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20話 幼女は危機に陥り、柴犬は分裂する

子供用の小さなリュックサックに子犬を入れた羽鳥風花は、街を一人歩いていた。

怪獣の出現以降、外出するのはずいぶん久しぶりのことだった。まして一人で出歩くのは初めてのことだ。


「サクラ、どこにいるのかなー?」


少女の呼びかけに子犬が「ファン!」と返事する。


「シロちゃんはあっちだと思うの? いってみよう!」


美月から外出は禁止されていたけれど、『迷子のサクラたちを探さないといけない』という使命感が、母親との約束を忘れさせてしまっていた。幼いコンビを止める者はなく、ふたりはどんどん先へ進んでいく。


そんな風花に最初に気がついたのは、マンションのベランダで洗濯物を干していた女性だった。

保護者も連れず、ひとり出歩いている少女に驚き、女性は声をかけようとした。けれど少女の後方から現れたものを見て、声を詰まらせた。


巨大なニワトリがそこにいた。

獲物の品定めでもしているかのように、少女の背中を凝視しながら、ヒタヒタと後ろから近づいている。

少女に危険を知らせるべきか女性は迷った。少女が驚いて叫べば、怪獣はすぐにでも襲い掛かってしまうのではないかと思ったのだ。


彼女が結論を出すより早く、リュックサックの子犬が大鶏に気がついた。甲高い声で吠えると、少女が後ろを振り返った。

少女の顔がみるみる強張っていくのが、ベランダの女性からもはっきりとわかった。少女はくるりと背中を見せると、そのまま逃げ出した。


それに反応したように、大鶏が太く短い声をあげた。そして少女を追いかけて走り出す。

女性は慌てて室内に駆け込むと電話を手に取って助けを求めた。小さな女の子が怪獣に追われている――と。


もしも、少女が広い道路をまっすぐ逃げていたらすぐに捕まっていただろう。幸いにも民家と民家の間、幅二メートルほどの狭い私道に逃げ込んだ。

少女を追って私道に飛び込んだ大鶏は、並べられた鉢植えや自転車に引っかかり、民家の壁に体を打ち付けながら進まねばならなかった。


「なんの騒ぎだぁ? こちとら夜勤明けでまだ眠いっつーの!」


騒音に腹を立てたパジャマ姿の中年男性が勝手口を空けて顔を出した。大鶏と正面から見つめ合う。


「コケェッーー!!」

「おわぁぁぁぁ!?」


眠気を吹き飛ばすような咆哮を受けて、男性は悲鳴をあげて家の中に引っ込んだ。大鶏が追いかけるように勝手口に頭を突っ込む。ガラスが砕け、家具が破壊される音が響き、家の反対側の窓が開いてチワワを抱えた男性が飛び出した。不幸な夜勤男性はそのまま裸足で逃げ去っていった。


獲物を逃がした大鶏は、勝手口を破壊して、再び私道に姿を現した。

既に少女の姿は見当たらず、大鶏は頭を大きく上げると、きょろきょろと周囲を探し始めた。


「お願い、シロちゃんしずかにして……!」


この時、風花は襲われた民家の側面で、息を殺して座り込んでいた。大鶏との距離は十メートルにも満たない。リュックサックの子犬が興奮したように、フンフンッと鼻を鳴らすと、少女はぎゅっと頭を押さえて、リュックサックの中に子犬を押し戻した。


「怪獣さん、あっち行って。シロちゃん、なかないで……!」


風花はリュックサックを胸に抱えると、子犬の声が漏れないように抱きしめた。それでも子犬が母親サクラを呼ぶ声は止まない。


大鶏の暴れる音が聞こえていた。何かが壊れる音がするたび、風花は体を震わせた。ぎゅっと目を閉じて、その小さな体をますます縮こませた。


「ママ、こわいよぉ。ケンジくん、おばあちゃん、たすけてよぉ」


心の中で美月たちを呼び続ける。

しばらく耐え続けると、騒音が消えていた。

風花は恐る恐る立ち上がり、物陰から顔を出した。


「クアッッ!?」

「いやぁぁっ!」


怪獣はまだそこにいた。

少女の姿を見つけた大鶏が、興奮した声をあげ向かってきた。風花は悲鳴をあげて走り出した。しかし鬼ごっこの第二ラウンドはすぐに終わった。

私道を抜け、道路に出た直後、風花は転んでしまったのだ。振り返れば大鶏の大きく開いたクチバシが迫っていた。


「ママー!」


絶体絶命のその時、目の前に飛び込んでくるものがあった。幼子の声に応えるように現れたのは、赤柴サクラだった。


「サクラだ! シロちゃん、ママが来てくれたよ!」

「ファンッ!」


大鶏の前に立ちはだかったサクラは、怒りをぶつけるように、けたたましく吠えたてた。

あまりにも激しい様相は、助けられた風花のほうが恐れを感じるほどだった。


その時、不思議なことが起きた。

サクラの体が一瞬波打ったかと思うと、輪郭がぼやけて、まるで蛹から羽化する昆虫のように、もう一匹の柴犬が現れたのだ。


異変はそれだけでは終わらなかった。今度は二頭の体が波打ち、それぞれの体から分裂するかのように、さらに二頭が現れた。


その現象はさらに続き、四頭がさらに倍になる。計八頭の柴犬が風花たちを守るように立ちはだかった。その姿はまぎれもなくサクラだった。サクラが八頭に増えたのだ。


「サクラ、ふえちゃった!?」


風花がその場から離れることも忘れて、驚き見入ってしまったように、大鶏のほうも混乱したようである。目の前で増えていく柴犬にたじろぎ、警戒するように後ずさった。


しかしそれも一瞬のことだった。

一方的に吠えたてられることに我慢ならなくなった大鶏は、身近な一匹にクチバシを振り下ろした。


俊敏さでは犬のほうが勝っていた。けれど『群れ』であることが災いした。狙われた一頭は咄嗟に避けようとして、他の犬にぶつかってしまう。結果、怪獣の一撃をその背に受けてしまった。


「キャンッ!」


攻撃を受けた犬が悲鳴をあげた。次の瞬間、パチンと音が鳴り、舞いあがった煙と共に犬の姿は消えてしまった。それはまるで煙の入った風船が破裂したように見えた。


七匹になった犬たちが怒りの形相で怪獣に襲い掛かった。幻のように現れた犬たちであったが、噛みつけばダメージを与えるらしい。小さいながらも次々襲い掛かる犬の群れは、大鶏を怯ませ、その関心を風花たちから外すことに成功していた。


「がんばれサクラ! たくさんのサクラ、がんばれ!」


奮戦する母犬たちを風花が応援する。

サクラにとっては、わが子と共にこの場から離れてほしかったかもしれない。

しかし、犬たちに囲まれて育った英才教育の賜物であろうか、心優しい少女は飼い犬を放って、ひとり逃げ出すという発想ができなかった。声のかぎり応援を続ける。


再び犬の悲鳴があがり、煙となって一頭が消えた。しかし、攻撃を加えたのは目前の怪獣ではなかった。

風花と犬たちは振り返って戦慄した。大鶏がもう一羽、立っていたのである。


挿絵(By みてみん)

21話 子犬は助けを求め、役者は集う……に続く。

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