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韓国の民衆文化
韓国の民衆文化であって、韓国の中央文化ではない、というところがミソなのである。つまりどういうことかというと、韓国の民衆文化とは、かつての中央文化だったものや、あぶない外国文化だったものがひとしくごった煮チゲになったものだ、ということなのである。
だから、たとえば統一新羅や高麗王朝の民衆文化は巫覡だし、李氏朝鮮では仏教や道教、そしてポスト産業時代の現代では儒教やキリスト教が韓国の民衆文化である、ということになる。
韓国の民衆文化の特色は、特定の個人がつくった文化だということである。李退渓や李珥だが、日本でも『土佐日記』の紀貫之がいるし、小倉百人一首をセレクションしたのは藤原定家だったわけだから、このへん日本と変わりない。
そして、天才(壮元)に逆らうものは徹底的に抑圧する。こうして、本質的におもしろいもの、本質的に豊饒なものが蘇塗や乱場に解き放たれてきた。だから、古代韓国で真に才能のある人は、いつも狭い座敷牢にこもって、「風サーリー、風サーリー」とやっていたのだろうと思う。文化評論ぱちこーんである。