?????の場合
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双山刀マイディの襲撃(と表現することが正確だろう)によって、空っぽになってしまった店の棚がそろそろ補充も終わろうという頃。
いい加減に開店させられるとほっとしていた日だった。
埃をかぶり始めていた〈閉店中〉の看板を〈開店中〉にひっくり返して、私はカウンターの中でグラスを磨く。
この瞬間はなによりも安心できる。
なぜならば、自分が確実に生きているということを実感できるのだから。
日常のつまらないことなどに価値はないと嘯く者もいるだろうが、私は逆だ。
つまらないことこそ大事なのだ。
だから、私は地味な行為にこそ細心の注意を払う。
それこそが最も成果が大きいと知っているのだから。
ドアベルが軽やかに鳴る。
お客だ。
「はぁ~い。おこんにちはぁ~……あ、もう夜だったわね。こん、ばん、わァ~」
「……いらっしゃい」
入ってきたのは女だった。
しかし、普通の女でないということは一目でわかる。
上から下まで黒ずくめ。
髪も瞳も、スーツもネクタイも、靴も、手袋さえも。例外は白のシャツと肌、血のように赤い口紅が塗られた口元ぐらいだ。
形容するのならば、死神のような出で立ちの女だった。
できることならば関わり合いになりたくはない。
危険信号がひしひしと伝わってくる。
しかし、私も店のオーナーだ。
引けるときと、引けないときがある。
今は後者。
……決断するしかないだろう。
「……お好きな席にどうぞ」
「ありがと~。んじゃここで、ね」
また私の目の前だ。
前回の双山刀もそうだったが、この街の住人は真ん前に陣取らないといけない呪いにでもかかっているのだろうか? いや、そんなことはない。ただ単にいかれているだけだ。
三日月のように曲がった唇の端から白い歯がこぼれる。
魅力的な笑顔ではあったのだが、その腰に帯びている細剣が物騒さを嫌でも喚起させてくれる。
「……ご注文は?」
「どうしよぉ~決めてなかったのよねぇ。ま、適当にお願い」
? 酒場に入るのに酒を決めてないというのは違和感を覚えたのだが、そんなこともあるだろうと無理矢理に言い聞かせて私は適当な酒を見繕った。
「ねぇ、マスターってどこの出身? バスコルディアじゃあないでしょ?」
黒の美女が呑み始めて一時間ほどだろうか。
ほとんど会話することもなく静かに呑んでいたのに、突如としてそれは破られた。
「……なにぶん昔のことですから……忘れてしまいましたね」
「ふぅ~ん。ま、あたしも昔のことは覚えてないし、そういうこともあるわよねぇ」
グラスの中の液体を緩く回しながら美女は妖艶に微笑む。
少量ずつ、味わうように呑んではいるのだが、なにぶんその手が休む時がない。
ずっと同じペースで呑んでいる。
よって、自然に酒瓶はすでに三本空いてしまっており、現在は四本目だ。
「でもぉ、流石に以前いた場所のことぐらいは覚えてるでしょ? なにか聞かせてよ。旅の話を聞くのが趣味なの。あんまり外にでないしね」
日焼けしていないその顔は、確かにそうだろう。
金持ちの娘なのだろうか? それにしてはあまりにも隙がないが。
「……以前はもっと北にいましたよ。小さな組織の――下っ端でしたね。なにぶん貧乏な場所でしたから、その日暮らしに毛が生えたようなもので……お客さんが喜びそうな話なんて……」
「いいのいいの。あたしはそういう普通の生活ってやつが好きなのよ」
仕方なく私は多少自身の身の上話を始めることにした。
もちろん、この女がどういう意図で聞いてきているのかがわからない以上、虚実を織り交ぜて。
「覚えているのは漁港ですね。毎日毎日魚ばかり食べて……子供のころはそんな場所で野良猫と大差ないような生き方をしてましたよ。……多少世の中ってやつがわかってきてからは……外に出て、何でもしましたね。コソ泥のまねごともしたし、馬鹿をだまして金を巻き上げたことは数えきれません。なんとかうまくやれたのは拾ってくれた人が義理堅かったからでしょう」
「今時そんな聖人みたいなのがいるのねぇ~」
「……聖人、というと語弊があるかもしれませんね。私を拾った人は間違いなく悪人ですよ。人も殺していたし、子供に盗みを真っ先に教えましたからね。……ですが、確かに筋は通った人だった。そう思いますよ」
これは事実だ。
あの人に出会わなければ、私のような子供は野垂れ死にがせいぜいだっただろう。
最終的には食いでのない肉になっていた、そういう運命から脱出できたのは、間違いなくあの人のおかげだ。
「完璧な聖人なんていないでしょ。あたしだって何人も殺してるしね」
「…………」
驚くようなことでもない。
この街で、バスコルディアではどんな過去を持っていようが、どんな種族だろうが関係ない。
よぼよぼの浮浪者が、実は追われている上流階級の人間だということだってありうるのだ。逆ももちろんあるのだが。
身なりの整った女だからと言って油断はできない。
どんな本性を隠しているのかわかったものではない。
一瞬の油断が命取りになるという言葉を否応なく実感することになる街だ。
今この瞬間も、私は油断していない。
「……あたしは、ねェ……」
妖艶に美女は微笑む。
「……生まれたところも覚えていないのよ。センセに拾われて色々仕込まれたのはいいけど……センセも行方不明になっちゃったし、いい加減に生きてたツケなのか気に入った男からいなくなっちゃうような生活なのよね。自業自得なのかもだけど、さ」
盃を干しながら黒の女は微笑んだままだ。
韜晦するでもなく、文句を言っている風でもなく、ただただ振り返っているという風情。
なにがしたいのだろうか、この女は。
「……そんなつまらない女が今何をしているのかっていうとね、掃除屋をやってるの。しかも普通の掃除屋じゃなくて、面倒くさい汚れを消しちゃうほうの、ね」
ちろり、と唇の端から真っ赤な舌が覗く。
背中から汗が噴き出しているのがわかった。
まるで、蛇ににらまれたカエルのような気分だ。
「今回の話はこうなのよね。法に触れるぎりぎりのところでやってた半端野郎が手塩にかけて育てた部下にカネを持ち逃げされてしまった。それだけ。普通ならその辺で豪遊してるだろうからとっとと捕まえられたんだけどね。今回の逃げ出した奴は少しはおつむの具合がよかったみたいでバスコルディアに逃げ込んだの。そっから色々と探ってはみたんだけど、なにぶんこの街は外からだと情報がつかみにくい」
それはそうだろう。
この街の情報を得ようとしたら、直接乗り込むしかない。
バスコルディア新報のような三流新聞程度では役に立つ情報などないに等しいのだから。
そこまでの危険を冒しても、情報が得られるとは限らない。
つまり、苦労は多いのに実入りがある保証もない。
だからこそ、この街は潜伏するのには都合がいいのだが。
「……苦労したのよぉ? 人相書きは当てにならないし、カネの流れも洗えない。頼りになるのは妙に酒に対するこだわりが強いっていう特徴と……オッドアイ」
私の右目は幼少のころの病気で片方が真っ白だ。
視力はほとんどないので、顔を覚えられやすいというメリット以外はすべてデメリット。
「みつけたわよ。ドレンガー・ミジャン」
瞬間、私の手はカウンターの裏側に置いてある散弾銃に伸びる。
「がぁっ⁉」
「そうはいかないのよね。ざぁんねん」
机を貫いて、細身の刀身が私の手を貫いている!
なんという速度! 私の動きを完全に見切ってないと不可能だ。
だが、その程度の不測の事態は確定的ではない。
足元のペダルを踏みぬく!
仕掛けられている毒針がすべての席を刺し貫く!
どうしようもない絶体絶命の状況下を想定した仕掛け。
だが、今の状況にはこれほどまでに有効な手はない!
「……下手にこざかしいと不憫よね。だって、無駄にあがくことになってしまうんだから。そういうのよりも馬鹿なほうがましじゃない? 悩むだけ無駄よ」
艶っぽい声は私の背後から。
そんな……馬鹿な。
ありえない。椅子に座った状態、さらには私の手を刺し貫いてる体勢から、どうやって?
こいつは、何者なのだ?
「絶踏。最後に見た技があたしの技だっていうのは幸せじゃない? じゃあ、グッバイ」
「お前は……お前は一体……」
「黒服のリリゼット」
最後に私が感じたのは、ほんの少しの寒さだった。




