恋の妙薬、地獄の飛躍5
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銃声!
戦端を切ったのは一発の銃弾。しかし、あっさりとそれは躱されてしまう。
「フフフフフフ。おやおやおやおや⁉ 素人の適当射撃じゃあるまいし、おかしいですねぇ! スカリーが的を外すなんて! 珍しいこともあったものですねぇ! 動揺してるんですか? それともやっとわたくしの愛を受け入れるつもりになったのですか? どっちなんですか? どっちもですか!」
言い切ると同時に突っ込んでくる!
常識という概念を一足飛びに超えるすさまじい瞬発力による突進なのだが、なんども間近で見てきたスカリーにとってはそうでもない。見慣れたもの……であるはずだった。
「つっ!」「おしいっ!」
肩を切り裂かれる。
傷口は浅い。斬れたのは皮一枚未満ではあるのだが、衝撃ははかり知れない。
「鈍い鈍い。もしかしてわたくしがいつまでもピュアで非力な乙女だと思っていましたか? 日々成長を遂げているのですよ。肉体的にも精神的にも!」
(おめえが精神的に成長しているようには思えねえけどな! あと、非力だと思ったことは一度もねえな!)
反駁しようと思っても、言葉として出ない。
かなりまずい状況だ。
銃は弾切れ、向こうは元気いっぱいの上に戦意旺盛。大してこちらはあと二、三回のうちに捕まってしまうのは確実だろう。
その後のことは想像もしたくない。気分としては山賊に追われている村娘の気分。自分がそんなモノを味わう日が来ることになろうとは!
「さぁさぁ可愛い子犬ちゃん! あまり手間をかけさせないでください! 手加減はしてあげますが、手先が狂ってしまうかもしれませんよ?」
「…………」
もはや言葉は返さない。その代わりに黙ってリロードのために弾倉を振出し――――。
「させるかぁ!」
当然、そんなことを許すマイディではない。リロードにかかる時間で距離を詰め、片腕を切断するぐらいのことは容易い。今回はそこまでするつもりはないが、それでも負けは決定したようなものだ。
勝利を確信した瞬間、スカリーが何かを指先で弾いたのが見えた。
優れた動体視力はしっかりとそれを認識する。
何の変哲もないように見える、薬莢が付いたままの弾薬を。
同時に、こちらを指さしているスカリーの姿も!
「剣弾――――」「マッズい!」「――――スラッシュ!」
全身の筋肉を総動員しての緊急回避。
一撃食らってしまったら、それだけで致命傷になりかねない。全力の回避行動だ。
無理矢理に体をひねって飛びのいたため、派手に壁に衝突するが、死ぬよりはましだ。安堵すると同時に、怒りもわいてくる。
「ちょっとスカリー⁉ 殺す気ですかっ!」
「うるせえ! 殺して死ぬタマかよっ!」
「それもそうですね!」
半ば自棄で怒鳴り返しながら、剣弾が炸裂した場所をちらりと見ると、直前と全く変化のない光景があった。
多少地面が抉れているだけで(これはマイディの無理矢理な踏み込みのせいだ)剣弾特有の、不自然な斬撃の痕跡がない。
「騙しましたねっ! この嘘つき!」
「騙されるほうが悪いんだよ! このスカタン!」
恋の妙薬プラス、引っ掛けられてしまった怒りによって、マイディの頭の中はさらに混乱していく。
桃色の旋風と赤の雷が同時に吹き荒れ、終末の世界もかくやというほどのありさまである。
だが、そのまま突撃したりはしない。先ほどの間にスカリーはリロードを完了していることだろう。一発二発ならばともかく、六発全部を躱すだけの自信はない。
(再びのヒットアンドアウェイ? とはいえ、そろそろ時間的にも厳しい、ですか)
撤退の二文字がちらついてくる。向こうの狙いが持久戦なのはわかっている。あえて乗ってやるという選択もあるにはあるが、あまり賢いとはいえない。
決定的に天秤が傾きそうになる寸前、その闖入者は現れた。
「スカリー! 姐さんからもらってきた! 解毒薬!」
先ほど建物の中に消えていった少女――――ローザだ。
その手には緑色の小瓶を持っている。
瞬時に、それがこの状況を打開する品であろうことは推測された。もちろん、知っているわけではない。しかし、先日の脱毛薬騒動以来、薬品がトラウマになっているマイディには非常に大きな脅威に映る。
考えた時にはもう行動する。短慮ではあるが、この決断速度は脅威なのだ!
「スカリー!」「ちぃ!」「おっそい!」
少女の叫び、銃弾が肩をかすめる。それでも止まることはない。この程度で止まっていたら、すでにマイデッセ・アフレリレンは何度も死んでいたことだろう。
襲い掛かってくる銃弾を躱し、正体不明の小瓶に接近する。
だが、それはスカリーも読んでいた。
ローザに襲い掛かれば、そのまま拳銃の射線上に入る! 入れば死、入らなければ薬瓶はスカリーの手に渡る。
どちらを選んでも結果的に待っているのは敗北だった。普通ならば。
すさまじい風切り音とともに、『なにか』が通り抜け、投げ渡されようとしていた瓶を砕いた。
左手に持っていた山刀、その投擲が可能にした、間合いの外における破壊。散弾銃を使用したのならば、ローザの手から先が吹っ飛び可能性を考慮したうえでの、現時点での最善策ではあったのだ。
目の前で瓶を砕かれてしまったローザは呆気にとられ、スカリーは舌打ち。
そんな二人を飛び越えるようにしてマイディは着地する。
背後の二人はいったいどんな顔をしているのだろうか? あまり表情筋が発達していないと思われるスカリーがどの程度驚愕の表情を浮かべているのかが気になる。
だけど、まだ振り向くのはやめておこう。たっぷりと焦らして、その上でしっかりと突き落とし、その上で濃密な時間を過ごそう。
(初めが肝心ですからね。手綱を握るのはあくまでわたくし。愛してあげますが、それ以上に愛してもらわないといけませんからね)
思わずにやけそうになるが、それを無理矢理押しとどめつつ、ゆっくりと振り返る。
入り口でへたり込んでいるローザ。これは予想通りだ。
その二メートルほど離れた場所に立っているスカリー。そっちは全く予想もしない行動を取っていた。
にっこりと微笑み、手を広げ、なにかを待っているかのように――――いや、ここは断定していいだろう。マイディを待っていた。
まるで花嫁を迎える新郎のように。
「……………………」
考えた。
これは一体どういうことなのだろうか?
何かしらの罠? だとしたら準備の時間が足りなかっただろう。
あきらめの境地? にしては突然すぎる。
ここは慎重に行動、
「スゥゥカリー! やっとわたくしの愛を受け止める気になってくれたのですね! 今すぐに始めましょう! 衆人環視とか倫理観とか社会道徳とか、そういううっとおしいのはなしですよ! いま! ここ! おっぱじめますよ!」
できなかった。
脳内に吹き荒れていた桃色の嵐はすでに終末戦争の様相を呈している。
正常な思考はすでに限界だった。それにはもちろん、論理的な思考、警戒心、推論能力等が含まれている。つまり、残ったのは本能だけだ。
主人にやっと再開できた大型犬のような勢いで突進し、そのまま押し倒す。
体格的にはスカリーが勝っていても、堪えることは不可能だった。
砂埃が舞うのだが、そんなことはかまわない。今は一刻も早く肉体的に満たされたかったし、精神的にも満たされたかった。
「さぁ……服をぬぎましょうかッ⁉ ン⁉」
ズボンに手をかけようとしていたマイディの動きが止まる。
その唇に、スカリーの唇が重なっていた。
やや乾いた薄い唇が、形の良い肉厚の唇を捉え、しっかりと捕まえる。
お互いの呼吸さえも感じられるほどの距離で、心音さえも聞こえてしまうような状態で、闘争のような激しさでもって、二人の唇が絡み合う。
(んんんんん~! 結構上手いじゃないですかぁ! お! 舌まで! 積極的ですねぇ!)
恍惚とした表情で貪りあうマイディだが、唐突にキスは終わった。
二人の間を一本の粘液が糸のようにつなぎ、鈍く輝く。
「…………ちょっと……まだ途中ですよ? これから盛り上がってくるのに」
咎めるような口調だが、その瞳は明らかに情欲の炎に照らされている。頬の赤みは増し、体の芯には火がともっていた。
だが、男の視線は先ほどとは打って変わって冷たい。
極寒の北の大地を思わせるほどに。
「? いいからもっと~んぎゃ!」
「とっとと正気に戻れ」
再び顔を寄せようとしたが、乱暴に顔面を掴まれて、そのまま払いのけられる。
「はぁ? 正気も正気の大正気なんですけど? 観念したんじゃないんですか⁉」
「するかアホ。往生際の悪さが俺のとりえだろうが」
「何を言っているんですか! 据え膳食わぬは男のなんとや……ら? ん? なんでそれ持ってるんですか?」
「なんでだろうな」
ふと気づいた。
先ほど砕いた緑色の薬瓶。割れていない状態の『ソレ』をスカリーが右手に握っているのだ。
顔を上げる。
建物の二階の窓、そこからやけに派手な格好の女が上半身を出している。
その手にはいくつかの薬瓶が握られていた。
「は?」
「ローザが寄越したのと、上から投げて寄越したの。二つあったんだよ馬鹿。おめえが余裕綽々背中を見せてる間に俺は口に含んでたってわけだ」
「乙女の純情を弄びましたねぇ! このけだもの! 女性の敵! 変態!」
「いいからどけよ。いい加減に目も覚めただろ」
「目とか常に覚めてますよ! 起きた瞬間からぱっちり……」
言いよどむ。
自分の中から何かが……いやそれははっきりしている。今まで燃え盛っていた耐え難いほどの欲望が急速にしぼんでいくのを感じたからだ。
同時に、沸騰していた頭も冷えだし、それによって正確な認識が始まる。
「お”え”え”え”え”え”え”え”え”え”え”え”え”え”!」
こみあげてきた吐き気に耐えられずえずく。
恋の妙薬が作用するのはあくまで感情の方向性だ。副次的な作用で正常な判断を下すことができなくなってしまうが、作用している間の記憶が消えてしまうような都合のいい機能は存在していない。
よって、マイディにはしっかりと『スカリーとキスした』という記憶が残る。
「う”え”え”え”え”え”え”っっ! お”お”お”お”お”お”! ががががががが!」
妙齢の女性が上げていいような、もとい、人間が上げていいような声ではなかったが、それでも抑えることはできなかった。
それほどに、ショックな事実ではあった。
「失敬なやつだ。目ぇ覚めたんならとっとと顔洗ってこい」
「…………………………殺して」
「死んでるようなもんだろ」
「あのー……流石にこの仕打ちはひどいと思うんですけど? 今回に関しては完全に被害者ですよわたくし。首謀者だけでいいと思うんですよね、こういう事例を許してしまったらこの先、非常にまずいことになるとは思いませんか? 行動に対する正当な罰は確かに必要になってきます。それは認めましょう。でもでも、今度ばかりはわたくし悪くありませんよ? だって、一服盛られたわけなんですし!」
「おめえが人の酒を飲まなかったらよかっただけのハナシだろ」
「いいですか? よろしいですか? この世の中で真に所有しているというものはあるのでしょうか? そもそも、何かを所有するということが可能だと思いますか? 金銭の対価としてなんらかの物品を得たとしましょう! だとしても、それが証明になっているわけではないことをわたくしは声を大にして……あ、はい黙ります」
逆さ吊りになった状態で、よくもまあここまで舌が回るモノだと感心しつつ、向けた銃口を今度はローザに向ける。
意気消沈した少女は、うなだれた状態で椅子に座ったままだ。
おそらく、顔面蒼白のまま、下される処分を粛々と受け入れる準備をしているのだろう。
絶えず震えている膝が、その緊張と恐怖の度合いを示している。
「言いたいことはあるか?」
「…………ないよ。全部、アタシが勝手にやったことだから」
「ちょっと! アンタねぇ! 少しは察してやってもいいんじゃないの⁉ いい年した男が、こんなガキ相手に本気になるんじゃあないだろうね!」
横からカーラも口をはさむが、特に何の感慨もない。
邪魔になるのならば、始末する。
これまでそうしてきた。
今回の騒動は、それに相当するだろう。
いままでの基準からしてみたら、ためらいなく撃っていた。
それなのに、今回はどうにもその気になれない。
ドンキーやハンリが知ったときに面倒なことになるだろうという考えがあったのも事実だ。確かに面倒にはなるだろうが、参考にする程度でしかないはずだ。
(年食った、ってことなのかねぇ)
今の自分を見たら、若かりし頃の自分はなんというだろうか?
惰弱になったと嘲るだろうか、それとも、優しさを得たのだと尊敬するのだろうか? そればかりは直接本人に聞いてみるしかなそうだ。
ため息を吐きながら拳銃をおろし、そのままばりばりと頭をかく。
「どうにもしねえ。ただ、今度から薬やらの類はやめろ。わかったな」
ローザの肩が震えて、顔が上がる。
目は真っ赤で、涙が伝った後が線になってひどい顔だ。
なのに、今は皮肉を言う気にはなれなかった。




