血と腸の降る夜に 12
12
ほとんどの隊員がどうしたらいいのかわからなかった。
彼らは素人ではない。
数々の戦場で、作戦で、状況で生き残ってきた強者たちなのだ。
だが、それでもこのような化け物と遭遇したことはない。
普通ならばすでに何度も致命傷を負っている。
あれだけの数の弾丸を叩き込まれて生きているのはドラゴンのような超存在だけだ。
だというのに、この死体と死霊術師はまだ生きている。
加えて言うのならば、仲間の死体を弄ぶような能力と、感性も備えているのだ。
単なる死の恐怖だけではない。
自分だけの死ならば、彼らは鼻歌交じりに克服して見せただろう。
だが、死んだ後に利用されるかもしれないという状況は、初めてだった。
「野郎ども! 怯むんじゃねえ! オットーとスロックが味わった屈辱を忘れるな!」
『大佐』の檄が飛ぶ。
兵士達はその一声によって正気に戻るが、与えた猶予は大きかった。
少なくとも、怪物が行動を開始するのには十分すぎるほどに。
「■■■■■■■■‼」
怪物は駆ける。
風のようにではなく、嵐のように。
むろん、それをおめおめと見逃すような彼らではない。
包囲しているのは自分たちなのだ。
依然として圧倒的な優位を保っていることに違いはなく、相手は所詮肉の塊に過ぎない。
――――――削って、削って、削ってしまえばいいだけの話。
再び銃口が怪物に向けられる。
合図もなしに、一斉射撃が始まろうとして――――。
「■■■■■■■■■■■■‼‼‼」
兵士たちが聞いたのは咆哮。
耳障りな、形容しがたい、叫び。
あるいは、それは咆哮などではなく、もしかしたら痛切なる怪物の悲鳴だったのかもしれなかったが、それを知るすべはない。
注意すべきことはそれではなかったのだから。
ばちゅり、という粘着質な音が聞こえた。
その音を聞いた部隊の一人、デグマンはいぶかしむ。
痛みはない。
というか、このコートを纏っている自分に通用する攻撃というものはそうそう、ない。
だというのに、確かに何かが当たって、それはいまだに胸部にへばりついているのだ。
本能が告げる。
見るな、と。
兵士の感覚は告げる。
速やかに確認しろ、と。
結局のところ、デグマンは兵士の感覚を信じ、己の胸部を確認した。
そして、目が合った。
目玉が、どんよりと黄色く濁った目玉が。
彼の誇りでもあり、そして実績の象徴でもある白銀のコートにべっとりとへばりついていたのだ。
目玉だけではなく、腐った肉片も一緒だ。
おそらくは、それらが接着剤のような粘性を発揮しているがために、この目玉は、本来は張り付くことなどできない感覚器官はこうやってコートに、未練がましい地縛霊のようにくっついているのだろう。
「ぎッ⁉」
生理的な嫌悪感から、とっくに捨て去ってしまったと思っていた感性から、デグマンは目玉を払い落とそうとして――――――ぐらりと視界が揺れた。
(なんだ? なんだ……これは?)
酩酊感にも近い感覚。
それが、目玉を介して彼の中に入ろうとしている浮遊霊の仕業だということには気づかない。気づけない。
死霊術師という相手は、遠くから死体を操ってこそこそしているだけの腰抜け。
そういう認識が、あった。
怪物は、内包していた目玉を飛ばしたのだった。
数多くの死体からかき集めた目玉を。
それは、腐肉とともに飛翔し、兵士たちに取り付き、そして、憑りつこうとしていた。
兵士たちの装備は物理的な攻撃には高い耐性を発揮するが、精神的なものは重視されていない。
彼らが投入される予定だった戦場は、ごく普通の戦場だったのだから。
殺すのは人間、もしくは亜人種程度。
それらは、忌避する。このような呪術を。
ゆえに、対策がない。対処の目途が立たない。
疾走する怪物は一直線に『大佐』のもとへと向かう。
幸運にも無事だったマーゲルとともに、怪物を迎え撃たんとする『大佐』のもとへ。
銃声銃声銃声銃声銃声銃声。
ものともしない。
分厚い肉と、内部の鋼鉄によって尋常ではないタフネスを獲得している怪物は、死体は、父親は、母親は、パーエは、まっすぐに目標へと向かう。
六つの腕に持たれた拳銃。
粗悪な造りであるために、射程距離は短いが、一度に放たれる弾丸は六倍。
たとえ、『大佐』がどんなにタフでも、人間である以上耐えることはできない。
その距離まで、必殺の間合いまで、あと六歩。
「■■■■‼」
その叫びは誰のものか。
応えられる存在はいない。
あと四歩。
六腕が、『大佐』の胴体、頭部、胸部それぞれに狙いをつける。
あと三歩。
あと二歩。
あと一歩。
怪物が違和感を覚えたのはその時だった。
ぞぎんという、鉄と肉が同時に断たれる音。
次に襲ってきた、重量のある何かが自分の上に着地した感覚。
巨体ゆえに、怪物は死角が多くなってしまっていた。
ゆえに、気づかなかった。いや、気づけなかった。
ひそかに建物の上を走ってきた存在に。
獣のような敏捷性を以て、闇夜を引き裂くように駆けてきた存在に。
その獣の名は、マイデッセ・アフレリレンといった。
「神の御名において、不浄の存在に鉄槌を下します。わたくしの名前を通行料代わりに地獄に落ちなさい。速やかに、迅速に、決定的に―――そして土に還りなさい、死体。我は使徒。神の御名により、審判を拒む魂に定めを与えん」
緋色の目をした尼僧服が持つ二振りの山刀が閃く。
鋭く、重く、そして残酷に。
一瞬で、三本の腕が切り落とされる。
続く二秒で、残りの二本が。
すでに、一本は最初に切り落とされていたのだ。
「■■■■■■‼‼ ■■■■■■■■■■■■■■‼‼」
怪物が叫び、マイディを振り払おうと飛び跳ねる。
だが、その直前にマイディはすでに着地していた。
次の行動を見通していたのならば、恐ろしい相手ではない。
今のマイディにはその程度の認識でしかない。
「■■■‼‼」
再び数発の目玉が発射される。
食らえば――いや、目を合わせてしまうだけでも感覚を乱されることは必至。
そんな攻撃に対して、マイディは跳んだ。
地を蹴り、壁を蹴り、看板を蹴り、上空へと尼僧服が上がる。
緋色の軌跡だけが残像のように空間に残り、まるで血の痕のよう。
空中へと躍り上がったマイディにはこれ以上は何もできない。
そう、マイディには。
銃声銃声銃声。
三発の弾丸が怪物に命中。
その程度ならばなんの痛痒もなかった。通常の弾丸ならば、死体には有効ではない。
魔法的な処理を施した祝福儀礼済みの弾丸でもない限りは。
そう、そのはずだった。
声が響く。
夜のバスコルディアに。
よく響く、男の声が。
「――――――剣弾、スラッシュ!」
斬、という奇妙な音は怪物が聞いた音なのか、それとも、怪物から発せられた音なのか。
あれほどの頑強さを誇っていた怪物が、縦一直線に両断されていた。
「…………『剣弾』と『双山刀』、か。ちょうどいいとこにきたもんだぜ」
ぎりぎりで、本当に危機一髪で命を拾った『大佐』は思わず呟く。
目に入るのは、縦に真っ二つになった怪物。
グロテスクな断面を晒しながらも、まだ、動いている。
「ちぃっ!」
身を隠しながら『大佐』は空薬莢を捨てにかかる。
彼が用いる拳銃は再装填に時間がかかる。二丁持っているのでその時間は倍以上。
そんな隙を晒してやるつもりはなかった。
「■■■…………■■■■」
怪物の喉奥から唸り声のような音が響く。
怨嗟の声のようでもあり、断末魔のようでもある。
剣弾をまともに食らったというに、まだ、怪物は活動できていたのだ。
「……まったく、タフというか、しつこいというか。スカリー! あんまりこっちは長く持ちませんよ⁉ とっとと秘策とやらを食らわせてください!」
叫ぶと同時に山刀を構えて怪物に突進。
地面すれすれを滑るように接近し、そのまま四足獣の下半身に切りつける。
きっちりと地面を捉えていない攻撃だったので、出来るのは体勢を崩す程度。
強化されている怪物の足を切断するには至らない。
だが、それで十分。
しっかりとスカリーが狙える時間が作れれば十分。
怪物とマイディを見下ろす四階建ての建物の屋上。
そこにスカリーはいた。
愛用の拳銃に装填されてるのは剣弾があと三発。
先ほどの三発によって、“一人”仕留めたはずだった。
怪物の動きがどうにも安定していないのはその証拠。
ゆえに、スカリーは“残り”を探す。
死体を動かしている残りを探す。
(どこだ? テメエはどこにいやがる?)
おそらくは、遭遇したあの少女。
あれこそが死霊術師なのだ。
そして、もう一つの推論も正しいのだろうと、考える。
感覚。
第六感としか表現しようのない感覚がスカリーを襲う。
怪物の中心部と、腰の付け根。
そこにいる、と確信した。
銃声銃声。
撃ち込んだ剣弾は二発。
それで十分。
左手の長剣を掲げて、振り下ろしながら叫ぶ。
「剣弾、スラッシュ!」
奇妙な音とともに、二発の水銀封入弾頭弾がしっかりと炸裂したことを感じる。
それは同時に、剣弾が十全に威力を発揮したという証明でもあった。
全く同時に二か所、怪物が裂ける。
大きさからしてみたら致命傷からは程遠い。
死体を崩壊させるには全く足りていない。
だというに、その二か所から怪物は崩壊し始めていた。
「■■■■‼ …………■■■‼ ……■■」
もがくように、まるで天にでも祈るかのように怪物の頭が空を向く。
そのがら空きになった喉を、山刀の一撃が襲った。




