頭上輝く日 5
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数分後には二人は言われた場所へと到達していた。
さらには、ここが目的地であることも確信する。
〈全世界の頭髪を処断する!〉
そんな文言がでかでかと掲げてあるのだから。
「これでよく今まで生きていられましたね。わたくしは今、もしかしたら奇跡に遭遇しているのかもしれませんよ」
「奇跡なんてものは偶然の積み重ねの上にちょいとばかり人間の都合ってやつが入り込んだだけだろ。逃げる前にぶっ飛ばしたほうがよさそうだ。とっとといけよ」
「はぁ? わたくし一人に行かせるつもりですか? レディファースト精神とかないんですか?」
「だから先に行けっつってるんだろうが。『女性がお先に』」
「くたばれ」
「くたばらせるの間違いだろ」
「…………もうっ!」
口では敵わないことを知っているマイディは渋々という様子で入り口のドアに近づく。そのままドアノブを捻――――らずにドア自体を蹴り飛ばす。
「でてきなさい! この女性の敵! わたくしが神に代わって神罰を下してさしあげます!」
「それで『はいそうですか』って出てくる馬鹿がいるなら世の中苦労はしねえ」
「やかましいですよ!」
後ろから入る茶々によって怒りのボルテージが上昇していくのを感じながらマイディは中に侵入していく。
それも、単に『入る』などという生易しいものではなく、どちらかというと、『突破』と表現したほうがいいような激しさだった。
抜き放たれると同時に山刀を叩きつけた枠は粉砕し、その破片がまるで散弾のように室内に飛び散る。踏み込むのと同時にそのまま銃身切りつめ式散弾銃を発射。
銃声。
様々な薬品やら瓶やら蒸留器やらが転がる室内は、ただでさえ散らかっていたのに、それによって壊滅的な被害を被る。きれい好きがみたら卒倒しそうなほどの様相がさらにひどくなる。
しかし、目的の人物はいない。
てかてかと輝く禿げ頭は見当たらない。
「もしもぉ~し! どこですかぁ⁉ いないのならこのまま火でも放ちますよ! それが嫌ならとっとと出てきてわたくしにぶった切られなさい! 二つに一つ! どっちにしても最終的には死にますからご自由に!」
銃声。
適当に放った散弾はいくらかのガラス瓶を粉砕しつつ壁にめり込む。飛び散った薬品が机や床を汚すが、そんなことに頓着するつもりもなかったし、なんならもっとやってやりたい気分だ。
「…………出てこないつもりのようですね! だったら燻りだしてさしあげます!」
短気を起こしたマイディは適当に燃えそうなものを探す。
山と積まれた本に目をつけ、手を伸ばした瞬間だった。
「どうやってここを嗅ぎつけた! 我が野望を邪魔する頭髪の奴隷どもめが! これでも食らえ!」
「!」
どこから、という問いに答えるのならば最初からだ。
男――――ハギャムは最初からいた。
入り口のすぐ隣で、身をすくませながら銃撃を回避し、そのまま暴れ始めたマイディの隣でそれを目撃していたのだ。
意識の空隙。そう呼んでいいだろう。
この距離で気が付かないはずはない。
だというに、気が付かなかった。
違和感。だがその前に反射的に肉体は動く。積み重ねてきた戦闘の記憶が脳の処理よりも優先される。
「ぬぉぅ!」
空振る。
とっさに屈んだことによって、男の輝く頭部を狙った一撃は回避される。
「――――ちっ!」
やっと情報の処理が追い付いたマイディは再びの剣撃を繰り出そうとするが、それよりも男のほうが速い。
手に持っていた細長いガラス瓶――試験管を放り投げる。
反射的に払いのけようとするが、なぜかその手はずいぶんとずれた場所を通過し、中に入っていた液体がマイディの服を濡らす。
やはり違和感。だが、その程度がどうしたというのだろうか? たかが薬品、たとえ硫酸のごとき劇薬だったとしても、あと三秒もあれば山刀は目の前の男を斬り殺しているのは確定した未来だからだ。
「くたば――――れ?」
振りかざした山刀は脳天に食い込むことはなく、床に食い込んだ。
どころか、自分が倒れ込んでいることをマイディは悟る。
(どうなんってるんですか⁉ これ!)
叫ぼうとしたその言葉は発せられることはない。
体は正常に動いているはずだ。自分が体勢を崩したような感覚もなかったし、なんなら今もまだ立っている、はずなのだ。
だというのに、頬に伝わる床の感触は転倒していることを伝えてきている。
自身の認識と、現実の感覚が完全にずれてしまっている。
持っていた山刀を投擲しようとして、すでに取り落としたことを知ってからやっとその結論に至った。
(コイツ! 魔法でも使ったんですか⁉)
その心中を知ってか知らずか、男は不遜に微笑む。
「その頭……どうやら試作品を食らったようだな。……三日目……いや二日目か。この工房に充満している感覚欺瞞の霧を吸い込んだのだから、さぞよく効いてるだろう? このコンビネーションによって我が頭髪全滅計画は一分の隙もなく実行される。……憎き凡人どもめらに知らしめてくれる! 我が苦しみを!」
(意味が解りませんけど! とりあえず! いますぐに元に戻しなさい! そうしないとこの世のものとは思えない苦痛を味わう羽目になりますからね! 脅しじゃありませんよ! わたくし自身が体験したことですからね!)
「そこでしばらくはおとなしくしているがいい! 手始めにこのバスコルディアを阿鼻叫喚の地獄と化してくれる! フ、フフ、フハハハハハハ!」
もぞもぞと緩慢に動くマイディを見下しながら笑う。
邪悪に――というにはいささか滑稽な様子なのだが、それでも無力化されてしまった身としては腸の煮えくり返るような心境だ。
(こぉんのハゲ! ハゲハゲハゲハゲ! つるぴか頭と同じように脳みそのほうもつるつるのようですねっ! さぞかしいい音を立てて砕けてくれるでしょう! その前に頭蓋骨を叩き割ってから引きずり出してやりますけど!)
銃声。
発射音からそれはスカリーが愛用している拳銃だということはわかった。しかし、問題がある。
この工房には、男曰く――感覚欺瞞の霧とやらが満ちているのだ。
それはつまり、同じように踏み込んでしまったら同じような末路をたどることになるということ。ろくに動くこともできない人間など、殺す手段はいくらでもあるのだから。
「……ふん! どうやらまだいたようだな! しかしながら、例え銃やら魔法やらで襲い掛かってこようとも、だ。我が妙薬の前には跪いて懇願することしかできなくなる! そう! そのように世の法則は決まっているのだ!」
(誰が決めたんですかそんな法律! 少なくともわたくしは同意してません! というか、スカリー! どうにかしなさい! こっちもどうにかしますから!)
ぐちゃぐちゃになった感覚のままで腕を振り回す。
視覚と平衡感覚は完全に混乱しているようだが、どうやら触覚と聴覚は正常なのだ。ならば、今はできることをやるしかない。
銃声。銃声。銃声。
続く銃撃に思わずハギャムも身を低くするのだが、どうやら貫通するほどの威力はないようだった。合計で四発放たれた弾丸は一発さえも壁に穴をあけていない。
「……ふ、そんな豆鉄砲でどうにかできるものならばやってみるがいい!」
「テメエをぶっ殺すのにわざわざ当てる必要なんてねえんだよ。研究者ならちっとは頭ってやつを使ってみるんだな。おっと、その結果が頭の毛に見切りつけられちまったのか? だったらご愁傷様だな」
ハギャムの挑発に対してスカリーは嘲るように返す。
膠着状態であるにも関わらず、マイディが無力化されてしまったことなど知ったことかとばかりに。
思わず訝しむ。
外にいる人物は実は単なる囮ではないのだろうか? この女は二人ではなく、もっと大人数でやってきており、別動隊が裏に回っているのでは?
そんな疑問さえも浮かんでくるが、特に問題はない。
なぜならば、すでにこの家には感覚欺瞞の霧が充満している。
耐性を強化できる薬品を服用しているハギャムならばともかく、他の人物がそんなものを保有しているはずがない。入ってきた瞬間に、この赤毛の女と同じような状態に陥るのは目に見えている。
「貴様らの浅い企みなどはすでに見通しているぞっ! その非才を嘆きながらひれ伏せ!」
「ヘイヘイ、怒鳴るなよ『照り頭』。そんなに大口開けてるとろくでもねえモノが突っ込んでくるぞ。…………剣弾、スラッシュ!」
ぞぐん、という聞いたことのない音は”上”から聞こえた。
同時に、天井近くの壁に十字の切れ目が入る。
そんなことはありえない。
土壁ならばともかくとして、多少なりとも強度を有している硬質な木材を使用しているのだ。それが、ナイフで粘土を切り裂くかのように『切断される』などということはあり得ない。
しかし、それは現実に起こっている。
ついでに言うのならば、切れ目は四か所。
その大きさは、天井が崩壊するのには十分すぎるほどの長さだ。そのぐらいは建築に関して素人のハギャムにもよくわかった。
「に、逃げな……ぐぁっ⁉」
駆けだそうとしたその足が絡まる。
まるで、木の根っこにでも躓いたかのように、いや、その足首はがっしりと捕獲されてしまっていた。
褐色の肌をした、女の手に。
(触覚はちゃぁんと機能してますからね。触ったことがわかったのなら、あとは離さないだけですよ?)
「く、がっ! 離せ! 話せ離せ離せ!」
無理矢理に両手で引きはがそうとするが、鋼鉄でできているかのように女の手はびくともしない。
その間に、すでに限界を迎えた天井は重力に従って落下を開始した。
「NOOOOOOOOOOOOOO‼‼‼‼」
天井が崩れ落ちた建物を見ながら、スカリーは使用しなかった弾薬を戻し、通常のものをこめなおす。
まだ抵抗できるだけのタフさがあるとは思えないのだが、それでも用心するに越したことはない。
「気にするのは、頭じゃなくてその上だったな。ま、しばらくは天井を眺める生活になるだろうから、ゆっくりとやってくれ」
返事はない。




