24話 少年は退場し、少女が舞台に上がる
「そんな……」
大怪獣にケンジが飲み込まれる姿を、地上ではなすすべもなく翔子が見ていた。
黒柴マロが甲高く吠えて、その身を雷に変えて飛び上がった。迫る触手を二つ三つと焼き切るが、無限にも思える触手の壁は厚く、胴体にも届かず地面に降りてきた。さらなる触手が迫ってきて、翔子は慌ててマロのリードを手に取ると、強引に引いて民家に引き返した。
「どうしよう、早く助けないと……!」
大クラゲには牙がない。口内に入ったからといって、すぐに死んだとは限らない。しかし、時間がかかれば窒息するかもしれないし、全身から体液を吸い尽くされてしまう。どれだけ時間の余裕があるかわからなかったが、長くないことだけは確実だった。
周囲も騒がしくなっていた。
騒音に気がついた住民たちが何事かと顔を出し、炎上する車両と、空に浮かぶ巨大怪獣に目をむいた。
マンション高層階の住民が窓を開けると、目の前でうごめく触手群を目の当たりにして悲鳴をあげた。
それに反応するかのように、触手が窓を破ってマンションを蹂躙し始めた。
そこかしこで悲鳴があがっていた。
観賞用というには、あまりに危険な存在だった。だからこそ、地球に捨てられたのかもしれない。
再びドローンを操作して、クラゲの検索結果を表示する。
「弱点はないかな? なんでもいい。東原くんを助ける手段は……」
発砲音がした。自警団の若者が再び銃を使ったらしい。犬たちの吠える声も聞こえてきた。
白柴フジが触手の一本に噛みつき、その怪力で強く引っ張った。しかし触手は長く、フジが引っ張ったくらいでは、浮遊する胴体をぐらつかせることもできなかった。そして他の触手が向かってくると、噛んでいた触手も離さざるを得なかった。
赤柴サクラたちも抵抗らしい抵抗が出来ず、触手に追われて逃げ回ることしかできなかった。
「ガスで浮遊する怪獣か。もしも怪獣の体に穴をあけられたら、ガスが漏れて飛べなくなると思うんだけど、空に浮いたままじゃ手の出しようもない……」
銃では無数の触手に阻まれ、クラゲの胴体まで弾を飛ばすことができなかった。フジやサクラの能力では、胴体に届かない。打つ手はないのか。
その時、リードを握る手に痛みを感じて、翔子は顔をしかめた。
黒柴マロが怪獣を睨みつけ、リードを引っ張り、唸り声をあげている。その体からは稲光がどんどん強くなり、電気抵抗が強いはずのリードでさえ、それを持つ手に痛みを与えだしていた。
「待てば待つほど威力を増す稲妻……。もしかしたらマロちゃんなら、あの怪獣を打ち落とせるかも!」
翔子はマロに話しかけた。
「東原くんを助けたい?」
マロは振り返ると、早く行きたい、リードを離してといわんばかりに首をふり、前肢で地面をたたいた。その仕草に思わず翔子の口元がほころぶ。こんなにも無垢な瞳をまっすぐ向けられては、無視することもできない。
「私たちは地球人を嫌っているけど、キミたちが彼らに向ける忠誠は、尊いものだと理解できる」
翔子は母星で見た映像を思い出した。それは地球で暮らす生物たちの映像だった。
多くの同胞は映像に目を向けようとしなかった。地球に目ぼしい資源がなく、自滅に向かう惑星と見切っていたのも理由ではあったが、映像から同胞の目を背けさせた一番の要因は、羞恥心だった。
翔子たちの暮らす母星に、哺乳類はいない。過去の大戦で死滅させてしまったのだ。地球の映像を見ることは、愚かだった過去、恥ずべき所業を思い起こさせる行為なのだ。
そんな中、翔子は映像を直視した。きっかけは恩師だった。一日の大半を寝て過ごす、五百歳を超える恩師は、ときおりアナログな絵を描いた。モチーフはすべて犬。五百年前の戦争で救えなかった、彼の愛犬だ。
『イヌのいた景色』
そう題されたシリーズをはじめてみた時、翔子は心が温かくなるのを感じた。同時に切ない気持ちもあった。シリーズの作者を調べたら、五百年を生きる英雄だった。はじめて見た『犬の絵』が、恩師との絆の始まりだったのだ。
当時の翔子は、漠然と芸術家に憧れる、何者でもない学生だった。そんな翔子との初対面の場で師は様々なことを語って聞かせてくれた。
その中には、地球という遠い星が『実験動物の捨て場所』に決まった話も含まれていた。師はそれを悲しんでいた。
地球の映像を見た翔子は衝撃を受けた。
母星では記録の中にしか存在しない、哺乳類の営みが地球にはあった。師にとって忘れられない犬という動物が現存し生きていた。
しかし、実験動物の投棄によって、苦境に立たされている。
救いたいと思った。
地球に行ってみたいと考えるようになっていった。
その想いを師に訴えると、彼はサポートを申し出てくれた。
「くぅ~ん」
黒柴マロが鳴いた。はやく主人を助けに行きたいのだろう。訴えかけるように翔子をじっと見つめてくる。翔子が危険を冒してこの星にやってきた理由が、今、目の前にあった。
「私たちの心を動かすのは、キミたちワンちゃんだよ」
マロの電撃はますます強まり、針で刺されるような痛みが腕一杯に広がっていた。片手ではリードを握り続けられない。翔子は膝をつくと、両手でリードを握った。ますます強い電撃を発する柴犬に語りかけた。
「私たちで東原くんを助けよう。だから、もうすこし我慢して」
急がなくてはケンジの命が危険だった。けれど慌てれば稲妻の力が弱く、触手の壁を破れない。おそらくチャンスは一度しかない。ギリギリまで力を蓄積し、一撃に賭けるしかなかった。
時間の経過と共に、黒柴をつつむ光は強まり、弾ける電撃が翔子の腕を焼いた。それでも耐えて反撃の一瞬を見極める。
「キャンッ!」
犬の悲鳴が響いた。見れば赤柴サクラが触手に囚われている。六頭いたサクラはその一頭を除いて姿が見えない。すべてやられてしまったのか、本体が捕まり消えてしまったのかはわからない。けれどサクラの危機は確実だった。
白柴フジが察して、サクラを掴む触手に噛みついた。しかしその動きは精彩を欠いていた。フジは十一歳の老犬だった。連続する事態に消耗激しく、もはや怪力の能力も使えなくなっていた。
巨大化する子犬も同じだった。盛んに触手に吠え立てていたが、その体は小さなままだった。
フジと子犬も触手に捕まった。
それと同時に、黒柴マロの電撃が一層強まった。犬友達の危機に我慢は限界に達していた。
翔子はここしかないと判断した。ケンジがマロに命令していた仕草を思い描く。痛みに震える左手を上空に浮かぶ怪獣に向けた。そして右手を腰から突き出し、左手を引きながら叫んだ。
「マロちゃん、雷遁の術!」
解放された黒柴マロがぶるんと体を震わせる。体についた水滴を振りまくように、ため込んでいた電撃をその身から噴出すると、黒い稲妻となって空に駆けあがった。
道を阻む触手は触れた傍から焼き切れた。稲妻の威力は止まらず、巨大な傘に吸い込まれていった。
透明の体の中を稲妻が走り抜けるのが見えたかと思うと、そのまま体表を突き破って飛び出した。
巨大クラゲの体は、まるで空気の抜けたゴムボートのように、ゆっくりと形を崩しながら地上に降りてきた。体の大半が浮揚ガスであったのか、その体は十分の一ほどに萎んでいる。既に触手を持ち上げることもできないのか、だらりと地面に広がった。
唐突に出現し、人々を恐怖に打ちのめした怪獣はこと切れていた。
「終わったのか……?」
「喰われた奴はどうなった? 早く助け出せ!」
翔子の耳に人々の声が聞こえてきた。感覚のない両腕をかき抱くようにして、怪獣のもとに向かう。
「東原くんはどこ……?」
空に浮かんでいた時とは異なり、地面に横たわったクラゲは、その口がどこにあるのか判別できなかった。ケンジの行方が分からない。
せっかく怪獣を倒したのにケンジが救えない。恐ろしい想像が無為に過ぎていく時間と共に膨れ上がっていった。
その時、犬の鳴き声がした。マロではない。フジやサクラでもなかった。しかし、すぐ近くでその存在を示すように鳴いている。
翔子はクラゲの亡骸によじ登ると、声に導かれるように歩き出した。
不思議なことに翔子を呼ぶ声は、耳から入るのではなく、直接頭に響いてくるようだった。
やがて声の発生源と思われる場所で翔子は足を止めた。同じ声に導かれたのか、マロやサクラたちがやってきて、前肢でその場所を掻き始めた。
確信を得た翔子は出せる限りの声を張り上げた。
「東原くんはここです! 助けてください!」
大人たちが走ってきた。近所から調達してきたのか、鉈をもった男性もいる。彼らは怪獣の体に刃物を立てると、悪戦苦闘しながら行方不明者の捜索に取り掛かった。
十数分後、最初に飲み込まれた自警団の男性が見つかった。皮膚が赤く腫れあがり意識もなかった。待機していた救急車が運び去る。
ケンジが見つかったのは、さらに数分後のことだった。
体をかたく丸めた状態で引っ張り出されたケンジに、翔子と風花が駆け寄った。犬たちも心配そうに鳴きはじめる。
「きゅぅうぅぅん」
犬たちに返事するように弱々しい声がした。ケンジの腕がもぞもぞと動き、白い子犬が顔を出した。怪獣に飲み込まれる寸前、ケンジが守ろうとした子犬だった。
喜びの声があがった。しかし、翔子たちが何度呼びかけても、ケンジは目を覚まさなかった。
25話 少年は大切なものと再会する……に続く。




