23話 少年はさらなる強敵と対峙する
「東原くん、油断しないで! まだ一頭いるから!」
翔子の声にケンジは顔を上げた。
電撃を受けて動かない怪獣の傍で、もう一頭の怪獣、トサカの小さな雌鶏が仲間の体を揺さぶっていた。なぜ起きないのか理解できないようだ。
怪獣に襲われていた乗用車を見れば、ちょうど自警団のメンバーが、後部座席の窓を割って、女性を引っ張り出しているところだった。
ここに至って、女性が赤柴サクラの飼い主・小田琴子だとケンジは気がついた。
「なんであの人が……?」
疑問に首を傾げるも、すぐに見当がついた。彼女は美月から連絡を受けて、迷子のサクラを探しに来たのだ。この緊迫した状況で、怪獣の注意を引きつけていたのなら風花の恩人だ。ケンジはこの気弱な女性をすこし見直した。
もうしばらく怪獣を足止めできれば、彼女を保護してこの場を離れられる。ケンジは槍を構えなおした。
しかし、再び槍が振るわれることはなかった。
突如、ケンジたちを影が覆い、雌鶏の体が宙に浮かび上がったのだ。ジャンプしたわけではない。倒れたままの雄鶏も同時に、ゆっくりと上空にあがっていく。ケンジは空を見上げて驚愕した。
巨大なクラゲが空に浮かんでいた。
傘の形をした胴体から、太さの異なる無数の触手がたなびいている。その体は限りなく無色に近い半透明で、遠目には存在に気づけなかったろう。
まるで水中を泳いでいるように、不定形の体をたゆたわせると、透過した太陽の光が凹凸に屈折して、虹色にその身を輝かせている。それはオーロラを連想させる姿だった。
この美しい大怪獣は、百メートルを越えるだろう巨体から、半透明の触手を伸ばし、大鶏たちを絡めとっていた。雌鶏はジタバタと暴れ続けていたが効果はなく、ぐったりしたままの雄鶏に続いて、クラゲの胴体まで引き上げられると、そのまま包み込まれるように姿を消した。
「逃げてっ!!」
翔子の鋭い声が飛んで、茫然と見入っていた人々は正気を取り戻した。そして空から迫ってくる数百の触手に気がついた。悲鳴をあげて一斉に動き出す。
「早く車に乗れぇ!」
ドライバーの男性が叫ぶと、皆が軽トラックに向かった。しかし、頭上から垂れ下がり、獲物を探すように動き出した触手に遮られて足を止める。
軽トラックにも触手が迫っていた。
銃を構えた若者が空に向かって発砲した。弾の当たった一本の触手がのけ反るように一瞬動きを止めるが、他の触手はお構いなしに迫ってくる。数本の触手が車の下に潜り込み、持ち上げにかかった。
ドライバーが車を発進させようとするも、後輪は浮き上がって、空しく空回りする。
「荷台から降りろ! 連れていかれっぞ!」
銃での抵抗を諦めた若者が叫び、風花を抱えて荷台から飛び降りた。翔子とドライバー、自警団のメンバーたちもそれに続いて、転がるように車から脱出する。
触手でぐるぐる巻きにされた車はぐんぐん上空まで持ち上げられ、大鶏たち同様にすっぽりとその巨体にくるまれた。しかし餌ではないと判断したのか、無造作にポイっと捨てられる。
「落ちてくるぞぉぉ!」
クモの子を散らすように逃げ惑う人々の後ろで、アスファルトに激突した車が大破、炎上する。
「建物に逃げろ!」
誰かが叫ぶ声がして、ケンジと黒柴マロ、近くにいた自警団員は目前のマンションに向かった。しかしオートロックが邪魔をして侵入を拒まれる。
「東原くん、こっち!」
翔子の呼ぶ声がした。道路の反対側、大鶏に半壊させられた民家から手を振っている。同時に触手がケンジたちを追って、マンションの壁面をそって降りてくるのが目に入る。
ケンジは意を決して体を屈めると、触手のわずか下を走り抜けた。マロもそれに続いてついてくる。
「う、うわぁぁぁこないでくれぇええ」
背後で悲鳴があがった。一緒に逃げていた自警団員が触手を避けきれず、両腕に巻き付かれていた。必死に引きはがそうとあがく男性だったが、さらなる触手が降りてきて、十重二重に絡めとられていく。
ケンジは踵を返すと男性の手を掴もうとした。しかし間に合わず、男性は空に連れていかれた。
上空まで運ばれた男性は、悲鳴と共にその姿を消した。
あまりの出来事にケンジが立ち尽くしていると、マロが激しく吠え立てた。他の触手が迫ってきたのだ。
ケンジは追い立てられるように走り出すと、なんとか民家の中に滑りこむことができた。
「よかった、東原くんまでやられちゃうかと思ったよ」
「風花ちゃんは?」
「自警団のお兄さんと、他の建物に入るのが見えた。無事だよ」
「よかった……」
荒い息を吐きながら、なんとか心を落ち着かせようとつとめる。
「あの怪獣はなんなんだ? あんなデカい奴ははじめてだ。なんでクラゲが空を飛ぶんだ?」
「私も気になって調べてみた」
多目的ドローンを操作して、クラゲの立体映像を表示させる。
「観賞用につくられた実験動物。体内で浮揚ガスを生成して空中を浮遊する。触手で獲物を捕らえ体液を奪う……」
「観賞用だって? 見ごたえはあるかもしれないけど――」
その時、ケンジは目を疑った。道路に白い子犬が一匹とり残されていたのだ。
風花がリュックサックに入れて連れ出した子犬だった。混乱の中ではぐれてしまったらしい。どこに向かえばいいのかわからず、ふらふらと歩いている子犬に、触手の数本が迫っていた。
「くそっ……!」
ケンジは弾かれたように駆けだした。
今まさに子犬を掴もうと迫る触手から、間一髪滑り込んで子犬を奪取する。
体を翻し民家へとひた走るケンジに、道路まで達した触手の群れが、這うように追ってきた。ケンジには振り返る余裕もない。
腕の中でモゾモゾと動く子犬が、ケンジの手をぺろりとなめた。
「どこにいくの?」
「どこにいくのって言ってるみたいだな……って、え? おまえ、今、しゃべらなかった!?」
子犬はくりくりした瞳でケンジを見上げるだけで、何も答えなかった。
「……なんだ気のせいか。まったく緊張感のない顔をしやがって。怪我してないな? じっとしててくれよ」
翔子の顔が見えた。子犬と対照的に緊迫した顔だった。いつものニヤケ面の彼女には似合わないな。ケンジがそう思ったのと同時に、翔子の表情が悲痛に歪んだ。触手がケンジに追いついたのだ。
背後から巻き付いてきた触手は、ケンジの口をふさいだ。のけ反り転倒しそうになるが、強い力で上に引かれ、それも許されない。さらに触手が伸びてきて、片足を捕まれる。地面に踏ん張ることもできず、宙づりになったケンジの体が上昇を始めた。
翔子とマロが走ってくるのが見えた。しかし触手に遮られ、ふたりの足が止まる。ケンジは口を塞がれ、言葉を発することもできない。
ケンジはパニック寸前だった。かろうじて理性を保っていられたのは、子犬のおかげだった。守らなくてはいけない。その一念がケンジの精神を支え、恐怖に流されることを許さなかった。
せめて子犬を守らなくては。
投げて渡すには高度がつき過ぎていた。ケンジは子犬を衣服の下に隠すと体を丸めた。全身で子犬を守るつもりだった。
クラゲの胴体が迫ってきた。大きな傘のちょうど中心にあたる位置、ゆっくりと口と思しき場所が開いて、ケンジと子犬を飲み込んだ。
24話 少年は退場し、少女が舞台にあがる ……に続く




