目覚め
意味もなく、"ソレ"の意識が覚醒を始める。
本来、"ソレ"の種は古近来知恵を持ったことはない。して、持つことさえ許されていない。存在自体は有益なものなれど、そこに意思が宿るとなると、世界のバランスを崩しかねないからだ。
それでも、いきなり無機物が自己を持ち始めることに世界の都合は関係ない。これは自然発生でも種の進化でもない。明らかに万物にとっては異物であり、致命的なバグである。一見仕組まれているように見えなくもないが、それの発生には起因がない。偶然というには少し無理が過ぎるかもしれないが、偶然である。
唯一言えることはこれから起こることには命運など、必然といったこととは無縁であり、そもそも"このことの発生"はこの世界の"理"とやらからも外れている。"理"は自らのことを"理"に管理させる完璧な循環機関として全てを支えてきた。しかし、いくら終わりのない時間の流れの中で己の尻尾を飲み続けるウロボロスのような完璧な存在でも、一度限りの"隙"が存在した。完璧は"完璧"であること"を否定するように、新たな"理"が作成した"理"は元来の"理"にとっては理解し難い物だった。異例である新たな"理"に従って、不可解な乱数表から抽出された"彼"は"世界"にとっては全くの未知と言えよう。すでに敷かれたルートから外されている。
そんな彼が、目を覚ます。
間も無く脳のアップデートが完了する。
........
気がついた、ような気がした。
何かを知覚しようにも、全ての神経が焼き切れているかのように、一切の感覚が作動しない。
唯一先程起動したばかりの回らない形ばかりの脳を動かそうとしても、堰き止めていた泥水が氾濫したかのように、唯でさえ大して複雑でもない大脳皮質の隙間に泥が蓄積されていく。長年自己治癒してきた体が何かしら措置に取り掛かろうとする間も無く、重く勢いのある痛みが容赦なく寄せてくる。痛覚がないはずの脳が悲鳴をあげる。いや、これを悲鳴と形容するのは不適切であったかもしれない。なぜならこれは理性の誕生における儀式、もとい人間における幼児の誕生よりも前に発現しなければならない叡智の源、人格を構成するのに欠けては成り立たないものであるから。
気がついたら湿気が強く、密閉した暗い空間に俺はいた。
頭がクラクラする。
2日酔いというものとは無縁だと思っていたが、どうも今の状態が2日酔いのそれと酷似しているように思えた。金縛りにあったかのように、体を動かすことは叶わない。残された僅かな感覚で、周囲の冷たさは感じるものの、恒温動物の特徴である体温の維持を、自身の体が現在進行形で行なっているとは言い難い。
身を包む周囲からはぬめっとした言い難い感触がする、柔らかそうだ。
本来なら全身を包むこの感覚は不快だと感じるであろうが、なぜか今はその感性が抜け落ちている。
パニックになっていても可笑しくはないこの状況だが、生まれた瞬間からこの場所に居座っているように思えて、なぜかしっくりときた。実際そうだったが、食べず飲まずのまま膨大な時間が過ぎて、一切の飢餓や渇きを感じないこの体に不思議の念が尽きない。
どれだけ時間がすぎたのだろうか。
俺はずっと長い長い夢を見ていたような気がした。
そして目覚めは突然だった。
あっ
ぁぁ"ぁぁぁ"ぁ"あ"あ"あ あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あーーっ
酷く呼吸が乱れた。
本能に従って、力のある限り叫び続けた。まるで産声をあげるように、されど、かの音は劇物であった。
魔力の乗った産声には即死効果が付与されていた。
本来気絶程度の魔声であったはずだったのに対して、"ソレ"の叫び声は辺り一帯の魔物を死に致しめるには十分以上の威力を発揮していた。
(目がっ、っ)
高出力の太陽が撒き散らす光がまぶた越しに目を焼き付ける。
大気からの熱烈な歓迎に耐えられそうにない。
風が当たるたびに皮膚が剥がれていく感覚がする。
拷問とも言えるこの状況ではまともに意識が持つわけもない。
それでも現状を確認しようと努力してわずかに目を開くと、かすかに見えたのは、目の前に緑色の皮膚をしたヒト型の奇怪な何か。長い耳に潰れた鼻。頬は耳と目から垂れる血で汚されている。屈強な筋肉を有している所からすると雄であるようだ。そんな生物が俺の髪の毛にあたる部位、もとい頭のてっぺんに生えている葉っぱを掴んだまま、泡を吹いて横たわっていた。
苦痛が絶えない。いっそ意識を手放せたら良いものを。本能がそれを許さない。
あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ああああああぁぁぁぁぁ.........
どれぐらい叫び続けたか、ようやく体力が尽きて疲れた俺は再び深い眠りについた。
夢の中ではあのしめじめとした暗い所に戻っていた。
少しばかり気が楽になったような気がする。
(?)
自然な目覚めだった。
空気に慣れたのか、表皮が痛くない。
すこしだけ目を開けてみる。
時刻は夕方のようだ。
とりあえず立とうとしてみる。
どうやら全身が筋肉痛のようだが、ここは堪えた。
二本の足(根っこ)を器用に使い、俺は立ち上がった。
奇妙にも体が異常に軽い。
ふと自分の体に目を落とすと、そこには大麻を愛用した者の末路みたいな見た目をした物があった。全身が皺で覆われていて、それでいて異様に細い。いや、そういうことであればまだ納得がいくが、どう見ても植物のそれだった。手や足に至っては根である。
この植物には見覚えがあった。どこぞの映画で見かけて、その生態が気になって調べたこともある。
マンドレイクだった。
にわかに信じ難いが、それ以上に俺自身がとんでもなく落ち着いているのが驚きだった。失神しても可笑しくはないはずなのに、だ。
考えても仕方がない。とりあえず俺は本能に従って、何かアクションを起こさねばと初めて思いっきり深呼吸してみた。空気が美味しい。
隣に大部分が風化した死体が転がっている。そういえばこいつが俺を地面から抜いたのだった。緑色の皮膚をしていたことを思い出すと、なんとなくオークという単語が脳裏に浮かんだが、意味がわからなかった。
しばらくうろうろしていると、夕日が沈み、辺り一面が暗くなる。夜の森は不気味だ。加えて一切の物音がしない。虫ですら息を飲む静けさだ。ひやっとする空気がまた恐怖心を駆り立てる。
そそくさとオークの隣にある穴に戻ろうとしたが、探したところ、なぜか穴は跡形もなく消えていた。もしや先程自然に気がついた時から既になかったのかもしれない。このままじゃ非常に困るのは事実。目が覚めたらいきなり家が無くなっていたとでも言えば今の俺の気持ちがわかるのかな?
とはいえ、根である両手は物こそ掴めるが、とても土を掘りかえせるようには思えない。
しばらくの間、俺は途方に暮れていた。