「まさか…… そんな、もしかして?」
ケンジは自分の想像に狼狽えた。しかし想像を肯定するように、翔子が言った。
「待てば待つだけ稲妻は強くなる」
「そんな嘘だろ……? これがマロだっていうのか!?」
光の柱の目前で二人は足を止めた。柱は煌々と周囲を照らしながら、バチバチと火花を弾けさせている。下手に近づけば無傷ではいられないだろう。
「なぁ、俺はどれだけ寝てたんだ?」
「二ヵ月…… 東原くんが目覚めるのを、あの子はここで待ち続けた」
二ヵ月――
その言葉が激しくケンジの胸をえぐった。
「想いが強すぎて、家に連れ帰ろうとしても誰も近づけなかった」
ケンジは翔子から離れ、よろよろと歩き出した。弾ける火花が皮膚に当たるのも気にせず、柱に近づいた。
ケンジはマロのことを忠犬だなんて思っていなかった。どこまでもマイペースで、ごはんと散歩の時しか愛想を振り向かない。そんな犬だと思っていた。それでまったく問題なかった。健やかで、そこにいてくれるだけで十分だった。
それなのに、この犬ときたら――
「マロ」
ケンジは愛犬の名を呼んだ。しかし光の柱に変化はない。
「マロ!」
もう一度名前を呼んだ。かすれる声で、それでも精いっぱい大きな声で、大切なものの名前を呼んだ。
次の瞬間、目の前を覆いつくすほど大きかった光の柱が、光の粒子になって飛び散った。
そして光の中心から弾かれたように飛びだす影がひとつ。倒れ込むように膝をついたケンジの胸に、それは飛び込んできた。犬の形を取り戻した愛犬の姿だった。
黒柴マロは頭をぐりぐりと押し当てながら、甘えた声で鳴き続けた。何日も何日も堰き止められた想いが、とめどなくあふれ続けていた。
「ごめんなマロ。ずっと待ってたな。えらかったな」
ケンジは愛犬が落ち着くまで、声をかけ続け、抱きしめた。それ以外にこの犬の心に応えてやる術がわからなかった。
その後――
愛犬との再会を果たしたケンジは、眠っている間に起きたことを聞かされ、何度も目を丸くすることになる。
その最たるものは、マロが世界中で話題の的になっていたことだ。戻らぬ飼い主を病院で待ち続ける忠犬。しかも、ど派手な超能力を使う犬だというのだから、話題性は抜群だった。
最初は新手の怪獣ではないか。病院を襲うのではないかと懸念され、駆除も検討されたそうだ。これを防いだのは、駐車場で行儀よく待ち続けたマロの行動もさることながら、翔子の撮影した動画が大きな役割を果たした。
超能力を駆使して怪獣を退治するシーンを、世界中に流したのである。自警団をはじめ、その様子を目撃した人たちが、動画が本物であることを証明してくれた。病院の忠犬は、怪獣を退治するヒーローでもあったのだ。
人々はこの不思議な犬について語り合った。さらなる怪獣退治も期待した。その熱狂は駆除計画を白紙にするのに十分だった。
ケンジが目を覚まし、マロと再会したことも、『エスパーワンコ、主人と再会する』というニュースになって、当日のうちに世界中に流れた。巨大な光の柱が消えたのを合図に、病院に問い合わせが殺到したらしい。
病院で働く人々には、大変迷惑をかけてしまったと、ケンジは頭を下げてまわったが、皆一様に笑顔で、ケンジの回復を祝福してくれた。犬好きのスタッフも、そうでない人たちも、一番身近でマロを見続けてきたのである。その結末が『忠犬ハチ公』のような悲しいものではなく、ハッピーエンドであったことを心から喜んでくれた。
ケンジのもとには各種マスコミから取材依頼が殺到した。まだ回復していないことを理由に、ケンジはそれを断ったが、それでも依頼が止まらないため、翔子の協力のもと、自作動画を撮って、メガチューブで発信することにした。
たくさんの人に心配と迷惑をかけたことをお詫びした。同時に、ケンジの回復を祈り、世界中から届けられたメッセージやお見舞いの品に感謝した。
なぜ犬が超能力に目覚めたのか?
大勢の人が知りたがった疑問については、犬の想いが起こした奇跡ではないか、とケンジは説明した。さすがに宇宙人の用意したミートボールを食べて覚醒したとは言えなかった。
ともあれ、翔子の動画が多くの人に影響を与えた。その現実をケンジは目の当たりにしたのだった。
地球での動画配信は成功した。それでは翔子の生まれ故郷ではどうなったのか? ケンジの問いに、翔子は笑顔で答えた。
「すごく話題になってるよ。病院の忠犬映像に心動かされる人が多いのは、地球と同じだね」
「忠犬物語は、宇宙人にも有効なのか」
一方的に怪獣を投棄してくる行為は許せないが、少しはわかりあえる部分もあるらしい。
「で、そっちの世界は変わりそうか?」
翔子の撮影した動画“犬のお散歩 DEAD or ALIVEシリーズ”は、世界を変えるために撮られたものだった。怪獣の廃棄を止めて初めて、目的が達成できたといえるのだ。翔子はいつも浮かべている不敵な笑みを消すと、まっすぐにケンジを見据えて答えた。
「変えてみせるよ。キミとワンちゃんたちの、命がけの動画を武器に、法律を変える。たくさん応援してくれる人もできたからね。きっとできる。それでさ……」
翔子は一度言葉を切ると、右手を差し出した。
「私は星に帰る。今まで本当にありがとう」
「そっか。まぁ、こっちもなんだかんだで助かったかな」
ケンジも手を差し出して握手に応える。
「地球人は嫌いだけど、マンションのみんなはそうでもないかな。あとワンちゃんは最高だから。頑張ってみるよ」
翔子は悪びれもせずそういうと握手を解いた。
「東原くんはこれからどうするの? 少しは騒ぎも収まったけど、すっかり有名人だよね」
「有名でも無名でもやることは変わらない。犬の散歩を続けるさ」
「キミは変わらないねぇ」
ケンジの答えに翔子は苦笑する。
「それじゃあ行くよ。またいつか、縁があったら散歩しようね」
「おう」
翔子は病室を出ていった。ひとりきりになったケンジは、天気の良い外に視線を移してつぶやいた。
「散歩日和だ。ああ、早く犬の散歩にいきたいなぁ」
その日の夕方――
最後の動画がアップロードされているのをケンジは見つけた。その動画には病室の窓から空を見上げ「ああ、早く犬の散歩にいきたいなぁ」と、センチメンタルにつぶやくケンジが映っていた。隠し撮りだ。
『早く退院できますように!』
『ワンちゃんがあなたを待っていますよ!』
世界中から書き込まれるたくさんの応援コメントを読みながら、翔子の悪戯にケンジは苦笑いするのだった。
それからしばらくして、怪獣の目撃情報は減少をはじめ、とうとう地球から怪獣は姿を消した。
世界中の人々が喜び、同時に不思議がった。どうして怪獣はいなくなったのか?
地球でただ一人、ケンジだけが真相を知っていた。
遠い星の友人が柴犬動画で世界を救ったのだ。
おしまい




