ニネヴェ5期文化
文明の衝突、とかなんとか言いはするのだが、文明、といってもやっぱり文化なのである。
文明の起源はどこか。イスラム教では堕天使が二人メソポタミアに住みついて大きな塔のなかにおさまり、そこから冶金学のようなあらゆる文明を教えたという。中国文明は、では堕天使起源だったのか。それはわからないままだろうなとは思う。
メソポタミアには狩猟採集文化を基本としてやがていつのころからか都市居住文化が生まれた。アーバン・カルチャー、ということだから、きっと電動マッサージ機もあっただろう。
都市居住文化といっても、日干しレンガを原油精製物でちょっと積み木程度に重ねたもので、いまの日本だったら市町村でも「村」ていどだったかもしれない。都市には祭司貴族と庶民が住み、時おり遊行の朗誦詩人の口説きに耳を傾けた。祭司貴族のいちばんうえに〈王〉がのっかったのがいつのことかはわからない。きっと耳で聞いた修辞をアシの茎で粘土版におしつけて「文辞」にすることをはじめたその頃だろう。
今回のニネヴェ5期文化は文辞がまだない時代である。現代の年代算定法によれば紀元前2900〜2600年ごろになる。灰色土器をつくる技術の蓄積のうえに彩文土器文化が展開した。
都市文化からは「都市国家」「王国」「天文暦法」が容易に生じてくる。やがて、ヘレニズム期のギリシアでメソポタミア風の天文暦法と、エジプト風の幾何学を結合した西洋天文学が生まれ、そこから音楽学とプラトニズムと算術が花開いて現代の量子力学におよぶのだから、ニネヴェ5期文化は「科学がまだ文化のひとつだったころ」を思い出させてくれる根っこの文化なのである。
堕天使がいまどこにいるかはわからない。カイロか、テヘランか、ワシントンかもしれない。ただ、わたしたちは醤油を盛った土器のかけらにエンガワのお刺身をつけてぱくりと平らげ、「壺つくりの仕事場に昨日よって見ると、/千も二千もの土器がならべてあったよ。/そのおのおのが声なき言葉でおれにきくよう-/ 壺つくり、売り手、買い手は誰なのかと。」と慨嘆するばかりなのである。(引用:岩波文庫『ルバイヤート』、オマル・ハイヤーム作、小川亮作訳、訳出番号73、61㌻。)
あ、文化評論ぱちこーん。だった。