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18話 子犬は襲いかかる

「まだ機嫌が悪いの?」


赤柴サクラの飼い主・小田琴子の来訪から三日経っても仏頂面のケンジに、呆れたように翔子が言った。


「別に悪くない……でござる。だいぶ落ち着いたでござるよ」

「ござるござるといえるくらいは、余裕ができたみたいだね。でも似合わないから、その口調やめたら?」


自分なりのこだわりがあって始めたことだが、たしかに会話のテンポを悪く感じはじめていたケンジであった。不承不承、言葉使いを修正する。


「……美月さんはサクラを返すつもりだよな。こいつらと一緒に散歩するのも、終わりかもしれないな」

「寂しくなるねぇ」


神経質で近寄りがたかったサクラも、一緒に過ごすうち、その態度はずいぶん柔らかくなっていた。

ケンジが散歩に迎えに行けば、玄関まで出てくるようになっていた。控えめに尻尾をふる姿は、


『あなたが迎えに来るから、仕方なく散歩にいってやるんだからね! 私が行きたいわけじゃないんだから勘違いしないでよね!』


……とでも言ってるようで、プライドの高い乙女の心情を想像させるのだ。


毎日の散歩を面倒に思う日もあったけれど、犬たちが喜ぶ顔を見るのが嬉しかった。


怪獣にDEADされるつもりもないが、一寸先は闇、個人の幸福など簡単に壊れてしまう昨今では、犬たちを連れて町を歩く、そんな日常に幸福感を感じるケンジだった。


ぷーんと独特な臭いが漂ってきたのは、そんな散歩の最中だった。腐肉を連想させる不快な臭いに、ケンジが足を止めたのとほぼ同時に、犬たちが一点を見つめて唸りはじめる。


怪獣か? ケンジと翔子は視線を交わし、犬たちの見据える方向に顔を向けた。


そこには高さ二メートルほどの生け垣があった。その一角がガサガサと騒がしい音を立てて揺れている。


向こう側に何かがいる。その正体を見極めようとケンジは目を細めたが、密集した寒椿の葉は生け垣の向こう側を見ることを阻んでいた。


やがて一層大きく揺れたかと思うと、音の正体が生け垣から顔を出した。


それはニワトリだった。トサカが屹立し、のどにはビラビラと揺れる肉ひげが存在を主張している。

しかしその頭は、ケンジの見知ったニワトリのサイズをはるかに凌駕していた。人間の頭などかみ砕いてしまそうだ。


「怪獣だ!」


ケンジがリードを引いて身を翻すと、大鶏の瞳がケンジの背中をロックオンした。バキバキとやかましい音を立てて、生け垣を突き破りその姿を現す。


ニワトリをそのまま大きくしたような姿形をしていたが、頭部以外に羽毛はなく、爬虫類のような鱗が全身を包んでいた。尾羽があるべき場所には、その体長より長い尻尾が1本生えていてゆらゆらと揺らめいていた。二本足で立つその姿は、映画で見た肉食恐竜を思わせた。


「逃げるぞ!」

「ゴマちゃん、そっち行っちゃダメっ!」


ケンジが叫ぶのとほぼ同時に、翔子の切羽使った声が飛び込んできた。声のほうを見れば、胡麻色の子犬ごまっちが怪獣に興奮して吠え立て、その体をムクムクと大きく膨れ上がらせている。


そのサイズはあっという間に翔子を越えて、大鶏と同じサイズにまでなってしまった。

子犬の体に巻いていたハーネスは、ゆとりを持たせて装着していたにもかかわらず、肥大化する体を止められず早々に外れてしまっていた。


物理的に自分を押しとどめるものがなくなった子犬は、はじかれたように大鶏に飛び掛かっていった。

間合いをはかるようなこともなく、子犬は上から覆いかぶさるようにして、大鶏を組み敷きにかかった。


派手に転倒した大鶏だったが、長い尾を鞭のようにしならせ、子犬の顔をしたたかにはたいた。子犬が小さな悲鳴をあげてのけ反ると、大鶏は立ち上がり、宙に飛び上がって子犬を蹴りたてた。


「ごま、離れろ!」


ケンジはなんとか意思を伝えようと、手を大きく振り、声をはりあげた。しかし子犬は大鶏しか見ていない。あまりにも激しく動き回るものだから、ケンジは白柴フジや黒柴マロを助っ人に出すこともできない。


制御不能――

そんな言葉が頭に浮かび、ケンジは唇を噛んだ。


二頭の巨大生物は目まぐるしく体の位置を変えながら取っ組みあった。子犬は押されはじめると、さらにその体を膨れ上がらせた。いまや大鶏を超えるサイズになっていた。


力比べでは、子犬が優勢だった。

けれど子犬はトドメをさすための牙を持っていなかった。生後一ヶ月。まだ乳歯すら生えそろっていないのだ。


一方の大鶏は、鋭いクチバシと爪、しなる尾を武器として使っている。子犬が怪我をしないかとケンジはハラハラしながら、遠巻きに見守ることしかできなかった。


やがて子犬の猪突猛進な攻めに辟易したのか、大鶏は後ろに飛びすさって距離を取った。そして体をぶるっと震わした後、甲高く鳴いた。


「コケコッコオオオオオオオオオオオオオオオ!」


耳元で拡声器を使われたような暴力的な爆音に、ケンジは思わず耳を覆った。


犬たちも声に驚き混乱した。その場から逃げようと強く引っ張ったため、ケンジの手からリードがすっぽ抜けてしまったのだ。


一刻も早くその爆音地帯から逃げだしたい犬たちは、ケンジがリードを拾い上げるよりも早く、四方に走り去ってしまった。

巨大化した子犬も同様で、大鶏に背を向けると一心不乱に逃げだしてしまった。


「東原くん、後ろ!」


慌てて犬たちを追おうとしたケンジを、翔子の声が制止した。振り返れば大鶏が突っ込んでくる。


「うおっ!?」


ケンジは横っ飛びに倒れ込んで、かろうじて大鶏を避けた。

擦りむいた手の痛みに顔をしかめながら、ケンジは立ち上がる。振り返った大鶏と目があった。


大鶏は怪獣の中では小型に分類されるサイズではあったが、それでもケンジより背が高い。頭上から見下ろしてくるその瞳には、子犬に散々抵抗された怒りがたぎっているように見えた。


ケンジはごくりと唾を飲み込んだ。犬たちは逃げ散ってしまい、戦う術がない。身を守る術すらないのだ。


一目散に走れば逃げ切れるだろうか? 子犬との戦いを見る限り、大鶏の動きは俊敏で背中を見せた途端、襲われそうだ。


その時、石が飛んできて大鶏の顔に当たった。


「こっちだよ! おばけ鳥!」


声の主は翔子だった。大鶏の注意を引くように、大げさに手足を振っている。続けざまに石を投げると、大鶏は血走った眼を翔子に向け、躊躇なく突進した。


その鋭いクチバシが翔子を串刺しにする――

そう見えた瞬間、翔子の体がパッと消えた。


突然ターゲットが消えて、その勢いは止まらず、大鶏は派手な音を立てて生け垣に突っ込み転倒した。


「東原くん、今のうちに逃げるよ!」


いつの間にか横に立っていた翔子が、ケンジの手を引っ張り走り出した。


「お前、どうやって…… あ、超能力か?」

「残念、私の超能力は期限切れてるから。ドローンを使った立体映像だよ。あの怪獣が引っかかってくれてよかったよ」


翔子の言葉に答えるように、四つのピンポン玉、多目的小型ドローンが後ろから追いかけてきた。


「ワンちゃんたちを探さなきゃ。バラバラに逃げちゃったけど、どうしよう?」

「……美月さんに電話して事情を伝える。マンションに戻ってくる犬もいるかもしれないからな。その後は子犬から探す」

「ゴマちゃんから?」

「あのサイズだ。怪獣と勘違いされて人間から攻撃されるかもしれないだろ? 一番あいつが危ない」

「そうだね、わかった!」


ケンジは走りながら後ろを振り返った。大鶏の姿は見えなかった。そのことに安堵しつつも、大切な犬たちを見失ってしまったことに、心は暗く沈んでいくのを感じた。


重苦しい気持ちは、両親を失った日によく似ていた。

19話 幼女は旅立ち、少年は思い悩む……に続く。

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