17話 少年は激怒する
ケンジが忍者姿で散歩をはじめて一週間が過ぎた。忍者が三匹の柴犬を連れて散歩する姿は、実にシュールで、非現実的な光景を演出していたが、それまでの衝撃の日々に比べると、とても穏やかな時間だといえた。
途中、巨大ガエルに遭遇して、翔子が飲み込まれかけるという事件も起きたが、最強の柴犬たちがこれを退治した。特訓を繰り返すことで、犬たちはケンジの合図にあわせて、超能力を使えるようになっていったのだ。もっとも“巨大化する子犬”を除いての話ではあったが……
そんなある日、散歩を終えてサクラ親子を羽鳥家に返しにいった時のことだった。
ケンジたちを迎えた美月が、少し寂しそうな表情を浮かべて来客を伝えた。
羽鳥家にお邪魔すると、若い女性がひとり、所在なさげにキッチンのイスに座っていた。
ケンジたちの入室に気づいた女性が声を上げた。
「マリちゃん!?」
すると、女性の声に赤柴サクラが敏感に反応した。
声のほうに向きを変えると、まだつながったままのリードを全力で引っ張り、くぅーんくぅーんと訴えかけるように鳴き出したのである。
「もしかして飼い主さん……?」
翔子の言葉にケンジはハッとして女性を見直した。
年齢は二十代後半くらいだろうか。痩せ気味で幸薄そうな印象の女性だった。
女性はサクラの前で膝をつき、ぴょんぴょん跳ねて飛びつこうとしてくるサクラに、少し戸惑いながらも手を伸ばした。一方のサクラは熱烈に彼女の手を舐めて答えた。その様子は翔子の言葉を肯定するのに十分な反応だった。
「こちらは小田琴子さん。サクラの飼い主さんよ。本当の名前はマリちゃんっていうんですって」
美月が紹介すると、女性はケンジたちに顔を向け立ち上がると、深々と頭を下げた。
「小田です」
消え入りそうな声でそう告げた。続く言葉を待ったが出てこないため、美月が続きを引き受けるように、言葉を繋いだ。
「サクラを保護した時、警察にも届けを出したでしょ? それで連絡を取ってこられたの。マリちゃんを引き取りたいって……」
「なんで今なんだ?」
美月の言葉が終わらぬうちにケンジが言った。
その声があまりに冷たく、怒気をはらんでいたため、美月と翔子は思わず声の主を確かめずにはいられなかった。
「サクラを預かって何日経ったと思ってる? 今までどうして連絡してこなかった?」
年上に対して、いっさいの敬意を省いた言葉が女性に向けられていた。
女性が何かを答えようとして、結局、口をつぐんでしまうと、ケンジはあっさりと怒りに流された。
「赤ん坊が生まれる寸前の犬を、ベンチに括りつけて捨てておいて、また引き取りたい? ふざけてんのかっ?」
それはサクラの保護以来、吐き出されることなく、ケンジの腹の中で、臓腑をめぐり続けた言葉だった。
「怪獣がいるんだよ、外にはなっ! あんたは見殺しにしたんだよ、この犬を!」
針をふくんだ言葉は、喉から出る時に引っかかるのかもしれない。飼い主にあったら叩きつけてやろうと、何度も考えていたセリフは、しかし流暢に流れず、途切れ途切れにケンジはひねり出さねばならなかった。
サクラが飼い主にあって喜んでいる姿が、ケンジの胸を締め付けた。こんなにも親愛の情をまっすぐにむけてくる犬を、どうして捨てることができるのか?
「わ、私じゃないんです。交際している彼が勝手にマリちゃんを連れ出して……」
女性は見るからに狼狽し、しどろもどろに言葉を続けた。
「もう二度と手放しません……! マリちゃんを家族のように思ってるんです」
「家族なら一度だって手放したりしねーよ」
ケンジが辛辣に突き放した。
その時、母親の服を掴んだまま、大人しく会話を見ていた風花が、大きな声で泣きはじめてしまった。
美月が娘を抱き上げ、優しい言葉をかけはじめると、ケンジはばつが悪そうに口をつぐんだ。そして後悔した。ふたりの前では怒りや悲しみを出さないと決めていたのだ。
風花の泣く声がおさまると、美月が穏やかな声で女性に話しかけた。
「犬を捨てた男性とは、お付き合いを続けられているんですか?」
「はい……」
「犬を連れ帰って問題になりませんか?」
「それは……」
女性が躊躇した。
「何も解決してないのかよ」
「ケンジ君はしばらく話を聞いていて」
美月が穏やかな声のまま、しかし有無を言わさぬ口調で、ケンジの発言を封じた。
「小田さん、お付き合いをされている方ときちんと話をしないと、あなたの意思とは関係なく、同じことが起きてしまうかもしれませんよ?」
「……」
「それに子犬が四匹も生まれました。小田さんは子犬の引き取りもお望みですか?」
「マリちゃんの子供たちなら、一緒に育てたいと思います……」
どの口が言うんだとケンジは思ったが、美月の視線を感じて、口には出さずに飲み込んだ。
美月は少し考えるそぶりを見せた後、言葉を選びながら話し出した。
「実は子犬たちについて、込み入った事情があるんです。――翔子ちゃん、ごまちゃんの能力を見せてあげられるかな?」
話を向けられて翔子は最初驚き、そして迷うような表情を浮かべた。初対面の相手にトップシークレットを見せるようなものなのだ。
「おねがい」
美月が言葉少なに頼むと、翔子は観念したように肯いた。ドローンによる立体映像ではなく、スマホを使って動画を再生してみせる。子犬が巨大化した時のものだ。画面の中で子犬はムクムクとその体を大きくしていた。それを見た女性は戸惑い質問する。
「なんですかこれは……?」
「体が大きくなる超能力です。突拍子もない話ですが、この子犬にはそのような能力があるんです」
「そんな冗談、やめてください……!」
その時、パチパチと何かが弾ける音がして、一同は音の聞こえた玄関に視線を向けた。
そこには散歩後の食事を我慢させられたままの黒柴マロが、仏頂面でお座りしていた。
『早くご飯が食べたいワン!』
と言葉でなく、その体からほとばしる電撃で主張していた。
「あの子は電気を発する超能力を持っています。もしかすると、サクラも何らかの力を持っているかもしれません」
呆気にとられている小田に、美月がそう告げた。
明らかにキャパシティーを超えて、判断ができないでいる小田に対して、落ち着いて考えられてはどうかと美月は提案した。
小田も承諾して、サクラ親子は羽鳥家に預けたまま、その日は帰宅することになった。
帰り際、小田はサクラを残していくことに後ろ髪をひかれるような表情を見せた。
それがまたケンジをやるせない気持ちにさせた。どうして今頃、そんな表情をするのか。
一方、美月は最後まで小田に対して丁寧に接した。ケンジはその態度を尋ねずにはいられなかった。
「美月さんはどうしてあんなに落ち着いて話せるんですか? 腹が立たないんですか?」
「ケンジ君が怒ってくれたからね。それに……」
美月はすこし思案してから言葉を続けた。
「一度間違ってしまった人にも、チャンスをあげてほしいんだよね」
それ以上話を続ければ、自分の嫌な部分がどんどん出てくるような気がして、ケンジは口をつぐんだ。
ご飯待ちの柴犬を連れて家に帰ると、その存在を確かめるように、頭からお尻にかけてをなでてやった。ふわふわで温かく、敏感に反応する愛くるしい存在。自ら犬を手放す気持ちは、やはりケンジにはわからなかった。
18話 子犬は襲いかかる……に続く。




