頭上輝く日 1
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「そこの美人のシスター! そう! そこのあんた!」
”美人のシスター”という単語にだけ反応してマイディは振り返る。この上なく満面の笑みを浮かべて。
「あら、ちょっとは物事ってものがわかっているみたいですね。それで? この見ただけで卒倒しそうになる美貌のわたくしに何用ですか? 勧誘はお断りしますよ。むしろ勧誘するほうですから」
表情はニコニコとしているものの、その両手はすぐに山刀を引き抜ける体勢だ。言い換えれば、いつでも攻撃に移ることができる。
「いやいや! 勧誘なんて……そんなつまらないことじゃあないさ。ただ、アンタがあんまりにも美しいもんだから、ちょいとばかりのお近づきのしるしにと思ってね」
慌てて弁解しながら男が取り出したのはリンゴ。特に珍しくもないが、決してごみではない。
「まぁ。これはこれは。神の御恵みでしょうか」
「いや、アンタがきれいだから……」
「神の御恵みですね?」
「いやあ、そういうことじゃ……」
「神の御恵みでしょう?」
「あ、はい。神の御恵みです」
徐々に後ろに回っていった両手に対してかなり嫌な予感を覚え、男は肯定する。
「うんうん、素直でよろしい。その清い心に免じて、今回はタダでもらってあげましょう。今度からはちゃんと寄付も持ってくるのですよ? あ、教会じゃなくてわたくしに直接持ってくるように。それでは~」
素早くリンゴをかすめ取ると、そのままかじりながら再び歩き始める。
あまりにも自分勝手すぎる行動に男は唖然とするのだが、目的は果たしたことを思い出してなんとか気を持ち直す。
「…………効果があるのは明日の朝、だな」
翌朝。
「おはようスカリー。今日は早いね」
「おう。早朝から馬鹿が騒いでたんでな。黙らせてきたもんで暇してんだよ」
「……殺してないよね?」
「してねーしてねー。安心しな」
どうでもいいやり取りをしながらスカリーとハンリはマイディを待つ。
その間に昨日までの講義の復習やらが始まり、起きてきたマイディが文句を言うのがここ最近の日課である。
曰く、
「わたくしにわかる話をしてください。仲間外れにされてしまったら寂しいじゃないですか。泣きますよ? いや、泣きませんけど。むしろ泣かせますけど」
ということらしい。
「あのバカまだ寝てんのか? 自称品行方正が聞いてあきれるぜ」
「……マイディはわたしよりもたくさん働いてるからしょうがない……かもしれないような、そうでないような……うーん」
「無理にかばうと傷を抉るだけだぜ」
「だらしないと思う」
「……お嬢様は最近物事はっきり言うようになってきてもんだ」
「そりゃあ、スカリー達と一緒にいたらそうなるよ」
「……そのうちにおめえの爺様にぶっ殺される可能性を考えたほうがいいかもしれねえな」
などという会話をしていると、奥の居住ゾーンへ続く扉が開いた。
「おはようございます。…………あー、かゆ」
いつもの尼僧服にしっかりと着替えているマイディだが、その柳眉は寄せられ、ひっきりなしに頭を掻いていた。
「んだよ、そのツラ。シラミでも湧いたのか」
「んまっ! 失敬な! 毎日清潔にしているこのわたくしにシラミがわくなどということがあろうはずが! ……かゆかゆ」
「悪い悪い。沸いてるのはシラミじゃなくて頭のほうだった」
「首を絞められたいようですね、スカリー?」
「んなことする前に頭を洗ってこい。シスターが浮浪者みてえなことしてたら司祭サマにぶっ飛ばされるぞ」
「昨日ちゃんとお風呂入ったんですけどねぇ……」
ぶつくさいいながらマイディは懐から櫛を取り出す。
風呂の準備をするには多少の時間がかかるため、それまでは髪を梳かして誤魔化そうという算段だった。
「わたしがやってあげようか?」
「ハンリちゃん! んー! やっぱりハンリちゃんはそこで死んだ目をしながら毒舌かますような冷血人間とは一味も二味も違いますね! お願いします! わたくし、人に髪を梳かしてもらうの大好きですよ! それがかわいい女の子ならなおさら!」
舞い上がりそうなテンションで駆け寄り、ハンリの前にあった椅子に座る。ぴんと背筋が伸びたその姿は、見た目だけならば確かにシスターのものだ。
「じゃあいくよ」
「ああっ! これこそが天上の幸福というやつなのでしょうか? わたくし、生きててよかった!」
「天上って言葉も安くなったもんだ」
「なんか言いましたか、スカリー?」
「なァーんにも」
「よろしい」
受け取った櫛が、やや癖のある赤毛に差し込まれ、さらにそのまま下におろされ――――。
しゅるり、という音とともに何かが床に落下した。
「…………」「…………」「あら? どうしたんですか?」
なぜか沈黙する二人。
違和感を覚えたマイディは落下した物体のほうに視線を向けた。
かゆみはますますひどくなっている。早く櫛をいれてほしいのに、何があったのだろうか? その程度の気持ちで。
床に落ちていたのは赤い糸束、のように見えた。
しかし、それにしては妙な点がいくつか。
(見覚えがある色、ですよね? ん? しかもこのゆるーくウェーブした感じはとっても親近感がわくような、わかないような? なぜでしょうか? はて? そんなことよりかゆい!)
「ハ、ハンリちゃん? 早くもっと梳かしてください。激しくやってもいいのですよ? わたくし、頑丈ですから」
思考を巡らせるよりも、どうともしがたいかゆみのほうが優先だった。正体不明の糸のことは後で考えればいい。その程度の認識だったのだ。
しかし。
「マ、マイディ……これ……この櫛なんなの?」
震える少女の声。
動揺とかそういうレベルではなく、間違いなく恐怖を感じたもの。それが伝わってくる。
「櫛? 普通のですが? なにかありました?」
「……だ、だって髪がっ!」
「髪?」
かゆみが限界に達しようとしていたマイディは多少のイラつきを覚えて後頭部を|撫〈な〉でてみた。
本来、そこには豊かな赤毛が覆っているはずなのだ。
なのに、掌に感じたのは頭皮の感触。
つるつるのなにもない荒野の感触だった。
「…………?」
改めて、床に落ちた正体不明の糸束を再び見てみる。
糸ではない。それは髪だ。そして、今この場でこんな赤毛をしている人物は一人しかいない。
「……へ? わたくしの……髪?」
呟いたのと同時、猛烈なかゆみが襲ってきた。
これまでのものとは比較にならないほどの、抗いようのないかゆみが。
例えるのならば、数千匹の蟻が頭皮に噛みついたかのような。
「~~~~~~~っ! かゆーーーーーーーい!」
衝動的にかきむしった。
髪を、頭皮を、むしろ皮が剥げてしまえと言わんばかりの勢いで。むしろ、そっちのほうが楽だったのかもしれない。
突如、発狂したかのように暴れ出したマイディから距離を取りつつハンリはスカリーに視線を向けるが、『黙ってみてろ』というジェスチャーをされただけだった。
数分間に及ぶ頭皮との格闘は突如として終わりを告げた。
いきなりかゆみが消えたのだ。
これまでが幻かなにかだったかのように忽然と。
やっと解放されたマイディは荒れてしまった息を整えようとして気づく。
あたり一面に散らばっている赤い糸に。
いや、自分の髪に。
まるで惨殺現場でぶちまけられてしまった血液のように散らばる毛髪。その量が示すものは一つしかなかった。
そっと、頭に手を置く。
帰ってきたのはほんのりと温かい皮膚の感触だけ。
ついさきほどまではあったはずの、櫛を通せば少しひっかかる、くせのある赤毛は存在しなかった。
「……………………」
その表情は怪訝そうな顔で固まったままだ。
動くことはない。それでも衝撃を受けていることを想像できないほどにこの場に居合わせた者は|鈍〈にぶ〉くはなかった。
「…………ブ、ブフフフフッ! おいおい! なんだその手品は⁉ ちょいとばかり体張りすぎじゃねえのか⁉ ブクククッ!」
察していても、笑う者はいたが。
腹を抱えて笑い転げるスカリー。心配そうに見ているハンリ。
そして当事者であるマイディは、
「………………は? ……………え? …………ん? ………お?」
まともに言葉が発せなくなってしまっている。
見事に頭髪を失った『双山刀マイディ』
その姿はあまりにも滑稽だった。
少なくとも、知り合いが呼吸困難になりそうになる程度には。




