19話 幼女は旅立ち、少年は思い悩む
ケンジはすぐに探しに行きたい気持ちをこらえて、美月の家に電話した。しばらくして電話に出たのは風花だった。
「風花ちゃん、誰か大人の人はいるか?」
「ママはお仕事だよ。足立のおばちゃんは折り紙とりにいったよ」
足立のおばちゃんとは、同じマンションに住んでいる、二人の子供を持つ女性だ。
怪獣の出現後、多くの保育園が閉園に追い込まれた。美月のように幼い子供を持つ働き手の大人たちは、ご近所同士でお互いの子供を預けあうシフトを組み、協力して乗り越えようとしていた。
今日、風花を見ている大人は、間が悪く部屋を離れているらしい。
逡巡の末、ケンジは風花に伝言を託すことにした。
「ママか足立さんが帰ってきたら伝えてくれるかい? 犬たちが迷子になってケンジたちが探してるって。家に帰ってくる犬がいるかもしれないから、ときどき入口を見てほしいんだ」
「サクラも? ゴマちゃんも迷子なの?」
「必ず見つけて帰るから。風香ちゃん、ママたちに伝えてくれるか?」
「うん、わかったー!」
ケンジは電話を切ると、子犬が消えた方向へと走り出した。
一方、伝言を受けた風花は、幼い使命感に突き動かされて、すぐに伝言を伝えようと行動に出た。
部屋を出てマンションの一階まで降りると、隣のマンション一階にあるスポーツジムに入っていく。
キョロキョロと母親を探していると、受付のスタッフが気がついて美月を呼んでくれた。
「どうしたの風花? ひとりで来ちゃダメでしょ? 今日は足立のおばちゃんと遊んでたんじゃないの?」
「ケンジくんから電話! サクラたちが迷子だって」
「え? 犬が逃げちゃったの!?」
「入口を見てほしいって言ってた」
「入口……? ああ、マンションの入口のことね」
美月はケンジの意図をすぐに察した。フジとマロならすぐに帰ってきても不思議ではない。しかしサクラ親子は不安が残る。美月の家に来てまだ一ヶ月ほどしか経っていないのだ。元の飼い主である、小田琴子の家に向かうかもしれない。
「小田さんにも連絡しておかないと。あとは警察と保健所にも……」
美月はジムの同僚たちに断って、マンションまで風花を送ると、てきぱきと連絡をはじめた。
風花が部屋に戻ると、お留守番をしていた三匹の子犬たちが駆け寄ってきた。
「サクラとゴマちゃん、迷子だって。心配だね」
ファンファンッと子犬たちは風花の足に飛びついてくる。
「お母さんに会いたいの?」
風花は子犬たちの一頭、純白の子犬に顔を向けた。
「そっか。お腹すいたんだ。シロちゃん我慢できない?」
子犬たちには名前を付けない。そうみんなで決めていたけれど、風花は自分だけの時、密かにつけた名前『シロ』『クロ』『チャチャ』と呼んでいた。
「それじゃあ、探しにいこっか」
風花は押し入れからリュックサックを取り出すと、シロを中に入れて背中に背負った。そして連絡に忙しい美月の目を盗んで、こっそりと部屋を出た。
「シロちゃん、行くよ」
ぴょこんと顔を出したシロが少女の頬をなめて返事した。
風花が迷子探しに出かけたことを、誰も把握できていなかった頃、ケンジはいなくなった子犬の跡を追って走り回り、しかし、一向に手掛かりを得られずにいた。
「くそっ、どこにもいない。すぐにお腹を空かせて、動けなくなってると思ったんだけどな」
子犬だけでなく、四方に散った他の犬たちも心配だった。
白柴フジとはケンジが物心ついた頃からの付き合いだった。
犬に対して免疫のまったくなかった幼いケンジが、おっかなびっくり手を出して、フジがそれに『お手』で答えた時のことは、今でも覚えている。その動作ひとつでこの犬が大好きになって、毎日のようにフジに会いにいったのだ。
そんな白柴フジを、飼い主の多恵は実の子供のように大切にしている。ケンジにとってもっとも怖いことのひとつは、いずれ来るこの老犬との別れ。そして、ひとりぼっちになってしまう多恵の心情を想像することだった。フジの身に何かあれば、多恵にあわせる顔がなかった。
黒柴マロはケンジがはじめて飼った犬だった。
小学1年生の時、この犬を迎えて以来、マロはケンジのもっとも身近な友達であり、弟だった。
大切なおもちゃをマロに壊され怒ったことがあった。
一緒に海水浴に行った時、まわりの観光客からマロが大人気だったのは誇らしかった。
ケンジのオヤツを盗み食いしたマロがお腹を壊して下痢が止まらなくなった時は、このまま死んでしまうんじゃないかと涙した。
思い出のアルバムを開けば、どのページの片隅にも、マロがいた。お別れするには早すぎる。
犬たちを探す道中、隠れられるところがあればのぞき込み、大きな道に出るたびに、車にひかれてやしないかと確認した。嫌な想像が胸を締め付け、走り続けて息が切れ、ケンジは吐き気をこらえねばならなかった。
怪獣に遭遇した時のことは、普段から様々イメージしているつもりだった。うっかりリードを放してしまった時も、口笛を吹けば、マロとフジは戻ってくるはずだった。そういう訓練をしていたのだ。
けれど現実は、口笛を吹く時間すら与えてくれず、犬たちは散り散りに消えてしまった。
散歩に連れ出すのが二頭だけなら、このような状況にならなかったかもしれない―― ケンジはふとそのように考えた。
巨大化した子犬が怪獣と向き合ったとき、制止することができなかったのだ。
つまりは、四匹の散歩がケンジたちのキャパシティーオーバーだったのである。
散歩だけではない。保護したサクラと子供たちは、美月が面倒を見てくれていたし、あのマンションでケンジが生活を続けられているのは、多恵の好意があってこそだった。
思えば、美月はサクラを保護した時から、飼い主を探していたし、いざ現れた小田琴子に対しても、再び飼い始めることができるのか、冷静に考えるよう促していた。
美月は現実的にキャパシティーを考えていたのだ。
ケンジは自分がガキだったと痛感した。
サクラの飼い主の言動に散々腹を立てた。しかし自分はどうか。
サクラを拾って他人に任せ、今はこの通り、迷子にしている。無責任な優しさだった。
「東原くん!」
翔子の強い呼びかけで、ケンジは顔を上げた。
「なにか暗いことを考えてるっぽいけどさ、そんなの置いといて、提案きいてくれる?」
「なんだよ?」
「ワンちゃんたちを探す『目』を増やそう」
「目? どうやって?」
「動画で呼びかける。目撃情報を視聴者から集めるんだよ。デメリットは住所がざっくりばれること。許可してくれる?」
ケンジは提案を聞いてぎょっとした。不特定多数が目にする動画に、個人情報を混ぜて発信しろと言っているのだ。当然躊躇した。けれど、犬たちの安全に代えられるものは何もない。
「やってくれ」
「おっけー!」
許可が下りると、翔子は高性能ドローンを展開した。ハンディカメラを使うつもりも、編集に時間をかけるつもりもないらしい。
「みなさんの力を貸してください」
翔子はそう切り出して、行方不明の犬たちの特徴、見失った場所について簡潔に話はじめた。
「ほら、ケンジくんも!」
ドローンがケンジのほうを向いて、チカチカと瞬いた。ケンジは覚悟を決めた。
「大切な犬たちです。どんな情報でもいいんで、よろしくお願いします」
翔子は最後にもう一度丁寧に協力を訴えて、動画をアップロードした。
散歩動画もしくは子犬の動画を期待した視聴者たちが、困惑と非難のコメントを書き綴っていく。
「危険な場所に自分から出ていって、犬を迷子にするなんて、どれだけ自分勝手な飼い主なんだ」
今のケンジには何一つ反論できないコメントばかりだった。それでも有益な情報が出てこないかと、目をそらすことなくコメントを追い続ける。
そのうち、異なる主旨のコメントが混ざり始めた。
「近くに住んでいる友達に伝えてあげる」
「がんばって。見つけてあげて」
「黒い柴犬を見たよ」
打ちのめされるばかりかと思ったコメントの中に、希望の光が差し込むのを感じた。
詳しい場所が書き込まれると、ケンジと翔子はすぐさまメッセージの場所へ向かった。
「マロの目撃情報はこのあたりだよな?」
「ガセネタじゃなかったら合ってるはず……」
「おいっ お前ら!!」
ふいに車道から声が飛んできた。見覚えのある軽トラック、その荷台から男が叫んでいる。
「あれは……自警団か!?」
声の主は以前、犬の散歩を口うるさく注意してきた若者だった。
「なんだ、その格好? 忍者の仮装か?」
面倒くさい相手が声をかけてきた。ケンジは無視して先に進もうとした。
「おいおい、無視すんな! この犬、おまえのところの奴じゃないのか?」
「え?」
思ってもみなかった言葉に振り向くと、荷台からぴょこんと黒柴が顔を出した。
「マロ!?」
ケンジは駆け寄ると、ご機嫌な表情で荷台からこちらを見ている愛犬の顔を両手で包んだ。
「心配かけて。どこも怪我してないか? ……ん? 何を食べてるんだ?」
「俺の昼飯のサンドイッチだよ。捕まえようとしても逃げ回るから餌で釣った。今日はもう飯はやんなよ。太るからな。ん? どうしたよ?」
「いや、なんで捕まえてくれたのかと……」
「は? 犬がうろついてたら捕まえるだろ。早く連れて帰れ」
若者はモッチャモッチャとサンドイッチを咀嚼する黒柴を見ながら、迷惑そうに言った。
その時、車に搭載されている無線から、緊張した声が流れてきた。
「怪獣出現! 子犬を連れた幼児が追われていると報告があった。急行してくれ」
「子犬と幼児ぃ? なんだそりゃ、親は何やってんだ?」
その無線はケンジと翔子の耳にも届いた。同じ想像をして顔を見合わせる。
「まさか風花ちゃんじゃ……?」
確認のためにケンジはスマホを手に取った。
しかし羽鳥家の電話には誰も出ない。美月のスマホも話し中だった。ケンジと翔子は荷台に飛び乗った。
「おい! なに勝手に乗ってんだ?」
「無線の女の子は知り合いなんです! お願いです、連れていってください!」
ケンジの返事に若者は言葉を失った。助けを求めるように運転席の男性に視線を送る。
髭の男性とケンジは目が合った。自警団のリーダーらしい。子供が無茶をしやがってとその瞳が言っていたが、ケンジは目をそらさず、譲らない姿勢を貫いた。しばしのにらみ合いの結果、折れたのは髭の男性だった。
「荷台から降りるんじゃねぇぞ!」
不機嫌そうに男性は答えると、乗用車を急発進させた。
20話 幼女は危機に陥り、柴犬は分裂する……に続く。




